三十七話 臆病くらいが丁度いい
背の高い建物や豪邸の立ち並ぶ自由都市グリスの地上部。
照明にミラーボールや派手な色を使用しているこの変わった都市は、建物も一般的な感覚で言うと悪趣味なデザインの物や、毒々しいまでに煌びやかな物も多数あった。
この都市の権力者たちが他人よりも大きく豪華に、そして独創的に――、と競いあっている結果であり、この都市の繁栄が続く限りはこれからも続く、という意味では経過でもあるだろう。
その方向性は控え目に言っても歪んでいると言わざるを得ないが、中には物理的な意味でも歪んでいる物も少なくない。要は変わった建物ばかりなのだ。
そんな豪邸の内の一つ【豪商トトノア邸】は、敷地内の建造物が大理石の床などの一部を除くほぼ全てが黄金色に輝き、現在のような夜には照明でより怪しく照らされている。
これでもグリス地上部に建ち並ぶの豪邸の中では方向性が分かり易く、どちらかと言えば落ち着いた屋敷だったりするのだから頭が痛い。
その屋敷の廊下で、一体の禍々しい体躯のモンスターに対峙する、四つの影があった。
影の正体のうち一つはスクルト。今日も面積の少ないボンテージの上に黒いフード付きの外套を纏い、使役するマチュピチュの陰から淡々と杖を振るう。
そんなスクルトに並び立つのはストレルカ。パートナーの黄金ペングーのガストラに、眼前の敵を攪乱する様命令を出し、自身もモンスターに射撃型のバインド魔法を放ち見事に拘束してみせた。
召喚魔だけでなく自身も主にバッファー――仲間のステータスを上昇させるなどの補助魔法に長けたクラス――として戦いに貢献しているが、時には今の様にバインド魔法で動きを封じたりしている。
四人は現在レーダー内に行動不能になったこの一体しか居ないのを良い事に総攻撃を仕掛けた。スクルトの補助魔法を受けAC(防御力)の低下したモンスターは、前後をマチュピチュとガストラに挟まれ為す術なく沈むのだった。
『出らんねー』
『出ないね』
ログを読みモンスターから獲得したものを見て呟くストレルカとスクルト。
二人がこの屋敷に来たのはそれぞれ違うドロップが目当てだ。しかし落とす相手は今し方倒した同じモンスターである。
細身とはいえトロール並の身長に、背中にはその高さに見合うサイズのコウモリのような翼。額にはねじ曲がった二本の黒い角が生え、腰には少女たちの腕よりも太い尻尾。真っ黒な爪はそれぞれが二十センチはあろうかという長さで、肌はスクルトの病的な青白さとは違う正真正銘の青色の悪魔――【レッサーデーモン】だ。
『私の方は兎も角、ストレルカさんの方はひょっこり出てもおかしくなさそうだけど』
ストレルカの狙いは【レッサーデーモンのソウル】今日は数日前に一緒に地底湖に行った狩り後、ログアウト前に雑談した際約束した召喚魔集めに来ていた。
ちなみにソウルをドロップする事からも分かる通り、悪魔の召喚はサモナーの領分となっている。ダークサイド寄りの召喚クラスであるネクロマンサーもそれっぽくはあるが、あくまでネクロマンサーが扱うのは死体や霊。それが悪魔であっても死体でなければ専門外だ。
そのソウル、元々どれもドロップ率はあまり高くはなく、中でもレッサーデーモンのソウルは低く設定されている。
であれば、ひょっこり出てもおかしくなさそうというスクルトの発言は、一見適切でないように思えるが、ある意味では間違っていない。スクルトの狙っているものはそれ以上のレア度なのだから。
紅葉が狙っているのはレッサーデーモンの身体の一部、つまりフレッシュゴーレムの素材だった。ヒルジャイアントの腕を付けている左腕以外のパーツを欲している。
前述の通りネクロマンサーは生きていれば扱えないが、【魔法少女おんらいん】にアイテムとして登録されている死体(の一部)であれば問題ない。
とはいえ紅葉は万が一出たらラッキー程度にしか考えておらず、得られる美味しい経験値と、なによりストレルカとのペア狩りというだけで満足していた。
