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ヒカリ  作者: トモリ
3/4

3 光から闇へ





 ライトは自室のベッドで天井を見つめていた。

ここは魔界。魔界といっても、光で溢れている地上とほとんど変わりはない。違うことといえば、朝が来ない事。光が無いことだった。そしてそれは、ここに住む人達にとっては普通で当たり前な事なので、気にならない事だ。むしろここの住人は、この暗闇を心地よく感じている。

 ・・・・ライトを除いては。

ライトは天井から目を外すと、寝返りをうった。

「おい~!!ライトぉ~!!」

とそこに、ギィンがいら立ちの混じった声でドアを乱暴に開けて入ってきた。

「なに?ギィン」

ライトはギィンとは目を合わせずに、天井を再び見ると、静かにそう答えた。

「んだよ!地上にいるときはいつもニコニコしてるのにさぁ~」

「・・・話があって来たんでしょ?」

ライトはそう言うと、ベッドから起き上がりそこに腰を下ろす。

ギィンは自分の話が流されたことに腹を立てたのか、ぶすっとした表情になると、人差し指をビシッとライトに向けた。

「どうして葵を連れて来なかったんだよ!?せっかく俺が邪魔者を排除したのに!」

「・・・・・」

「もしかして諦めたとか!?」

「・・・ん~なわけないでしょ!」

ライトは伏せていた顔をギィンに向けると、奇妙な笑みを浮かべて言った。そして「自分で決めたことだしね」とそこに付け加えた。

「だよなっ!!」

ギィンは安心したかのように言うと、ライトの隣にどかっと腰を下ろした。

「ところでさぁ~。三丁目にでっかいデパートができたらしいぜ!!そこ一緒にいかねぇ?」

ギィンは目を輝かせながら、ライトの目を覗き込むとそう言った。

「・・・・」

しかしライトは、ギィンの方は見ずに、ただ前をじっと見つめているだけだ。

「・・ライト、聞いてるか?」

「・・・・・・ギィンはいいよね」

ギィンはライトの突然の言葉に眉をひそめる。

「いいって何が・・・」

「何も・・」

「久しぶりだな。ライト?」

ライトがその言葉を言い切る前に、部屋の入り口から中年位の男の声が聞こえてきた。

視線を向けると、そこには大柄な男が立っていた。その髪は肩につくほど長めで、それを後ろでポニーテルに縛っている。そしてそれは、炎のような真っ赤な色に染まっていた。

「・・ごめん。ギィン。外してくれるか?」

ライトは表情を曇らせ、そう呟く。

ギィンはその場の雰囲気を察してか、素直に「分かったよ」と言って部屋から出て行った。

「お前のさっき言おうとしていた言葉は、ここでは禁句だったはずたぞ?」

その男は髪と同じ色の真っ赤な瞳を細めて、重みのある声でそう言う。そして、さっきまでギィンが座っていた場所に静かに腰を下ろした。

「分かってます・・アフューカスさん」

ライトは落ち着いた声でそう言った。

「・・しかしこの部屋も何も変わってないな。ベッド以外、何もありゃしない」

その男―アフューカスは周りを見渡すと、口元に笑みを浮かべながら言った。

ライトは彼と目を合わさずに、目の前の壁に視線を向ける。

・・ライトはこの男の目を見るのが嫌いだ。あの時を思い出すから。地上にいた自分を思い出すから。闇に染まってしまった自分を思い出すから。

・・・そう、彼こそが自分にこの世界を与えた人物だった。“光”に居場所がなくなった自分を“闇”に連れてきた人物だった。

そしてライトは再び光に戻りたかった。

あの人に会うために。自分を心から信じてくれたあの人に。







光流ヒカル~!起きてるの?朝ごはん、早く食べちゃって!」

 朝、目を覚ますと母の呼ぶ声が聞こえてきた。

「は~い」

光流はまだ完全に覚めてない目をこすりながら、返事をする。そして軽い足取りで一階へと降りていった。

 ―そう。ライトは光流だった。地上にいた頃は。






「おはよ。お兄ちゃん」

「おはよう。美森ミモリ

 すでに向かい側の席で朝食を取っていた、妹の美森が可愛く笑っていつものように挨拶をする。

 そして美森は素早く箸を動かして、ご飯を口に放り込んだ。

「何か用事でもあるの?」

 光流は味噌汁を一口啜ると、美森に問いかけた。

「ん~。今日から合唱部の朝練があるんだ」

