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第9話 『覚醒』

「呪術……」


 この世のどこにでも漂うとされる霊気に呼びかけ人外の術を操る術。魔法の国ムーンドールではなく、亡国フェルゼーンの下法の術。でも僕にはそれすら一回も出来たためしがない。


「だからどうした」


 僕は目を閉じた。祈るような気持ちで霊気を探す。毎晩やってきたことだ。息をするようにできる。それでもいつも誰も応えてくれない。何も起きない。そのはずだった。


「ある? あるぞ! 何かを感じる!」


 その時初めて、人生で初めて感じた。初めてだしこれが霊気なのかすらわからないが、もう霊気だと信じるしかない。微弱だが存在を感じられる。それは剣からだった。魔獣の血でべっとりと汚れた剣。


 これしかない。


 僕は剣から目を放し、前を向いた。魔獣が先程まで満身創痍であった獲物が再び立ち上がったことに戸惑い立ち止まる。大きく息を吸って呼吸を整える。


 今僕が感じている霊気は微弱だ。どうやらこの剣にこびりついた程度の血には大した量の霊気はいないらしい。この量で使える呪術は一つ。


 “フレイ”


 呪術の最も基本である火の術。手の平に小さな火を灯すものだ。古い書物によると最も霊気を使わず簡単だが、全ての始まりの術らしい。


 恐らくいや確実にこの程度の火では魔獣を仕留めきれない。使えて陽動。本命はこの血の付いた折れた直剣。脳天、眼球、喉元どこでもいい。これを魔獣の急所に突き刺す。


 狙うは相打ちのタイミングだ。通常の状態の魔獣に隙は無い。あいつが攻撃してきたタイミングで倒す。


 いつまで経っても動かない獲物を見て、魔獣は再び歩み始める。じりじりと縮まる距離。もう少しで魔獣の間合いに入る。限界まで張りつめた糸が切れたその時、魔獣の曲がりくねった剛毛が一気に逆立った。


 来るッ!


 魔獣が大きく大きく飛び跳ねた。腰を落として迎え撃つ。血に濡れた剣を前に構えた所で、僕は異変に気付いた。


「しまった!」


 この魔獣の高さ。僕を飛び越える気だ。面倒な獲物を後回しにして先に弱そうな奴隷たちの方から食い殺すつもりかッ。


 世界がゆっくりに見える。魔獣が逃げ場のない彼らに向かって、刃物のように鋭い爪を振りかざした。間髪入れずに僕の口が呪術を使おうと開いて止まった。ここで呪術を使えば霊気を使い果たしてしまうぞ。


 冷静な貴族としての自分が僕に囁く。ここは見捨てて彼らが襲われている隙に背後から一気に畳みかけるのが合理的だ。


 その時、僕の視界にさっきの少年が目に入った。母親を求めて泣いていた男の子だ。


「フレイッ!」


 血塗られた剣に火が灯る。ここから駆け出しても間に合わない。僕は迷わず剣を全力で投げた。投擲された火剣は空を切って魔獣の背中に突き刺さった。


「グギャアアアアアア」


 全くの意識外の一撃に魔獣がのたうち回る。だが致命傷にはならなかったようで、やがてゆっくりと立ち上がった。眼球という眼球は血走りギョロギョロと蠢き、八つに広がる口から覗く無数の牙は激しく震えていた。


 完全に怒らせたな。魔獣はもはや僕ただ一人に狙いを定めていた。でも僕に出来る事はなにも残されていなかった。左腕は使い物にならず、目もよく見えない。剣もなければ、霊気も使い果たしてもはや空気中のどこにも微塵も感じられなかった。身体は限界をとっくに過ぎており立っていることすらできない。


 視界がかすむ。激痛と止まらない血のせいで意識が朦朧としてくる。魔獣が重心を落として身構えるのが見える。飛び掛かってくるつもりだ。


 辛うじてそこまで分かった時に、僕の身体は限界に達した。地面に崩れ落ちる。暗闇に意識が呑み込まれていく。抵抗する気力はなかった。もう十分やった。これ以上なにをすればいい。


 完全に意識が途切れようとした時、誰かの声が聞こえた。マリアか? シェリルの声も聞こえる。 いやマリアはともかく、シェリルはそんなはずは無い……彼女は闘技場の最上階に居るんだ。ここまで届くはずは無い。いや彼女は声が大きいからな。もしかしたら届くのかも。そんなことをぼんやりと思いながら僕は眠りに付こうとする。


「リオン様!」

「立て!」


 聞こえた。クソッ。心臓がバクンと波打った。全くいう事を聞いてくれない瞼を無理やりこじ開ける。声のする方を視線だけでゆっくり追いかける。


 マリアだ。シェリルもいる。なんで一階にいるんだ。わざわざ僕のために降りて来てくれたのか? シェリルが? 彼女がいるべきは最上階で……だいたいマリアもなんで会場に入れたんだ……そうかシェリルが入れたのか。


『覚悟を決めろ』


 ギル爺の声が聞こえた。僕は馬鹿だ。何勝手に諦めようとしてるんだ。そんなことが出来る身分じゃないだろう。応援してくれた人がいる。託してくれた人がいる。なら僕に出来る事は一つだけ。立ち上がることだ。左手が使えない? 目が見えない? 武器が無い? 


