三十二話 悪徳なんか怖くない
設置型状態異常魔法、ダーク・ウォーター。
全身に包帯を巻いた人型のアンデッドモンスター、所謂ミイラ男――【マミー】と、石で出来た三メートルの巨体を誇りそれに見合う高いAC(防御力)を持つゴーレム――【ストーンゴーレム】の足元に描かれた魔法陣から黒い水が生み出された。
黒い水はその粘性で持って捕らえた二体のモンスターの脚に絡み付き【バインドβ】状態にして移動を阻害する。
そして先ずはマミーを、スクルトは射撃魔法の連射で、マチュピチュは左腕の長いリーチを活かした範囲外からの打撃で一気に沈めた。
現在スクルトが居るのはジェラ島にある紅葉お気に入りの迷宮、ハイン遺跡だ。
本日紅葉は、放課後に学園の図書室に寄って借りていた本を返却し、その際目に付いた一冊の本を新たに借りてから帰ると、そこからはいつも通り過ごして夕食後【魔法少女おんらいん】にログインした。
そして昨夜の予定通り現実の時間で五十分掛け砂漠、そして海を越えハイン遺跡に到着。それから一時間程狩りをしたところだ。
マミーを撃破したスクルトは続いて、【バインドβ】から解放されたストーンゴーレムを、マチュピチュを盾にして安定した狩りで一蹴、一息ついた。
(やっぱりここ良いなぁ……、アイテムに余裕があったら明日もここで狩ろう、うん)
やはり利便性の悪いハイン遺跡はそれほど人気がないようでPCはあまり見掛けない。また、通路や部屋のサイズは通常のダンジョンに比べ狭いが規模自体はそれなりのものなので、偶にPCとすれ違ってもモンスターの奪い合いも発生してしない。入ってしまえば他人の目を気にせずに狩れる、紅葉好みの狩場だ。
紅葉はモンスターを求め、スクルトを操作して気侭に遺跡内を歩き回らせ行く。今もローブを纏った半透明の亡霊【スペクター】を発見すると、先制に移動中チャージしていた射撃魔法――五発のダーク・ボルトを撃ち込んだ。
同時にスペクターにマチュピチュをけしかけ、インファイトに持ち込ませる。二本の右腕を中心に攻めさせてその隙に補助魔法を掛け援護する。
起点指定型補助魔法、ディジーズ。
スペクターのDAM(直接攻撃ダメージボーナス)とACを下げる。攻撃が全て魔法扱いであるスペクターのDAMを下げる意味はないが、元々低めに設定されているACが更に下がる意味は大きく、今前方で拳を振るっている打撃特化のマチュピチュとの相性は大変良い。後衛型のためHPも低いスペクターを一気に削り切った。
(やり易い……、あっ)
スペクターを狩ったその時、スクルトに掛けてあった補助魔法の一つが効果を失った。丁度周りにモンスターも居ないのでこれ幸いと紅葉は素早く掛け直す。
術者専用型補助魔法、ダーク・アイ。
薄暗いハイン遺跡内が灯を持たないスクルトの目にもよく見える。暗所ペナルティを受けるエリアでも問題なく見えペナルティも受けないという、ランタン要らずの魔法だ。
ただし自分自身にしか掛ける事ができない魔法なので、パーティでは全てのPCのクラスがネクロマンサーと、【ダーク・アイ】に似た魔法を持つNINJA、二クラスとは異なる暗視魔法を持つサモナーのみで構成された極端な、はっきりと言うとネタパーティでもないと使えないので、実質ソロ限定に近い補助魔法であるが、ソロ狩りの頻度の高い紅葉は重宝している魔法だ。
とはいえ、これが現バージョンでアンデッド用のものを除くと、ネクロマンサー唯一の味方が対象の補助魔法なのは、地味に便利な魔法とはいえ寂しいものがある。なにせステータスは変わらずに活躍の機会も限定され、アイテムにも魔法にも代用品があるのだから。
ちなみにマチュピチュに限らず、アンデッドはデフォルトで暗視持ちである。
(……、ん?)
