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一話物

欠ける男

作者: 紅月赤哉

 昔々、世界に戦争がありました。

 いくつもの国が争いを重ねて、年月を重ねていきました。

 やがて一つの国の偉大な王様が、世界を統治することとなりました。

 自分の欲望のためだけに知略をめぐらせ、力を振るい、悪事を重ねていったのです。

 そして世界が落ち着きを取り戻して数年後、王の身体は奇病に冒されていきました……。


 * * * * *


「王! お気を確かに持ってくださいませ!」

 きらびやかな服に身を包んだ初老の男性は、ベッドに横たわる人物の手を握りました。しかし、その手は腫れ物を触るかのように強められることはありません。

 ベッドに横たわるのはその初老の男性より、少し年を重ねた方。頭髪はすでになく、禿げ上がった頭部にはいくつも亀裂が刻まれておりました。頭部だけではなく、露出している肌全てに、線が走っていたのです。

 身体がまるで石像のようになり、欠けていく奇病に冒された王の姿でした。

 その王へ深い憂慮の視線を向けるのは数人。王の親族と、戦を共に戦い抜いた側近のみでありました。

 しかし親族も先日、不慮の事故で亡くなられた第一皇位後継者であるエヒト様以外のお一方、王の妃であるアリセル様のみ。事故で共に死んだエヒト様の妃であるニーニャ様はもちろんのこと、事故に巻き込まれず、しかし幼い年齢を考慮されて事実を知らされずにいるエヒト様方のお子、エリル様はおりません。

 側近も激しい戦いを切り抜け、生き残ったのは最も古い付き合いであるバーバルだけだったのです。

「……もう、私は駄目のようだ」

 ゆっくりと目を開け、開かれた口から紡がれる言葉は、それまで暴君の異名を欲しいがままにした王の言葉とは思えないものでした。今までの人生を王の傍で過ごしてきたお人達も何を言えばいいか分からず、ただ身体にすがります。

「ようやく、世界は平和を取り戻したのです。これからです……」

 バーバルは流れ落ちる涙をぬぐおうともせずに、王へと必死に言葉を投げかけます。そうすることで、この世界に引き止められると確信しているかのような、強い口調で。

 しかし王は首を振り、一つ、息を吐きました。

「この身体に走る線は、間違いなくひびだ。私の身体は、岩のようなものになってしまった。そして、痛みに傷を増やしていく。深くしていくのだ」

「痛み……それは何の痛みなのですか? こうして安静にしていても刻まれる痛み、とは」

 アリセル様の問い掛けに、王はまた深く息を吐きました。一度こうした動作をせねば、もう言葉を発することさえ辛いのかもしれません。

「私が重ねた、罪の痛みだ」

 言葉が終わると共に、明確な音をたてて王の左手に亀裂が走りました。その手を握っていたバーバルも驚きに手を離してしまいます。王は自嘲の笑みを浮かべ、さらに続けます。

「私はここまで罪を重ねた。戦争時、命乞いをしてきた敵兵を言葉巧みに油断させ、殺してきた。言う通りにすればいいようにすると約束した味方を、自らの欲望に支障が出るとみると一瞬で命を奪った……」

 虚空を見上げ、王は自らの半生を振り返っていきます。小さく、掠れ、命の炎をも犠牲にしているかのような告白を止める者は、その場にはおりませんでした。

 事実を淡々と語り続ける王は、異様な力に包まれているかのようにバーバルやアリセル様は思えたのです。

「――この痛みは、私が生み出した虚構への報いなのだ。枕元に、私が騙した者達が立ったよ……そして言ったのだ。『あなたは自らの偽りによって、死んでいくのだ』と」

「そんなことは……ありません……」

 バーバルは王の独白の前とは変わって、力のない言葉を紡ぎ続けました。もうそれ以外にはもう、すがるものがないと悟ってしまったのです。

 アリセル様もまた、刻々と死期に近づいていく王を見ることができずに顔をそむけ、口を掌で覆いました。

 王の寝室は「王は死なない」と弱弱しく紡がれる声と、漏れ出す嗚咽が広がっておりました。

「お爺様!」

 淀んだ空気を洗い流したのは、幼子の声でした。王妃様も、バーバルも驚きに顔を染めて、駆けてくる声の主を見ていました。

「おお……エリルか」

 最も早く幼子――エリル様へと反応を示したのは王でした。呆然としていた王妃様、バーバルが我に返る前に、活発なエリル様は王の横にお立ちになりました。

「お爺様! お体の具合が悪いのでしょうか?」

「ああ……大丈夫だよ。すぐに、良くなるから」

 王の顔に浮かぶ笑みの柔らかさに、アリセル様もバーバルも何も言うことができません。

 自分だけが異質な気配を持つことに気づかないエリル様は、さらに王に語りかけます。

「お爺様。お父様とお母様は、まだお帰りにならないのですか? 私は寂しく思います」

「ああ、ああ。もう少しすれば帰ってくるから、良き王になるよう勉学にいそしんでいな

さい」

「はい!」

「――エ、エリル様。私が勉強を見て差し上げます。王もお疲れでしょうから、ね?」

 言葉を挟む隙を見つけたバーバルは、エリル様と王を離す役をかって出ました。

「うん。分かった! ……また来ますね、お爺様!」

 エリル様の生に満ちた声に導かれるように、王は頷き返しました。バーバルと共に寝室を辞する二人の背中を、王は自愛に満ちた笑みのまま見送ります。アリセル様はその様子に、かつての暴君の影を見ることができませんでした。

(この病が回復すれば、きっと王は良き王となる)

 アリセル様は王のその態度に、希望を見出しました。絶望に歪んでいた視界が晴れやかになり、アリセル様は声に想いを乗せて王へと言葉をかけました。

「王。お気を確かにお持ちなさいませ。必ず治ると願えば――」 

 アリセル様はそこまで言って、何も言えなくなりました。

 王の寝具の上に出ていた腕は、粉々に砕けていたのです。寝具に包まれた王の身体もその膨らみが失われています。

「あ……あ……」

 アリセル様は恐怖と悲しさに身体を震わせ、声を詰まらせます。

 恐慌に陥ろうとする思考の中に甦る一つの言葉。

 王が紡いだ一つの言葉が、アリセル様の理性を支えておりました。


『あなたは自らの偽りによって、死んでいくのだ』


 王が夢の中で聞いたという言葉。

 エリル様についた、嘘。

 死んだ皇太子夫妻が、エリルの下に戻ってくるのだという、嘘。

 人の事を顧みることがなかった王が、最後についた優しい嘘が、王の命を奪ったのです。

「いや……あなた……」

 泣き叫ぶこともできずに、アリセル様はベッドの端に座り込みました。

 そこから見えたのは、枕に乗る王の頭部。石像のように白くなり、ひび割れた頭部。

 自重に耐え切れず崩れ行く表情は、最後まで優しい笑みが刻まれていたのでした。

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