『まー、レッサーデーモンの素材はねぇ』
スクルトの言葉にストレルカも苦笑いで応じた。何せレッサーデーモンのレア素材は目撃例の数が非常に少なく、某巨大掲示板の召喚クラスの集まるとあるスレッドでは、レアドロップの代表格【スターダストドロップ】級に出ないと言われており、紅葉もノーマル素材でも出れば御の字だ。
実際は、ドロップ率は低い事は低いが注目度も低く、目撃しても報告されていないだけなのでは、という話もあるが、入手に根性と運がものを言うは確かだ。
尤も、悲しいかな、出ても紅葉は売る気はないし、素材の価格は安定しないから正確なところは分からないが、市場価格は二桁は違うだろう。無論素材が下である。
殆どのプレイヤーが、同じレアなら他が出て欲しいと愚痴を零すハズレ扱いであった。
二人は雑談しながら屋敷の特定のルートを巡回して行く。T字路を右に曲がった時、前方に目当てのレッサーデーモンと、顔など細部のはっきりとしない黒色の影絵のような人型の悪魔――【隣りに立つ影】が現れた。
目が赤く光り、動くとまるでテールランプみたいなラインを描くが目立つのはそれくらいなもの。暗がりで襲われると厄介そうな外見をしている。
ただ、この廊下は無駄に一定間隔毎にシャンデリアが設置され眩しいくらいだ。悲しいかな、黒い身体はむしろ浮いていた。
二人から二十五メートル前後先の廊下、レーダーに映らないギリギリの位置に二体の悪魔は居た。そのうちの一体――、レッサーデーモンはスクルトたちを発見すると、その場から動かずに前方へ手を掲げて魔法の準備に入る。
それに対しスクルトら二人の魔法少女は、フレッシュゴーレムと召喚魔に指示を飛ばし、指示を受けたマチュピチュとガストラは直ぐさま駆けて行く。
狙いは魔法を発動前に潰す事だ。けれど後もう二歩といったところで届かず、ストレルカの足元に大きな魔法陣が浮かび上がった。
しかし魔法を予期し、まだ戦いも乱戦になっていないため集中していたストレルカは、発動前にその場から余裕を持って跳び退いて範囲魔法の爆発から逃れる。
その間にスクルトは、二人の元に向かって走って来る隣りに立つ影との間に魔法陣を設置した。
ところが隣りに立つ影は、魔法の設置された床をジャンプであっさりと躱してしまう。けれどもストレルカが着地を狙い撃つ。
射撃型攻撃魔法、フォース。
ストレルカから放たれた、たった一発だが通常より大きな魔力球。それは着地直後の隣りに立つ影に見事命中、更に後方へ吹き飛ばした。【フォース】はいくら魔法レベルを上げても一度に放てる数の増えない少々残念な射撃魔法だが、代わりにノックバックの効果があるのだ。
躱した筈の魔法陣に今度こそ捕まった隣りに立つ影。魔法陣が怪しく光る。
設置型状態異常魔法、ダーク・ウォーター。
魔法陣から溢れ出た黒色の沼は隣りに立つ影の脚に纏わりつき移動を封じた。レッサーデーモンとは異なり遠距離攻撃の手段を持たない隣りに立つ者には非常に有効な手段だ。
そこからはスクルトが射撃魔法で少しずつ削って行く。【バインドβ】の効果が切れるまでに倒せはしないが、それなりに削れるだろう。
『2匹追加』
射撃魔法を撃つ機械の如く、ひたすら撃っていたスクルトにストレルカから警告が届く。
紅葉もレーダーで位置の確認しながら五発の魔力弾を隣りに立つ影に叩き込んでダウンさせると、次弾をチャージしつつ視点をレーダー上の赤い二つの光点の方向――、スクルトたちを挟んでマチュピチュたちの向って行ったレッサーデーモンとは反対側の廊下へと向けた。
『げ3匹やった』
そこには新たに出現したピンクっぽい赤色の肌の小悪魔とローブを纏った男、そして隣りに立つ影。
三体はギリギリレーダーに入って居る。しかし隣りに立つ影はレーダーに映らないという厄介な性質を持つ。ストレルカはレーダーで増援は二体と認識した後に目視で誤りに気付いたのだ。