ダーク・アイを掛け直して落ち着き、いつも通りミニレーダーに目を向けると、そこには白色の光点が映っていた。紅葉は光点の方向――、スクルトを今居る部屋と隣り部屋を繋ぐ通路に目を向けさせた。
通路に立って居るのは一人のPC。
膝の辺りまである長い紫色の髪をなびかせ、トップスは大きく両肩の出たオフショルダーに、おヘソも覗く短い丈。ボトムスも膝上の、マイクロミニという、これだけだとかなり露出が激しい上下。腕には肘まであるロンググローブ、脚は太股まである丈の非常に長いサイハイソックスと呼ばれるものにピンヒール。口元は、鼻先から下を覆う口当てをしている、露出が激しいのかどうなのか微妙なラインの、しかしセクシーな黒色で統一されたコスチュームを着た――見た目はスクルトより上の高校生くらいの――少々が足を止め、じっとスクルトを見ている。
(NINJA、か……、あっ)
スクルトを見詰めたまま動かない少女の、両手に一本ずつ持ったライトグリーンの光刃が輝く短剣を見て、紅葉が少女のクラスに思いを馳せているとその場から、そしてミニレーダーからも忽然と、文字通り姿を消した。
ちなみにライトグリーンの魔力刃は辺りの薄暗闇をぼんやりと照らしていて全く忍んでいないが、【魔法少女おんらいん】の刀剣は非実体のものが多く、それはNINJAの短剣も同様なのだ。しかし忍者ではなくNINJAなのできっと問題はない。ない筈である。たぶん。
閑話休題。
(今のって……)
姿を消したのは、術者の姿を見えなくさせレーダーからも消えるというNINJAの魔法――、【雲隠れ】によるものだ。
狩り場でパーティの斥候役をする時などによく使用される、実にNINJAらしい魔法なのでそれそのものは別になんら珍しくはないのだが、紅葉にはどうにも気になる点があった。
(笑った。笑ってたなー)
こちらの様子を窺っていた事も気にならなくはないのだが、狩り場で他人のプレイをなんとなく目で追う事は紅葉にも経験があるのでそこまで気にはならない。
しかし少女のPCが、雲隠れを使用する前に笑うアクションを取らせた事が妙に引っ掛かった。PCが笑ったという事は、少女を操作するプレイヤーが、PCに敢えてそうアクションを取らせスクルトに見せたという事だ。ある疑惑を抱いた事で、何事もなければ気にならないであろう少女の金色の瞳も、やけに怪しく見えた。
(これはひょっとしたらひょっとするかも)
紅葉はこれまでと変わらない動きを意識しつつ、左手に握った操縦桿に似たコントローラーでスクルトを少女が居たのとは違う通路を歩かせながら、右手でキーボードを叩いてインベントリを開くとマウスを握り、その他枠のアクセサリーを変更して黒色のネコミミを装備した。
一見愛らしいだけの、見た目を楽しむ為だけのアクセサリーに見えるこれは、とある状況下では案外侮れない効果を持つアクセサリーなのだ。無論、見た目を楽しむという意味も大きい。大変大きい。
その効果は近くに【透明化】したPCやモンスターが居るとネコミミがピコピコと反応するというものである。紅葉が警戒しているのは先程のPCによるPK(player killing)。笑みはスクルトに対する示威行為ではないかと考えていた。
ただPKをするだけなら必要のない行為どころか、こうして紅葉のように警戒される可能性のある余計な行いなのだが、魔法少女おんらいんはPKのシステムはあるもののそれほどメリットがないので、それでもPKをする者はPKそのものを楽しむプレイヤーが多く、示威行為をするプレイヤーも少なくない。紅葉は笑みだけでなく、雲隠れを敢えてスクルトの前で使用したのも示威行為の一種だと考えていた。
雲隠れは【首都防衛戦】で使用したらドラゴンに呆気なくばれてブレスで蒸発したという笑い話もあるが、それでも多くのモンスターに対して有効であり、当然対人戦での効果も絶大だ。
このネコミミ、サイズはそれほど大きくなく動きも分かり難いという特徴があり、更に頭にフードを被るというコスチュームを着ているスクルトは、グラフィックの都合上、ネコミミがフードから突き抜けているようになっているので、本来の半分程しか見えておらず余計に分かり難いのだが、これはデメリットばかりではない。他のプレイヤーから見ても、特に遠目からではネコミミを装備し警戒しているかが分かり辛いのだ。