 美森は口をもぐもぐさせながら、忙しそうに答えた。

「あら。確か、もうすぐコンクールだったわよね?」

 さっきまで台所に立っていた母が、自分の朝食を持って光流の隣に腰を下ろした。

「うん!去年は補欠で出られなかったけど、今年は出させてもらえると思うんだ」

 美森は箸を止めると、目を輝かせて弾んだ声で言った。

「ねっ!?お兄ちゃん、私頑張るから、本番見に来てね。母さんと父さんと一緒に」

 光流は美森が合唱部に入ってたのは知っていたが、歌っている姿を見た事は一度もない。

「うん」

 光流はそう答えると、美森に笑いかけた。

 そして美森も光流に笑い返した。そして再び美森は、忙しそうに箸を動かし始める。

 光流はその笑顔を、決して失わせてはいけないと思った。

 兄として。

 家族として。







「いってきまーす!」

 美森はそう言うと、居間のソファーに置いてあったカバンを掴んで、玄関から飛び出していった。

「いってらっしゃい!」

 母はそう言うと、「いつも美森はあわただしいんだから」と呟いて、洗い物を片付けるために流し場へ向かった。

「そうだね」

 光流は笑みをこぼすと、制服に着替えるために席を立つ。

「光流もそろそろ準備しなくて大丈夫なの?」

「うん。今からするところ」

 光流はそう答えると、二階へ上がるために階段へ向かった。とその時、二階から降りてくる足音が聞こえてきた。

「おはよう。父さん」

 光流は父に声をかけると、スタスタと二階へ向かった。

「・・・おー」

 父は視線で光流を見送ると、頭をポリポリとかきながら台所のテーブルに置いてあった新聞を手に取り、イスに腰を下ろした。

「今起きたんですか?」

母は洗い物に視線を向けながら、静かに父に問いかけた。

「まぁ・・・」

 父はそっけなく答えると、顔を隠すかのように新聞を広げて読み出した。

「美森は・・?」

「もう出かけましたよ」

「-・・・そうか」

 そして母は父の前に、静かに味噌汁とご飯を置いた。

「あなた・・・」

 そして思いつめたような顔をすると、静かに口を開いた。

「いってきまーす」

 とそこに光流が、台所の扉から顔を出して二人に声をかけた。

「いってらしゃい」

 母はいつものように微笑むと、光流を見送った。そして玄関の扉の音を聞くと、再び静かに口を開いた。






 光流はいつものように、学校へ続く道を一人でもくもくと歩いていた。

 光流は今年、高校三年で受験生だ。“受験生”という言葉は光流にとってあまり苦痛ではない。将来の夢があり、それを叶えるために努力する。その事に光流は幸せを感じるからだ。

夢があるから頑張れる。光流はそう思っていた。そして、いつものように校門をくぐった。




 その日の放課後。

 光流は参考書を選ぶため、街中にある書店に来ていた。そして手頃なものを手に取ると、レジで会計を済ませる。

(今日も帰って勉強だな)

 大学受験までまだ日はあるが、今のうちから勉強をしていて越したことはない。

 そしてエスカレーターを下ろうとした所で見覚えのある姿を発見する。

(美森・・?)

 横で一つに結わえた黒髪。そして毎日目にしている中学の制服。彼女は間違いなく美森だ。

(何でこんな所に・・)

 美森は今、エスカレーター近くにあるゲームセンターにいた。そして一番手前にあるクレーンゲームに熱中している。

(話しかけてみるか)

 光流はそう思い、美森に近づく。

 普通なら、今の時間、美森は部活動に取り組んでいるはずだ。こんな場所にいるなんてこと、まずあり得ない。

「-!」

 その時、美森の影から一人の少年が姿を現した。学ランに身を包み、小柄でおとなしそうな顔をした彼は美森に何か話しかけると、楽しそうに笑う。そして美森もそれにつられるようにして笑った。

(友達と一緒なのか・・)

 光流は足を止めると、二人の様子を窺う。二人は光流に気づく様子はなく、たった今クレーンから落としてしまった縫いぐるみについて盛り上がっているようだった。

(放課後、友達と遊んでも別に普通だよな)

 光流はため息を漏らす。よく考えてみれば、部活動が何かしらの都合でなくなる可能性だって十分にあるのだ。だから、こんな場所にいても全然不思議じゃない。

(帰るか・・)

