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四十四話 君はいつもゆらゆらマイペース

(ん。こんなものかな)

 買い物籠の中を覗いた紅葉が頷く。レジでの精算はまだだが、うっかりほうれん草を手に取ってから僅か数分で食材を選び終えた。それまでの悩みようから言うとかなりスムーズだ。

 それはうっかりだったとはいえ材料が一つ決まり、レパートリーの少ない紅葉は自分が作れそうな物で尚且つ合いそうな材料を選ぶ事になったからである。

 素人の紅葉はある程度制限がある方がやりやすい。


 もう必要なものはないが、紅葉はレジには直行せずに主婦らの流れに沿って歩いて行く。

 普段なら保護者の買い物に制服のままついて来た子どももそれなりに見掛けるのだが、土曜日の夕方という事もあって今は紅葉しか制服姿は見当たらず、周囲から浮いているが特に気にした様子はない。


 ミノア女学園ではよく注目される紅葉。

 そしてお嬢様学校としてここらで有名なミノア女学園。

 だがその制服はかなり地味と言っていいであろう紺色のセーラー服。なので制服で注目される事はそう多くない。

 しかし紅葉はミノア女学園という看板がなくともその容姿で注目を集め易い。

 でもこの場に居るのは年上の女性ばかりだ。いつもとは状況が異なっていた。

 だが今は、通り掛かった客の極一部が紅葉をちらりと見て通り過ぎて行っている。それは珍しく眉を顰めた紅葉が、一点をじっと見詰め微動だにせずに居るからだろう。


(有り……、なんじゃあないかな)

 再び紅葉は頭を悩ませていた。見詰める視線の先には大好物のプリンがあった。

 カスタードプリンにふんだんに使われてた生クリーム。チェリーとカットされたメロンが添えられ、仕上げにチョコレートソースでコーティングされている、スーパーマーケットで販売されているものにしては少々お高い値が付いた一品だった。


(これだと今直ぐ食べなくって良いし、それに夜勉強で疲れた頭には栄養が必要だよね?)

 辛くもクレープの魔力を振り切った紅葉の前に立ち塞がった新たな強敵。だが紅葉は今回は戦う気はないらしく、買う理由をあれこれと考えている。

 ここまで好物を並べられ更には新商品のラベル付き。傷の癒えない(クレープに未練たらたらな)紅葉に抗う術はなかった。


(うん。必要なんだもん。仕方ないね)

 結論づけ表情を緩めると、棚に手を伸ばした。

 スイーツを入手し、満足のいった紅葉は漸くレジへと向かうのだった。



 レジ袋に商品を仕舞った紅葉は、買い物籠を片付けて歩き出した。

 向かうは入店の際に利用したのと同じ出入口。紅葉なりに順調に買い物が終わって足取りも軽い。

 だが歩く紅葉の前にまたしても立ち塞がる厚い壁。再び足を止めてしまう。

 紅葉には見過ごせない、とあるノボリが原因だ。目を細めて食い入るように見る。


(小豆クリーム……、たっぷりイチゴですって……?)

 奇しくも先程と同じ新商品を知らせるそれは、期間限定という日本人を縛る呪い付きだ。


(あり得ない。そんなクレープ……、絶対美味しいよっ!)

 そう、それは紅葉がスーパーマーケットに着いて早々に諦めた筈のクレープであった。見れば食べたくなるからと行きはコースを外したのに、買い物が終わり浮かれていた紅葉は無警戒で通り掛かってしまったのだ。

 その期間限定のクレープはプリンと同様、彼女の好きなものだけで構成されていた。


(う、うー、もうプリン買っちゃったよ……。買ってなくても食べられないけど)

 クレープを諦めたのはプリンの所為ではなく紅葉のお腹の許容量の問題だ。

 内心、悲しみに打ちひしがれ、拠所を求めて三つ編みを弄り、どうにか食べられないか考える。

 食べ物、主にスイーツが飽和状態になり直ぐに食べられる訳ではないのだが、期間が明記されていないこのクレープはどうしても見逃したくなかった。


(プリンは明日でも大丈夫な筈だから明日のおやつにして、クレープを夜食に――)

 その時、紅葉の三つ編みを弄る手がピタリと止まった。


(夕飯を一品増やすんじゃあなくって、夜食にすれば今クレープが、作りたてが食べれるっ)

