二十話 街を往く紅葉
バスに揺られる事およそ三十分。通学の時にいつも乗り換える駅のバスターミナルでバスから降りた紅葉は、傘を差して駅とは反対側に向かって歩き出した。
バスターミナルがあるのは駅の南口を出て直ぐのところ、つまり現在紅葉は南へ向かっているという状況だ。
南口周辺には若者向けの店が多く立ち並んでいるが、今日は生憎の天気なので人通りは普段の休日ほどではない。しかし遊びに来ている若者が少ないかというとそういう訳でもない。
ファッションビルやデパート、室内で遊べる大型のアミューズメント施設に大型の複合商業施設など、空模様を気にせずに遊べる場所も多く、移動手段もバスと地下鉄、それらに比べれば制限は多いが地下街を歩いて移動する事もできる。現在紅葉が向かっている美容院も一応近くにバス停はあるのだが、人込みが得意でない紅葉は雨で混雑するバスを避け徒歩を選んだ。
ゆっくりとした足取りでおよそ十分歩いた頃、紅葉はある事に気付いて思わず声を上げそうになった。
(予約の電話するの忘れてた……)
いつもは前日迄に予約の電話をするのだが失念していた。美容院はあと交差点を一つ渡るだけ。ものの一分と掛からずに着く。
紅葉はどうしようかと悩みながら、通行の邪魔にならないように歩道の脇に寄ると、今更予約の電話を掛けるというわけではないのだがトートバッグから携帯電話を取り出し、見る。
(とりあえずお店覗いてみますか)
紅葉は小さく息を吐くと気を取り直し、横断歩道を渡って目的地の前に到着、そして硬直した。
明かりが点いていない。そしてドアには【CLOSE】と書いてある小さな札が下がっていた。どこからどう見ても閉まっている。
(う? あれ? ゴールデンウィークって休み――、あれ?)
若干混乱中の紅葉は再びトートバッグから携帯電話を取り出して、そこである事に気付いた。
(あ、今日って月曜日……)
そう、本日五月三日の憲法記念日は月曜日。美容院は全国的に定休日だ。
(うー、どうしよう……)
悩む紅葉だったが、ここに立っていたところで開く訳ではないので、直ぐに結論を出した。
(帰ろうかな……、うん、そうしよう)
火曜日や日曜日が定休日の美容院もあり、この街にも探せば幾つか存在している。しかし人付き合いの苦手な紅葉に新しいお店、特に一対一になる美容院の発掘はなかなか難易度が高い。本日行く予定だった美容院も姉の楓に連れられて行った事が始まりだ。
しかも今日これから新しい美容院となると、予約なし、もしくはそれに限り無く近い事になるのは確実。無理に行く要素は紅葉には一つとして思い浮かばなかった。
そして何故直帰かというと、一人のショッピングも苦手だからだ。服を見ていても、ショップスタッフに声を掛けられると逃げ出したくなる。楓や千鶴、いろはといった心のよりどころが居ないと本屋のような声を掛けられる心配が殆どない場所以外では、とても買い物などできない。それは紅葉本人が一番よく理解している。
今歩いて来た道を反転、紅葉はゆっくりと歩きだす。その足取りは行きに比べほんの少し重く感じられた。
◇
「あっ、おーい! 紅葉!」
バスターミナルに向かい歩きだしてからおよそ三分後、聞き慣れた声に自分の名前が呼ばれ、紅葉は声の方に向きを変えると、その直後身体をビクリと震わせ硬直した。
紅葉の視線の先には、ゴールデンウィーク中だというのに学制服を着た一団で、人数はおそらく十人届かない程度。その殆どが男子で、女子は二人しか見当たらない。
皆大きなスポーツバッグを肩に掛け、傘が足りないのか同じ傘に二人で入る、所謂相合い傘をしている人たちも居る。
紅葉に声を掛けたのもそんな二人で一本の傘に入っている一人の男の子で、紅葉が振り向くと笑顔で手を振った。
その人物の、ほんの少しパーマの掛かったショートヘアにも、青いブレザーにも、緑色の学校指定のネクタイにも、チェック柄のズボンにも、ついでに言えば肩に掛けてあるスポーツバッグにも見覚えがあった。
「……葉月?」
そう、一つ上の兄の平島葉月だ。昨夜、練習試合と言って居たのでおそらくその帰りで、先程からその葉月と紅葉に視線を行ったり来たりさせている周りの生徒たちは同じ部活の仲間だと予想がついた。
「うん? 見ての通り。ちょうど良かった。傘忘れちゃってさ、帰るなら入れてくれない?」
「うん、それはいいけど……」
紅葉は先程から黙って、というよりやや呆然として状況を見守る他の生徒たちが気になっていた。しかし生徒たちの方を向いていない葉月はその事には気付かず、葉月の方を向いている紅葉には大まかに見渡せる状態なのだ。
とはいえ人見知りする紅葉がその事を指摘するのは非常に難易度が高い。しかも相手の多くは家族以外にはほぼ免疫のない男の子なのだから、例え葉月が仲介したとしても難しいだろう。
