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六話 バスルーム

「くぁ……」

 容姿端麗、頭脳明晰、和敬清寂――、周囲の少女たちどこか教師からも一目置かれる存在である平島紅葉は、学園では見せる事のない力の抜けた表情で、力の抜ける声を漏らした。


「ふぅ……」

 お湯に濡れた形のいいおデコに張り付いた前髪を弄りながら溜め息を吐き、ほんの僅かだが表情を硬くした。前髪を鬱陶しく思ったという訳ではない。今日の出来事を思い出しての事だ。

 その出来事も不快だったという訳ではない。ただ、慣れない出来事が立て続けに起き、思った以上に疲れたという事だった。


(今日なんだか色々有ったわね……)

 眉間の辺りを伝った水滴を左手の中指の腹で拭う。


(最近――、とは言っても昨日からか……、なんだろう、イベントが頻発してる気がするなぁ)

 顔の水滴を拭っていく。普段考え事をしている時に三つ編みを弄るのと同様、無意識の内にする入浴中の癖のようなものだ。


(貯めに貯めたポイントカードを一気に使った気分)

 二年分ならだいぶ貯まっているなぁ携帯無料で交換できるくらい。と一瞬自虐的な考えに口元が僅かにつり上がった。


(長谷部さんにも驚かされたけど、バスの子にもね……。なかなかインパクトの再会だったわ)

 紅葉は浴槽の片側のへりに両腕を乗せてもたれ掛かり、バスの子こと、岡崎巴と再会した今朝の出来事へと思いを馳せた。



 朝のHR前、もうかなりの数の生徒が登校し、友だち同士昨日のテレビの話などに花を咲かせている教室の窓際の一角で、紅葉は自身を訪ねて来た少女――、岡崎巴を椅子に座り見上げていた。


「……」

 暫くそうしていたのだが、ハッと我に返り返事をする。


「えぇ大丈夫よ。――それで、わざわざどうしたの?」

 紅葉には巴が訪ねて来た理由がまるで思い付かない。いつも通り冷静を装って――、単に表情に焦りが出難いというのもあるが、頭の中はハテナで一杯だった。


(どういうことなの……。何かしたっけ? いやまぁジロジロ見ちゃった気はするし、確かにそれは失礼な事をしちゃったなぁと思うけど、その事で訪ねては来ない、と思うし……、たぶんだけど)

 考えてはみるもののやはり分からない。紅葉は小首を傾げ上目遣いに正面に立つ少女を見詰め、答えを待つ事にした。一瞬少女の体がぴくりと反応し、表情にも動揺が浮ぶが、昨日のバスターミナル程ではないにしろあまり余裕があるとはいえない紅葉はその事に気付かない。


「――いえ、昨日の件なのだけれど……、改めてお礼をと思って……」

 紅葉は少女の言葉に胸をなで下ろす。


(意外――、っていうのは失礼か。真面目なんだなぁ……)

 今日も、昨日のバスターミナルと変わらずどことなく眠たそうな瞳と平坦な声だが、わざわざ朝一番に自分を訪ねてきてくれたという事と、内心ちょっとビクついていた気持ちが解放され、本日二度目の自然な笑顔になった。


「気にしないで。本当、ついでみたいなものだったから。ふふっ、嬉しいけどね」

 その時、朝のHR前で少しざわついていた教室がほんの一瞬だけ静まり、またざわつき出した。

 紅葉はその事を不思議に思い、周りを少し見渡すが特に変わった点は見あたらない。ひょっとしたら担任教師が来たのかと思ったのだが直ぐにざわつき出したし、そもそも担任が来たとしてもああも瞬時には静まらない。

 結局のところ、よく分からなかった紅葉だったが、またしてもビクついた。


(な、なんでこんなに目が合うの? 直ぐ逸らされたけど)

 教室を見渡した時、何故か多くの少女たちと目が合ったのだ。一人二人なら偶然かもしれないが、両手の指を必要とする程となれば、さすがの紅葉も偶然とは思えず首を傾げた。


(あとは長谷部さん、なんだかものすごく驚いていたような。あ……、ひょっとしてこの子有名だったりするのかな? 正直活発そうには見えないし、ここに居るのが珍しくて注目してたとか……。割りといい線いってる気がする)

