十七話 夢から覚めて
翌日、紅葉は今日が土曜日で早く帰宅できる事と、明日から本格的にゴールデンウィークという事で、少々機嫌が良かった。
(四連休かぁ、今日も早く帰れるし、たっぷりルウさんと遊べそう。晴れ渡った空も私を祝福――、ちょっと雲あるけど室内だから関係ないわね。とにかくいい感じだわ)
窓の外の、割と厚い雲に詰まったが強引に纏める。ハイテンションのなせる技だった。
現在四限目も清掃も終わり、帰りのHRを待っているところだ。朝からテンション高めだった紅葉だが、終わりが近付きより上がっているのも仕方のない事なのかもしれない。
決して周囲から聞こえてくる少女たちの、ゴールデンウィーク中に一緒に遊ぶ予定を立てる会話や誘う声が羨ましいから無理矢理意識を逸らしているわけではない。違うと言ったら違うのだ。
その少女たちだが、本日三年四組の教室だけでも二名の欠席者が居る。これは三年四組だけでなく、他クラス他学年でも数名の欠席者が見られるが、その多くは病欠というわけではなく、ゴールデンウィークを利用した家族旅行に出掛けているのだ。
その少女たちだけでなく、周囲の少女たちの会話からも明日から、もしくは今日帰宅後旅行へ出掛けるという話も聞こえている。海外という少女たちも多いらしい。
ミノア女学園は世間からお嬢様学校と言われるだけの事はあって、裕福な家庭の生徒たちが多い。
そこには平島家も含まれるのだが仕事の都合上ゴールデンウィーク中は出掛けられないという家庭も多くある。
(旅行かー……、ヨーロッパの涼しそうなところに行きたい気もするけど、今はまだ日本も過し易いから別にいいかなぁ)
紅葉の中では旅行よりも友だちと遊ぶ事の方が魅力的に思えた。
「はーい、皆席に着いてー」
その時担任の西教諭が教室に入って来て、生徒たちに席に座るように促し、生徒たちも素早く自分の席へと戻る。
西教諭はその様子を見渡し、いつも通り静かになったタイミングで日直に帰りのHRの開始の号令を促した。
「それじゃあ日直号令ヨロシク」
「起立――」
本日の日直の一人、長谷部真希の声に応じ生徒たちは席を立つ。
「――れい」
よろしくお願いします。声を揃える生徒たち。
「明日から四連休だけど――」
生徒たちが着席した事を確認すると西教諭はHRを進めたのだった。
◆
「はい、さようなら。六日に皆元気な顔を見せてね」
そう言うと西教諭はニコりと笑い教室から出て行く。
いつもとは少し違った、要は怪我や病気には気を付けなさいという話な終始したHRだった。
いつも以上に元気な放課後の少女たちに紛れ、紅葉はいつも通り窓際の自分の席に座る。自身の緩いパーマの掛かった緩い三つ編みを弄りながら窓の外を見詰めて、人の多いバスを避ける為時間を潰そうとしていた。
「ひら、ひらしまはん!」
その時、噛んで京都弁のようになったが、自分が呼ばれた事には気付いた紅葉は教室に目線を移す。
声でそうだろうとは思っていたが声の主は真希、噛んだ事がよほど恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。
「どうしたの?」
紅葉は首を傾げて返事をした。
「いえその、あのですね、さよならの挨拶をと思いまして……」
紅葉の純粋な疑問に、真希の言葉は尻すぼみになっていく。紅葉は返って来た言葉にほんの少しだけ目を見開き驚いていた。
ほぼ恒例行事となっている紅葉と真希の朝と帰りの挨拶だが、それは真希からの事で紅葉は百パーセント受け身。それは現状も同じなのだが、シチュエーションがかなり珍しいのだ。
帰りの挨拶の時のパターンは、帰宅しようとする紅葉へ真希が声を掛けるというもので、真希に用事がある場合は声を掛けず名残惜しそうに教室から出ていっている。
無論紅葉は一切気付いていないのだが。
これは真希がクッキーを持って来た日と同じくらいの珍しさがあった。というか今を含めどちらも一度ずつしかない。
