03話 カイトのスタント
ぼくらがまだ台湾の屏東飛行場に居た頃、あるとき新しく着任した主計官が言った。
「パイロットに筋肉がいるのかね? 乗り物に乗って楽してる君らにハイカロリーは必要ない。物資不足の中、君たちの糧食は贅沢すぎると思うのだが」
その発言の根本には、カイトのような『小柄で華奢な男でも分隊士が務まるような』という飛行機搭乗員全体への侮りがあった。
この若い主計大尉は前線に出るわけでもないのに大柄で、無駄に筋肉の付いたガタイが良い男であった。
だが奴は知らない。
カイトが皇国拳法の全国選手権大会で4位の実力者だということを。
皇国拳法にはボクシングのような階級制など無いにもかかわらずだ。
これが意味するところとは──?
格闘技において体重は絶対だ。
なぜならそれは『物理法則』だからだ。
ピンポン玉とゴルフボールがぶつかるとどうなるか?
軽いものは重いものに断じて勝てない。
だから多くの格闘技には階級制が取り入れられ、一方的な試合にならないように配慮されている。
ところが皇国拳法にはこの配慮が無い。
カイトはどいつもこいつも上背が10センチ~20センチも上回り、体重差は20~30キロはあろう、本来なら一撃で一蹴されてしまうような遥か格上、いくらグローブを着けていようとも命の危険が伴う著しい競合相手と真正面から戦って、なおかつ全国4位にまで勝ち上がったのだ。
尋常ならざる腕っぷしである。
本当の意味で『皇国で4番目に強い』と言える、とんでもない達人なのだ。
主計官程度の男ならいつでも片手でノしてしまえるだろう。
だがカイトは決してそんな野暮なことはしない。
嬉しくなるほどシャレた男だった。
新任主計官の無駄に権限を振りかざす横暴に「舐めやがって」と憤り、抗議しに行こうとする仲間たちを前に「いやちょっと待て」と制止し、いたずら小僧のような笑みを浮かべた。
『あ、カイトがまた何かやらかす気だな』とぼくらの期待はすぐに膨らんだ。
それは彼に対する全幅の信頼だった。カイトは期待を裏切らない。
さっそく整備班に話をして、いい具合に修理の終わった機体の都合を付けてくると、何食わぬ顔で。
「主計官どの! よろしければ、空の散歩でもいかがでしょう?」
などと言ってのけて、カイトは満面の笑顔で主計大尉を試飛行の副座席に招待した。
普段は修理の終わった機体の試飛行などは、下っ端搭乗員がやっておくもので、カイトのような上澄みがいちいち出張ることではないのだが。
「主計官どのを乗せるにあたって、何かあっては困る。自分ならば、この腕に誓ってそのような心配は絶対に無いので、ご安心を!」
とかなんとか上手いこと言って誘い出してるのが、遠くこちらまで聞こえてきて、みんな吹き出しそうになるのを堪えながら様子を見ていた。
本来、複座のある機体が試飛行を行う際は、人間代わりの砂袋をウエイトとして乗せていた。だがどうせならと、普段飛ぶことのない地上勤務の者を乗せてやるようになった。
これが好評だった、みんな大喜びだ。
中には、いつのまにか良い仲になって結婚の約束をした診療所の看護婦を、新婚旅行代わりに乗せたなんていう、とんでもないやつも居たりしたのだが、黙認された。
誰も世話になってるのに細かいこと言うやつなんて、この基地には居ないのだ。
その主計官に至っては「いや~、輸送機や旅客機には何度か乗ったが。一度、戦闘機というやつに乗ってみたかったんだよ」と上機嫌かつ饒舌にペラペラと何か言っていた。
カイトが
「どんなことがあっても、連動している複座の操縦桿を触ってはいけませんよ。以前、空の上で錯乱したやつが操縦桿にしがみつきましてね。危うくコントロールを失って墜ちるところでした」と、空中での注意事項を念押して説明したが。
主計官は「失敬だな君は、この俺が空を飛んだぐらいで錯乱するような軟弱者に見えるのかね。くだらない心配してないで早く飛ばしたまえ」と横柄に受け流し、完全に物見遊山で後部座席に乗り込んだ。
整備したてのエンジンは快調に唸りを上げ、離陸前の最終確認完了、機はエプロンから滑走路へと移動し、ぐんぐんと速度を上げてなめらかに路面を走ると
カイトの手慣れた操縦で、ふんわりと浮き上がり、なんとも優雅な様子の遊覧飛行がはじまった。
しばらくはなにごともなく、テキパキと無難な試飛行のチェックをこなしつつ、やがて高度が2000メートルに達したとき、カイトが前後席を繋いでいる伝声管で主計官に告げた。
「これから戦闘機動テストを行います。宙返り等の特殊飛行を行いますので、しっかり縁に掴まって、戦闘機の乗り心地というものを味わって下さい」
それはまぎれもなく『刑執行』の宣告だったのだが、主計官は特に意に介することもなく。
「おお! ケチケチせず多めにやってくれていいぞ!」とお気楽に返した。
カイトはニッコリ笑って
「了解! ではスタント大盛り一丁で!」と応えた。
地上で見ていたぼくらは「あ、そろそろやるぞ」と喉を鳴らした。
カイトは、スロットルを全開にし、機がブルブルーと勢いに乗ったとたん、いきなり縦方向の宙返りを3回連続でぶちかました。