 今クレープを食べても夕飯を問題なく食べられ、料理も出来るやり方にようやく行き着いた。

 実に単純な話だが、紅葉の中で夕飯を一品増やす事は決定していたので、甘い物を前に冷静さを欠いていた紅葉はその単純な話になかなか気付けなかったのだ。


 三つ編みから手を放した紅葉はフードコーナーに足を踏み入れた。

 クレープやアイスクリーム、フライドポテトなど軽食を中心に複数の店舗が並び、共有のスペースには多くのテーブルがある。

 先程まで紅葉が固まっていたのはクレープ屋の真ん前という訳ではない。いくらトリップ状態だったとはいえそれはない。たぶん。

 都合良く他に客はいない。


「すみません」

「いらっしゃいませー」

 正面に立ち声を掛けると、大学生くらいの女性店員がそれはもう見事なスマイルで紅葉を迎えた。


「小豆クリームいちごを一つ」

 微笑みながら注文する紅葉であった。



(ふぅ)

 フードコーナーのベンチに腰掛けた紅葉が吐息を吐く。

 クレープを五分掛け完食。小さく満足げな笑みを浮かべて、紙でできたクレープの入れ物を小さく折り畳む。


(小豆と生クリーム、それにイチゴの相性はばつぐんね。チョコとバナナくらい良いものだわ。クレープ生地とも合っていたし、大変おいしゅうございました)

 手鏡で口元を確認した紅葉は立ち上がりゴミを捨てると、今度こそ出入口に向けて歩き出す。

 直ぐに二重になった外へと続く扉の前に着いた。


(うっ)

 二つ目の扉を開けた時、紅葉は軽く呻いた。

 まだ強烈ではなかったが、クーラーの効いた店内から出ると同時に襲って来た熱気。日本らしい多湿の空気が身体に纏わりつく。


(一応まだ六月なんだけどなぁ)

 もうそこまで迫っている本格的な夏を思い少々嫌な気持ちになった。


(ま、いっか)

 しかしそれも少しだけ。今日一日幸せ続きな紅葉は直ぐに気持ちを切替え、バス停に向かうのだった。



「姉ちゃん」

 自分を呼ぶ声と同時に響いたノックの音に、楓はペンを止めて顔を上げた。


「なぁに? 開けていいよ」

 返事を訊いてから扉を開け、顔を覗かせたのは彼女の弟の葉月。Tシャツにハーフパンツといういかにも夏らしいラフな格好をしている。


「珍しい。どうしたの?」

 肘をついて机にもたれ掛かる少々だらしない体勢をしながら楓が問う。

 本の貸し借りや、リビングでの雑談の延長戦をどちらかの部屋で紅葉も含めだらだらと続ける事もあり、部屋に訪ねて来る事そのものは珍しくはない。

 しかし現在の時刻は二十三時を回ったところ。確かに遅い時間帯、平日の紅葉なら体力次第で寝ていてもおかしくないくらいだ。もっと早い時間帯から居座る事はあっても、この時間になって訪ねて来る事はそうない。


 あと、今はなんと言っても期末考査前だ。楓と葉月の通うそれぞれの高校は、入試の難度がどちらも非常に高いという意味で同程度。

 ただ、レベルは高いものの基本的にエスカレーター式という事で、勉学の締め付けがキツくないミノア女学園と違い葉月の通う高校は大変らしい。

 およそ一月前にあった初めての中間考査の時も随分と力が入っていたが、昨夜の夕食時に零していた愚痴から、今度はそれ以上に力が入っているのを楓は察していた。

 そんな弟が期末考査前に部屋に来る事に違和感を感じたのだ。

 辞書でも借りに来たのかと考えながら楓は話の続きを待った。


「紅葉がさ」

「? うん」

 想定外の切口に首を傾げるも、一旦切る葉月に相槌を打ち先を促す。


「さっき飲み物を取りに一階に行ったんだけど、そしたら紅葉が居てさ。これから夜食作るんだって。俺も食べるかって。姉ちゃんにも訊いて来て、だってさ」

 葉月の口から飛び出した意外な言葉に、紅葉によく似た――母の雪菜譲りの目を大きく見開いた。

 紅葉がこうして唐突に、思い付きで夜中に料理をするのは稀にだがなくはない。

 しかし何度も言うように今は試験前。真面目な紅葉らしからぬ行動だ。少なくとも過去にはない。


「ふぅん……」

 顔にかかる前髪に触れ、楓は昨日と今日の夕食に思いを馳せる。

 本日の勉強会について、夕食時機嫌の良い紅葉にどうだったか尋ねると、良かったと一言、喜色満面で言っていた。

 本当に一言だけだったが、その表情を見ればそれが嘘ではないのは明らかだったし、本人が幸せそうだから良いやとそれ以上追求しなかったのだが、その勉強会で何か影響を受けたのだろうという事は分かる。

