表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/28

第7話 『魔獣』

 いつもは隣に居るマリアがいないので僕は無言で馬車に揺られていた。


 何かおかしい。今日は大事な決起式の前日だ。なのにマルコム兄上を一度も屋敷でみていない。それにボーズドウフ伯の献上品……それらしきものなんて本邸のどこにも見なかった。


 そこまで考えが及んだ時、僕の中に嫌な予感が生まれた。


 献上品は自領で採れたのものを転移陣で運ぶはず。明日が決起式当日なら、辺境のボーズドウフから献上品が運び出されるのは今日しかない。そして今日は開拓が行われる日だ。


「すいません。馬車を急がしてください」


 僕は前の小窓を叩き御者に急ぐ様に頼んだ。


 なぜ父は開拓日と献上品の輸送日を被せたのか。それは僕の注意を辺境のボーズドウフから、決起式の準備に気を逸らす為しかない。


 馬車が屋敷に着いた。御者が扉を開くのも待たずに駆け出す。


「やっぱり……」


 いつもは室内にあるはずの転移陣が、今は別邸の庭に広げられている。使用人に駆け寄って声をかけた。


「この転移陣は献上品を本邸から運ぶためだな。献上品は何だ」


「わたくしは何も知らされておりませんゆえ」


「そうか。ではこれに乗って本邸へ飛ぶ。明日の決起式には必ず間に合うように戻る」


「なりません。それはご当主様に禁じられています」


 非難するように声を挙げる使用人を無視して、転移陣に飛び乗る。一瞬で視界が切り替わり見慣れた風景が目の前に広がった。やはり本邸側の転移陣も庭に広げられている。


 辺りを見渡して使用人を見つけた。本邸の使用人だ。こちらの使用人も僕の扱いは良くないけど、帝都の使用人よりはよほどマシだ。


「献上品はどこにある?」


「いえ、その」


「開拓の志願者達はちゃんと、ドリス村に向かったのか? ギル爺たち傭兵団とは合流できたのか?」


「そのリオン様……」


 申し訳なさそうに口ごもる使用人につい苛立ちが湧く。嫌な予感が加速度的に膨張していく。


「どこにいるッ!」


「ドリス村でございます。献上品の輸送団も、傭兵団も」


「なぜドリス村に輸送団が? あそこには献上できるような品はないはず」


「これ以上はわたくしめには」


「分かった。ありがとう。私は今すぐドリス村に向かう」


 本邸の馬小屋に向かい、乱雑に扉を開ける。馬に跳び乗った。水も軽食も忘れたことに気づいたが、取りに戻るという選択肢はなかった。一分一秒が惜しい。


 馬を全速力で駆けらせる。冷たい向かい風が頬を切り、石畳の街道を蹴る馬蹄の音を置き去りにして急ぐ。街道沿いの宿を見つけては馬を乗り替えて走った。


 夕日が堕ち空が完全に闇に染まった頃、ついにドリス村に着いた。だがそこにかつての光景は存在しなかった。


「なんだ、これは」


 深夜の森をさらにドス黒く染め上げる黒煙と獄炎。結界の向こうの森は地獄の世界となっていた。パチパチと火花が飛び散り、木々はミシミシと焼き折れていく。苦し気に鳴く鳥たちが空に逃げるも煙に巻かれて墜ちていった。


「リオン様!」


「マリアッ」


 ハッと声の方向を見ると、マリアがいた。しかしその腕は一人の男に掴まれている。マルコムッ!! 瞬間的に目の前が真っ赤になった。


 怒りに任せて反射的に足を踏み出す。右の拳に力が入った刹那、この村の人々や志願者たちの顔が脳裏に過った。


 そうだ。今やるべきは兄を殴ることじゃない。一刻も早い状況把握だ。それにマリアを助けないと。


「兄上。手を放してください」


「お~、リオンか。どうしてここに居るんだ?」


「それはこちらのセリフです。なぜあなたがここにいるのですか。この有様はなんです」


「ああこれか? 冴えてるだろう。俺の作戦だ」


 芝居がかった様子でマルコムが右手を挙げる。その手は黒い布を掴んでいた。今気づいたが、彼の後ろには馬鹿みたいに巨大な荷車があった。荷台には黒い布で覆われた何かが載っている。


 何が入っているんだ。そう疑問に思った時、ニヤリと笑ったマルコムが一気にその布を外した。その瞬間、吐き気を催すような腐敗臭が辺りに満ち溢れる。


「まさか……」


「そう魔獣だ!」


 漆黒の剛毛、異様に長い尾。一見狼のように見えるそれはしかしよく見ると非常に冒涜的な姿をしていた。


 胸から浮き出たあばら骨、漆黒の皮からは真っ赤な肉が露出している。生きているはずなのに腐敗している。だが最も醜悪なのはその顔であった。


 顔面の大部分が口になっており、三つに裂けている。口内から無数の牙を覗かせながら、無感情な魚の様な目でこちらをじっと見ていた。


「どうだ。素晴らしいだろう。これが我が領の献上品だ」


「馬鹿な。魔獣は人の手に余るぞ」


「馬鹿はお前だ。よくこいつの首元を見ろ」


 これは首輪? 灰色の石で出来た巨大な首輪が魔獣の首を絞めていた。普通の首輪じゃない。何か文字が彫られている。これは魔道具なのか?


