四十二話 輝く季節
休憩明け、紅葉たちのグループはそれまでと様変わりしていた。
これまで優子か真希、そのどちらかが紅葉へ質問している時以外は黙々と、ひたすら勉強をしていたのだが、今は他のグループの少女たちと同じように、小声で幾らか会話が発生している。
これは優子が休憩中に積極的に話を振り続け、休憩が終わってからも多少頻度を減しつつ、そのまま勉強に移ったからだ。
また理由はそれだけでない。
今まで紅葉たちとは違う場所でで勉強会を開いていた別の三人組が優子らに、一緒にしないかと持ち掛けた。
紅葉と真希もこれを快諾。三人組はほっと息を吐き、はしゃぎ気味に準備をした。和やかな雰囲気であったが、紅葉という少女たちに特別視されている存在が居る事と、そこに割って入る遠慮があったのだろう。
紅葉は休憩を終えてもお喋りが続く事に、こういうのお友だちっぽいかもという喜びと、自分はこのままで良いけど勉強会なんだから真面目にしないといけないのでは、という小さな罪悪感が同居していた。
しかし、新たにもう三人の少女たちが勉強会に参加して、初めぎくしゃくしていた三人に優子が話を振っていると緊張がほぐれ、それから雑談がこれまでよりやや活発になった。それでも優子と真希が楽しそうにしているのを見て、これで良いんだとようやく気持ちを落ち着ける。
以降、これまでと変わらず、積極的に会話に参加する事はないが、目の前で繰り広げられるお喋りを、楽しみながら教科書を捲っていた。
「あっ……」
休憩明けから参加した三人組の少女のひとり、椎野紗香が鞄の中を覗きながら小さな声を漏らした。
「どしたの?」
その呟きが耳に届いた優子が参考書から顔を上げ、眉を顰める紗香に尋ねた。
「えっと……、理科のわからなかったところ理解できたから今日はここまでにして、次は英語をしようかと思ったんだけど、英和辞書忘れちゃったみたいで……」
少し前まで紗香は紅葉に理科を教えてもらい、似た例題を反復練習をしていた。
それに満足いったらしく、英語に取り掛かろうとしているのだが、生憎本日の授業に英語はない。教科書とノートの準備は怠らなかった紗香だが、辞書をうっかり忘れてきてしまった。
「持って来てない、よね?」
反応は芳しくない。訊いてみた紗香も予想していたようで、向って左から右へ流した前髪をヘアピンで留め、露出させた可愛らしいおでこを掻きながら、愛想笑いをしている。
授業のない日に必要のない、それも結構な重量のある教材を好き好んで持って来る生徒はそうは居ない。
「よかったら――」
そう、普通は居ない。
紗香に声を掛けたのは紅葉。机に引っかけている鞄を開くと、中からミノア学園中等部指定の辞書を取り出して紗香に差し出した。
「――これ、使って」
「えっ、あ、平島さん持っていらしたんですね」
驚きながらも両手でしっかりと受け取ると、ありがとうございますと丁寧に礼を言って頭を下げた。
「一応、ね。どの教科を勉強するか決めていなかったから」
クスリと小さく笑い掛ける。
実のところ、真希と優子からどの科目を質問されても良いように準備していたのだ。
その為英語だけでなく、今日授業のない主要五教科どころか副教科も出来る限り準備していた。
結果鞄はパンパンに膨れ上がり、入らなかった分も別の手提げ袋に用意している。土曜日に似つかわしくない荷物の量だ。
これは今日だけでなく昨日に引き続きなのだが、言わば遠足気分の紅葉は特に苦にしていない。今も平然としているが、むしろ準備が役に立ち高めのテンションは更に上方修正されたのだった。
◆
「あー、それにしても期末はホント憂鬱だよー……」
勉強を続けながらも、ぽつりぽつり、途切れながらお喋りをしていると、少し茶色いのボブカットの髪の活発そうな少女――浅田環が突然、くるくると器用に回していた蛍光ペンを机に放り、おでこを半分程しか隠していない短い前髪を弄りながらぼやいた。
「まぁねぇ……、でも学生のお仕事といえばコレなわけでして」
「あっしもそれはわかっちぁいるんすよ。でもなー、ってね」
(あっし?)