この事はキャラグラフィックに依存し、システムの穴という訳でもないからかあまり知られていない。紅葉が気付いたのも偶然だが、それ以来意識して色も敢えて外套のフードと同じ黒色のネコミミを使用している。
(まだ居ない、か……)
装備を変更し、今のところは反応のないネコミミを歩きながら確認して、紅葉はこれからどうするかを悩む。
(帰りたくはないなぁ。まだあんまり狩りしてないし)
一時間近く掛けて到着して、狩り時間一時間では割に合わない。
(先制を切ればなんとか……、うん)
紅葉が一番警戒しているのは、先制で一気に危険域にもっていかれる事。しかしネコミミの効果である程度近くに居る事がわかるので、直ぐに気が付けば転移も間に合い、仮に一戦交える事になっても上手く動けば先制を封じれる当てもある。
それに一体はゴーレムとはいえ二対一だ。対人戦に於ける人数の差は非常に大きく、いくら対人戦に優れるNINJAが相手とはいえ危なくなればマチュピチュを盾にして距離を取り、アイテムを使用する時間を稼ぐ事も可能な筈だと考えている。
(というかまだPKと決まったわけじゃないし)
人によってはあからさまな示威行為と取るのだが、PKとの交戦経験もそれなりにある割に呑気というか少々甘いところのある紅葉は、まだPKとは断定せずに、一応の対策としてネコミミを装備させるだけに止まり、エリアを移動して狩りを再開するのだった。
◆
NINJAの少女との邂逅から暫く。狩りを続けているスクルトは今もバックステップでマミーの噛み付き攻撃を回避すると、カウンター気味に叩き込んだ射撃魔法でトドメを刺した。
次いで戦いの最中、時間経過で効果の切れた補助魔法をマチュピチュに掛け直す。
起点指定型補助魔法、リミッターカット。
対象に掛かる負担を一切考慮せず、限界以上の力を引き出し一定時間対象のステータスを底上げする、アンデッドだからこそ使える補助魔法だ。
そんな無茶な設定のある魔法だが、効果が切れたらペナルティが発生したり、ゴーレムのパーツを繋ぐ接合アイテムの急激な摩耗といったデメリットは一切ないので、実際はここぞという場面だけでなく、ゴーレムを使役するネクロマンサーなら常に掛けているのが現実だったりする。
(ふー……ッ!)
補助魔法を掛け直して一息吐いた紅葉の目に止まったのは、スクルトの被るフードを突き抜け、小さく覗くネコミミがピクピクと揺れている姿。ネコミミの動きに注意しながら狩りをしていた紅葉であるが、動きが大きくなる戦闘中はどうしても分かり難く、モンスターを片付け落ち着くまで気付かなかったのだ。
(スクロールは……、うーんだいぶ近いなぁ)
ネコミミの動きの大きさは、姿を消した対象との距離によって三段階あり、今は二段階目。姿を消したなにかはそれなりに近い位置に居る。
転移スクロールを使用して実際に発動するまでの間に、アイテムを使用するモーションを見て仕掛けられたら間に合うかどうか、発動の遅い転移スクロールでは相手のレスポンス次第という微妙なところだ。
(どうしよう……、あっ)
紅葉が逡巡している内にネコミミの動きがより一層激しさを増した。三段階目だ、スクルトにかなり近い位置にいる。
(やるしか)
自業自得なのだが転移スクロールを使用する余裕はないと判断した紅葉は、これ以上後手に回らない内に動き出す。
スクルトを前方にステップさせると向きを反転、一見なにもない、先程までスクルトが立っていた場所のやや後方の空間に向け射撃魔法を撃った。するとそのなにもない“ハズ”の空間に命中。同時に一人の少女がくぐもった声を上げ、よろけながら姿を現した。紅葉の予想した通り、セクシーな黒色で統一されたコスチュームを身に纏った先程の少女のPCだ。
しかし先程と違い、身体がぶれている。これもNINJAの代表的な魔法――【分身の術】によるもので、AVD(回避)が高まり、更に直接攻撃を命中させるとランダムで追加攻撃が発生するという、相対するスクルトにとって恐ろしい補助魔法の一つであり、この事からも少女の殺る気がよく分かる。――尤も、姿を消して背後に立って居た事だけでもまる分かりだが。
「気付いてたのかよ」
少女は毒づくと細かなステップで距離を測る。それに対しスクルトは無言で魔法をチャージしながら距離を取った。
