二十一話 いろはと千鶴
紅葉が風呂から上がり、髪をポニーテールに結びながらリビングに入ると、ソファーには楓の他に二人の女性が座って談笑していた。
「あ、紅葉ちゃん。お邪魔してまーす」
紅葉にそう声を掛けたのは上野いろは。二重の大きな瞳の平島姉妹とは違い可愛いタイプ。背中の中ほどまである髪は、今は濡れているが乾くとふわふわで明るい茶髪。紅葉は前々からショートが似合いそうだと思っている。
閑話休題。
身長は百六十センチ足らずとこの中では最も低く、肉付きが親友らやその妹と比べると良い事を本人は気にしているが、決して太っているわけではない、どころか細い。
モデルかと思うほど細身の姉妹と、モデルでもなかなか居ないくらいに細い人間では、比べる対象が悪いとしか言い様がない。最も女性らしい体型をしているのは、メリハリがあり適度な丸みのある、いろはだ。
紅葉よりも先にお風呂は済ませたらしく、薄いピンク色のネグリジェを着ている。その可愛らしい格好は彼女に大変良く似合っていた。
性格は偶に抜けたところがあるが、明るく面倒見が良いというか世話好きで、友人も多く後輩にも好かれやすい。真希とはまた違ったタイプのムードメーカーだ。
今もニコニコと笑顔で紅葉においでおいでと手を振っている。
「いらっしゃいませー。千鶴さんもいらっしゃい」
「おう。お邪魔してる」
紅葉は三人と同様ソファーに腰を下ろしながら千鶴にも挨拶をした。
簡潔に返事を返したのは空井千鶴。
鋭い瞳の、クールな顔立ちの美人で、ショートカットの髪は普段はワックスで外に跳ねているが今は他の三人同様風呂上がりな為、ショートボブのようになっている。
身長は百七十五センチを超えており、この中で最も高いというだけでなく女性としてかなりの高さ。手足は平島姉妹以上に細くそして長い、日本人離れした体型をしている。
現在の格好は黒地の柄Tシャツにトレーニングパンツというシンプルなもの。 表情は固く、積極的に話すタイプではないので少々取っ付き辛さはあるのだが、仲の良い楓といろはに人が集まる為友人も自然に増え、クラスで浮いたりはしていない。
「結構久し振りだね」
いろはが笑いながら紅葉のポニーテールを弄りながら言った。楓もだが、ポニーテールにすると何故か触りたがる人は多い。
「そう……、だね。いろはさんとはゲームで偶に会うからそこまで久し振りな気はしないけど、千鶴さんは一月振りくらいかも」
紅葉の口調は外とは違い硬さはない。知り合った当時はどう接していいか戸惑っていたが、間に楓が入る事で少しずつ慣れていった。
「……かもな」
紅葉が呟き千鶴を見詰めると、千鶴は目を細め少し考えるようにして同意する。
「前にウチに千鶴といろはが遊びに来たのって春休みだもんね」
「いやあ、春休み中は入り浸らせてもらいました。その反動かなあ?」
「なるほど」
紅葉は納得したように頷きながら呟いた。
(確かに二三日に一日のペースで遊んでもらってた気がする。なんていうかな……、幸せの絶頂というか、人生のハイライト?)
