18話 残夏(ざんげ)
いまは何月何日だ…………?
幾日もただ呆然と入院していたぼくは急にドキリとした。
もうずっと雨が降っていない………。
おかしいぞ。 なにがなんでも。
いくら夏だからって、そんな何日も雨が降らないなんてあるだろうか?
毎日毎日、同じような晴れ間の日々。
鎮痛薬。 解熱剤。
鎮痛薬。 解熱剤。
セミが鳴き、夜が来て、またセミが鳴き、夜が来て。
ずっとそれを繰り返している……。
ジリジリジリジリジリジリ……。ミーンミーンミーンミーン……。
降り注ぐのは暴力的なまでの蝉時雨。
何万、何億というセミの断末魔が、重い湿り気を帯びた空気と混ざり合い、病室の窓ガラスを震わせている。
それは音というより、逃げ場のない「壁」だった。
思考を塗りつぶし、時間をそこに釘付けにする。
昨日もこの声で目が覚め、今日もこの声に沈んでいく。
騙されないぞ……。
これは昨日とまったく同じ夏の一日が、ただ繰り返されているだけなんだ。
毎日、毎日、同じ夏の一日が………………。
この音の檻の中にいる限り、明日は永遠にやってこない。
ぼくは、この騒音の膜を破って外に出ることにした。
長い通路の向こうにある景色。
真っ白な日差しが路地から照り返し、白昼夢のような陽炎が立っている。
網膜の奥が痛い。頭が重い。
強い光が突き刺さるようだ。熱気が粘度をもってまとわりついてくる。
首筋を不快な汗が伝う。
それでも、ぼくは行かなければ。
クラッチ杖に半身を預けては一歩を踏み出し、一歩を進めてはまた杖を突き出し。暗い廊下を突き進み、なにかに取り憑かれたように病院を抜け出した。
そして
カイトの妹、シュウさんに付き添われて発進基地を見下ろす丘にやってきた。
…………あれ?
彼女はなぜぼくといるんだろう…………?
いや、今はそんなことどうでもいい。
敵の機銃の破片が刺さった足には、摘出後もまだ力が入らない。
慣れない杖で無理をすると腕にも痛みが走りそれでもロボットのような動きで必死に前進する。
普段は一息に駆け上がっていた登り坂に手間取って、息が荒くなった。
それでも急いで来た。
なんとなく、ここに来れば会える。
いや絶対に会えるという予感が……、確信があったからだ。
いつかカイトとキャッチボールをしたときと同じように、発信基地の吹き流しが南南西の風を示し、大きくはためいていた。湖はキラキラと無言で日差しを反射し続けている。あの日見た光景と同じだ。
何も変わっていない。
風が草原の丘を吹き上がってくる。
涼風だ。
妙に乾いた、無味無臭の風だった。
あの時の果実のような甘さも、気持ちを高揚させるなにかも、今は一切何もない。まるで都市の街角を通り過ぎる他人みたいな風だ。
八月が終わる気配を漂わせた空を見上げる。
ゴゴゴゴゴゴ……とPB-29やらFP-51やら、その他いろいろの合衆国機が、嫌がる空気を押しのけて、皇国上空を我が物顔で終日飛び回っていた。
額を汗が伝う。
ぼくは悪い夢でも見ているのか。
つい先日まであれだけ必死に落とそうとしていたのに……。
ぼくが傷の手当を受けている間に、勝手に戦争は終わっており。
麁正は…、すべての飛行機は…、皇国機は二度と飛べなくなっていた。
それはぼくが永遠に翼を失うことを意味する最終判決だった。
失ったのは翼だけではない。
ぼくの見舞いに来てくれたシュウさんに改めて告げられた。
彼女は虚ろな瞳で呟いた。
「もうこの世界には お兄様はいません。永遠に帰ってこなくなりました」
そうだ。
彼女はそんなことを言っていた。
まさか……!
ぼくは信じなかった。
ここに来るまで必死に否定し続けてきた。
ぼくが見たのは幻だったんだと。
カイトはぼくの共犯者だ。
空を我がものとする、重罪を共有した者だ。
ぼくらは普通なら一生かかっても贖えるはずもない、豪邸がいくつも建つような価格の戦闘機を何機も駆って、国も政治もお題目に、無我夢中で空を貪った。
「ぼくたちは縛られずにいよう」そうカイトと一緒に話していた。
カイトはたったひとりの相棒だ。
君がどう思っていたのか知らないが、少なくともぼくにとってはそうだった。
共犯者がいたからぼくはひどく安心した。
ずっと独りだったぼくが。
やましさから逃れて、この空をかき乱すことに。
タダとは言わない。
いつでもその代償にすべてをくれてやっても良い。
だからすべてを捧げた。
ぼくの罪は、機と共に空中分解してすべてキレイに精算されるべきだった。
それでいい。それで勘定が合う。
そこになんの不満も無かった。
そういう予定だった。
なのにその代償はカイトひとりが肩代わりすることになってしまった…………。
………………なぜだッ!?
そんなことを許せるはずがない。
ぼくが! ぼくが絶対にそんなことは許さない!────。
あの日、カイトはぼくの身代わりに敵の殺意を一手に引き受けて再上昇した。
それはまるで無数の銀色のサメに食いちぎられる小鳥のように見えた。
青い空の水中に、翠の小鳥が細かく散った。
すべては空に溶け込んで、カイトの遺体はとうとう見つからなかったらしい。
ぼくは共犯者を失い、翼を失い、どうしようもないものだけが残った。
とりかえしのつかない悪戯の責任だけが残った。
こどものように収拾がつけられない、無様な焼け跡だけが残った。
ぼくはカイトに助けて欲しくなんてなかった。
ぼくは、カイトに助けに来て欲しくなんてなかったッ!
ぼくは……! カイトに……! 助けて欲しいなんて絶対に言わないのに!!
なぜだッ!?
………………なぜあのときカイトは笑っていたのか。
ぼくを置き去りにするのに、なぜ笑っていたのか。
カイト、君が生きられるなら……
ぼくなんてヒドラジンで焼け尽くされれば良かったのに────!!