 少し寂しいのは気のせいではないだろう。

「!」

 その時、美森の隣にいた少年と目があった。

 彼は肩越しに光流を見ると、口元に笑みを浮かべる。

 光流はドキリとして素早く視線を外すと、足早にエスカレーターに乗り込んだ。

(何なんだ・・アイツ)

 光流は何とも言えない気持ちを抱きつつ、エスカレーターを下る。

 ・・・・そんな柄の悪そうな人間ではなさそうだし、問題はないだろう。

 その時はそう思った。





 その日の夜。

 光流は父親と母親と共に夕食を食べていた。しかし空いている席が一つ。そこに座るはずに美森の姿はなかった。まだ家に帰ってこないのだ。

「美森から何も聞いてないの?光流」

 母はその場の沈黙を破り、そう尋ねる。

「・・・ああ」

 光流は端的にそう答えた。

「部活が長引いているのかしらね・・・心配だわ。学校に連絡入れたほうがいいかしら・・」

「大丈夫だよ。美森のことだから、きっとすぐに帰ってくるよ」

 光流は母親に微笑んでみせる。きっと、男友達と遊んでいた、と言ったら余計に心配するに違いない。

今頃、美森は何をしているのだろう。光流は脳裏によぎった嫌な考えを頭の隅に追いやる。

・・・でも、きっと美森なら大丈夫だ。あんなに合唱に一生懸命な美森なら。きっとすぐに帰ってくるだろう。




 光流はシャーペンの動きを止めた。時計を見ると、やく午後10時。・・・美森はまだ帰ってきていない。

 光流はさすがに心配になってきた。あの少年の笑みが脳裏によぎる。

(美森・・・いったい何しているんだ)

 その時、一階から玄関の扉を開ける音がした。

「!-・・・」

 帰って来たのは美森のようだ。母親と玄関で話している声がする。そして次に階段をゆっくり上がってくる音がした。

「-・・・」

 光流はシャーペンを置き、イスから腰を上げる。そして自室の扉を開けた。

「!・・お兄ちゃん・・」

 美森は突然現れた光流に驚いたのか、大きく目を見開く。しかしそれはすぐに光流の視線から逃げるようにして伏せられた。

「こんな時間まで何してたんだ?・・・心配したんだぞ」

 光流はできるだけ平常心を装い、そう問いかけた。まさか、こんな時間まであの少年と遊んでいたとでもいうのだろうか。

「っ・・ごめんねっ・・・心配かけちゃって・・あのね、部活が終わった後、友達と本屋さんに行ったの。そしたらいつの間にかこんな時間になっちゃって・・」

 美森は困ったように微笑んだ。

「・・・嘘だろ?」

 光流自信にもこの感情はもう抑えることはできなくなっていた。

「今日は部活なんて行ってないんだろ!?そして遊んでた。男友達とゲームセンターでな!!」

 美森に対してこんなにも自分の感情をぶつけたのは初めてだ。悲しみと怒りが心の中で真黒な渦を巻く。

 すると美森の表情が悲しみにゆがんだ。

「っ・・・ごめんねっ・・・でもね、私・・・」

「部活はどうしたんだよ!?あんなに頑張ってただろ!?」

 美森の顔を見、心が痛んだが、今はそんな事気にしている余裕なんてなかった。自分の感情はもう、自分自身にもどうすることもできない。

「・・・・私、部活、辞めてきたの」

 美森はとても言い辛そうにそう呟いた。

「-・・!」

「あのね、私ね・・」

「美森がそんな事するなんてな。部活を辞めて男と遊ぶなんてサイテーだよ・・」

 すると美森はとても悲しそうにその顔を歪めた。

「-っ・・・お兄ちゃんなんて大嫌いっ!!!」

 震える声でそう叫ぶと、美森は光流の前を通り過ぎ、自分の部屋に飛びこんだ。

「っ・・・」

 光流は閉じられてしまった、美森の部屋の扉を見つめることしかできなかった。




 次の日の朝。

 光流は目を覚ました。枕元の時計を確認すると、すでにお昼を回っている。しかし今日は土曜で学校はないので問題はない。

 光流はのろのろと重い体を起こした。昨日、あんなことがあったせいでよく眠ることができなかった。

 今、光流の心を支配しているのはあの時のような真黒な感情ではなく、静かすぎる後悔だけだ。何であの時、自分の感情を抑えることができずに美森を傷つけてしまったのだろう。もう一度、美森と話がしたい。

(・・・妙に家の中が静かだな)

