九話 消えてしまう気がする
コーヒーゼリーとプリンをそれぞれ食べ終えた姉妹は自室へと戻って行った。恐らく楓も今からログインするだろう。紅葉はコースター代わりの灰皿にマグカップを置くとパソコンを立ち上げた。今日のお供はホットミルク(?)だ。
早速【魔法少女おんらいん】にログインすると、そこは昨日狩りをしていた【流星の丘 南部12】だった。昨日は消耗品に余裕があった為、町には戻らずにそのままログアウトしたのだ。といってもログイン直後に襲われるリスクを少しでも下げる為に、エリア隅に寄ってはいるが。
という訳で今日も昨日に引き続きスクルトは【ヒルジャイアントの左腕LL(R)】を狙って【ヒルジャイアント】を捜し始める。がその前に違う作業を挟む。
「…………」
紅葉はフレンドリストを開き、ルウのIDを確認した。
白色――、ログインしている。ない、ないだろうとは思っていたが、こうして実際にログインしているルウのIDを見て紅葉はほっと息を吐いた。
(……、よし)
ログアウトした事によって強制的に帰還したフレッシュゴーレムを再び召喚して補助魔法を掛け直すと、今度こそヒルジャイアントを捜して動き出した。
◆
(うーん、これかぁ……、いや悪くない。悪くないけども。むしろ嬉しいけども)
本日も狩りを始めて早一時間半。【なきむしうさぎ】を倒した時とあるアイテムをドロップした。だが当たり前というかなんというか、レアの【スターダスト・ドロップ】ではなかった。それでも一瞬期待してしまい、違うと分かり少々ガッカリした。がこのドロップも紅葉的には悪くない。
ドロップしたのは【うさみみばんど(白)】どういった物かというのは説明するまでもないのかも知れないが、白色のヘアバンドに白色のウサミミが付いている、名前のまんまのアイテムであり私服の一つだ。私服でウサミミを付ける人が世の中にどれくらい居るかは分からないが。
これはスターダスト・ドロップには及ばないがレアなので、割と高値で取り引きされている。私服を集めている紅葉にに売る気はないが。
(戻ったら付けて見ようかな。でもウサミミと合う服ってどんなのかなぁ――、ってウサミミの合う私服ってどんなのよ……、バニースーツなの? でもバニースーツも確かレアドロップよねぇ。手に入れても私服でバニーってどうなのよそれ……)
とりあえず戻ったら私服の中から色々合わせみるかぁ、と思い紅葉はアイテムウインドウを閉じモンスターを捜して始める。
【ヒルジャイアントの左腕LL(R)】はまだ入手していない。胴体とノーマルの左腕は一つずつ入手したが、紅葉は今のところ強いが動きが鈍くなり易いLLサイズのフレッシュゴーレムを作成する予定はない。なので一応売却せずに取っては置くが使用する予定はない。
ヒルジャイアントが二体固まって居て、しかもまだこちらに気付いていない事を確認したスクルトは、地面に二つの魔方陣を設置した。ちなみに同時に設置できる魔法陣の数は、一PCにつき最大で二つまでとなっている。
今回設置した二つは、当然ヒルジャイアントがこちらに直線に向かってきた時に踏む位置にしてある。二つにした理由は、これが発動したら魔法陣が消滅するタイプのものだからだ。ネクロマンサーの設置型魔法に発動後も残るものはない。
次にスクルトは幾つかの補助魔法を掛ける。全て掛けたいところだが一つ目を掛けた時点でこちらに向かってく。今は必要最低限のものにした。
起点指定型補助魔法、ペイン。
起点指定型補助魔法、カース。
自然回復速度とMDAMとMCを低下させる。ようは傷が治りにくくなり、攻撃魔法を弱く、そして攻撃魔法に弱くした。
状態異常や補助魔法の成功率は術者と対象のINTにそれなりに依存し、MEN(精神力)とレベルに強く依存する。見た目通りINTもMENの低いヒルジャイアント相手なら百発百中だ。
能力の低下した二体がこちらに向かってくるが、スクルトはその間に範囲魔法をチャージしていた。即座に撃てる射撃魔法と違い、範囲魔法は発動までに少し時間が掛かるのだ。
