五十一話 人知れず消える
目を覚ました紅葉は一階に下りるとトーストにサラダ、あと一杯の牛乳で朝ご飯を済ませた。
その後リビングのソファーに楓と二人並んで座り、TVでヒーローやヒロインたちの活躍を見てゆっくりと過ごした。日曜日の朝、平島姉妹いつもの光景だ。
最後にヒロインたちの活躍を見終えた紅葉と楓は、二人から二時間遅れて起きて来た葉月が、スポーツニュースを観ながらゆっくりと朝ご飯を食べるのを横目に自室へ戻った。
それからは現在に至るまで紅葉は【魔法少女おんらいん】をして過ごしている。
今日は千鶴といろはと楓と一緒にゲームをする約束があるが、朝食を食べている時に楓から昼過ぎから聞かされたからだ。
「…………」
黙々と、左手でコントローラーを器用に操作し、右手はキーボードとマウス、偶にアイスコーヒーの間を行ったり来たりさせている。
スクルトを走らせているのは【コール第二魔石鉱】という薄暗いダンジョン。昨日四度足を運んだ鉱山の町の中にある横穴の一つだ。
所々壁からむき出しになった鉱石に、設置されたランタンの弱々しい光が反射する坑道。その暗く細い洞穴をマチュピチュを引き連れたスクルトが走り抜け、少し広い空間に出た。と同時に杖を構える事となった。
(うーん出ないなぁ……)
小部屋でスクルトらを待構えて居たのは、背景に溶け込むような黒いローブを着た亡霊【ゲシュペンスト】ローブの隙間からは異常に白い腕と赤い瞳が覗く。
そしてもう一体、錆び付いたナイフを持ち頭にぼろを巻いた動く骸骨【スケルトン・バンディット】だ。
小さく溜め息を吐く。出現モンスターに紅葉は不満げな様子だ。しかしあまり選別狩りは好まない。
スクルトは流れるような動きでゲシュペンストに狙いを定めると、移動中にチャージしていた射撃魔法を放ち先制を取った。そして成果を確認する事なく視点の切替え、自身とスケルトン・バンディットを繋ぐ線上に魔法陣の設置を試みる。
スケルトン・バンディットも意外に俊敏な動きを見せたが、スクルトの設置速度が勝った。
設置型状態異常魔法、ダーク・ウォーター。
紅葉が信頼を寄せ、使用頻度の最も高い設置型魔法。溢れ出た黒い水は今回もその信頼に応える。スケルトン・バンディットの足……の骨に絡み付くと【バインドβ】を与えて移動を封じた。
(GO!)
そして黒い沼地が発生すると同時に、これまでじっと待機させていたマチュピチュの命令を変更、戦場に解き放つ。
動き出したマチュピチュが骸骨兵に突撃! とは行かず、数歩走ったところで急停止し、自分の身長に匹敵する長さのアンバランスな左腕を天に高々と掲げ、思い切りスケルトン・バンディットに叩き付けた。
(くぁ……カッコいい……)
腕を巨大なハンマーのように振るったマチュピチュに一瞬恍惚な表情を浮かべるも、自身の役割を果たすべく少し遅れて視点を戻した。
「うなっ!」
そこには先制攻撃の衝撃から復帰しスクルトに襲いかかって来るゲシュペンストの姿。風に飛ばされるシーツみたいな頼りのない動きなのに案外速く、もう目前まで詰められている。モーションなんて関係ないらしい。
腕を振り上げ、鋭い爪でスクルトを引き裂こうとする。
しかし紅葉は謎の奇声を上げると、スクルトを前転させ浮遊しているゲシュペンストの足元を通り抜けて回避、直ぐさま反転すると光弾を撃ち込んだ。
(……ひやっとしちゃった)
回避の一動作で背面を取り反撃、と見事な動きを見せたスクルトだが、紅葉に魅せる気などなく、ただマチュピチュの動きを見ていて反応が遅れ必死だっただけだったりする。改造してからだいぶ経ったが未だマチュピチュの左腕はお気に入りだ。
バックステップして距離と落ち着きを取り戻した紅葉。補助魔法でゲシュペンストのMCを下げ距離を保ち慎重に削って行くのだった。
◆
「ふぅ」
亡霊と骸骨を片付けた紅葉はレーダーに何も映っていない事を確認してからグラスを手に取った。
もう一方の手でハンドタオルを掴むと、うなじに微かに浮いた汗を拭きながらそろそろエアコンを入れるべきかと思案する。
本日は晴天にも恵まれ、まだ午前中なのに気温も割と高い。
それでも風さえあれば快適に過ごせる紅葉なのだが、生憎いつも吹きはしない。今日はレースのカーテンを時折ふわりと揺らすくらいだ。
(何よりパソコンがね……、後で対策しようかな)
暑さには比較的強い方の紅葉。でも同じ部屋に置かれたパソコンはそうはいかない。もしもダメにしてしまったら、とんでもなくへこんでしまう自信がある。確信。