 もうお昼を回っているというのに、下からは何の物音もしない。光流はその妙な静けさに違和感を覚え、ベッドから抜け出すと一階へ降りて行った。




 リビングの扉を開けると、そこのテーブルに母だけがポツリと座っていた。どうやら光流が入ってきたことに気づいてないようだ。

「母さん?」

「光流・・おはよう」

 母は光流の顔をみると、力なく微笑む。

「美森は?・・・それに父さんは出かけたの?」

「・・ええ。二人して買い物に行くって・・」

 母は光流から目をそらすと、静かにそう答える。

「そうなんだ・・」

 光流は妙な空気を感じ取りつつも、母の隣を通り過ぎ、キッチンのあるスペースに向かった。

「何か作ろうか?」

 母はそう尋ねる・

「んん・・大丈夫だよ。適当に食べるから」

 光流は買い置きしてあった菓子パンを手に取り、コップに麦茶を注ぐと、再び母の隣に腰を下ろす。

 そしてパンを食べきった頃、母が口を開いた。

「美森、合唱部辞めて来たって今朝、話してたわよ」

「・・・・!そうだね」

 光流は昨夜のことを思い出す。美森はとても辛そうにそう話していた。あんな大好きな合唱を辞めただなんて、何か大きな理由があるはずなのに・・・・でも自分はどうだろう。ただ、その時の感情に流されて美森を傷つけただけだった。

「美森、あんなに楽しみにしていたコンクール、出してもらえなくなっちゃったんですって。音程をとることがなかなかできなくて、皆と一緒に歌うと、音の響きを邪魔しちゃうって先生に言われたらしいのよ」

「-・・・・!」

「いつも遅い時間まで残って練習してたのに・・・」

 光流は大きく目を見開いた。・・・・こんな事があったなんて、全く知らなかった。美森はこんなにも傷ついていた。それなのに自分は美森の話を聞こうともせず、さらに美森の心を傷つけた。

 自分はなんて愚かなのだろう。守るはずの笑顔を奪ってしまうなんて。

「母さんっ・・美森と父さんはどこへ出かけたか知ってる!?」

 光流はその場に立ち上がる。今すぐ美森に会って、話をしたい。謝りたい。

「・・・分からないわ・・・」

「!?じゃ、何時くらいに帰ってくるかは・・」

 必死にそう尋ねる光流の顔を母は見ようともしない。そして長い沈黙のあと、母は呟いた。

「二人はもうこの家には帰ってこないわ」

「!!?」

「光流と美森は気づかなかったかもしれないけど、私と父さんの関係は前からうまくいってなかったのよ。今日、父さんは家を出て行った。父さんを一人にするのが嫌だからって、美森のそこについて行ったわ」

「え・・・?」

 光流の口からは掠れた声しか出てこなかった。母は・・・母さんは何を言っているんだ!?

「ごめんね。光流」

 光流はその言葉で確信した。もうこのテーブルに四人の家族が揃うことはない。今までの当たり前の日常は一瞬にして消え去った。

「-っ!!何でだよっ!!」

 光流はそう叫ぶ。しかし母は顔を上げようとはしない。

「ふざけんなよっ!!なんで・・・なんで・・・二人を引きとめなかったんだ!!何で美森を出て行かせたんだよっ!!?」

 光流はこぶしを握り締め、母を睨みつける。そして家を飛び出した。



 光流は住宅街をふらふらと歩いていた。

 家には帰りたくない。このままどこへ行っていいのかも分からなかった。ただ、今は美森と当たり前の日常を失ったことで心の中に大きな穴が空いてしまったようだった。

「こんにちは。美森ちゃんのお兄さん?」

「-!」

 声をかけられて光流は歩みを止める。そこには昨日、美森と一緒にいた小柄な少年がいた。彼はコンクリートの塀に寄り掛かり、光流を見つめている。

 その時、光流の心に激しい怒りが沸き起こった。こいつが・・・美森と会ってからすべてがおかしくなりだした。こいつと美森が会わなければ、自分が美森の笑顔を奪うなんてこと、まずあり得なかったのに。あんな別れかたをせずに済んだのに。

「昨日はどうも。美森ちゃん、元気なさそうだったから、遊びに誘ったんだ。でも分かれる頃には元気になっていてくれたみたいでよかったよ。・・・・あれ?どうしたの?お兄さん」