(これって所謂、かく、かくなんとか……、確率変動の筈だから確変? そう、確変っていうやつじゃないかしら。さすがゴールデンウィーク。ゴールデンなだけはあるわね……)
よく分からない思考になっているが、要は喜んでいるのだ。あと多少混乱もある。
「ごきげんよう。休みの間、怪我や病気には気を付けてね」
「はひっ! それではあの、そろそろお迎えが来るので私はそのこれで! さようなら!」
自然な笑みを浮かべて見詰める紅葉だが、よく聞くと内容は先程の西教諭の話と変わらない。しかし真希は顔を益々赤くし、頭を勢いよく下げながら挨拶すると反転、教室に居る他の少女たちに挨拶しながら小走りで去って行った。
(お迎えの時間が迫って焦っているのかな。それなのにわざわざさよならを言いに来てくれるなんて、やっぱり良い子ね……、長谷部さんまじ天使)
去って行く姿を見ながら紅葉は、いつも通り教室に居る生徒たちに聞こえていればきっと総突っ込みが入っていたであろう、そんなずれた事を考えているのだった。
◇
帰宅した紅葉は先ずは復習して入浴を済ませる。本当なら今直ぐにでもログインしたかったのだが、習慣付いた行動をしていた。
(ルウさんがまだ帰宅していない可能性は十分にあるものね。というより昼食中かしら)
湯船に浸かりながら紅葉はそんな事を考えていた。リラックスして少し落ち着いたらしい。
(今日は土曜――今週は【まじかるうぉーず】か。ルウさんは確か出ないよね)
まじかるうぉーずとは魔法少女たちが二つの勢力に分かれ戦う所謂RvR――、大規模の組織戦争のようなもので、【首都防衛戦】とは違い対人イベントなので苦手なプレイヤーも多く、ルウもその一人。参加経験は殆どなかった。
紅葉は対人戦も割と好きなのでそれなりに参加してはいるが、首都防衛戦ほどの頻度ではない。
(お姉ちゃん次第だけど今日は別にいいかな)
浮かれている紅葉は友だち(ルウ)中心に考え結論を出した。――やはりあまり落ち着いてないようだ。
お風呂から上がった紅葉は昼食を食べたがその間終始機嫌が良く、湯上りで結われたポニーテールが犬の尻尾ならきっと左右に大きく揺られていた事だろう。
そんな紅葉に、母親はひょっとして遊びに行く予定でも出来たのかと思い聞こうとした。しかし違ったら紅葉はきっとへこむだろうから、ほんの少し遠回りに聞くことにした。
「紅葉ちゃんはゴールデンウィークはどこかに出掛けるの?」
「? 美容院に行こうかなぁとは思っているよ?」
なんでそんな事を? と紅葉は首を傾げながら答える。その様子に友だちとどうこうではなさそうだと思った母親は、いつ行くの? と髪に話題をシフトした。
実際、紅葉が浮かれているのは友人関係という読みは正しいのだが、それはあくまでゲームの話。リアルでは相変わらずゼロなため学園で出掛ける用事が出来る可能性はゼロとは言わないがとても低い。
母親は本格的にゴールデンウィークに入った事と千鶴たちが泊まりに来る事がそんなに楽しみなのかしら? と考えるのだった。
◆
自室に戻った紅葉はコンポとパソコンの電源を入れると椅子に座りコースターにアイスコーヒーを置くと、それほど間を空けず立ち上がったパソコンをマウスを操作し、いつも通り【魔法少女おんらいん】のアイコンをクリックする。その音はいつもより心なしか軽快に響く。
ログインした紅葉は鼻歌を歌いながらフレンドリストを開いた。
いつもより白色で表示されるIDは多いが、肝心のルウは灰色、ログインしていない。紅葉は少し残念に思うも、別件で違和感を感じフレンドリストをもう一度見直す。
(んー、なんだろ? ……ああ、インしてる人は多いけど、いつもインしてる人で居ない人がいるのか)
紅葉のフレンドリストの中でいつもログインしているイメージのあるPC、リリオとリトルフラワーの内、リトルフラワーがセカンド、サードPCを含めログインしていないのだ。
紅葉のいつものログイン時間、夕方から夜にもログインしている二人だが、土曜日の昼間であっても紅葉には居るイメージがあった。
(ゴールデンウィークだから?)