苦笑い混じりに優子が反応を返すと環はおどけた調子で応じる。
微妙にずれている紅葉が関係ないところで引っ掛かっている中、福士桜子が腰に届きそうな程に長く美しい黒髪を揺らしながら顔を上げ、二人に割って入り補足した。
「環ちゃん、五教科は得意なの。でも副教科が苦手だから……」
「あー、だから期末?」
「そ」
納得といった様子の優子に、環は前髪を指で挟んで捩りながら短く、力のない返事を返す。
間近に迫っている期末考査は学期の中頃に行われる中間考査とは異なり、主要五教科だけでなく副教科にあたる音楽や家庭、保健体育なども実技と筆記のテストが行われる。
「副教科って実技の割合が大きいでしょ? 体育はいいんだけど、裁縫とか調理とか、基本的に実技は苦手だからなかなか気力がさー」
なるほど、と横から話を聞いていた紅葉は小さく頷いた。
副教科はそれぞれ、例えば音楽の場合は歌、保健体育の場合は体育は試合の成績などといった実技が評価の対象になる。主要五教科も授業への参加態度など、幾らか筆記の点数以外の要素はあるが、副教科のそれとは比重が異なる。
環は自身の実技の結果からどの程度の評価が付くか予想し、モチベーションが上がらないでいるのだ。
「でもさ、筆記をさ、実技を挽回する機会だと思えば良いんじゃない? 確かに実技は重いけど、筆記がかなり良かったら五も有り得そうな」
「おー……っ! そ、そうだね。頑張る。うん」
環は優子の言葉に途中どもり、早口になりながらも返事をする。
それは紅葉が視界に入ったからで、優しく微笑み、頷く姿を見て「それで良いのよ、頑張って」と言われた気がし、また、愚痴を零す自分が急に恥ずかしくなったからだ。
顔を軽く伏せて、左手をぱたぱたと扇ぎ、赤くなった顔に風を送る。
紅葉たちのグループに入れてもらおうかと、紗香と桜子に環が提案した。
彼女も真希と同様に、普段から紅葉とお近付きになりたいと思っていてもなかなか行動に移せない少女の一人。その為、こうかはばつぐんだ。
いつもなら平均を上回れば良しとしている副教科。帰宅したら早速手を付けようとやる気を漲らせている。
(そうよ、筆記は挽回のチャンスなのっ)
副教科の実技が苦手――、少なくとも得意に思っていない紅葉は、優子の言葉に思わず頷いていた。
成績が落ちる事が怖いから必死な紅葉と、環とでは多少異なるが、副教科の実技が苦手というところが琴線に触れたらしく、ちょっとした仲間意識が生まれ、笑顔で環を見詰めいたのだ。
事の真相という程のものではない、とても単純な話だった。
「でも環の気持ちも分かるよ。私の場合は期末テストだからではなく、テストそのものがだけれど」
「それは私も」
参考書から顔を上げた紗香が笑うと優子も笑いながら同意し、他の少女たちも小さく笑う。
テストが大好き! という学生はそう多くはないだろう。それは真面目な生徒ばかりのここミノア女学園も変わらない。
「テスト一週間前になると――」
虚空を見上げてシャープペンシルをゆっくりと、一定のリズムでノックしながら紗香は続ける。
「こう……、したくなっちゃうの……、お部屋の掃除」
「うん。なっちゃう、ね……」 中学生らしからぬ自虐的な溜め息を吐く紗香に、桜子も微苦笑しながら賛同する。
「私はどちらかというと模様替えかな。特に本棚が色んな意味で難敵。ホント、色んな意味でね」
二人に優子も続く。三者だけでなく真希や環も苦笑い気味。彼女たちにも覚えのある話のようだ。
(んー、皆そうなんだ。リリオさんも言ってたしなぁ……)
そんな中、紅葉だけは内心で首を傾げていた。
集中が途切れても音楽を聴きながらリラックス、そしてまた勉強に戻っている。急に掃除や模様替えがしたくなった事はなかった。
(私もやってみようかな。今の家具の位置はこう、ぴしゃっと来てるから、するなら掃除かな)