 その瞬間、光流は彼の襟元を掴み、コンクリートの壁に押し付けた。

「ふざけんなっ!!!!お前が美森をたぶらかさなければこんな事にはならなかったんだよっ!!!」

 ・・・そう、すべてこいつが悪いんだ。美森の笑顔を奪ってしまったのもその苦しみに気付けなかったのも、すべてこいつが原因ではないか。

 光流はさらに彼の襟元をきつく締め、堅い壁に押し付ける。心の中は今までにない怒りと殺してしまいたいくらいの殺意で満ちていた。

 そして光流はこぶしを高く振り上げる。その瞬間、大きく目を見開いた。

 ・・・彼は笑っていた。

「やはり俺が目をつけていただけあるな」

 彼は口元をつりあげ、そう言うと、自分の襟元を掴んでいた光流の手首を力強く握る。

「-っ・・!」

 光流は思わぬ激痛に彼から手を離した。

その瞬間、彼は光流の襟元を掴み、乱暴に引き寄せた。そしてみるみるうちに彼の黒髪は真っ赤に染まり、その背丈までもが光流より大きく大柄な男性のものになった。そして地についていた光流の足は、宙に浮く。

 光流は自分の目を疑った。彼―アフューカスは人間ではない、そう感じた。

「離せっ!!」

 光流はアフューカスの体を思いきり蹴り飛ばす。それと同時にその手から解放された。

「くっく・・・お前のその醜い心。最高だよ」

 アフューカスはさらに口元をつり上げ、光流を見下ろす。

 一方、光流は彼の真っ赤な瞳を憎しみのこもった瞳で睨みつけた。

「・・・お前、何者だ」

「そのうち分かるさ」

 アフューカスは軽く流すように言う。

「美森とはどんな関係だ?」

 するとアフューカスは軽く笑い声を洩らす。

「光流、彼女はお前を手に入れるためのコマ、だよ」

「!!!?」

「もちろん、彼女には感謝している。彼女じゃなくちゃ、お前のその心は育たなかった」

 光流は意味を理解する事ができなかった。美森がコマ?心?いったいこいつは何の事を言っているんだ。

「光流、俺と一緒に来い」

「!?・・・は?行くわけねーだろ?」

 どこに行くかは知らないが、光流はこの男とは何処にも行くはずがなかった。

「お前が帰るはずの場所はない・・そうだろ?」

 アフューカスは光流の目をじっと見つめる。

「お前は大切なものを傷つけ、失った。それでもこの世界に残るのか?」

「・・・・・」

 光流は言葉を返すことができなかった。自分は失ってしまったのだ。当たり前にそこにいるはずだった家族を。美森を。

 ・・・光を。

「残るか?」

 アフューカスは光流に問いかけた。その声はどこか確信を持っているように聞こえた。

「・・・・」

 光流は唇を強くかみ締めた。今、「残る」と言えない自分がここにいる。

「もう決まっているようだな」

 アフューカスはそう言うと、両腕を光流の肩に乗せる。

「光流。俺の目を見るんだ」

「・・・・」

 光流は黙ったままうつむいた。

「ここに残りたくないんだろ?」

 光流はもうこの世界が嫌になった。もう自分を本当に必要としてくれる人は何処にもいない。それなら、今自分がここにいる意味があるのだろうか。

 光流はゆっくりと顔を上げた。そして炎のような瞳と目があう。

・・・時間が止まったように感じた。

 光流は彼の瞳から、目をそらす事ができなくなっていた。そして次の瞬間、光流はその場に崩れるように倒れこんだ。

 アフューカスの勝ち誇ったような笑みが見えた・・ような気がした。



「ライト」

 突然の言葉に光流は目を覚ました。

「起きたか、ライト」

「・・?」

 光流は、わけが分からず寝かされていたベッドから体を起こした。

 ベッド以外に唯一、この部屋にあった前の椅子で、アフューカスが腰を下ろして光流のことを見据えている。

「ずいぶん落ち着いたみたいだな」

「・・ライトって俺の事か?」

 光流はアフューカスを睨みつけながらそう言った。

「ああ。そうだ。今からお前は“ライト”だ。地上にいた時の名はもう必要ない。今、ここは“魔界”だからな」

 光流は自分の耳を疑った。魔界というものが本当にあるなんて信じられない。窓の外を見ると、一面が闇に染まっており、その中に小さい月が浮かんでいるのが見えた。その青白い光は、ここが今までいた世界とまったく別のところである事を証明しているようだ。