「サンキュー。それじゃ俺ここで失礼しますね。杉崎もありがとう」
「あ、うん……」
葉月は周りの生徒たちと、傘に入れてくれていた生徒に礼を言うと、紅葉と生徒たちのおよそ三メートルほどの距離を小走りで駆け、紅葉の傘に入った。
「それじゃ、お疲れ様でしたーっ」
葉月は振り返り最後にそう言って頭を下げた。お疲れー、お疲れ様ー、という返事を返す生徒たちに紅葉も小さく頭を下げ、二人は歩きだす。
「あ、傘持つよ」
「うん、ありがと」
そんなやり取りをする二人の背中を、生徒たちは暫く見つめていたのだった。
「あれで良かったの?」
別れてから暫くして、紅葉はずっと気になっていた事を尋ねる。少し様子がおかしく見えた葉月の部活仲間が気になっていたのだが、なにが、と問われるとよく分からなかったので曖昧な問いになった。
「え? うんまぁ、目的があってぶらついていた訳じゃないし、いつでも遊べるしな。それに紅葉男子苦手だろ? 見掛けてつい声掛けちゃったけど、早めに離れたかったし」
「そっか……、ありがとう」
「いや」
そう短く言うと葉月は肩を竦める。紅葉は自分が訊きたかった事とずれている自覚はあったが、上手く言葉にできる自信もなく葉月の心配りも嬉しかったので、もう終わった事だと気にしない事にした。
「あれ、そういえば髪は?」 紅葉を見詰めながら葉月は疑問を口にする。
「う……、あのさ、今日月曜日で定休日だった」
「あーそういえば。……あぁっ! それだよ昨日の夜引っ掛かってたの。美容院行くって聞いて、なんかこう、もやっとしたんだよなー」
「あー、なんだか唸ってたね」
葉月は疑問が解け笑顔になり、紅葉も納得がいきどこかスッキリとした表情をしていた――、美容院が閉まっていた事には変わりないのだが。
「ていうか紅葉さ、その格好で寒くないのか?」
「ん? 別に」
「肩出てるから、見てると寒そうなんだよな」
五月に入ったとはいえ、天気の影響か本日の気温は低め。タンクトップに重ね着をしているのはニットとはいえ薄手で、肩にギリギリ掛かる程度のネックラインは大きく開いている。
「そお? 別に寒くないけどなぁ」
紅葉はニットを軽く指で摘みながら小首を傾げた。
「いや、なら良いんだけどな……」
そう言って葉月は、少々歯切れ悪く言葉を切る。
実は葉月が寒さ以上に気になっているのは露出そのものであった。妹が周りの男にそういう目で見られないかが心配だったのだが、だからといってハッキリと言うのも恥ずかしいのでぼやかしたという訳だ。
だが実のところ、今日の紅葉は纏めていない髪が肩に覆い隠すかのように掛かっているので、近付かない限り肩の露出はそれほど分からず、また、ニットから透けて見えるタンクトップも空を厚く覆う雲の影響で、これも近付かない限り分からない。同じ傘に入っている葉月の杞憂という訳だ。
バスターミナルに着いた紅葉たちは二人並んで立ち、バスを待ちながら葉月の本日の練習試合の話を聞いていた。
その間も葉月は警戒をしているという程ではないが、周囲の男の目を少々気にしており、心なしか距離も近い。
そんな葉月を不思議そうに見詰めながら、バスが来るまでの間話に耳を傾けたのだった。
◇
《あ スクルたん そろそろ2時間経つよ》
《あれー、もうそんな時間かぁ》
前方で剣を振り回す鎧のモンスター【リビングアーマー】に射撃魔法を撃ちながら、紅葉は人斬り二号にwisの返事を返した。
《それじゃあどうしようか? 街に戻る? それとも玄関にする?》
《んー 割といい時間だし 戻ってもいいんじゃないかなーと 個人的には思っちゃったりなんかしちやだったりするんだけど どーだい?》
《うん、いいよー》
本日は五月四日の火曜日、みどりの日。
午前中を音楽を聴きながら母親から借りた少女マンガを読んで過ごした紅葉は、昼食後【魔法少女おんらいん】にログインして、現在まで人斬り二号と遊んでいたところ。
本日泊まりに来る予定の千鶴といろはだが、昼食を食べた時点ではまだ来ておらず、母親曰く楓も出掛けたとの事なので、迎えに行ってついでに遊んで来るのかな、と紅葉は考えた。尚、葉月も遊びに出掛けている。
二人が今居るのは【奇人ラヴェルの館】というダンジョンで、首都【ルネツェン】から比較的近い場所にある遺跡の街【ペピオン】の中に存在している。
二人の目的は【バラムの指輪】というドロップ品。
バラムの指輪は装備するとINT(知力)のが3上昇する、指に装備するアクセサリーだ。
魔法少女おんらいんでは全POW振りといった極端なステ振りはシステム上厳しいが、ある程度特化させる事が主流で、スクルトや人斬り二号のレベルになると装備品を含まない状態のステータスでも、最も高い値は100を超える事が当たり前になる。それだと3という上昇値は大した値に感じられないかも知れない。