彼等はまだこちらをターゲットに定めてはいないがそれも時間の問題である。
紅葉はスクルトの視線を三体の悪魔から戻して、起き上がった隣りに立つ影に再びチャージした射撃魔法を撃ち込みダウンさせると、ストレルカに短く呼び掛けた。
『撤退?』
『異議なし。レッサーだけ食べてこ』
スクルトに同意したストレルカは、返事を待たずに召喚魔たちが囲むレッサーデーモンの元へ、なにかしらの魔法をチャージしながら走り出した。スクルトも魔法をチャージしながらその背中を追い、更にその背中を動き出した三体のモンスターが追う、ちょっとした鬼ごっこが始まった。
そしてこれは言うまでもなくただの鬼ごっこではない。唐突に集団の先頭を行くストレルカは反転。追手に魔法を放つ。
円型状態異常魔法、スリープクラウド。
追って来た三体の悪魔と、バインドが解けその直ぐ後ろに迫っている隣りに立つ影を、眠りの効果のある白い雲で包もうとする。しかし隣りに立つ影のうち一体はステップで難を逃れ、空を舞う小悪魔はもとより範囲外。それでも追っての半数を眠らせる事に成功した。
一方、魔法を放ったストレルカと入れ替りで列の先頭に立ったスクルトがレッサーデーモンの元に着くと、マチュピチュが右腕で二連撃を入れ、ガストラが頭から突撃して嘴で突いたところだった。
よろけるレッサーデーモンにスクルトの放った四発の射撃魔法が命中。それがトドメになった。
レッサーデーモンを片付けた二人の魔法少女は討伐の余韻に浸る事なく走る。なにしろ追手はそこまで迫って居るし【睡眠】もそう長くは続かない。
二人は悪魔たちを無視して目に付いた、最も近くの扉へと駆け込んだのだった。
◆
移動した先の部屋にモンスターが居ない事を確認して二人は杖を下ろす。これにて突発的に始まった極短い鬼ごっこは終わりを告げたのだ。
『5体は無理やねー。精々3。出来れば2』
呟きながらストレルカは効果の切れた補助魔法を掛け直していく。今のところモンスターは居ないがいつ湧くとも限らないし、このダンジョンには湧いても目視するまで分からない隣りに立つ影も居るから油断できない。
『うん』
スクルトは相槌を打ちながら同じ様に補助魔法を掛け直す。
ここ豪商トトノア邸はモンスターレベルがかなり高く設定されており、奥に踏み込むならレベル70以上のフルパーティが適性といったところ。ゴーレムと召喚魔を数にいれても四人組、それにストレルカはまだ中堅に片足が入っているレベルなので、少しでも湧くと直ぐにキャパシティオーバーになる。
『私に少しは火力があれば良いんやけど』
『ううん。それを承知で来たんだし、気をつければ狩れるんだから気にしないで』
溜め息を吐くアクションを取るストレルカにフォローを入れた。
今のところサモナーが直接ダメージを与えられる魔法は、先程の射撃魔法以外にもある事はあるが、状態異常魔法のオマケ程度のものが殆どで、その上INT依存が多くMEN型のストレルカではどうしても火力不足になる。
これはクラスによって得手不得手の分野が違い、またストレルカがサモナーでも多少は火力の伸びるINTではなく、補助や状態異常に強くるようMENを伸ばしているのだから仕方がない。
しかしながらこのペアが高レベルのダンジョンに対し火力が足りていないのは事実。回復できるクレリックや巫女も居ないので持久戦も難しい。
その為モンスターが少数の時は狩り、湧けば極力目的のレッサーデーモンを狩りつつ撤退という変則的な選別狩りをしており、湧き易く中ボス扱いのモンスターも出る屋敷の奥には近付かない様にしている。
『っと、もう12時過ぎとーね。スクルトちゃん、そろそろ?』
ストレルカのチャットに反応して机上のアナログで時刻を確認すると、十二時を十分程過ぎたところだった。
『本当だ。うん、今直ぐじゃあないけどもう少ししたら落ちるよ。ごめんね』
『いやいや、もう結構狩っとうしね』
