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一話 平島紅葉という少女

 ほんの数日前まで学園中を彩っていた桜も殆どが散り、新入生たちも学園の雰囲気に慣れ始めた四月の中旬。校舎の、とある教室で、紺色の生地に白色のラインと校章の入っただけの、少々古めかしいシンプルなデザインの制服に身を包み、この教室で学ぶ全三十六名の少女たちは、目線を前へと向け教師の話に耳を傾けていた。

 教卓の横に立ち、生徒たちに連絡事項を伝えていく教師は、まだ二十代と年若いこの学園の出身者。四十代五十代の多い教師陣の中で、学生たちに理解があると生徒たちからも人気があった。

 時刻は午後三時半。現在帰りのHR(ホームルーム)中である。

 生徒たちは教師の話を真面目に聞こうとしてはいるが、友だちとの約束があるのか、それとも部活動へと早く向かいたいのか、それとも習い事だろうか――教師へ目を向けながらも、時折、時計や廊下に目が行くなど少々落ち着きがない。


「――先生からの連絡事項は以上です。誰か連絡しておく事ある? ……無いみたいだから今日はここまで。それじゃあ日直号令よろしく」

「起立、……礼」

 日直の少女の号令に生徒たちは一斉に席を立つ。そして担任の教師に頭を下げ、先生さようなら、と声を合わせ挨拶をした。


「はい、さようなら」

 教師が返事をすると、直ぐに四分の一くらいの数の生徒たちが少しだけ急ぎ足で教室から出て行った。急いでいても廊下は、特に教師の前でなんて走らない。

 ここは世間でも有名な伝統のある、所謂お嬢様学校だ。さすがに世間でのイメージほど浮き世離れしてはいないが真面目な生徒は多い。

 担任教師はそんな光景を見て少し苦笑いをすると、教師とお喋りをしようと集まって来た数名の生徒たちを引き連れ、教室から出て行った。

 直後、教室の外から椅子を引く音や生徒たちの話し声が聞こえ始める。このクラス――三年四組はいつも少しだけ、ほんの少しだけ他のクラスより早くHRが終わり易い。こういうところも担任教師の人気の要因のひとつだ。


 だんだんと、帰りの準備を終えた生徒たちが帰宅へ、部活動へと教室から出て行く。教室に残った生徒たちは話し足りないのか、それともこれから遊びにでも行くのか、他のクラスから来た生徒も混じり、仲の良い者たちで集まって幾つかのグループを作ると、雑談に花を咲かせ始めた。


 そんな中、窓際に座った少女――平島紅葉(ひらしまもみじ)は、鎖骨の下までの長さがある自身の緩い三つ編みを弄りながら、教室に残った生徒たちとお喋りするでもなく、ただ窓の外を見詰めていた。

 その姿は、一点を見詰めてはいるが観察をしているというより、考え事をしているといった様子だ。

 一体なにに思いを馳せているのか。途中、一度赤いフレームの眼鏡を拭いた時以外は目線は窓の外、動きも二本あるうちの右側の三つ編みを弄る以外にない。

 そのまま二十分近く経った頃、ようやく紅葉は通行鞄を片手に席を立つ。帰宅のため、教室のドアへと向いゆっくりと歩いて行く。


「平島さん、さようなら」

「さようなら、また明日」

「ひっ、ひらしまさん! さよ、さようなら!」

 教室に残っていた、とあるクラスメイトが紅葉が帰る事に気付くと挨拶をした。他の生徒たちもその声で気付き、次々に紅葉へ挨拶をしていく。

 紅葉も軽く微笑みを浮かべ、さようなら。ごきげんよう。と丁寧に挨拶しながら教室を出て行った。

 そんな紅葉を教室に残っていた少女たちの多くは、程度に差はあれど熱の籠った視線で帰宅を見送るのだった。



 彼女たちにとって、平島紅葉という少女は特別な存在だ。

 口数の少ない彼女は、用のない限り話し掛けて来る事はない。授業で教師に当てられでもしない限り、挨拶以外声を発さないなんていう事も珍しくないくらいなのだ。そんな紅葉に周囲も用のない限り話し掛ける事は滅多になかった。

 これは苛めといったネガティブな理由からではない。クラスメイトたちにとって、中学生とは思えない大人びた雰囲気の彼女は、何故か同じ教室で一緒に授業を受けている憧れの先輩、といった扱いなのだ。教師に当てられてもいつも澱みなく答える姿が、イメージをより強固なものにしているのかも知れない。