「驚いたか? こいつはハレム魔導学院製だ」


 まったく事態について行けない。ハレム? 火事? 魔獣? 意味が分からない。何の脈絡もない悪夢を見ている気分だ。気持ちが悪い。だがそんな状況下でも貴族の自分が冷静に事態を分析していた。


「どうして村を燃やした?」


「ああそれか。この者達が魔獣は火を恐れると言ったからな。森に火を付ければイキの良いのが飛び出してくると思ってな。村に火が燃え移ったのは必要経費というやつさ」


 焼け落ちる森の熱で身体は肌が焼けるくらい熱いのに、体の震えが止まらなかった。必死に頭を回転させる。村は建て直せる。今一番大切なのは領民たちだ。村人と開拓者たちに、傭兵団の人達。ギル爺はどうなった。


「開拓志願者たちは?」


「魔獣を捕らえる生贄に使った。お前が集めてくれた傭兵団もな。お前が人を集めといてくれたおかげで手間がかからなかったよ」


「どうして!? どうしてこんなことをしたッ。どうしてこんなことが出来る? 僕たちは領民たちを守るべきはずの存在だ。それなのにッ」


「お前が悪いんだぞ」


 は? 何言ってるんだ。まさかこの人は僕の邪魔をする為だけに。村や志願者たちを犠牲にしたのか。


「一体僕がなにをした」


「前の舞踏会、お前は俺に恥を掻かせた。踊り相手を奪われた俺がアスピア卿と踊っているお前の姿を見てどれだけ屈辱だったか分かるか?」


 気がふれたのか? 兄がダンスの相手を失ったのは兄とバフェット公の問題だ。踊りの相手がシェリルになったのだって、元を辿ればそちらが舞踏会の存在を知らせなかったからだ。


「だからお前の女を奪うことにした。この使用人は貰っていくぞ」


 マルコムがマリアの腕を捻り上げたのが目に入る。苦痛で彼女の顔がゆがんだ。次の瞬間には剣の唾に手が触れていた。


 同時に右足が踏み込まれ、間合いに入った刹那抜刀。もはや無意識に抜かれたそれが、持ち主の感情すら置き去りにして空を切る。剣閃は無機質に光り、マリアの手首を掴むマルコムの腕に吸い込まれた。


 冷たい刃が彼の宮廷服を切り裂き彼の肌に届く寸前、剣に理性が追い付いた。ピタリと剣が静止する。


 しかし止めるのが僅かに遅かったようで、薄皮一枚だけ傷つけてしまったようだ。切り傷から血が微量だけ漏れている。


「ヒッ」


 突然、自分の腕に走った痛みにうろたえてマルコムは手を離した。すかさず僕はマリアを後ろに庇い、直ぐに剣を鞘に戻した。


 しまった……家族とはいえ辺境伯の長男を傷つけることは重罪だ。この村を再建するためには資金がいる。ここで僕が反逆罪で処刑されれば、ドリス村の今後はどうなる。


「お、お前俺に剣を向けたな」


「……」


「処刑だ」


「そんなリオン様は、剣を納めました! マルコム様も肌が少し切れただけではないですか。どうかお慈悲を」


 普通は情状酌量の余地があるはずだ。しかし相手がこの兄……父から見ても魔法が使えない僕を生かしておく価値はないだろう。


 縋り付くようにマルコムに嘆願するマリアを見て、僕は唇を噛み締めた。いくつもの案が浮かんでは消えていく。その様子を見て余裕を取り戻したのか、不敵にマルコムは不敵に笑った。


「ではリオン。お前が明日の決起式に出席するのなら水に流してやろう。あとそこの使用人も貰っていくぞ」


「決起式には出る。でも彼女は渡さない。今ここであなたと刺し違えてでも渡さない」


「ッツ!? ……まあいい。どうせお前はお終いだ。その後で彼女は貰ってやるよ。俺は魔獣を連れて帰る。早く出なければ明日に間に合わないからな」


 そう言い捨てマルコムは家臣に魔獣を乗せた四輪車を引かせ去っていった。


「リオン様……」


 心配げな顔で話しかけようとしてきたマリアを置いて僕は村へ向かった。家々は森から流れる煙で真っ黒に汚れており、中には完全に焼け落ちている家もある。どの家も人はいない。だがたった一軒、ひときわ大きな家にだけ明かりがついていた。


 避難できた生き残りがいるかもしれない。


 ふらつく足をひきずり中へ入る。家の中は暗い雰囲気で満ちていた。痛みに呻く声とすすり泣く人の音のみが聞こえる。僕はとても玄関から先へ進むことが出来ず、地面に手をついて頭を下げた。