 確かに紅葉にしてはいい線いってる。巴は割りと有名で珍しいのだ。ただしそれでは精々五十点といったところだが。

 本当は、殆ど会話をしている姿が目撃されない紅葉を、巴が教室を訪れてまで話をしているという事が珍しく、教室中の生徒たちの注目を集める事となったのだった。

 そこに紅葉の自然な笑顔。会話の内容は聞こえないが、二人は友人関係だったのか、といった噂が小声で現在三年四組の教室中で飛び交っていた。


「それであの……」

 少し考え事をしていた紅葉は巴の声に顔を向けると、申し訳なさそうに尋ねる。


「こういう事を聞くの失礼だとは思うのだけれど……、名前……、教えてもらってもいい、かな……?」

 少し構えた紅葉だったが聞いてみれば、なんだそんな事か、という内容。紅葉も少女の名前を知らないのだ、いい機会だと思い尋ねる事にした。


「昨日が(多分)初対面だったわけだし、知らないのは仕方のない事よ。その、私もあなたのお名前知らないの。私、平島紅葉って言います。よろしくね。あなたのお名前も教えてもらえるかしら?」

「あ……、私岡崎巴……、巴御前の巴……。よろしく、ね」


(この子、やっぱり可愛いわ。ギャップってすごい力なのね)

 紅葉の中で巴の評価はぐんぐん上昇していっていた。

 互いに自己紹介を済せた二人は見詰め合い、ほんの少しだけ笑い合ったのだった。


 その様子に、二人を遠巻き盗み見ていた少女たちがざわつく。

 現在は何度もいうように朝のHR直前。真希の時とは異なり教室も廊下も人が多く話が聞こえない事が、少女に色々な想像をかき立てている。

 しかし見た目以上にテンションの上がっている紅葉と、少女たちに背を向けている巴はまるで気付かない。

 その時三年四組の教室に担任の西教諭が入ってきた。

 まだチャイムが鳴るまで二分程あり、西教諭もまだ席に着くように促す事はせず、窓を開け空気の入れ替えや出席簿を覗いたりしているが、時間が迫っている事は確か。他のクラスからお喋りに来ていた生徒たちは自分のクラスへと戻って行き、三年四組の生徒たちは少しずつ自分の席へと戻って行った。


 生徒たちが席に着き、だいぶ静かになった教室で、巴はちらりと横目で西教諭を見た後、再び正面に座っている紅葉に視線を戻す。


「それじゃあ……、またね……」

 そう呟き、ゆっくりと歩いて教室から出て行った。


「またね」

 紅葉は胸元で小さく手を振りながら、恐らく届いてはいないであろう声量で巴の背中にそう呟いた。


(昨日は私逃げるように帰っちゃったのに……、すごく良い子だわ。それに名前交換しちゃったし……。これはもう知り合い以上友だち未満というやつでいいのかしら……いい、よね?)

 真希といい巴といい、朝から思いがけない幸福イベントが続き、紅葉は幸せを噛締めていた。


(今日は記念日だわ。ハッピーバースデー私!)

 紅葉は振っていた右手に左手を胸元でそっと重ねると少しだけぼうっとし、そこでふと教室がいつもより静かな気がして、何の気なしに周囲に目をやり驚く。生徒たちの多くが紅葉を見ていたのだ。


(なっ――!!)

 何故こちらを向いていたのかは分からないが、浮かれて気が緩み、惚けていた表情を見られた羞恥に珍しく顔を真っ赤にしながら前を向く紅葉だったが、今度は窓の側、つまり紅葉の視線の先に立っていた担任の少し驚いた目と目が合い、教師にまで見られた! と益々――、耳まで赤くし顔を俯かせた。

 直後、朝のHRの開始を告げるチャイムが鳴り、教室の止まり掛けていた様に感じた時が動き出す。


「――あーっと、今日の日記……、甲本さん、号令をお願い」

「あ、はい。起立……、礼」

 おはようございます。紅葉は他の生徒たちと同じく、号令に合わせて立ち上がって礼をし、声を合わせるが、羞恥から担任の話に耳は傾けるも前は向けず、机の木目を見て時間が過ぎ去るのを待った。

 実際のところ皆が驚いていたのは名残惜しそうに去って行く巴と、満たされた表情に見えた紅葉にだった。

 幸せそうな顔と羞恥に真っ赤にした顔に、ただ心を掴まれたという少女たちも居たが、二人は友人関係どころかひょっとすると――、そう考えた少女たちが少なからず居たのも確かだった。