紅葉に直ぐ思い付いた理由はやはりそれ。
(そうか、ゴールデンウィークだもんね。ログイン率の上がる人ばかりじゃないか)
自分が長期休みに出掛けるタイプではないので、基本的な事が抜け落ちていた。
紅葉は納得してフレンドリストを閉じる。その時自身の出した結論に少しの引っ掛かりを覚えたのだが、ほんの少しの事だったので気にしない事にした。
(それじゃあ久しぶりに【ヒルジャイアント】を狩りに行こうかな、うん)
後からルウがログインし、wisを飛ばして来るかも知れないが、それまでソロをする事にして、転移スクロールを使用し水路の街へと飛んだのだった。
(…………)
【流星の丘 南部】で狩りを始めておよそ二時間、スクルトは黙々と狩りを続けていた。
【シルバーウルフ】とは逆に黒い犬【ナイトハウンド】に射撃魔法を撃ちHPを削り切ったスクルトは、画面左上に表示されたレーダーに赤色の光点――、モンスターや敵対行為をしてきたPCが居ない事を確認すると、次いで視点を操作し見える範囲にモンスターが湧いていない事を確認、漸く落ち着き、フレンドリストを開いた。
(……まだログインしてないか。土曜日だもん出掛けてるかも知れないよね。お、お友だちと)
紅葉はルウがまだログインしていない事を確認するとフレンドリストを閉じた。フレンドリスト開いている内にモンスターが隣りに湧く可能性もゼロではない為その動きは素早い。
こうして確認するのは狩りを始めてから実に六度目。二十分に一度のペースだ。
初めこそ少しドキドキしながら開いていたのだが、今は見知らぬルウのリアルの友人へ嫉妬し、直後そんな自分にへこんだ。
相変わらず浮き沈みの激しいというか、面倒な性格をしている。そしてある考えに至った。
(ひょっとして私って相当鬱陶しいかも……)
ルウと約束しているわけでもないのに定期的にフレンドリストを開く自分の姿に、浮かれていた自分に気付くとへこむと同時に羞恥で頭を抱えしまう。
もし気付いていなかったら、フレンドリストを開いた時ルウのIDが白色で表示されていたら、紅葉はきっと直ぐにwisを飛ばしていただろう。そしてそのまま浮れて遊び、今後も気付かないまま、ひょっとしたらゴールデンウィーク明けも浮れた気分を維持したまま接していたかも知れない。そう思うと紅葉は益々へこむ。
(いや、未遂。そう未遂だから。まだフレンドリスト開いたり閉じたりしていただけだし……。それも相当キツいけど)
紅葉は未遂に終わった事をポジティブに考える事にした。幸いリアルで浮かれて話したのは母親だけで、ゲーム内ではゼロ。運が良い、そう考える事にした。
その時少女のくぐもった悲鳴が耳に届く。紅葉は勢いよく顔を上げた。
(! しまった……)
モニターを見るとスクルトがヒルジャイアントに横から棍棒で殴られダウンしたところだった。
紅葉は慌ててコントローラーを握るとヒルジャイアントから距離を取る。HPが半分近く減っているところから察するに二、三度殴られたらしい。
(あれ、というかマチュピチュはどこ?)
