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悪女と呼ばれた金貸し令嬢、婚約破棄されたので国家予算三年分を回収します

作者: 麻野籐次郎
掲載日:2026/04/02

 煌びやかなシャンデリアが照らし出す王宮の舞踏会場。その中心で、音楽を切り裂くような怒声が響き渡った。


「ジュネーヴァ・ミリオン! 貴様のような強欲な悪女、最早この国の膿でしかない!」


 声を張り上げたのは、第一王子カイル。その隣には、儚げな美貌を誇る男爵令嬢、エレンが縋るように寄り添っている。エレンは守ってやりたくなるような潤んだ瞳を周囲に向けているが、その唇の端には隠しきれない勝ち誇った笑みが浮かんでいた。


 周囲の貴族たちが一斉にざわめき出し、好奇の視線が一点に集まる。糾弾の矢面に立たされているのは、ミリオン公爵家の令嬢――ジュネーヴァ・ミリオンだ。


「貴様は民を食い物にし、返せぬ者からは『スキル』や『魔力』さえ容赦なく奪う。血も涙もない高利貸しが、王族の妻になれると思うな!」


 カイル王子の顔は怒りで赤く染まっている。対するジュネーヴァは、雪のように白い肌に眉一つ動かさず、ただ静かに扇を閉じた。


「……それで、お話はそれだけかしら?」


「ふん、強がりもそこまでだ。よって、ここに宣言する。ジュネーヴァ・ミリオン! 貴様との婚約を破棄する! この清廉なエレンこそが、我が正妃に相応しい!」


 王子の断言に、エレンがいっそう深く王子に身を寄せた。彼女の周囲には、妙に目を引く、吸い寄せられるような磁場が発生している。その「美しさ」に、周囲の男性貴族たちの視線が、まるで意志を奪われたかのように釘付けになっていた。


 騒然とする会場の中で、ジュネーヴァだけが凍てつくような冷静さを保っている。彼女の視線は、もはや婚約者であったはずの男を見ていない。まるで、目の前の案件をどう処理するかを計算する事務官のような、冷徹な光を宿していた。


「あら、殿下。……それは決定事項ということで、よろしいのですわね?」


「当然だ! 今更泣いて詫びても許さぬぞ!」


 ジュネーヴァは、くすりと小さく、だが優雅に口角を上げた。


「泣く? まさか。……ただ、殿下。あなた様は、『契約書』を一行たりともお読みになっていらっしゃらないのですね」


 その言葉の真意を理解できず、カイル王子はただ不快げに鼻を鳴らした。


 ◇


「契約だと? 笑わせるな! 王家が認めぬ契約など、ただの紙クズにすぎん!」


 カイル王子が吐き捨てるように笑う。その横でエレンも、可憐な仕草でクスクスと喉を鳴らした。


 だが、ジュネーヴァの表情は微塵も揺るがない。彼女は流れるような所作で手元の小さなクラッチバッグを開くと、中から一通の書面と、魔力結晶が埋め込まれた豪奢な万年筆を取り出した。


「では殿下。婚約破棄、しかと承りましたわ。つきましては、こちらの書面に署名を。……念のため、魔法による複写も取らせていただきますわね」


 流麗な手つきで書類を広げるジュネーヴァの背後から、場違いに軽薄な声が響いた。


「いやいやお嬢、ここ王宮でっせ? 婚約破棄されとんのに、即座に事務作業入る奴がおますか。もうちょいこう……乙女らしく取り乱すとか、なんかあるでしょうに」


 ひょっこりと姿を現したのは、ジュネーヴァに付き従う一人の男だ。お仕着せを着てはいるが、その口調と緊張感のなさは、この厳かな舞踏会場において異彩を放ちすぎている。


 ジュネーヴァは背後の従者を一瞥だにせず、淡々とペンを差し出した。


「業務に情緒は不要です。……さあ、殿下。こちらにサインを」


「フン、潔いことだ! これで貴様との腐れ縁も終わりだと思うと、清々するぞ!」


 カイル王子は勝ち誇った顔でペンを奪い取ると、勢いよく自らの名を書き殴った。自分が今、何に対して「同意」の署名をしたのか。その内容を確認することすら、今の彼には微塵も頭になかった。