 朝のHRが終わり、西教諭は一限目の担当クラスへと向う為教室を出て、生徒たちは授業の準備を始める。

 紅葉も他の生徒たち同様準備を終えると、窓の外を見ながら教師の到着を待つ。その表情に先程の羞恥の色は残っていなかった。

 それは紅葉にとって先程の事は、恥ずかしかったがちょっと変顔――、とまでは言わないが、寝顔を見られて恥ずかしい。それくらいの感覚だったからだ。完全にとはいかないが、少なくとも表情には出ていない。


 一限目開始のチャイムが鳴る。同時に教室の前で待っていた、一限目の授業を担当する六十手前のおじいちゃん先生が教室に入って来た。教卓の後ろに立つと同時に掛かる号令。

 授業が始まる頃には表面上も心の内もいつもの授業態度の良い真面目な少女、平島紅葉に戻っていた。



 立て続けに様々な事が起きた朝だったが、その後は特に変わった事もなく時間は過ぎた。現在は四限目の授業も終わり昼休みを向えていた。

 ミノア女学園の給食は初等部までなので、中等部の生徒たちは弁当を持参するかもしくは売店でパンを買う事になる。尚、学食は高等部以降の生徒しか使用する事はできない。

 生徒たちは仲の良い者たちで集まり、各々の教室や部室、天気の良い日は中庭や校舎脇のベンチなどで昼食を取っている。

 そんな中紅葉は教室で一人持参した弁当の入った巾着を鞄から取り出していた。慣れたものであえて意識をしない限りへこんだりはしない。


(今日はやけに皆と目が合った様な……、自意識過剰っていうやつなのかしら……、だとしたら恥ずかしいわね)

 弁当の蓋を開けながら午前中の事を考えていた。


(あとはそう、長谷部さん。今日は少し元気がなかったような……、朝も少しぼーっとしていたし体調悪かったりするのかも)

 そういえばクッキーは夜作ったって言ってたっけ、もしかしたらそれで体調を……。と紅葉は心配になる。


「平島さん」

 その時名前が呼ばれ、今日は本当によく声を掛けられる日だなぁと思いながら振り返った。


「よかったら、さ。今日お昼一緒しないかな?」

 声を掛けて来たのは安部優子(あべゆうこ)。紅葉からすると近くに居れば互いに挨拶を交わす、関係は良くも悪くも他のクラスメイトと変わらない。何故彼女がそんな事を言うのかまるで分からなかった。

 紅葉は優子の事を――、優子に限った話でもないのだが、あまりよく知らない。知っている事としたら友だちが多いとか運動が得意だとか、見ていれば分かる事くらいだ。

 あとは彼女の後ろでモジモジしている真希と特に仲が良いらしいという事。これもよく一緒居るのを見掛けるからそうらしい、という事くらいだ。

 そんな彼女が何故? 紅葉がぼーっと考えていると再び声が掛かる。


「平島さん?」

「え? ええ、どうぞ私でよければ」

 反射的にオーケーしたが、正直なところヘタレな紅葉はたとえ誰に誘われたところで断るという選択は難しい。なので特に気にはしなかった。


「そう? 良かった」

 優子はそう笑顔で言うと近くの席から椅子を借り、紅葉の机の横に座る。


「お、お邪魔します」

 そして真希は正面に座った。


(かなり久しぶりだわ……、ちょっと緊張する)

 こうやって通常の昼食でクラスメイトと一緒に弁当を食べるのは、一年生の頃に二度あって以来だ。紅葉は緊張もあるがうっかりニヤけてしまわない様、表情に気を配るのだった。



「平島さんって毎日お弁当?」

「ええ、私も姉もパンは嫌いじゃないのだけれど、兄はお昼がパンだと食べた気がしないらしくって。それで兄のお弁当のついでに用意してもらっているの」

 会話は割りと弾んでいた。もっとも、優子が紅葉にちょくちょく質問をし、紅葉はそれに答えるだけで、反対に質問を返したりという、器用? な真似は出来ていない。

 真希は、偶に優子が話を振りそれに答えるものの、いつもの元気はないように紅葉には見えた。紅葉は、やっぱり体調が悪いのか? と真希を気にしながら食事を続けていた。


「え! 平島さんってお兄さんとお姉さん居たんだ!?」

 優子が驚きの声をあげる。真希も興味深々といった様子で目の前の紅葉を見詰める。


「ええ、兄が一つ上で姉は二つ上よ。姉はミノアの高等部の二年に通っているわ」

「あー、そういえば聞いた事あったよ。そっか、じゃあ来年は同じ校舎だね」

「そうなるわね」

 そっかそっかと一人納得した様に優子は呟く。紅葉は丁度切りもいいか、と思い切って先程からあまり箸も進んでいない真希に話し掛けた。


「あの、長谷部さん」

「! はっ、はい!!」

 真希はまさか自分に話し掛けてくるとは思っていなかったので、驚きに声が大きくなる。


「体調があまり優れないように見えるのだけれど、無理をせず休んだらどうかしら、と思って」

「え、あ、いえその……、私は……」

 何故かうろたえる真希に紅葉は小首を傾げる。


(ひょっとして私にくれたクッキーを作っていたせいで体調を崩したから、それを指摘されて?)