ネコミミは近くに居る事は分かっても方向までは分からない。先程スクルトが反転して自身の後方に射撃魔法を撃ったのは、PKが仕掛けてくるならダメージが一.五倍になる後方から狙って来ると考えての事で、言ってしまえば勘だ。これまでも何度となくPKに狙われ、そして実際に狩られてきた紅葉の経験が生きたと言える。嫌な経験だがこの通り全くの無駄というではない。
一方、先制を潰されたNINJAの少女の簡易HPバーは雀の涙ほどしか減っていない。つまり先程の射撃魔法によるダメージが殆どないのだ。
これは、スクルトや相手のステータスの差がどうという話ではなく、紅葉が安全装置――といっても攻撃にロックが掛かるわけではない――を解除していなかったからで、通常の、モンスターを狙い逸れた攻撃がパーティメンバーや他のPCに偶然当たってしまった時と同様の判定され、ダメージが軽減されたからである。
しかし見ての通り意味がないわけではない。攻撃を受けた事で少女の透明化は解除され、無防備な状態で食らう先制を潰せたのだ。下手をするとそのまま何もできず、その連撃で決まっていた可能性もあったのだから。
では何故先制を潰し透明化を解除するついでにセーフティを解除しなかったかというと、セーフティを解除して先制を取るとスクルトがPK行為に認定されるからだ。
セーフティを解除して攻撃を加えるとIDがオレンジ色で表示され、軽度のPKに認定される。それから対象のHPを0まで削らなければオレンジ色のままで、リアルの時間で半日経てばIDは白色に戻りPKの判定は解除されるが、最後まで削り切るとIDは赤色になり、一週間PKとして扱われるというシステムなのである。
相対する少女のPC――、Casperがフェイントのひとつも入れずに火球を飛ばして来た。それをスクルトは余裕を持って前方に張った環状魔法陣の障壁で防ぐと同時に、CasperのIDが白色からオレンジ色に変わる。つまりCasperがセーフティを解除して仕掛けてきたという事だ。
(よし……)
紅葉は慎重に距離を測りながらモニターの前で大きく一つ息を吐くと自身もセーフティを解除し、魔法陣を一度に設置できる限界である二つ設置して戦いの場を整える。小さめの部屋なのでこの二つで移動に掛かる制限は大きい。
赤色、もしくはオレンジ色のIDに対する敵対行為はPKとは見なされない。これで互いに好きに戦う事ができる。
先程の火球はわざと防がせ自身のセーフティを解除し、またスクルトにも解除させたのだろう。言わば決闘の手袋のようなものだろうか。奇襲を仕掛けておいて何を今更と思うかも知れないが、おそらくはヒントを与えた奇襲が失敗したから次の遊びに移った、それだけの話だと思われる。
「何? やる気? ちょいと慈悲をかけて待ってやってんだぜ?」
言いながら距離を詰めて来るCasperとの間に、マチュピチュを立たせ壁にする。NINJAの動きの速さは紅葉もよく知っているので油断せず、咄嗟に動ける様に返事も打たない。
「お前さ、対人で忍者にネクロが勝てると思ってんの?」
(一対一じゃないもん。勝機はあるもん)
対人戦でのNINJAの強さは言われるまでもなく知っているが、一言言い返したくなった。しかし打てば隙になるので紅葉は無言で応じ、代わりとばかりにショートカットキーを叩き補助魔法を仕掛ける。
起点指定型補助魔法、エンセオンジェン。
Casperの、スクルトとは間違いなく比べ物にならない程高いであろうHIT(命中)を下げた。
焼け石に水――、クリティカルヒットを食らうかどうかは実際に食らうその時まで分からない。勿論、試しに食らってやる気など紅葉にはない。
「おーいおいおい無視か無視ですかー」
Casperの煽りに対する紅葉の返事は【ディジーズ】――、相手が動かないのを良い事に今度はDAMとACを削る。当然黙ったまま。
「おk。クラスの対人性能の違いが、戦力の決定的差だって事を教えてやんよ!」
その行為を挑発と受け取ったのか、喋っていても補助魔法を掛けられるだけだと思ったのか、身を屈めCasperが突っ込んで来た。
(戦いは数、だよっ)
それに対しマチュピチュで牽制し、紅葉はスクルトを少し横に動かして射線を確保すると、ダーク・ボルトをばら撒く。
辺境の地下遺跡で魔法少女同士の、世界の平和などとはまるで関係のない戦いが始まった。