レーダーに表示されたパーティメンバーを示す水色の光点に視点を向けると、遠くの方で【なきむしうさぎ】を追いかけている。
(あぁ、そうか命令がHPの低いモンスター最優先になってるんだ)
ショックからゴーレム使役の基本である、命令の変更を忘れていた。
スクルトはマチュピチュを呼び戻すと、スクルトとヒルジャイアントの間に割り込ませてから距離を取り魔法を設置する。そして魔法陣に誘導するように射撃魔法を撃つ。
ターゲットをマチュピチュからスクルトへと変更したヒルジャイアントは、紅葉の思惑通り魔法陣を踏み起動させた。
設置型特殊魔法、ライフ・スティール。
ヒルジャイアントの足元の魔法陣が紫色の怪しい光を放つと、ヒルジャイアントの体から白色の靄のようなものが発生。術者のスクルトに吸い込まれ、ヒルジャイアントに与えたダメージの半分スクルトのHPを回復した。
しかし【ライフ・スティール】の威力はINT>MEN依存。しかも元々威力は低く設定されているのでMENによる補正は微々たるもので、INTに関しては低空飛行なスクルトでは回復量が足りない。
紅葉は先程と同じ行動をもう一度繰り返した。HPはまだ七割くらいしか回復していないが紅葉はある程度満足したようでそこで切り上げ、本格的にヒルジャイアントを撃退するのだった。
(危なかった……)
紅葉はヒルジャイアントと途中で放置していたなきむしうさぎを倒し、一息つく。
(ツイてない。いや、ツイてるのかな。背後からクリティカル貰ってもおかしくなかったし、そうなっていたら【気絶】はないと思うけど一歩手前まで行っていただろうし、立て直せなかったかも……。やっぱり運は良いみたい)
そう前向きに考えた紅葉は狩りを再開させ、いつもより少しだけ慎重にモンスターを探し歩き出す。
(今日はそう、自重しよう。狩りもだけどルウさんの件も含めて反省しなきゃ。用事ができない限り自分からwisはしないという事で)
そう決めた紅葉は、こちらへ向かって来るシルバーウルフを見て、ゲームへと集中し直したのだった。
◆
あれから更に二時間。スクルトは【流星の丘 南部】で黙々と狩りを続けていた。
(そろそろご飯かな)
紅葉は机の上の時計に目を向ける。
危うく気絶しかけた一件以降は、安定した狩りが続いていた。
(ご飯カレーって言ってたっけ。あー、すごいお腹空いてきた)
昼食時の会話を思い出す。
フレンドリストに関してはあれから一度も開いていない。少々気にはなっているが、気持ちはだいぶ安定してきている。
もう三十分もすれば夕飯かな、と紅葉が考えているとwisが届いた。
《こん》
《こんばんはー》
相手は人斬り二号。届いた瞬間は少し動揺した紅葉だったが、IDを確認し、ほっと息を吐くと返事を返す。
《今 おっけーな感じ?》
《おっけーな感じ》
《そか まぁ雑談なんだけどね》
《いいよいいよー。たぶんもうちょっとしたらご飯だけど、それまでなら全然》
《ゎぁぃ》
それから二人は、ご飯何? とか、好きなカレーの種類だとか、今飲んでいる新商品のマンゴージュースが大ハズレなどと、本当に取り留めのない話に終始する。それが紅葉には気分転換となり、とても有り難かった。
《そのコーヒーゼリーがウマーだた コンビニにしてはちょっとお高めだけど》
《ほうほう。良い事聞いた》
人斬り二号の最近お勧めのコンビニスイーツに紅葉が食いついていると部屋がノックされた。
「はーい」
「紅葉ちゃんご飯できたって」
「うん分かった。ありがとう」
楓が夕食の準備ができた事を知らせに来てくれたので礼を言い、次いで、紅葉はもうそんな時間なのかと時計に目をやった。確かに最後に確認した時から三十分経過している。人斬り二号との会話を思った以上に楽しんでいたようだ。
《二号さんごめん。ご飯できたって。一旦落ちるね》
《ほほい りょーかい》
軽い返事を返して来る人斬り二号に、紅葉は少しだけ考え言葉を足す。
《ちょっとだけテンション低かったんだけど、元気出たよありがとうね》
《ん そなのか まぁ私も楽しかったからうん キニシナイ!》
《それじゃあね》
《またねー》
二人はwisを終え、紅葉は最後にルウがログインしていない事を確認するとログアウトした。
(今日はインしないのかな)
少しだけ寂しい気のする紅葉だったが明日以降なら普通に話せそうだし、それはそれで良いのかも知れないと前向きに考え、中身の殆ど残っていないコップを持って部屋を出る。
(何カレーかな?)
微かに匂うカレーのスパイシーな香りに食欲をそそられ軽い足取りで階段を下りて行き、リビングの扉を開く。
「お母さん何カレー?」
本日だいぶへこんだ紅葉だが、人斬り二号との会話で調子を取り戻したようで、少なくとも家族に気付かれる事はなかったらしい。
食後、リビングでくつろいだ後、部屋に戻った紅葉は再び魔法少女おんらいんにログインして、いつも通り零時前まで【流星の丘 南部】で狩りをしてログアウトした。
その日、ルウがログインする事はなかった。