 そんな二人に優子はどこか慌てたように口を挟む。


「あーっと、さ! その、そういえば平島さんってさ……」

 そこまで言うと一度黙り、横目でちらりと真希を見、息を短く吐き、小声で続ける。


「朝さ、岡崎さんと話してたでしょ? そのさ……、特別仲良かったり……、する?」

 慎重に、言葉を選ぶようにしながら紅葉へとそう問い掛けた。


「え? そんな事はないと思うのだけれど……、普通じゃないかしら」

 そういって紅葉は首を傾げた。何故そんな事を聞かれたのか本当に分からないといった様子だ。

 紅葉としては今朝の一件で割と上手くいけるのでは、という思いだが特別――、例えば目の前真希と優子、楓と千鶴といろはといった親友たちとは違う。それ以前に友人ですらないですよと思いながら答えた。


「そう? そっかそっか……」

 満足げに呟き、横目で一瞬だけ真希を見る。紅葉もそれに釣られ真希を見ると、そこには先程までとは違いいつもの――、いや、いつも以上に輝く笑顔の真希が居た。

 一体いつの間に? 何故? 紅葉は思ったが、悪い事ではないのだからと深く考えない事にした。

 その後は元気を取り戻した真希も、いつも通り緊張で言葉に詰まりながらだが会話に参加するようになる。同時に優子があまり積極的には参加しない様になり、会話は紅葉と真希が中心となった。

 優子が会話をリードしていた時に比べ会話量は三分の一以下に減ったが、それでも優子は楽しそうに二人を見詰めるのだった。



 この昼食は、優子が本日急速に広まったある噂にへこんでいる親友の真希を助けようと計画。途中何も、まず間違いなく噂について知らないであろう紅葉が、真希の体調を心配し、うろたえ出した時はどうなる事かと思ったが、本人が特別な関係でないとハッキリと否定。質問の意図すら分からないといった様子の紅葉に真希も安心した様で、見る見る元気を取り戻した。

 尤も、紅葉と真希の頭の中に思い浮かべた『特別な関係』にはそれはもう大変大きな差異があったが、どちらにせよ紅葉は否定するから問題はないだろう。但し、優子の思い浮かべたものと同じものを想像していたら取り乱し、ここまで素直に納得したかは分からないが。



「それじゃあ、私は歯磨きに行こうと思うのだけれど……」

 三人が弁当を食べ終わり、紅葉が二人に告げる。


「うん、了解。それじゃ解散しよっか」

「はい、分かりました!」

 そういって二人は弁当を持って立上がり、揃って離れていく。

 やっぱり仲良いな。少し羨ましく見ながら思うが昼食には満足していたので、高望みはよくないと気持ちを切り替え歯磨きセットを持ち教室から出た。



「あづー」

 紅葉は全身を火照らせ気怠げに声を絞り出した。

 肩までとはいかないが、お湯に胸の辺りまでつかったまま、やけに色々な事が起きた半日を振り返って一人ニヤニヤしていたら、のぼせてしまった。

 紅葉は冷たい空気を求めて、バスルームの扉を開ける為に湯船から立ち上がる。


「あぅ……」

 しかし紅葉は立ち暗みを起こし、浴槽から這い出たところでへたりこんでしまった。この場合、こけて頭などを打たなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。

 紅葉は暫くそうしていたが、冷たい空気を求めて四つん這いで移動し、なんとか扉を開けた。

 冷たい空気が入って来る。まだ頭は少しクラクラしてはいたが、ほてりがだいぶマシになり一息吐く。


「これが幸福な一日の代償か」

 なんとなく中二的な事を呟いてみる紅葉。つい最近までそうだったのだから許される気もするが、なんにせよ冗談を言う余裕はできたらしい。現在進行形で全裸で四つん這いという、なかなか残念な状態なのだが……。


「へくちっ」

 今度は冷し過ぎてくしゃみが出た。だいぶ残念かも知れない……。

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