マチュピチュもまだ突撃させていなかった。魔法陣から少し離れたところで待機している。
《こんばんは!》
二体のヒルジャイアントがそれぞれ魔法陣を踏み【呪いのイバラ】が発動し、少し動きが停止したタイミングで、スクルトが範囲魔法をたたき込もうとしたその時、ルウからwisが飛んできた。が、紅葉は一先ず魔法を放ち返事をする事にした。
円型範囲攻撃魔法、シャドウ・サーヴァント。
魔法陣から巨大な影の使い魔現れる。あまりに巨大なその姿は魔法陣から全身が出る事はなく、出て来たのは真っ黒で巨大な手のみ。そしてその手は範囲内のモンスターを握り潰した。
(ノーマルか)
《こんばんはー》
魔法が収まったタイミングでマチュピチュを突撃させ、ルウへ返事を返し、残りの補助魔法も掛けていく。
ノーマルとは、【シャドウ・サーヴァント】にはエフェクトの何パターンかあり、どれも一つの例外をを除きダメージに変化がある訳ではないのだが、レアバージョンは技で言えばクリティカル発動時並、つまり一.二倍にダメージが上昇するのだ。クリティカルヒットの概念のない魔法にはなかなか魅力的なランダム要素である。
ただし確率は紅葉の体感で三十回に一、二回といったところなのだが。
《今大丈夫でしたか?》
《うん、大丈夫》
スクルトは【ディジーズ】と【エンセオンジェン】を掛けチャットを返す。
実際勝ちパターンに入っている。目の前では【呪い】の掛かったヒルジャイアントのHPが勢いよく減っていっていた。
《あの、一昨日相談した件で》
《うん》
やっぱりその件だよね、と紅葉はほんの少し緊張した。特に暗い感じはしないが、今はあくまでチャットのみ。判断は難しい。
大丈夫だとは思うが――、とりあえず一体目のヒルジャイアントに射撃魔法でトドメを刺し続きを待つ。
《上手くいきました! もう本当にスクルトさんに相談に乗って貰って良かったです!》
《おぉ、それは良かった》
返事をしながら紅葉はほっと息を吐き微笑んだ。ルウならきっと大丈夫だろうとは思っていたが、紅葉には相手がどんな人物か分からないのだから。
《本当は昨日お礼を言いたかったんですけど、用心済せてご飯食べたら寝ちゃって……》
《そんな事気にしなくたっていいのに》
そんな事を言いながらも紅葉の気持ちは漸くいつも通り落ち着いた自覚があった。なんだ寝ていただけか、と口角が少し上がっている事が紅葉は自分でもよく分かった。
《あとでちょっとだけガッカリというか、ショックな事があったんですけど、それも勘違いだという事も分かりましたし》
《そうなの》
スクルトが射撃魔法を撃つ。五発放たれた黒い魔法の矢全てが命中して、二体目のヒルジャイアントも倒れた。ドロップは【すこしふしぎないし】ノーマルドロップだ。
《笑い掛けてもらえましたし、もう最高でした!》
それから暫く、○○が良かったと興奮気味に話すルウの話を紅葉は相槌を打ちながら聞いていた。紅葉は聞いていく内に、何か、少しだけ胸に引っ掛かりのようなものを感じた。
これは何なのだろうか? 自問自答してみてもよく分からない。分からないが、あまり良い気分はしなかった。
《それに今日も、いつもより少しだけですけど多く話せたんですよ!》
それは良かったわね――、そう打とうとして指が止まる。
(あぁ、良くないよルウさん)
紅葉はその時自分の胸のわだかまりが何なのか気付いた。顔も名前も知らない、存在すら一昨日まで知らなかった相手に嫉妬しているのだ。 その事を自覚した紅葉は顔がカッと熱くなった。
(知りもしない相手に……、しかも私はルウさんのなんなんだよ一体……、恥ずかし過ぎる)
頭を抱えたくなった紅葉だったが、次第に頭が冷えていくのを自覚した。
(それに嫉妬したって仕方ないじゃん……、ルウさんとその人はリアルの知り合いで、多分もう友だち――、だと思うし。それに比べて私はゲームでの――、ネットだけの知り合い。私とルウさんはフレンドで……、フレンドってなんだろう? 友だち? それよりもっとお手軽なものだよね……、実際一度狩りをして登録はしたけどそれっきり、なんて人も居るんだから)