きたる七月の暑さについて考えながら休んでいると、部屋に再びゲシュペンストが湧いた。直ぐにコントローラーを握り直しながらショートカットキーを叩き、マチュピチュを向かわせる。
(また、かぁ)
マチュピチュが二本の右腕を連続で振るうのを見ながら自身は魔法の準備をしつつ思う。
今日わざわざここに足を運んだ理由はただ一つ、【キングワーラット】だけなのだ。
昨日拠点に戻ってからアイテムBOXを漁ってみると、運良くキングワーラットのレア素材は二つ入っていた。けれど人斬り二号とルウから購入した物と、狩りで入手した物を足しても足りないパーツがあったのだ。
それが【キングワーラットの右腕S】で、レアでなくとも良いからとにかく入手しに訪れたという訳である。
時間制限など色々と煩わしい要素のあるクエストを避けてコール第二魔石鉱を選んだのだが、今度は別の問題が立ち塞がった。それは出現率だ。
キングワーラットの出現率は紅葉の体感で十体に一体程度。そこまで悪くはないが、モンスターの湧き自体がそれ程でもない事もあり、特定ドロップ狙いの紅葉には少々物足りない数字だった。
その為ゲシュペンストらに魅力を感じられず、初夏の暑さも相俟って少々気怠げにマチュピチュと二人掛かりで削っていた紅葉は、背後で響いたノックの音にビクリと体を震わせ思わず背筋を伸ばした。
「はぁい、紅葉ちゃん」
続いて優しく紅葉の名前を呼ぶ声は聞き慣れた姉のもの。集中していないとはいえ流石にモニターから目の離せない紅葉は前を向いたまま返事をする。
「ごめんね、今手が離せなくて。どうしたの?」
「んーん。今日の事でちょっとね。千鶴、初めてだからレベル1でしょう? 私たちも新しいキャラ作るか低レベルのキャラで遊ぼうって事になったの」
「そっか。うん、わかった。…………お姉ちゃんはどうするの?」
返事をしてから紅葉は少し考え、コントローラーを斜めに倒してぐるぐると部屋を大きく旋回するように走らせ、後ろを振り返り楓はどうするのか尋ねた。
「私? 私は新しい子作るよ。セカンド居るけどそこそこレベル高いし。ご飯食べてから作成予定」
「そっか」
向かい合って会話する二人。今日も風を通す為にドアは開けっ放しにしている。楓はノックした、開かれた状態で壁に固定されたドアに軽く手をついていた。
「お願いね」
楓は小さく手を振って去って行った。紅葉はうんと言って姿勢を正しゲームに戻る。するとそこには当然の事ながらぐるぐると走りっ放しのスクルトの姿。
但し、コントローラーの傾け方が悪かったようで、その場で自分の尻尾を追う犬のように小さな円を作っていたが。
「…………」
バターになる前に動きを止め、周囲を見渡す。
ゲシュペンストは片付き、他のモンスターも湧いておらず、マチュピチュも棒立ち状態。
(うん、良かった。……うん)
マチュピチュがゲシュペンストにトドメを刺してくれた事だけでなく、特に周囲に他のPCが居なくて良かった、変な行動を見られてなくて良かったと安堵した。
落ち着きを取り戻した紅葉が時間を確認すると正午まであと三十分を切っていた。
(ここまでにしようかな。まあ、続きはまた今度)
これにてキングワーラットの右腕探しは一旦終了。キーボードのショートカットキーを叩いてインベントリを開くとイイーヴの転移スクロールを選択、スクルトは特に成果なくコール第二魔石鉱から姿を消した。
そして町に着くと一直線に拠点へ向かい、部屋に入り次第ログアウト。パソコンもシャットダウン――、しようとしたところでふと手を止めた。
(まだお昼ご飯まで少し時間あるし、掲示板のチェックしてとこ)
ブラウザを立ち上げ検索エンジンにスレッドのタイトルを入力する。紅葉がまず開いたのは召喚クラスのプレイヤーが集まるスレッドだった。
(お、割と書き込みが……)
普段は他の関連スレッドに比べ少々過疎気味なのだが、以前見た時よりかなりの書き込みがあった。
アップデートのあとはどのスレッドも書き込みが増える傾向にある。先月のアップデートの目玉は新クラスのマジックガンナーに違いないが、他にも追加や変更されたものもあるからだ。ネクロマンサーとサモナーにも少なからず影響があったらしい。
尤も、何の変更もない場合もお通夜状態になり、書き込みは増える。悲しい事に。
幸いにも今回は省かれなかったようで、空気が重苦しいなんて事はなかった。およそ前回読んだあたりまで逆上り目を通していく。
文字を追ってマウスを操作していた紅葉の手が一瞬止まり、また動き出す。しっかりと読んでいるのか、先程までとは違いスクロールが遅い。
(新魔法来たー!)