「……申し訳ない。本当に申し訳ありませんでした」


 誰も喋らなかった。


「必ず建て直します。必ず皆さんの生活を取り戻します」


「どうして、どうしてよ」


 一人の女性の声がした。顔を挙げると顔を煤で真っ黒に汚し、意識のない子供を抱いている母親がいた。子供の瞳は無色に変色している。この症状……幼年期の呪いか。


「……火事のせいでこの子の様子がおかしくなっていた事に気づけなかった。あんたのせいよ」


 なんて声をかければ良いのか分からない。


 直後、頬が熱くなった。遅れてじんわりと痛みが広がる。


「あんた、自分が貴族様だからって、あたしたちのこと人間だと思ってないんでしょッ」


 我が子を失った母親の絶叫がナイフのように僕の心に突き刺さる。もう頭も何もかも真っ白だ。覚束ない足で家を出ると一人の男が立っていた。三十くらいの男であった。


「あんたリオンか」


「……」


「俺はギルバートの旦那に世話になったもんだ。あの子はお前のせいじゃねえよ。あれは幼年期の呪いだ。運がなかったんだ」


「……」


 再び歩き始める。理由はない。ただどうしようもなかった。だが、その男は僕の肩をなおも掴んだ。


「すまねえ。今のお前さんに言うべきことじゃなかったな。その、俺の用事は一つだ。この手紙を受け取ってくれ」


「……誰からです」


「ギルバートの旦那だ。おれら傭兵団の親父だ」


「ギル爺は……ギルバートさんはどこです」


 重苦しい沈黙だけがあった。男が静かに口を開く。


「……旦那は、炎に燃え盛る森の中一人で戦った。怪我した村人と開拓者を逃がすために、あの黒い魔獣に立ち向かった。魔獣の力を封じ込める首輪を片手にな。旦那がいなかったらみんな死んでた」


 死んだのか。ギル爺も。


 地面に崩れ落ちる。何の気力も湧かない。そもそも無理だったんだ。なんの力もない僕が何かをしようなんて。僕が巻き込んでしまった。生きてさえいれば幸せになれるはずだった人たちをッ。


 苦しくて地面にうずくまっていると、僕の手の中の手紙を誰かが取り上げた。かさかさと紙の擦れる音がしたのち、その誰かが手紙を読み上げ始めた。マリアの声だ。


「汚い字で申し訳ありませぬ。急いで書いた故、何卒ご容赦して頂きたい。まず初めに今回の事は私の意志です。だからどうか思い悩まないで頂きたい。私はむしろリオン殿に感謝しているのです」


「かつて私は立身出世を夢見て帝都の騎士団に入りました。しかし周りのどこを見ても貴族ばかりで、碌に訓練もしないのに魔法があるだけで何をやっても負ける。露骨に見下してくる目、上辺だけ優しく気遣ってくる者の目。私には耐えられなかった」


「逃げ出した私は村にも戻れず、路銀も使い果たした私は傭兵に身をやつしました。そうして日々を無為に過ごしている時に、まだ小さかったリオン殿に出会いました。剣を教えてくれなどと言われた時には、所詮は貴族のお坊ちゃまの道楽だ。下らない。そう突き放しましたね」


「教師を引き受けた後も、剣の訓練と称して痛めつけたこともありました。そんなある時私は尋ねました。どうして魔法を使わない? 使えば私など簡単に捻じ伏せるられるだろうと。あなたは答えました。僕には魔法が使えないと」


「平民の私が魔法を使えないことより、貴族のあなたが使えない方がより周囲の眼差しは辛いものであったはずです。異端児として嫌悪されたでしょう。優越感に浸りたい貴族の餌食にされたでしょう。私はそれに耐えられずに逃げた。でもあなたは逃げなかった。その時、思ったのです。私だけは味方であろう。この人に命をかけて従おうと」


「そこからの日々は本当に楽しかった。あなたはメキメキと剣の腕を上げ、初めての一本を取られたときは我がことのように嬉しかった……あなたにはまだ成し遂げるべきことも、心配してくれる人も残っています。人生上手くいかないことなんて腐るほどある。それでも折れないでください。私の分まで。諦めずに、覚悟を決めて道をお進みください。あなたにお仕え出来て幸せでした」


 乾いた地面に水滴が落ちた。それは直ぐに地面に吸い込まれて消えていく。だがその度に何滴も、水滴が零れ落ち地面を濡らした。涙が止まらない。悔しいのか悲しいのか、なんにも分からない。何か言おうとしても、喉がつっかえる。舌が震えて喋れない。それでも、それでも。


「まだ死ねない。僕はまだ死ねない。まだ僕は何もやってない。このままじゃ死にきれない」


 マルコムがなぜ僕に処刑ではなく、決起式の出席を命じたのかは分かっている。あの魔獣のお披露目として僕を襲わせる気だろう。でも僕は絶対に死なない。必ず生き残って、成し遂げる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