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第8話 『死闘』

 巨大な闘技場であった。五百年以上も前に建造されたそれは、増改築が繰り返され今や四階建てにもなっている。歓声がうるさい。どうやら全ての階が人で埋まっているようだ。真っ赤な天蓋が青空の下揺らめいている。


 最上階の貴賓席から今年で十歳になったフィリップ皇子が観衆の前に現れた。


「いよいよ決起の時が来た。これはムーンドール帝の御意志で行うものある。この真っ青に晴れた空を見ても、今日よりほかに相応しい日はない。この式を行うにあたって多大な援助をしてくれヨギル伯以下、多くの貴族に礼を言おう。此度の式典でそなた達の忠誠が示されることを楽しみにしている」


 耳が割れんばかりの万雷の拍手喝さいが鳴り響いた。まだ御年十歳にもかかわらず、大したものだと思う。相当に練習なさったに違いない。


 式典は滞りなく進んでいき、ヨギル伯が献上品を捧げ、アスピア辺境伯が入場した。百騎の魔馬を引きつれ、一際立派な白い魔馬に乗ったシェリルが入場する。一階の平民から最上階の貴族までその威容極まる光景に大興奮のようだ。


「……そろそろか」


「リオン様」


 心配気に僕の袖をつかむマリアに僕は軽く微笑んだ。


「行ってくる」


 僕は彼女の手を握ってそう言った。これ以上いると不安な自分のボロが出てしまいそうになる。僕は彼女の手を放し、父を追って闘技場に繋がる通路へ向かった。すぐに追いついた僕は静かに口を開いた。


「なぜ魔獣を捕らえるのに領民を犠牲にするような手を取ったのです」


「領主が自分の所有物をどのように使っても自由だ。彼らが一生かけて作る麦よりも、あの魔獣一匹の方が何倍も利益になる」


「それは誰にとっての利益です」


「もちろん私だ」


 そう言い放ち足早に去ろうとする父になおも追いすがる。信じたくはなかった。頭ではもうどうしようもない所まで来ている自覚はあったが、それでも彼は僕の父親であった。自分の父が領民を思える貴族であると信じたかった。


「領地があっても武力があっても、そこに住む人がいなければ私たちは貴族でも領主でもない。多くの民草が富み、多くの子供たちが生まれ繁栄していくことが最も領地が富む方法なのです」


「それで満足か」


「はい?」


「それが最期の言葉で満足か」


「……やはり父上も僕を殺す気なんですね」


「身内に魔力障害を持つ者がいると宮廷でも評判が悪い。いい加減目障りだ。お前はもはやボーズドウフ家の者ではない」


 それきりボーズドウフ伯との会話は途切れた。それと同時に闘技場の通路も途切れる。薄暗かった視界が途端に明るくなり思わず目を細める。腰の剣に手をやった。結局頼れるのはこれしかない。覚悟を決めた僕であったが、闘技場の観衆にとっては滅多に見られない娯楽でしかないようで歓声と野次ばかりが飛んでいた。


 ボーズドウフ伯が闘技場の中心で高らかに宣言する。その隣ではマルコムが下卑た笑みを浮かべていた。


「私、ボーズドウフ・ド・バランは皇帝陛下と帝国のために生涯を賭して忠誠を誓う。その証として私はここに忠誠の品を献上したい」


 彼の合図により後門が開かれた。しかしその中から出てきたのは魔馬でもなければ宝石の類でもなかった。年齢どころか種族すらバラバラの奴隷たちが剣や槍をもって入場してくる。


「彼らを見世物にする気ですか」


「わしの奴隷だ。金を払って買ったのだ。しっかり役に立ってもらわねばな」


「そこまで落ちたか」


 そんなやり取りなど全く聞こえない観客たちは平民から貴族まで怪訝な様子で舞台を見下ろしていた。


「なんだこのみすぼらしい奴隷たちは?」


「辺境伯が聞いてあきれる。やる気あんのか」


 野次と怒号が飛び交う中、マルコムが一歩前へ歩み出る。


「ではお見せしよう。当家とっておきの献上品を!」


 合図と同時に前門の鉄格子が鈍い音を立てて引き上げられた。異様な空気が薄暗い門から流れ出す。その途端、人々は本当的に生命の危機を感じ取ったのか一斉に静まった。


 誰しもが固唾を呑んだ時、それは遂に現れた。黒い獣の様で蛸のように八方に開かれた顔面。腐敗と血の匂いは闘技場の二階にまで届いた。ざわめきが急速に拡大していく。あわやそれが狂乱の状態にすらなりかけた所で、マルコムが盛大に言い放った。