約一月前の春休み中、結構なペースで二人、もしくはどちらかが遊びに来るか、一緒にショッピングに出掛けたりしていた。リアルで友人の居ない紅葉にとってかなり楽しい期間だった。
ちなみに紅葉にとって千鶴といろははあくまで『姉の親友』であり、自分は『親友の妹だから可愛がってくれている』と思っている。面倒な性格をしているというか、友人というものに慣れていないので臆病なのだ。
ただのヘタレとも言う。
実際は歳は違えど二人は友人として接しているのだが、必ず楓も一緒に居るせいか認識にずれがあった。
紅葉が春休みの出来事を思い出していると、母親がリビングに来て四人に声を掛けた。
「葉月帰ってきてないけど、ご飯できたから温かいうちに食べちゃいましょ」
葉月は午前中に出掛けたっきりまだ帰ってきていないらしい。女性五人は一足先に夕食を食べる事となった。
◆
「雪菜さんこれすごく美味しい」
「そう? 良かったー」
チキンソテーを食べ、いろはは上機嫌に楓と紅葉の母親――、平島雪菜が素直な感想を言うと、雪菜は嬉しそうに笑った。
「ていうかですね、私の好物ばかりなんですよ」
「いろはちゃんには前に好きなもの聞いた事あったからねー。千鶴ちゃんも好きなものとか苦手なものとかあったら遠慮なく言ってね」
雪菜が千鶴に微笑みかける。
「……自分は特に苦手なものはないので……。どれも美味しいです」
千鶴は少し考えながら口にする。
「そう? でもリクエストとか好きなものがあったら言ってくれると嬉しいなあ」
「そう、ですね……、しいて言うなら和食全般とあとは……、うーん」
「千鶴はあとあれじゃない? えーっと、そう、お弁当に入っていそうなメニュー」
考え出して箸が止まり掛けている千鶴に楓が助け船を出す。
「ああ、そうかもな。アスパラのベーコン巻きとか好きです」
後半雪菜に向けて話しながら、千鶴は皿の上のアスパラのベーコン巻きを口に入れ、小さく笑みを浮べた。
「そっかー。じゃあ次は千鶴ちゃんの好きなもの沢山作るわね。和食の中では何が好きなの?」
「……随分前の話ですけど、作って頂いた揚げだし豆腐、それまで食べた事なかったんですけど、あれ美味しかったです」
揚げだし豆腐――? そう雪菜は呟きながら首を傾げると紅葉の方を向き、楓もまた紅葉を見詰める。千鶴といろはもそれに釣られ、紅葉に視線が集まった。
「――へ?」
完全に聞き役に徹し、黙々と好物のポテトサラダを食べていた紅葉は、急に自分に視線が集まって間の抜けた声を上げた。
「作ったの紅葉ちゃんじゃない? お母さんが作った記憶ないんだよねー」
「うん、紅葉ちゃんが偶に作るから私は作らないわね」
二人の言葉に確かに自分しか作らないかも、と紅葉は思うが同時に少しだけ焦った。あれはそんなに褒められるようなものではないと。
「そうなのか?」
千鶴が珍しく驚いた表情をして尋ねた。
「うん、たぶん……。一年くらい前に出した事あったかも」
あやふやな記憶を辿る。
「そうか……。紅葉、良かったらまた作ってくれ」
「へ、う、うん。それは良いんだけど、あれ大したものじゃないよ?」
「いい」
「うん。なら今度ね」
紅葉が了解すると、千鶴は微笑み、それを見た紅葉は少し複雑な気持ちになった。
「へー、揚げだし豆腐って難しいイメージがあったけどなあ。特に出汁が」
「いや、私のはすごく簡単。ホント」
「ほうほう」
(水分取った豆腐に片栗粉まぶして揚げるだけだし、出汁なんて市販の麺つゆを鍋で温めるだけだよ……。上に乗せる薬味のネギを切る方がまだ手間掛かってるよ……)
なんだか高く評価され過ぎている気がしたが言い出せず、とにかく簡単であるという事だけは伝え、今度作る時までにもう少し手の込んだ揚げだし豆腐を作れるようになろう、そう紅葉は決意する。
「ていうか紅葉ちゃん料理するんだね」
「自分も知らなかったな」
意外だった、そう言ういろはと千鶴に紅葉は曖昧な微笑みを返すだけだ。
「この子、普段はしないんだけど、前触れなく料理する事があるの」
「うん、大体夜中だね」
二人に説明しながら雪菜と楓は紅葉を見た。
「あ、あの、突然あれが食べたい! って思う事があって、お母さんが居たらお願いするんだけど、それが夜中だったら自分で作るかも……。ご察しの通り普段はあんまりしないです」