「……はい、結構ですわ。確かに受理いたしました」


 ジュネーヴァは署名済みの書類を丁寧に回収し、魔法で複製された二枚のうちの一枚を王子に手渡した。


「これにて、私と殿下の『婚約関係』は法的に、かつ完全に消滅いたしました。……ご協力ありがとうございます、殿下」


「はっ、負け惜しみを!」


 王子が嘲笑する中、ジュネーヴァは書類をバッグへ収めた。


 ◇


 婚約解消の書面が受理された瞬間、場の空気が変わった。


 ジュネーヴァのもとへ、周囲を取り囲んでいた貴族たちが堰を切ったように駆け寄ったのである。


「ジュネーヴァ様! 今の、本当に婚約を解消なさったのですか!?」


「おお、なんということだ……! 昨年の飢饉の折、領地経営の資金を即座に融通していただいた恩、一生忘れませんぞ!」


「うちの商会が不渡りを出しそうになった時、救ってくださったのはジュネーヴァ様の厳しくも的確な再建案でした……!」


 王子が期待していた「悪女への罵声」はどこにもなかった。そこにいたのは、彼女の冷徹なまでの事務能力によって救われ、彼女の「筋を通す」やり方に深く恩義を感じている者たちだった。


「ジュネーヴァ様! もしよろしければ、我が家の三男はいかがですかな? 顔だけは良いのです!」


「何を言うか! 我が家の跡取りこそ、ジュネーヴァ様の補佐役に相応しい!」


 婚約破棄というスキャンダルの場が、一瞬にして「ミリオン家令嬢」を巡る商談と求婚の場へと変貌していく。王子は、自分の隣にいるエレンすら忘れ、口を半開きにしてその光景を眺めていた。


「な、なんだこれは……。こいつは、民を食い物にする悪女では……」


「殿下、それは誤解でおますわ」


 場違いなほどに軽い声が、王子の耳に届く。いつの間にか横に立っていた従者が、耳をほじるような仕草で続けた。


「お嬢はんは、返せん奴には容赦しまへんけど、返す気のある奴にはトコトン付き合いはります。あんたはんが『膿』や言うて切り捨てようとした連中は、みんなお嬢はんの大事な『優良顧客』なんですわ」


「貴様、無礼な……!」


 従者のからかうような言葉に、ジュネーヴァは集まった貴族たちへ優雅に会釈しつつ、冷ややかな視線を背後の男へ投げた。


「お嬢、見てなはれ。えらいモテ期でんな」


「……業務中ですの」


 彼女の関心は、自分に向けられた求婚の言葉にすらない。その手はすでにバッグの中の別の書類へと伸びていた。


「さて、殿下。お待たせいたしましたわ。ここからは、『お仕事』の時間です」


 ◇


 ジュネーヴァがふっと、それまで浮かべていた社交用の微笑みを消した。冷徹な、獲物の息の根を止めるタイミングを計る金融業者の瞳が、カイル王子を射抜く。


「さて殿下。お遊びはここまでですわ。ご存知かと思いますが、ミリオン家による王国への債務返済猶予は、『私と殿下の婚姻関係の維持』が絶対条件でございました」


「……何だと? 何を言っている」


「契約書を読んでいないとおっしゃいましたわね。では、わかりやすく。――婚約が解消された今、据え置き期間は終了いたしました。この瞬間、全額即時返済の義務が発生したということですわ」