書かれていたのはネクロマンサーの新しい魔法発見の報告だった。紅葉の満面に笑みが浮かぶ。
(これは是非入手しないと)
使用感やドロップのし易さなどの報告を読み終えると、他のスレッドを覗く予定を切り上げて直ぐに検索エンジンに戻り、ゲームのタイトルと魔法名を入力してサイト巡りを始めた。
新魔法の情報集めはお昼ご飯に呼ばれるまで続く。
新たな目標を見付けテンションの上がる紅葉。この瞬間、先程まで探し求めていたドブネズミ(の死体の一部)の優先順位はガクッと落ちたのだった。
◇
お昼ご飯を食べ終えた紅葉は歯磨きをして、飲み物の準備も済ませると、これからキャラメイクするPCの、特に名前について悩みながらダイニングを後にした。
(クラスは……、んー前衛はない、かな)
一段一段階段を上りながら考える。紅葉は普段殆ど触れる機会のない格闘ゲームに少し苦手意識があった。
【魔法少女おんらいん】の操作は後衛クラスでもなかなかに複雑でアクション要素も満載だが、前衛クラスにはそれに加え多様な連撃の要素がある。このタイミングが割とシビアで上手くこなすイメージが沸いてこず、慣れなんだろうとは思うもどうにも苦手意識があった。
部屋に戻った紅葉はグラスを置いてパソコンとコンポを準備、椅子に座ろうとしたところで動きを止めた。
(そうだ熱対策するんだった。……ここだよね)
コンポから流れる微かな音楽をバックに、髪を人差し指に絡めながら少し考え、椅子に座ると右手にある机の五段ある引出しの一番下、大きな引出しを開いた。
奥の方に仕舞われた縦長の筒のような物を見付けると取り出し、USBコードを足元に置かれているパソコンの本体と繋ぎスイッチを入れると、床に置いて最後に向きを調節した。
(おお、いい感じ)
それはパソコンに接続するフィンのないタワー型の扇風機。とても静かに風を、パソコンの本体と紅葉の足に送っている。去年の夏デザインに惹かれてつい衝動買いしてしまった一品だ。
だが期待以上の活躍で、気温が高過ぎると厳しいが、今日のような風の吹かない日にも快適に過ごせ、パソコンの熱も冷ましてくれた。
今年もしばらくの間、エアコンなしに耐えられなくなるまで活躍をして貰おうと考えながら魔法少女おんらいんを選択する。ログイン画面でいつもと違う項目をクリック、サードPCの【新規作成】を始めた。
(ID――、む。じゃあこれは……、あら)
なんだか防御力の上がりそうなスクルトという名前。変わっているが名付けた当人は愛着があり、モチーフはかの有名な運命の三姉妹だったりする。
それに倣い【うるる】と入力してみるも重複ID――既に使用されていた。魔法少女おんらいんでは、PCの名前とIDは共有するので重複できないようになっている。つまり早い者勝ちだ。
なので次は【うるるん】にしてみたがこれもダメ。唸りながら幾つも試していく。
(ウル――ダメ。xウルx――いけた。でも変、かも。うる――もダメかぁ)
何度も弾かれて形の良い眉を顰め、一旦キーボードから手を離し髪を弄ぶ。一分近くそうしていたが、表情を明るくして作成に戻った。
(えー、これもダメなの?)