紅葉はうつむき加減に恥ずかしそうにしながら小声でそう言った。
「まあ別にいいんじゃないか。自分は調理実習くらいでしか作らないし」
そんな紅葉に千鶴がフォローを入れ、楓も続く。
「というか私たち、それほど料理しないよね。しいて言うならいろはかな?」
「まー、偶にするくらいでいいのなら」
いろはは苦笑いした。実際のところ、いろはも平均といったところなのだが、それほどしない三人と比べるならよくする、料理上手といえるのかも知れない。
尤も、いろはの苦笑いと言葉から察するに、自分の腕の程はよく理解しているようだ。
それからもお喋りをしながら食事を続けていると、玄関の方からただいまー、という声が聞こえて来た。
「葉月が帰って来たみたい」
楓はそう言って少し笑い、紅葉はそんな姉を見ながら首を傾げた。
「母さん誰か来てん……うぉっ」
玄関の靴を見て、客人が居る事を察した葉月が雪菜に尋ねながらダイニングに入って来たが、千鶴といろはがそこに居た為驚きの声を上げた。
「お邪魔してまーす」
「……お邪魔してる」
二人に一瞬硬直した葉月だったが、挨拶の言葉に多少ぎこちなく反応を返した。
「あー、うん。ただいま。その、いらっしゃい」
「ご飯食べるでしょ? 手洗ってきなさいね」
「お、うん」
まだ少し硬いがリアクションを返し、葉月は手を洗いにダイニングを出て行く。楓はそんな葉月を相変わらず笑って見送るのだった。
◆
椅子に座った葉月は女性陣の会話にあまり加わる事なく黙々と料理を食べている。普段は食事中もそれなりに話す方なので、そんな葉月の態度に紅葉は首を傾げたが、どうしてなのか分からなかったので何も言わなかった。
「お母さん、唐揚げ頂戴」
紅葉が小皿を雪菜に渡しながら言う。
テーブルの上には料理ごとに大皿に盛られていて、皆それを自分が食べる分だけ小皿に分けながら食べている。紅葉の席から唐揚げの盛られた大皿が遠い為取って貰ったというわけだ。その様子を見ていたいろはがあっと小さく声を上げ、葉月に声を掛ける。
「葉月くん、ポテトサラダ食べてないよね? よかったら取るよー」
「え、はい、ありがとうございます」
「いえいえ~」
葉月が自分の手の届く範囲の料理しか食べていない事にいろはが気付いたのだ。葉月は相変わらず少しぎくしゃくとしていたが返事をして、いろはは笑顔でポテトサラダを小皿に盛り葉月に渡した。
「葉月くんは今日部活だったの?」
「いえ、今日は遊びに」
「ふーん、そうなんだ」
「ゴールデンウィーク中の部活は昨日の練習試合があっただけです、ハイ」
「そうなんだー。試合には出たの?」
「後半からですけど」
「えー! まだ一年生なのにすごいんだね!」
「いえ、そんな、まだまだです」
いろはが積極的に話を振る事で、それまで会話に入る事のなかった葉月も少しずつ参加するようになっていった。
「そういえば」
紅葉がふと思い出した事尋ねる。
「お姉ちゃん、ね、DVD。ほら、お母さんと葉月が」
いろはに借りているDVDの話題を出そうとするがタイトルが思い出せず、隣りに座っている楓のパジャマを軽く摘み、なんとか伝えようとしている。
いろはと千鶴の前で歳相応に振舞っている紅葉だが、その仕草は更に子どもっぽい。
「ん? ああ、そういう……。私も忘れてた。ねえいろは」
「私?」
「うん。この前借りてるDVD見たんだけど、お母さんと葉月が中途半端にしか観れなくって、また観たいって言ってるからもうちょっと借りてていいかな?」
「おおー、ファンとしては嬉しなあ。勿論良いよ~」
いろはは嬉しそうに笑いながら了承して、雪菜と葉月にも笑い掛けた。
「あれ、いろはさんのだったんですか」
「そだよー」
それからいろはが雪菜や葉月に他の作品を薦めたり、最近観た映画の話題を中心に会話は盛り上がっていき、葉月は他のDVDを借りる約束もしていた。
「紅葉ちゃん」
「うん」
「ナイス」
「? うん」
千鶴も加わり益々映画の話題で盛り上がる食卓を横目に、楓が小さな声で紅葉に告げるが、何の事か分からず曖昧に返事をする。楓はそんな妹になんでもないよ、と言って笑い掛けると自身も会話に加わった。
葉月は最後まで表情にも言葉にも若干の固さは残ってはいたものの、紅葉には楽しそうに見えた。