しかし、【エンチャント】という行為を行う事で最大10段階強化可能なのだ。
これを指輪なら一PCにつき四つ同時に装備可能で、他にも頭と首に一つずつ、腕と耳に二つずつ、あとは背中など特殊な場所に装備するその他に二つ、アクセサリーや帽子、仮面といった物が装備でき、全ての装備にエンチャントが可能なわけではないが、合計するとかなり大きな値になる。
二人が何故大量に指輪を入手していたかというと、エンチャントというシステムに理由があった。
一つはエンチャントで付与される値がランダム要素が強いという事。
一つのステータスに+2や+1が付く事もあれば、複数のステータスに+1が付く事もあり、やり方次第では目的のステータスに付かない事もあるし、+0――つまり実質変動しない事やマイナスの値が付く事もあり得るので、高い値の付与された品を作るにはよほど運が良くない限り、とにかく数を撃つ必要がある。
もう一つはエンチャントそのものの失敗。
+0やマイナスの事ではなく、付与そのものが失敗するという事で、失敗するとエンチャントしようとしていたアイテムは破壊され、アクセサリーの場合は無くなってしまう。
最初の三回までは失敗しないのだが、四回目は失敗する確率は三十%、五回目で四十%と十%ずつ上昇していき、最後の十回目では九十%の確率で失敗するのだ。
その所為で、大体六回目か七回目あたりで止める事が主流となっている。
以上の理由からより良い装備を求める上位プレイヤーはエンチャント可能なアクセサリーの類いは幾らでも欲しいもので、今回二人が狙っていたバラムの指輪はINT上昇なため人斬り二号にはあまり必要としないものだが、未エンチャント状態の物でも露店で売りに出せば買い手は幾らでも居る。その為よくある資金稼ぎの方法というわけなのだ。
《おつー》
《おつかれさまー》
奇人ラヴェルの館の前に戻った二人は互いの労をねぎらう。
《では早速 スクルたん何個だった?》
『んー6個だね。ちょっと少ないかなー。二号さんは?』
『8個だた』
『やっぱり負けたかー』
『ゎぁぃ でももうちょっと欲しかったかにゃあ』
二人が行っていたのは、二時間でどちらがより多くバラムの指輪を手に入れられるかというちょっとしたゲーム。今更パーティを組んだのはパーティを組んでいると相手のメッセージ欄にも、“人斬り二号さんがバラムの指輪を手に入れました。”というメッセージが表示される為、ゲームがツマらなくなってしまうからだ。
『んー しかしこの指輪どうするかな 売りは確定だけど』
『安定した利益が欲しいなら未エンチャントが良いよね』
『デスヨネー』
エンチャントして売ろうにも、エンチャントそのものが失敗して指輪が無くなってしまったり、成功しても付与された値が低いと買い手が激減どころか、下手をすると全く居なくなる可能性もある。
超高付与の物が、もし仮に出来れば値段も恐ろしく高いものになるが、その確率は言うまでもなく低い。
『まぁ 素直に売りかにゃ』
『それがいいかも』
ところでバラムの指輪を狩る事のできる奇人ラヴェルの館だが、二人が館の前で話している間別のパーティが入って行ったのは一組だけ。
比較的良いドロップのある狩り場で、街中に存在するという立地条件にしては少なく感じるが、入館には【仄かに青白く光る石】というアイテムを毎回館の主人に献上しないといけない事と、レベル51以上でないと入館できないという条件があるからだ。
街中といった立地条件のいい場所にあるダンジョンにはこういった特殊な条件のあるところが多い。
『さて どうしますかに』
『んー、5時半か』
時計の針は五時半を指している。夕食まではまだ少しだけ時間があるのでどうするか、紅葉が悩んでいると部屋の扉がノックされた。
「紅葉ちゃーん」
「はーい」
『ごめん呼ばれたちょっと待って』
『おk』
楓に呼ばれた紅葉は返事をしながら、人斬り二号にもキーボードから離れる事を伝え、後ろに振り返った。
「あ、やっぱりゲームしてたか。お風呂空いたから入っちゃわないかなと思ったんだけど」
パソコンのモニターをちらりと覗き紅葉にそう伝えた楓の格好は、薄い緑色に白色のドットのパジャマ。白い肌は上気して薄らと赤く染まり、黒く長い髪をバスタオルで拭いている。お風呂上がりらしい。
「タイミング悪かったかな」
そう言って楓は再びモニターを見る。
「んーん、ちょうど戻って来たところ。入るね」
「そっか。それじゃあ後で」
「うん」
そう言って楓は紅葉の部屋を後にし、紅葉はパソコンに戻り人斬り二号にチャットを打つ。
『お待たせー』
『おかー』
『お姉ちゃんがお風呂空いたっていうから入っちゃうね』
『了解だじぇ』
またね。そう言って二人は別れ、スクルトはその場でログアウトする。
そしてパソコンとコンポの電源、部屋の明かりを消し、着替えを持って部屋を出たのだった。