 一般的にはあまりよくない影響なのかも知れないが、楓には好ましく思えた。


(大方、テスト前に勉強以外の事をしちゃうって話でも聞いて、自分もやってみようってなったんだと思うけど)

 楓からするととても素直な紅葉(いもうと)の考えてそうな事は直ぐに思い当たった。ほぼ完璧に読めている。さすがです。

 楓はクスリと笑みを零し、机の上を軽く掃いて片付けると、最後に参考書を閉じて立ち上がった。

 そしてドアの直ぐ側の壁に寄り掛かって待っている葉月に声を掛ける。


「それじゃあ行こっか」

「ん」

 短く返事をして先に部屋を出る葉月。彼は最初からどうする? とは尋ねていない。言葉だけでなく態度からも楓が行かないとは思っていないのが窺えた。

 楓はそんな葉月に追い付き、後ろから肩に両手を乗せて急かすように軽く押す。楓も機嫌が良さそうだ。

 でも階段でそれはどうにも危なっかしいです。



 紅葉が食材を切り終えた丁度その時、リビングの扉を開いて楓と葉月がやって来た。二人はリビングを通り抜けダイニングのイスに座った。


「ゴチ」

「いただきまーす」

 葉月と楓が笑いながら言うと紅葉も振り返ってニコりと笑い、一般的なサイズより小さな長方形の、雪菜が卵焼きを作る時によく使うフライパンにバターを落とした。既に火が点いていたようで、良い匂いで部屋を満たしながらジュウジュウと音をたて勢いよく消えてゆく。


(えっと火が通り難いのからだから……、ベーコンからだ)

 白いまな板を持ち上げ、上に置かれている適当なサイズに切り分けられたベーコンを包丁で滑らせフライパンに投入していく。異物の投入とベーコンの油が熱せられ一段と音が大きく響く。そして菜箸でベーコンが焦げ付かないように交ぜだした。

 その時ダイニングの扉が開き雪菜が入って来た。


「あら? 紅葉ちゃんお夜食?」

「うん。お母さんも食べる?」

「じゃあ少しだけ。ご相伴に預かるわ」

 コロコロと笑い二人と同様に腰掛けようとして椅子を引くがそこで手を止めた。


「よかったらお味噌汁でも作ろうかしら」

「あ、うん。ありがとう」

 紅葉が作っているのが一品だけだと気付き、紅葉の隣りに手早く準備をする。

 しかし何か気になる事があるのか、手早く準備をしながらも珍しい事にどこかそわそわと、落ち着きがない。そんな母親を楓と葉月は揃って首を傾げ見詰めた。


(よし、そろそろほうれん草を……、あっ、その前に洗わなきゃ)

 一方料理に集中していて雪菜の様子に気付かない紅葉はというと、ほうれん草を投入しようというタイミングで水洗いを忘れている事を思い出し、慌てて洗いだした。

 それを見て益々落ち着かない様子の雪菜。逡巡するも紅葉に声を掛ける。


「準備が済むまで見てようね」

「ありがとう」

 水洗い中、フライパンを放置している事を忘れていた紅葉は礼を言って水きりに戻った。そんな紅葉を見ながら雪菜はさり気なく強火から弱火に変える。

 元々部屋に入った時から、強火な事が気になって仕方なかったのだ。中火にしようかと思うも今は先に進めないので弱火にして菜箸を振るう。


「お待たせ」

 雪菜は水洗いを終えた紅葉と交代してお味噌汁に戻った。その際中火にしたので表情はいつものニコニコ顔だ。


 雪菜と代わった紅葉はほうれん草を茎から固い順に炒めていき、最後に葉に火を通した。


(えっとあとは……)