 ジュネーヴァは流麗な所作で指を丸め、金貨を示すマークを作ってみせた。


「では殿下。王国にお貸しした一億八千万ディナール。今この場で、耳を揃えてご返済いただきますわ」


 静まり返った会場に、カイル王子の喉が鳴る音が響いた。おおよそ国家予算三年分。一介の王族が、ましてや次期国王とはいえ独断で用意できる額ではない。


「そ、そんな……デタラメだ! 父上が、そんな無茶な契約を結ぶはずが――」


「こちらに陛下の御署名がございますが?」


 ジュネーヴァが突きつけた書類の末尾には、紛れもない現国王の魔法印と署名が刻まれていた。王子が絶句する中、それまで勝ち誇っていたエレンの顔から血の気が引いていく。彼女の身体が小刻みに震え始めた。


「で、殿下……助けて……。あなたが保証してくださるって……」


「……保証? ああ、無理ですわよ。殿下ご自身が債務超過寸前なのですから」


 ジュネーヴァの冷ややかな視線がエレンに注がれる。


「エレン嬢。貴女が今お使いのその『魅了』スキル。それも我が家からの『借入品』であることをお忘れかしら? 王子の保証が外れた以上、返済不能であれば即刻差し押さえさせていただきますわね」


 エレンの顔が蒼白に染まる。自分を彩っていたものが、すべて借り物だったという事実が、今さらのように彼女の足元を崩していく。


「利息はどうします、お嬢」


 背後で控えていた従者が、ニヤリと口角を上げて口を挟む。


「……いつも通りのお利息で結構ですわ」


「了解。――トイチでおます」


「トイチ……!? と、十日で一割だと!?」


 王子の悲鳴が、静まり返った舞踏会場に響き渡った。


 ◇


「……あの馬鹿息子が、何をしたと言うのだ!!」


 翌日、王宮の奥深くに、国王の絶叫が木霊した。震え上がる家臣たちの前で、国王は差し出された「婚約解消受理書」の写しを握りつぶした。


「ミリオン家への債務、全額即時返済だと……!? 国家予算三年分だぞ! 支払えるわけがなかろう!」


「は、はい……。カイル殿下が昨夜の舞踏会で、公衆の面前でジュネーヴァ様に署名を迫り……。彼女は淡々と、しかし確実に、返済猶予の解除を確定させました」


「あの愚か者が……! 婚姻という名の『担保』を、自分からドブに捨ておって!」


 国王の怒りは止まらない。即座に下された沙汰により、カイル王子は王位継承権を剥奪。無期限の謹慎が言い渡された。


 一方、彼に寄り添っていたエレンは悲惨だった。「魅了」のスキルを差し押さえられた彼女に、かつての面影はない。借金の連帯保証人であった王子が失脚したことで、彼女の手元には膨大な個人負債だけが残った。魅了が消えた途端、彼女の周囲から人は潮が引くように消えていった。


 ◇


 その頃、ミリオン家の執務室。窓から差し込む午後の光を背に、ジュネーヴァは静かに帳簿を捲っていた。昨夜の騒乱など、まるで数年前の出来事であるかのように、彼女の所作には欠片の乱れもない。


「お嬢、王宮はえらい騒ぎらしいでっせ。王子は謹慎処分で、あの女は借金取りに泣きついて回っとるそうで」


 ソファでくつろぎながら、従者が新聞を片手に報告する。ジュネーヴァは羽ペンを走らせる手を止めず、冷淡に答えた。


「あら、そうですの。……回収効率が下がるような事態にならなければ、彼らがどうなろうと私の知ったことではありませんわ」


「相変わらずドライやねぇ。婚約解消して清々した、とかは?」


「感情に訴えても何の得もありません。それよりも見てください、この資料」


 ジュネーヴァは、机の上に新しい契約書を広げた。そこには、隣国の勇者パーティーが担保として差し出した「伝説の聖剣」の鑑定評価額が記されている。


「お嬢……。次は勇者から身ぐるみ剥ぐつもりですか」


「失礼な。私はただ、正当な契約に基づいて利便性を提供しているだけですわ」


 従者がやれやれと肩をすくめる。ジュネーヴァは帳簿に視線を戻し、何事もなかったかのように次のページを開いた。


「では、次の案件ですが」


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