考えがどんどんネガティブな方へと行っていた。
《あの、スクルトさん大丈夫ですか?》
ルウから呼び掛けられ、紅葉は我に返った。どうやら返事に間が空いた事が気になったようだ。紅葉は慌ててキーボードを叩く。
《うん大丈夫。今狩り場だからちょっとね》
あやふやな返事。実際は見える範囲には、なきむしうさぎが一匹居るくらいだ。忙しくともなんともない。
《あ、ごめんなさい。長々と話しちゃって》
《ううん、大丈夫よ。今は偶々》
《はい、ありがとうございます! それじゃそろそろ失礼しますね》
《そう? それじゃあまたね》
待って――、もう少しお話しない? 一緒に狩りにでも――、紅葉はどんな言葉でもいいからルウへすがりつきたくなったが、結局言う事はできず、言えるわけもなく、いつも通りのスクルトを演じた。
《はい! それじゃあまた!》
こうしてwisは終了した。紅葉の気持ちは沈み、結局その日は浮かび上がる事のないまま狩りを続け、零時前にログアウトする。
【ヒルジャイアントの左腕LL(R)】を入手する事もなかった。
◇
翌日、今日は土曜日で日本全国大抵の中学校はお昼に終業する。それはこのミノア女学園も変わらない。少女たちは遊びに行く予定でもあるのか、皆他の平日より明るく見える。恐らくこれも日本全国そう変わりはしないだろう。
しかしそんな中一人の少女が溜め息を吐いていた。
「……ふぅ…………」
その少女は勿論、と言っていいだろう、平島紅葉である。一晩経過したというのに昨夜のルウとのやり取り以降気分は沈んだままだった。
紅葉も普通の中学生同様、土曜日は少し――、誰も気付きはしないが普段よりテンションは高めなのに、今は目に見えて低い。普段は少々気分が沈んでいるくらいなら、周囲が気を遣わない様誤魔化せるのだが、今はその余裕もないようだ。
そんな紅葉に周囲の少女たちも初めは、いつもよりアンニュイな平島さん良いわね、と思っていたが、二限目の授業が終わっても戻る様子のない紅葉を、今は心配そうに見ている。
とはいえ授業中はスイッチを切り換えるように、それこそいつも通り集中した様子を見せているので、体調面の問題ではないらしい、という事と普段の紅葉との距離も相俟って話し掛けるまではいかなかった。
「平島さん」
誰かが紅葉に声を掛けた。
「――、なにかしら」
それは一昨日一緒に昼食を食べた、真希の友人の安部優子だった。
「今日溜め息ばかり吐いているみたいだから少し気になってね……。調子悪いの?」
「あぁ……、昨日少しあって。自己嫌悪というか……、気を遣わせたみたいでごめんなさいね」
「いや、それは気にしなくて良いんだけど、……大丈夫?」
「えぇ、体調を崩しているわけではないし、休日にリフレッシュするから。大丈夫よ」
少なくとも他人にばれないようにするくらいには戻そう。気を遣わせてしまった事を少し悔やみそう考えた。
「ならいいんだけど。……よかったら話聞こうか?」
「――、いいえ……、有り難い申し出だけれど、これは私自身の問題だから、私が解決するわ」
優子の言葉に一瞬テンションの上がる紅葉であった、さすがに言えないな、と思い丁重に断る。
ネトゲの知り合いのリアルの友人に嫉妬した自己嫌悪でへこんじゃって――、これは無理。例え暈しても紅葉には言えないだろう。ましてや最近少しだけ話すとはいえ、紅葉にとってはただのクラスメイト。相談などあり得ない。
(あれ? ただ断っただけのつもりなんだけど、なんだが格好を付けた言葉になったような気が……、恥ずかしい)
別件で余計にへこむ紅葉。面倒な性格をしている。
「そっか……」
「ええ、それに大した事ではないの。ありがとう、ね」
大した事ではない。スクルトとルウのネット上の繋がりの事が頭にちらつき、自分で口にしておいて更にへこむ紅葉。本当に面倒な性格をしている。