入力したのは【うずら】ガクッと元ネタから一気に遠ざかった気もするが紅葉的には有りらしい。しかしそれも既に使われていて弾かれてしまう。
もうすぐサービス開始から丸二年になろうとしている魔法少女おんらいん。これはいけるだろうというものも、意外と使われているものなのだ。
次に試したカタカナでウズラも不可。悩みながらキーを叩いていく。
(あ、ようやくいけたけど……、ううん、まあいいかな)
IDの重複チェックを通ったのは漢字で【鶉】だった。紅葉からは少々不満な様子が窺えるものの、今は先に進む。
次はPCの外見の設定だ。性別と種族を選択して、先ずは変身前の姿を決めていく。
性別はおとこのこ・おんなのこ・?の中からおんなのこを。種族は少し悩み、スクルトと同じ後衛なら大きくハズレる事のないホムンクルスを選択。身長や肌の色に髪型、目の色や輪郭など次々に外見をエディットしていくが、終わらせても表情はどこか不満げ。
しかしあまりゆっくりと悩んでいる時間もないので髪型くらいなら後で変更出来るから、と無理矢理納得して先に進む事にした。
次はクラスの選択と魔法少女の外見、あとは魔力光の色だ。
(先ずはクラスからか………………、アルケミストで。うん)
クラスを決定しないとコスチュームの設定を出来ないようになっている。それはクラスによってコスチュームに使用できるパーツが違ってくるからだ。
コスチュームは大変幅広く、フリルの沢山付いたドレスから、どう見てもスクール水着に見えるなにかにプロテクターの付いたもの、スクルトのような半裸に近い格好に外套を纏ったものなど、様々なエディットが出来るが、鎧っぽいパーツはヴァルキュリエやパンツァー、ゴシックロリィタはネクロマンサー、巫女服は勿論巫女に使い易い素材が抱負に用意されている。
その為、たとえばネクロマンサー以外でもゴシックロリィタっぽいドレスは作成出来るが、選択肢は狭くなる。
なのでコスチュームでクラスを選ぶプレイヤーも居る。そしてそれは決して少数派ではない。これがネクロマンサーの数が割と多い理由の一つだと言われている。
紅葉はぶかぶかなローブやシンプルなミニスカートのドレスといったコスチュームを色々と試し、最終的にタイトなスカートの黒い軍服っぽいデザインにした。
本当は細部を弄りたいのだが、最初期のコスチュームは制限が多く、アップグレードする度に少しずつ解禁されていくのでそれは諦める。
また、中身はブロンドの長髪が変身するとショートに変わるようにした。
そしてこの項目最後の魔力光の選択をする。魔力光――、とはいっても魔法の光は使用した魔法の属性によって変わるので、仮にピンクに設定したところでスクルトの魔法は黒色や紫色、灰色といった暗い印象の色ばかりだ。
ただ、シールドの色やピクシーが移動した際に舞う鱗粉のような光の色がそれに変わる。
つまりはあまり影響のないフレーバー要素。とはいえ課金以外に後から変更できない項目なので、紅葉はコスチューム並とはいかないまでも長考し、鮮やかな赤色を選択した。
(これが一番難しい気がするよ……)
キャラクターエディット最後の項目は声の設定だ。攻撃時の掛け声やダメージを受けた時の呻き声など、これもフレーバー要素ではあるが長い付き合いになるものなので、簡単に決めて後悔するプレイヤーもいる。
紅葉も難しい顔でサンプルボイスを聴いては何度も首を捻り、遂にはコンポの電源も落とした。ちなみにスクルトは抑揚のない無口タイプで、声も小さくよく音楽にかき消されている。
(これ、で)
悩みに悩みに、色んなサンプルボイスをクリックしまくっていた紅葉の指がようやく止まった。これで全ての項目を入力し終えた。
モニター上では作成された鶉の少女バージョンと、魔法少女バージョンの二人が走ったり手を振ったりと、様々なアクションを見せている。だが見詰める紅葉の表情は相変わらず難しい。
背もたれに体重を預けてモニターを眺める。それからおよそ二分後、紅葉は椅子に座り直すとマウスを握った。
(よし。そうしよう、うん)
そして最終確認のメッセージで【はい】をクリック――、せずになんと【いいえ】を選択。もう一度問うメッセージにも止まらない。
こうして三十分以上の時間をかけた新キャラは、生れる事なくあっさりと無に帰した。
続いて紅葉はログインを選択。結局はスクルトでという訳ではない。
いつもの木造の一室。しかしそこに現れたのはオーバーオールを着たくり色の髪のショートカットの少女。スクルトとは違い健康的な小麦色の肌の少女のIDは【べる子】作成されてからこれまで殆ど使われていないセカンドPCだ。
紅葉からもすっかり忘れられていたべる子だが、鶉と違い時間を掛けたエディットは納得の出来で、レベルもまだ3と都合が良い。楓に倣いセカンドPCを使用する事にした。
(最初からこうすれば良かった)
まったくもってその通りです。
三十分を無駄にした紅葉は記憶に殆どないべる子の装備や魔法、所持アイテムのチェックを始めたのだった。