 上等だ。


 魔獣が牙を剥いた。仕留めに来る気だ。明確な死が近づいてくる。その今にも僕の首を引きちぎらんと無数の凶牙が迫りくる。だけど、


「ここで死ぬわけにはいかないんだ!!」


 刹那、純白の極光が僕を包み込んだ。この光、僕から!? 視界の全てが白に包まれた。


 *


「リオン!」


 アスピア辺境伯当主シェリルは夢中で叫んだ。隣ではマリアというリオンの使用人が懸命に叫んでいる。今、自分の目の前では幼馴染が魔獣に食い殺されようとしていた。まさか自分の献上品の見世物に自分の息子を使うなんとは。


 四階にいるボーズドウフ伯を睨みつけた。


 止められなかった。なんど彼に止めるように言っても無駄だった。あの人はもはや自分の息子を息子だと思っていない。兄マルコムだってそうだ。聞けば彼が今回の首謀者と聞く。狂っている。だいたいあの魔獣はなんだ。我が領にいる魔物だってあんなに凶暴なのは見た事ない。


 直ぐに殺されると思った。魔法の使えない人間に魔獣をどうにかできるとは思えなかった。しかしリオンは違った。魔獣の攻撃を二度までも防ぎ、あわや一太刀浴びせたのだ。あんな剣技どこで身に着けたんだ。舞踏会で仮面のような笑顔を張り付けている彼とは全てが違っていた。それでも魔法が使えない者には絶対に魔獣には勝てない。


 私は舞台に入ってでも止めようと、一階に走った。再び闘技場の光景を見た時には信じられない光景を私は目の当たりにした。リオンがどこから出したのか炎を出して、剣を飛ばしたのだ。奴隷の子供を守るために。魔法?いや、ボーズドウフ家は火の系統の家系ではない。あそこは千年前から白の魔法。時空間魔法の血族だ。


「あ!」


 リオンが倒れ伏した。当たり前だ。あんなに魔獣に痛めつけられ出血していれば当然だ。きっと骨も折れている。魔獣が完全に敵意を向けてる。駄目だ。


「もう間に合わない」


「リオン様は立ち上がります」


「あの傷では立ち上がれない。無理だ」


「できます!」


 彼女はこの期に及んでまだ主人を信じているのか。不安と信頼。それらがぐちゃぐちゃになった顔で彼女は懸命にリオンの名を叫んでいた。涙が込み上げてきた。無理とかそういう話ではない。叫ばないと。


「リオン様!!」

「リオン!!」


 立ち上がった。リオンが立ち上がった。信じられない。今のあいつのどこにそんな力が。刹那目を刺すような白い閃光が迸った。


「なんだ!?」


 次の瞬間、獄炎が地を焼いた。灼熱は地を駆け、魔獣を呑み込み、空まで焼き尽くす。火炎は爆発し闘技場の青空を朱と金に染めた。魔獣は跡形も無く塵と消え、灰燼と帰した。


「なんだこれは・・・」


「あそこ! リオン様です!」


 彼女が指を指した方を見降ろすと、たしかにリオンが立っていた。舐め尽くすように燃え盛る火炎の中で、炎に照らされ輝く純白の髪をなびかせている。青年が手を振ると爆炎が嘘のように掻き消えた。


 *


 ボーズドウフ辺境伯の次男、マルコムは混乱の最中に居た。自分の用意した最強の魔獣が一瞬で塵になったのだ。


「なんだ。あの炎は……おいどういうことだ!」


 うろたえているのはマルコムだけではなかった。最上階で優雅にショーを楽しんでいたご令嬢から、今日一の献上品を用意したボーズドウフ辺境伯にどう媚を売るか考えていた男爵、子爵。これからの宮内権力の均衡に頭を働かせていた侯爵やヨギル・ナズベル辺境伯。彼ら全てが眼前の業火によって、狂乱と動揺の縁に叩き落されていた。


 伯爵のバロンス卿と宮内省の長官がボーズドウフ辺境伯に恐る恐る声をかける。いち早く混乱から立ち直った彼らは気づいたのだ。今まで格上の辺境伯の子息とは言え魔法が使えないということで内心見下し、いない者として権力争いを考えていたことのまずさに。


 ムーンドールは長男に継承権の第一位がある。しかしそれよりも魔法の強さがさらに優先される。もし次男がボーズドウフ辺境伯を継ぐことになれば、彼の存在を完全に無視していた彼らは将来辺境伯とのコネを全く持っていないことになる。それどころか不興を買っていてもおかしくない。


「ボ、ボーズドウフ辺境伯もお人が悪い」


「そうですな、このような隠し玉をご用意なされていたなんて……。いやはやこれほどまでの火の魔法見た事ない。こんど是非とも辺境伯殿の御子息を、当家の舞踏家にご招待させて頂きたいですな」


 だがボーズドウフ辺境伯は返事をしなかった。他ならぬ彼が今最も混乱の最中にあったからである。彼の中で作られていたプランが全て瓦解したのである。誰もが肝を抜かれるような最高の献上品を用意し、最近なにかと皇太子に近づくヨギル辺境伯の上をいくつもりであった。


 しかしその主役は塵と消えていった。それだけではない。信じられないほど凄まじい規模の火の魔法、完全に放置していたリオンの婚約者の枠、もし放置していなければ新しい婚約者の家から得られていたはずのコネと権力。今から利用しようにも、自らリオンを絶縁してしまった事実。全てが彼の頭を完全に機能停止にさせていた。


 そんなことも露知らない他貴族は大慌てでボーズドウフ辺境伯の元に向かった。なぜなら超大貴族である辺境伯の子息かつ、大魔法の使い手にもかかわらず第二夫妻の枠どころか、正妻の婚約者候補すらいない状態なのだ。貴族であるならば、飛びつかない訳は無かった。


 だが、大混乱に陥る闘技場の中でさらにそれ以上に混乱している人物がいた。その人物こそ他ならぬボーズドウフ・ド・リオン。白い極光に包まれてから、業火を放つまでの三秒の間。その僅か三秒間において、彼がこの場で誰よりも慌てふためき混乱していた。いや、詳細に言うと元の世界の三秒の間に、並行世界で一週間過ごすことになったリオンが今最も混乱していた。


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