 中には理由を探し、また作り、彼女に声を掛け親しくなろうとする者も何名か居る事は居るが、そんな少女たちもやはり遠慮から強引に行く事は出来ずにいた。


 その為周囲とは距離があり、誰かと特別親しくしている様子はない。

 これは新年度が始まって一週間程しか経っていないからではなく、過去二年間も同様である。

 しかし当の本人はその事を気にした様子はなく、休み時間は主に読書か、先程と同じように窓の外を見ながら考え事、という風に丸二年変わる事なく過ごしている。

 その姿は孤高で、特に考え事をする様子は儚げで、これまで見る者の多くを虜にしてきた。



 私立ミノア女学園。

 それは最寄りの駅からバスで約二十分。都会とは思えない緑豊かで閑静な住宅地の一角に在った。

 広大な敷地に、幼稚園から大学まで一貫教育が受けられるお嬢様学校。

 長いまつ毛、目は二重でやや鋭いが、整った顔立ちをしていて、赤いフレームの眼鏡がその鋭さを和らげている。

 身長は百六十五センチ以上と、女性、特に中学生としては高く、未だ成長中。細身で手足は長く、肌も白く美しい。

 儚げで中学生とは思えない落ち着き大人びた雰囲気と、二年前の春、中学受験で入学して以来高い水準で維持している成績も相俟って、周囲の少女たちどころか、教師陣からも一目置かれる存在。平島紅葉はそんな少女だった。しかし――。


(今日の会話、朝と帰りの挨拶しかしてないわ)

 ゆっくりと廊下を歩きながら、紅葉は今日の学園生活を振り返る。

 途中、教室で楽しそうにお喋りをする少女たちを横目でちらりと、どこか羨ましげな目で見た。廊下でお喋りをする少女たちは、盗み見てうっかり目でも合うと気まずいので見ない。


(うん、数学の高橋先生もここの出身だよ)

 エア返事をしながら。紅葉最近のマイブームである。



 中等部一年の春、新入生を歓迎するかの如く桜が咲き乱れる中登校した紅葉は戸惑っていた。まだ入学二日目だというのに周囲の会話が弾んでいる。和気あいあいとした雰囲気なのだ。


 ミノア女学園は一貫校ゆえに、新入生たちの多くは知らない顔より知った顔の方が多い。初等部の出身者は、中等部への進学とはいえ、いつもの春休み明けと気分とさほど変わらない生徒たちが多かった。

 その為入学早々グループはできた。元々こういった場面で積極的に動けない紅葉は当然自分から話し掛ける事なぞ出来ず、内心オロオロしながら、「今から私が入っても困らせるだけだし、機会が来るまで待ちましょう」と自分に言い聞かせ、極力邪魔にならないよう、邪魔に思われないように自分の席で静かに本を読んで過ごし、自分の席の周囲に人が集まりそうな気配を察すれば、自然な態度を心掛けつつお手洗いへと移動、そうやって過ごしていたら、気付けばすっかり壁が出来てしまい、今では友だちどころかちょっとした会話すら貴重に感じる学園生活である。

 ちなみに紅葉ほどではないにしろ戸惑っていた他の中学受験組は、春休み明けの報告が落ち着いた次の日から、持ち上がり組と自然と仲良くなっていった。

 元々受験などのストレスもなく教育の行き届いたミノアでは、排斥といった行動にならないのだ。

 紅葉に関しては本人の行動、戸惑い、周囲の勘違い、あとは他の中学受験組とは違い、同じ小学校の出身、顔見知りが居ないという幾つかの不運が重なった結果である。


 そんな紅葉だが、新年度、クラス替えの際は友だち作りに力を入れている。

 そのつもりだがあくまで本人の中での話。友だちは欲しいけど、失敗して現状以下になったら立ち直れない、と考えてしまい、動きは本人が思っている以上に鈍い。現状は言うまでもなく挨拶のみの仲、である。

 そうやって内心オロオロしているうちに時間は経ち、あっという間に中等部最終学年になっていた。クラス替えから一週間。今年度の成果はご覧の通りだ。

 そう、彼女はヘタレだった。

 彼女を一言で言い表すならこれだろう。もしくはチキン。


 友だちは欲しい。なにも百人だとかアメフトのチームが作れるくらい欲しいだなんて欲張りは言わない。サッカーや野球、バスケットだなんて高望みもしない。テニスができる人数で良い。審判も球拾いも自分でする。

 けれどその壁は意外と高く厚い。まずは少しずつ会話を増やしていきたい。それが現在の紅葉の目標だった。


(うーん……、あっ、でも昨日は消しゴム拾って貰った時にありがとう。いいえ。って会話したし……)