五人の仲間に入りたい、感覚を共有したい、との思いから帰宅後のプランを練る。
だがこの、少女たちの語るテスト前の掃除や模様替えは、やらなければならない事を目の前につい別の事をしてしまう、言わば逃避だ。単にいつも通り部屋の掃除をしよう思っている紅葉とは、根本から違っているのだが気付かず、声に出していないのだから当然五人もなにも言わない。
「私はお菓子かなぁ……。簡単な焼き菓子をだけどつい……」
(お菓子! そういうのもあるのか)
ここで真希から新たな選択肢が追加された。聞き逃さないよう耳を澄せながらも考える。
(でも私にお菓子なんて作れるだろうか。いやない。反語。むむ)
表情は変えずに緩い三つ編みを弄り、やっぱり掃除かなと思う。
「でも時間掛かるんじゃないの? テスト前に大丈夫?」
肩をペンの腹で優しくつつきながら問う優子に真希はむず痒そうに笑い、ふるふると首を振った。
「ううん、例えばクッキーはね、生地を寝かせない作り方があって、それだとすごく時間を短縮できちゃうからそんな事はないんだよ」
「ふーん、そうなんだ。調理実習だと二限一杯使ったから長いものだと思ってたなぁ」
椅子に深く座り直しながら環が頷いた。
周囲を気にして皆声のボリュームは下げられてはいるが、ペンを置く者に参考書を閉じる者など、今や少女たちは雑談が中心になっており、それを見渡して環も体勢をリラックスしたものに変えたのだ。
お昼ご飯を食べてから既に二時間半が経過している。見れば他のグループの状況もさして変わらない。
「真希ちゃんのお菓子、美味しいよね」
破顔し、桜子が頬にえくぼが浮かぶ。皆真希の手作りお菓子を食べた事があるらしく、一様に首を縦に振った。
(あれは究極、もしくは至高の一品に違いない)
以前食べたクッキーの味を思い出す。多分な思い出補正が働いている可能性は十分にあるものの、紅葉は真剣である。
「えへへ、大した事ないんだけどね。でもありがとっ」
自身と同じくらい小柄な桜子と向き合って、はにかみ、謙遜する真希。そんな真希を見て、ああ可愛いなぁと思いながら紅葉が口を挟んだ。
「そんな事ないと思うわ。以前頂いたクッキー、とても美味しかったですもの」
「え、あありがとうございます! また作って来ます!」
雑談に殆ど参加していなかった紅葉の突然の言葉に、真希は飛び上がらんばかりの勢いで向きを変えると、驚きの表情のまま、けれど明るい声で礼を言い頭を下げた。
「ふふっ、この場合、頭を下げるのは私の方じゃあないかしら。でも嬉しい。楽しみにしてるわね」
口元に手を当てクスクスと笑いながら、珍しくおどけて小さく頭を下げる紅葉に真希はわたわたと慌てる。
このままで良いかも、と優子は逡巡するも、真希の肩に甘えるように枝垂れ掛かった。
「いいなー。真希ぃ、私も私もー」
それに呼応するように、成り行きを見守っていた他の三人も私も私もと声を上げた。
「うん、勿論! な、何にしようかな……」
何を作るかブツブツと呟く真希に、優子は苦笑いする。
「でも真希。作るのは期末が終わってからで良いんだからね。テスト前にもらったら皆真希の成績が気になっちゃうよ」
言って肩を竦める。
「あ、そっか。うん、テスト終わってからの楽しみに取っておくっ」
可愛らしく両手を握り意気込む真希を見て紅葉は、千鶴との約束以外にも期末考査後の楽しみが出来、益々テストが終わるのが楽しみになったのだった。
それから直ぐ、放課後になってから何度目かのチャイムが敷地内に鳴り響き、それを機に殆どお喋りに移行していた勉強会は解散となった。
紅葉の初めての勉強会は、勉学の面だけを見れば失敗かも知れない。
しかし廊下を歩く軽い足取りからも、紅葉にとっては大成功に終わったと言えるだろう。