「どうだ?いい場所だろう?魔界は」

「・・・・」

「まぁそのうちお前も、この闇が心地よく感じるさ」

「・・・なんで俺をここに連れてきた?」

「俺がお前を“一人目”として選んだんだよ。“魔界の住人”としてのな」

「・・・」

「お前の持っていた、憎しみと怒りの心の闇が俺を引き付けた。・・俺が手をかけてそれを引き出してやったがな」

 その時、光流の心に再び怒りがわきおこってきた。

「・・-。俺を手に入れるために美森に近づいたのか!?」

「・・」

 その時、アフューカスがゆっくりと立ち上がった。光流は恐怖を感じたが、その場から動かず、じっとアフューカスを見据えた。

 その瞬間、上から頭を力強くつかまれた。

「その感情はいいが・・ここにまで来て地上へ未練があるか。それならいっそすべて忘れるか?その方が楽だろう」

 その言葉に光流は凍りつく。この男は、光流からすべてを奪うことができるんだ。

 今まで歩んできた軌跡を。

 家族を。

 ・・・-美森を。

「やめて・・くれ」

 光流の口からは弱々しい言葉しか出てこなかった。

 アフューカスは鼻で軽く笑うと、人差し指で顎を押し上げた。

 されるがままにアフューカスの顔を見上げると、彼は得意そうに微笑んだ。

「いいか?お前はここに来た時から“魔界の住人”だ。地上の事は忘れろ。そして“光流”ではなく、“ライト”だ。分かったな?」

 アフューカスは光流に向かって、言い聞かせるように言った。

 光流は、彼の炎のような瞳からの圧力に勝てるはずもなかった。この男には逆らえない、そう感じた。

「・・はい・・・」

 光流は弱々しくそう答えるしかなかった。

 アフューカスは満足そうな笑みを浮かべると、光流から視線を外した。そして、背を向けて部屋の隅にあるドアに向かって歩き出した。

「・・・一つだけお願いがあります」

 アフューカスは動きを止め、肩越しにこちらを見る。

「もう一度だけ美森に会わせてください」

 光流はできるだけ力強く、そう言った。

 アフューカスはしばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。

「いいだろう。ただし条件がある・・俺の変わりに魔界の住人を100人集めろ」

「・・・!」

「俺がやってもいいんだが、何しろ俺はここの王だしな。いろいろと忙しいんだよ」

「・・・・」

「そうすれば、美森とに会わせてやるよ」

 そう言うと、アフューカスは奇妙な笑みを浮かべて光流の前から姿を消した。









 それから十年以上の時がたつ。

しかし、ライトは何も変わっていない。背の高さも。髪の長さも。魔界に来てから、ライトの時は止まったままだ。

 ―・・地上にいる美森はどうしているだろうか。きっと奇麗な大人の女性になっているに違いない。

 そして、もしかしたら、自分のことはもう忘れてしまったかもしれない。

「ライト」

 突然アフューカスに声をかけられ、ライトはハッと我に返った。

「あと一人だそうだな」

「あ・・ああ」

「気を抜くなよ」

 すると、アフューカスはライトの隣から腰を上げた。そして再びライトに視線を送ると、力強く言った。

「いいか。決してあの事は他の住人には言うなよ。面倒くさい事になるからな」

「分かってます」

 ライトは静かにそう答えた。

 そしてアフューカスは満足そうな笑みを浮かべ、部屋から出て行った。

 ライトは、アフューカスの足音が聞こえなくなるのを確認すると、ベッドに横になった。

(そう。あの事は決して他の住人には言ってはいけない。自分自身のためにも。他の住人のためにも。言ってしまえば、きっと自分のように辛い思いをするだけだ)

 ライトは時々思う。自分も他の住人のように、記憶が無ければどんなにいいかと。そうすれば地上に戻りたい気持ちも起こらない。光を再び求めることもない。そうなればライトも、他の住人の様に完全に闇に染まることができるだろう。

 ―・・でも、美森に会えなくなるのは嫌だった。もう一度でいいから会って、あの時のことを謝りたかった。そして再び笑顔が見たかった。

 他の住人は、ライトが地上から連れてきた人物だ。その住人たちが、再び地上に戻りたいと思わないのもライトのお陰だ。

 ライトは記憶を奪ってきた。人の歩んできた軌跡を消してきた。その方が都合が良かったからだ。ライトにとっても、この魔界にとっても。

 ライトのような人物が魔界に溢れてしまったら、魔界は大混乱に陥るだろう。それにライトのような思いをするのは、自分一人で十分だ。

 だから、記憶を奪った事は決して言ってはならない。


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