その時チャイムが鳴り3限目を担当する教師が入室してきた。
「それじゃあね」
そう言い残し、優子は他の生徒たち同様自分の席へと戻っていった。
(帰ったらお風呂入ってぐだーっとしよう、うん)
紅葉は机から教材を取り出し、今は授業へと頭を切り替えた。
◇
帰宅した紅葉は予定通り直ぐにお風呂に入り、今はリビングでまだ少し濡れた髪をポニーテールに結っている。それなりに長い髪をしているので完全に乾くのは時間が掛かるので、いつもこうしているのだ。
現在の紅葉は学園に居た時に比べ、割と持ち直している。それは帰り際の真希の元気な相手に癒されたから、というなんとも現金な理由だったりするのだが。
その時癒された紅葉が浮べた微笑みに、今日一日紅葉が心配でオロオロしていた真希も元気が出ていたりするのだが、勿論本人は気付いていない。
「紅葉ちゃん、出来たわよー」
「あ、はーい」
母親に呼ばれ、ダイニングテーブルに着く。今日のお昼はカルボナーラだ。
「いただきます」
手を合わせて挨拶をしてフォークを持った。
食後、紅葉はリビングのソファーに座り、先日深夜に衛星で放送されていた、とあるロックバンドのドキュメンタリー番組を録画したものを見ながらダラダラしていた。
なんとなく気分が乗らずログインする気が起きない。
「ただいまー」
壁を挟んでいる為小さくだが玄関から声が聞こえる。紅葉から遅れる事一時半、楓が帰宅した。
手洗いとうがいを済せた楓がリビングに来てもう一度言う。
「ただいまー」
「おかえりー」
「おかえりー」
紅葉は顔を向け、母親は手をひらひらと振りながら楓を迎えた。
楓は冷蔵庫から牛乳を取り出すとコップに注ぎ、紅葉の隣りに座る。
「お姉ちゃんお昼ご飯は?」
「千鶴たちと食べて来たよ。お母さんには連絡済み、ね?」
「そか」
母親が頷いてみせた。楓はよく土曜日は外で昼食を食べて帰る。
「あ、紅葉ちゃん。今日の防衛戦いける?」
「うん、大丈夫」
本日は二週に一度、ルネツェンが襲われるイベントの日だ。
毎週土曜日に【首都防衛戦】と、PCたちが【せいぎ】と【あく】に別れ戦う【まじかるうぉーず】が交互に行われており、今週は首都防衛戦だ。首都防衛戦にはかなりの頻度で毎回姉妹揃って参加している。
開始時間は夜の十時から。今はダラダラとしている紅葉だが、さすがにその時間までしている予定はない。今日は首都防衛戦だけでなく、早めにログインして【ヒルジャイアントの左腕LL(R)】も狙う予定なのだ。
「そういえばお姉ちゃん、ヒルジャイアントの左腕のレア持てないよね?」
「んー、まぁ多分ないと思うなー」
「だよね」
一応は聞いてみたがダメ元だ。
「まあ見掛けたら連絡するよ」
「うん、ありがとう」
ニコりと笑う。
「ん? だいぶ前に解散しなかったっけ? 確か三年くらい前」
話に区切りが付き、楓がテレビへ視線を移した。
「うん、したよ。で、今テレビに映ってるバンドも半年前に解散して今は別のやってる」
「ふーん、そうなんだ。まあ、らしいと言えばらしいのかな? 私はそんなに詳しいって程じゃないけどさ」
楓は紅葉のまだ少し濡れているポニーテールを弄りながら言う。
「うん。確かにバンド変わったらあんまり望んでない方にいっちゃう事って多々あるけど、だからって安定されちゃうと私にとって魅了以前の問題かな……。そこの辺りは複雑な気持ちなんだけどね」
「ロックですしねぇ」
「ロックですから」
そう言って二人は微笑み合った。
「でもコロコロ変わるとお母さん覚えられないわ~、売り上げも落ちそうよね」
母親が二人が座るソファーとは異なるソファーに腰を下ろしながらぼやく。
「台無しだよお母さん……」
苦笑い混りの楓の呟きに紅葉も苦笑いした。
テレビではボーカルがライヴで叫んでいる。
『愛を上手く言葉にできない奴は抱き締めてキスをしろ! 何でもいいから形にして伝えろ! 俺は歌! お前らもっと愛し合えよ!』
紅葉はその言葉が少しだけ耳に残った。