 下駄箱に着いた紅葉は少々涙を誘う事を考えながら、学園指定の茶色のローファーに履き替え、バス停へと向って再び歩きだす。

 ちなみに、暫く教室に居たのは中等部の帰宅ラッシュを避ける為である。

 学園の生徒たちの帰宅時間に合わせこれからの時間帯はバスの本数は多いが、最初の一二本は直ぐに生徒が集中して座れない確率が高い。急ぐ理由のない紅葉はよくああして時間を潰していた。

 放課後に限らず窓の外をよく見ているのも考え事ではなく、ただぼーっとしているだけだったりする。本を持って来ていない時の暇潰しだ。

 その暇潰しが、人除けの一端を担っている事には勿論気付いていない。


(声うわずったり震えたりしなかったし)

 小さく、笑みが零れる。なかなか残念な思考だが、本人は至って満足げだった。



 正門を出て三十メートルほど歩くとバス停に着いた。

 ミノア女学園正門前。そのまんまな名前である。

 そこには片手で数えられる程度の人数しか居ない。どうやら問題なく座れそうだという事を確認した紅葉はバス停の手前に立ち、緩い三つ編みを弄りながらぼーっとバスを待つ。

 バスが到着したのは紅葉がバス停に到着してから約五分後、バスを待つ生徒たちも多くなってきた頃だった。


 バスに乗り込んだ紅葉は二人掛けの席に座ると鞄を膝の上に乗せた。学園の生徒たち以外の乗客はあまり居らず、満員という程ではないが、余るほど座席の数に余裕があるわけでもない。

 案の定隣りに紺色の制服を着た少女が軽く会釈をしながら座った。紅葉も視線を床に向け会釈する。別に床に何かあるわけではなく、目が合うと気まずいからだ。

 その後はうっかり目が合わないよう、駅に着くまでの二十分間窓の外に目をやり、先程の続きに思いを馳せた。


 頭の中に思い浮べるのは、朝と帰りにほぼ毎日欠かさず挨拶をしてくれるどころか、体育などでよくある自由なペア作りという、紅葉の最も苦手とする、しかし割りと頻度の高いシチュエーションで、よく声を掛けてくれるあるクラスメイトの事だった。


 そのクラスメイトの名前は長谷部真希(はせべまき)

 身長が百四十五センチもないくらい小柄な少女だ。ショートヘアの一部をやや無理に束ねたツーサイドアップの髪型をしていて、それが幼さを余計に強調されている。

 いつも明るく元気で、リーダーシップを取るわけでもないのに自然とクラスの中心となる人気者だ。色々な面で紅葉とは逆を行っているといえる。

 入学以来三年連続同じクラスで、助けられたのは一度や二度ではない。長谷部さんマジ天使。


(長谷部さん、いつも大きな声で挨拶してくれるし、本当に良い子だなぁ……、小さくて可愛いし。しかも本物のお嬢様なんだっけ……? まぁ、それはいいか。うーん、仲良くなれると良いんだけど、博愛主義っていうか、誰にでも分け隔てなく優しいから、クラスでう、浮いてる私とも話してくれるんだし、去年、一昨年もか……、同じクラスだったけどあんまり進歩してないし、難しいかなぁ……)

 ネガティブというか卑屈な考えに沈み落ち込む紅葉。実のところ真希は紅葉と仲良くなりたい人間筆頭とも言える存在で、欠かさず挨拶したり、体育でペアになったりと行動しているが、物静かな紅葉に嫌がられないか心配で、いまいち踏み込めないでいた。

 紅葉に対する憧れは非常に強く、今日も帰りの挨拶をする為に教室に残っていたが、いざ挨拶しようとして、緊張からどもる程だった。


 紅葉から真希へ声を掛ければ友だち作りは大きく躍進するだろう。しかし今のところ真希から好意に気付く様子はない。つまりヘタレな紅葉は山の如く動きはしない。


(まぁ、長期計画って事で)

 使いだして見事三年目に突入しようかという魔法の言葉を思い浮べつつ、結局はいつも通り友だち作りは今日も特に前進する事なく終わり――。


(そんな事より今晩は二号さんとルウさんログインするかな?)

 ネットゲームへと考えを切り換えた。自身の悩みをそんな事扱いだが、毎日のように考えている事なので慣れたものなのだ。


 これはそんな少し残念で友だちのいない少女の、女子中生活とネトゲライフのお話である。

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