 首を傾げフライパンを見詰める紅葉。少しの間そうしていたが、雪菜に目線を移動する。


「しょうゆ?」

「うん」

「胡椒?」

「うん」

 紅葉はほっと息を吐くと微笑み、ありがとうと告げて味付けを始めた。


「あー、食欲をそそる匂いが……、米が欲しいなこれは」

 醤油の焼ける匂いにでも食欲を刺激されたのか葉月が席を立つ。


「あ、ご飯炊けてないのか」

 だが保温されてない炊飯器を見て立ち止まった。


「冷凍庫にあるわよ」

「おっ」

 しかし雪菜の声で再び前へ動き出して冷凍室を開き、中から小分けに詰められ保存されたタッパーを取り出すと振り返る。


「要る人ー?」

「……少し食べたいかな」

「私も」

 頷く紅葉と楓。


「食べたらもう寝ちゃうからおかずだけでいいわ」

「じゃあ紅葉ちゃん、半分こしようか」

「うん」

 三人の会話を聞いていた葉月はタッパーをもう一つ追加で取り出しレンジに入れた。炊飯器から取り分けるのとは違い、冷凍されたご飯は一つのタッパーに入っている量は決まっている。タッパーのサイズは、この時間帯に女の子が食べるにしては少々大きかった。


「お待たせー」

 テーブルにお皿を置く。ほうれん草とベーコンの炒め物、この非常にシンプルな一品のみ。紅葉がスーパーマーケットで購入した食材はほうれん草とベーコンの二つだけである。

 しかし全てを使い切り、雪菜のお味噌汁もあるので夜食の量としては十分かも知れない。カロリー的にも葉月は兎も角として、女性陣はこれ以上は厳しいというか恐ろしいものがある。


「ほれ」

 続いて葉月が中身が半分程入ったお茶碗を二つ紅葉と楓の前に、大きな茶碗を自分の席に置き座った。

 いただきます。声と手を合せる四人。そして各々は先ず炒め物に箸を伸ばす。


「美味しいよ」

「うん。よくできてるわ」

「よかった」

 一口食べて褒める楓と雪菜に紅葉ははにかんだ。葉月はというと目で頷きご飯をかき込んでいる。

 どうやら紅葉の感性で調味料が投入され、雪菜より濃いめの味付けがされた炒め物は葉月の口に合ったらしい。


 それから僅か十分足らず、お喋りをしながらだったが二品だけという事もあり直ぐに食べ終わった。


(せいっこう)

 簡単な料理で、更には紅葉自身はあまり気付いていないが、失敗し掛け且つ雪菜のフォロー付き。けれど結果的に上手くいき、少しだけ料理に自信がついた。


(錆び付かないように偶にしよう、うん。スキルアップになるし)

 ここしばらく包丁を握っていなかったので、最初少し違和感があったのだ。直ぐに以前並にはなったがそうはならないようにしようと思い、また、もうちょっと上手くなろうと思った。


「ご馳走さま」

「はい。えへへ」

 最後の一口を食べ終えた楓の食後の挨拶に照れ笑いを返す。お腹の具合も気分も満足げだ。


「美味しかったけどお腹に物入れたら本格的にお腹空いてきた。……あー、母さん――」「だーめ」

 一方男の子の葉月は量が足らなかったらしい。ある棚を見ながら呟くがそれを雪菜がぴしゃりと笑顔で封殺。

 棚にあるのはインスタントラーメン。普段からめったな事では許されないもので、夜中になど以ての外だ。


「だよねー」

 葉月も答えは分かっていたようで苦笑い。


「明太子でおにぎり作ってあげるから、それで我慢なさいね」

「お、うん分かった」

 何も食べてはいけない、という訳ではないらしい。食べ盛りの男の子なので締め付けすぎはしない。


「紅葉」

「うん?」

「洗い物は俺がするからいいぞ」

「そう? ありがとう」

 料理の礼の意味もあるが、テスト前に力の抜けた紅葉を見て自分の肩に力が入り過ぎている気がして、気分転換がてらでもあった。今もここ数日で一番ゆとりをもてているが、もう少し息抜きをしようと考えての事だ。


 それで四人は解散。姉妹は揃って歯を磨きに行き、飲み物を持って二階の自室に戻って行ったのだった。

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