お昼でログアウトする事は事前に伝えており、ストレルカも予定時刻を過ぎないよう気にしていたのだ。
『そいじゃ飛ぶよ?』
『うん。お願いします』
ストレルカが転移の確認を取るとスクルトが頷く。返事を確認したストレルカは集団転移魔法を使い、屋敷を後にしたのだった。
◇
『おお、わざわざありがとう』
『今日はペアやけね。パーティやったら基本ルネやけど』
ストレルカが転移に指定した先は、スクルトが拠点を置くイイーヴの町。
相変わらずコンセプト通り周囲にはNPC(住民)は居ないが、しかしこちらも変わらずPCは割と居る、ちぐはぐとした雰囲気のなんちゃってゴーストタウンである。
そんな町の広場の、枯れた噴水の縁に座るスクルトを見て、今直ぐにログアウトしないと判断したストレルカも隣りに腰掛けて話し始めた。
『スクルトちゃんはテスト勉強かー。大変だ』
今日スクルトが午前中でログアウトする理由は、一学期末考査に備えての事だ。
『うん。まだ一週間前じゃあないのだけれど、それでももう後少しだから、一応』
本日は六月二十日の日曜日。期末考査は来月の頭から始まるので、二十四日が一週間前に当たる。予習復習を欠かさない真面目なミノア女学園生の紅葉も、それ相応の対策をいつも通りにする予定であった。
『スクルトちゃんは真面目やねぇ。私なんか普段絵ばっかり描いてて、テスト前はもう大変やったよ。毎回焦っとったんやけ』
そう言って笑うストレルカに、紅葉は慌てて返事を打った。
『いや、そんな。私はただ』
一度区切り送信。
『授業で分からなくなったり、成績が落ちるのが怖いだけだから。テスト勉強はするけどそこまで力を入れるわけでもないし』
そう恐縮したように話す。テスト前になると学校で勉強をするミノア生をよく見ているせいで、紅葉は他人と比べ特別勉強しているという感覚がなかった。
『うーん、私からすると十分真面目な気がするっちゃけどね』
ストレルカが苦笑いをする。
『私はテスト前はどーしても部屋の模様替えがしたくなる病気でねぇ……普段は気にならん本棚の位置が気になるんよ』
あとは落書きがやけに捗る! と、おどけて言ってスクルトのツッコミ待ちというか笑いを誘ったが、時に酷く鈍く、また年齢の割に純粋なところのある紅葉。そしてその経験もないので、普通にほうほうと頷いていた。
部屋のドアがノックされたのはそんなタイミングだった。最近少し暑くなって来たので風通しを良くする為に二十センチ程開かれたドア。ノックの音はいつもと違って聞こえた。
紅葉は、はーいと声に出して部屋に訪ねて来た相手に返事をしながら、ストレルカにもチャットを打つ。
『少し離席します』
ストレルカの返事を確認する事なく紅葉が振り返ると、楓がドアを押して顔を覗かせた。
「お昼ご飯だよー」
「うん分かった。ありがとう」
部屋には入らずに用件を告げる楓に紅葉が礼を言うと、楓はおっ先にーと言い残し去って行った。
紅葉は音楽とドア越しに微かに聞こえる階段を下りる足音を耳にゲームに戻り、十秒前と変わらず膝を抱えて座っているストレルカに声を掛けた。
『お待たせー』
『おかー』
直ぐに返って来た返事に、紅葉は続けてチャットを打つ。
『お昼ご飯なので、これで落ちますね』
『うん。了解』
そこで紅葉は念の為、一度カレンダーを確認してからパソコンに戻る。
『次にインするのは多分七月の二週に入ってからになると思うけど、戻ったらまたソウルを狙いにでも』
『うん。また誘うよ』
『それじゃあ、また』
スクルトに手を振らせ、紅葉は魔法少女おんらいんをログアウトして、そのままパソコンの電源も落とした。
これでなにか調べものでも見つからない限り、テスト明けまでパソコンを立ち上げる事はない。
紅葉は椅子から立ち上がると一度大きく背伸びをして背筋を伸ばす。そして空のカップを手に取りコンポの電源を切ると、お昼から始める試験勉強に向けて昼食を食べにダイニングへと向かうのであった。