「これこそは我が領地で捕えた魔獣。我が領は魔獣の調伏に成功したのです。今から皆さんに最高の見世物を用意致しました。どうぞお楽しみください」


 そう言い終えた途端、マルコムはボーズドウフ伯の腕を掴んだ。悪鬼のように歪んだ兄と目が合う。直後兄の姿がゆっくりと白光に包まれた。


 この光! 魔法か。ボーズドウフ家の時空魔法を使ったんだ。次の瞬間にはもはやそこに父も兄もいなかった。四階を見上げるとやはり貴族の席に彼らは座っていた。時空間魔法で闘技場から客席に転移したのだ。


 そう理解した僕の目に同じく貴族席にいたシェリルの姿が映った。なんて顔してるんだ。懸命な顔で何かを叫んでいるけど、この距離では聞き取れない。


 聞こえるのはグチョグチョと空いたり閉じたりする魔獣の口の音と背後で絶望のあまり神に祈りだした奴隷の声のみであった。


「皆さんは下がっていてください。できるだけ目立たないように!」


 僕は奴隷たちに向かって叫んだ。誰もまともな訓練を受けている様子はなかった。あれでは餌でしかない。うずくまって震えている魔族の親子。母親の声を叫ぶ男。犠牲にできるはずも無かった。


「うわあああああああ」


 あまりの恐怖に正気を失ったのか一人の男が剣を振り上げて突っ込んでいった。それにつられもう男がもう二人、雄叫びを上げて走り出す。魔獣の口の魚の如き目が最初の男を捕らえた。


「よせ!」


 そう訴えた声も虚しく空に消えた。最初の男の右腕が吹き飛んだのだ。剣は砕かれ、血飛沫と骨が飛び散っている様子がスローモーションで流れていく。凄惨な光景にたまらず目を腕で庇った。


「あああああぎゃあがああ」


 のたうち回る男に魔獣はゆっくりと歩み寄り前足を振り下ろした。緩慢な動作であったはずの一撃は、しかし簡単に男ごと地面を叩き割った。振動は留まることを知らず、突き上げるような下からの衝撃が僕らの足を揺らす。


「グッ」


 僕は踏ん張って剣を抜く。背後にいる人々に全力で逃げるように叫ぶ。腰が抜けて動けない者は蹴ってでもここから突き飛ばした。すぐさま振り返ると、二人目の男が魔獣の異常なほど長く曲がった鉤爪によって斜めからスライスされていた。


「わわわッあぁぁ―」


 三人目の男が懸命にこちらに駆け出した。恐怖に引きつりながら、もつれる足を懸命に動かしていた。どうする。どうすればいい。ギル爺ならどうしてた。


 僕は駆け出した。剣を片手に魔獣へ全力疾走。間に合う。僕の目に安心したような男の顔が見えた。


「ゴフッ」


「!?」


 男が血を噴きだした。一体どうして!?


 原因は直ぐに分かった。男の胸を突き破って一本の触手が生えている。魔獣の口から伸びた舌が彼の身体を貫いたんだ。


「た、助け―」


 痙攣する手がこちらに伸びる。が、それが僕に届くことはなかった。勢いよく回収された舌が男の体を大きく空に舞い上がらせ、嫌な音を立てて地面に墜落したからだ。


「そんな……」


「「うおおおおおおおおお!」」


 観客の拍手喝さいが鳴り響いた。貴族も商人も皆が手を叩いて喜んでいる。地獄絵図であった。こんなことあっていいのか。気が狂うような万雷の拍手、えずく様な血の匂い。


 歯は勝手に震えだし、まったく噛み合わない。こんなの間違っている。血の海の上で僕は愕然とした。呆然と四階を見上げると満足そうに父は笑みを浮かべ、兄はいやらしく笑っていた。


「……腐ってる」


 人が人を殺される様を見て楽しむなんて純粋に間違っている。平気で領民を利益のために犠牲にすることが正しいはずない。


 僕は奴隷たちを後ろに下がらせ、剣を水平に構えた。魔獣の正面に立ち塞がる。無感情な目と目が合った。血走った奴の瞳孔が一気に細まる。来る!


「ギュエェェェン!!!」


 魔獣は一瞬で肉薄した。眼前に迫りくる凶牙。鼻が腐るような臭気。反射的に身を捻じりながら間一髪で逃れる。僅かでも反応が置かれていたら轢き殺されていた。


 安心したのも束の間、魔獣がありえない角度で身体を急反転した。既に右腕が振り上げられているッ。ガードも逃走も間に合わない!


 咄嗟に上半身をのけぞらせる。直後、先ほどまで僕の上半身があった位置を魔獣の剛腕が風を切って通過した。


 ここだッ。


 無理な姿勢だったが強引に剣を横凪ぎに一閃。下半身だけでは力が入らず、致命傷の手ごたえはなかった。しかしそれでも一太刀通った。魔獣の腕から血が流れ出す。


「ギィィィィイッ―!」


 捕食する側であった自分に突如走った痛み。魔獣は激怒し雄叫びを上げ、体の全身でタックルした。


 完全に予想外の一撃。無理な姿勢から剣撃を放った僕には避けることは出来ない。まともに喰らえば骨が砕かれる。


 態勢を整えるのを諦め、地面を転がりにいく。剣を押し出し即席の盾とした。


 全身が吹き飛ぶような衝撃が脳を揺らす。剣が砕ける感覚が腕に伝わり、その腕すらもあまりの衝撃に感覚を失う。僕の身体は凄まじい勢いで地面と水平に飛んでいった。


 一瞬意識が途切れるもなんとか回復する。背中を丸め受け身を取って地面に墜落する。砂煙を立てながら僕の体が転がった。吐く様に咳き込みながら立ち上がる。


 頭から血が流れているのか、片目が見えない。体に違和感を覚え、残った目で左腕を見る。曲がらない。骨が折れたみたいだ。


 握った剣は魔獣の血でべっとりと濡れていて、真ん中から先が無かった。さっきの衝撃で折れたようだ。


 腕は片腕、使える武器は折れた直剣のみ。絶望的な気持ちになる。その時背後で幼い子供の声がした。


「ママ……」


 ハッと振り返ると、すぐ背後には奴隷たちがいた。どうやら魔獣にここまで吹き飛ばされてしまったらしい。目を潤ませて我が子を守るように抱く母を見て、歯を食いしばった。


「クソッ! どうする。どうすればいい?」


 頭を必死に回す。魔獣だって生き物。切り裂けば血だって出る。殺せないことはないはずだ。僕は荒い呼吸のまま魔獣を睨みつけた。


 あの魔獣の首輪……あれはギル爺が付けたものだ。爺だって魔法は使えなかった。それでもやり遂げた。きっと何か弱点があるはず。


 その時僕の脳裏にドリス村での会話が蘇った。


『どうして村を燃やした?』


『ああそれか。この者達が魔獣は火を恐れると言ったからな』


 そうか火だ。魔獣は火を恐れる。その一瞬をついて魔獣を殺すしかない。


「でもどうやって火を……」


 思わず口から零れ出た。そうなのだ。今ここに火を起こせるようなものなど一つもない。激痛に耐えながら必死に頭を巡らせる僕にゆっくりと魔獣が近づいてくる。


 巨大な口の中で舌がジュルジュルと音を立てている。その姿は獲物をどう捕食しようか愉しんでいるようでもあった。


 剣を使って火花を起こす? 無理だ。その程度の火花では何にもならない。それを何かに引火させるのはどうだ。いやどちらにせよ引火物も燃料もない。奴隷たちの布服なら? 駄目だ。魔獣相手にそれは間に合わない。


「クソッ」


 一瞬でかつ魔獣を十分に動揺させるほどの炎。そんなもの用意できる手段なんて……


「呪術……」


 これしかないという不思議な直観があった。


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