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第5話 『稽古』

 舞踏会の夜が明け、朝が来た。ボーズドウフ辺境伯領の本邸。侯爵の家だけあって無駄に広大な庭園が今日も朝日に照らされている。その一角ではコーンと木の弾かれる音が響いていた。


「あいかわらず坊ちゃんの剣筋は綺麗ですね。教本みたいだ」


「それは褒めてるのかギル爺?」


「いやいや、褒めてますよ」


 今僕の前でぽつぽつと白髪の混じった頭を掻いているのはギルバートという男だ。若いころは平民ながらも帝都の騎士団に入団したが、身分差や魔法の有無などによってそこでの立身出世を断念。その後は傭兵団の長として帝国に名を馳せ、現在は老境に至り一線を退いている。


 彼と出会ったのは本当に偶然で、僕がラヘルンの飲食店に視察に言っていた際、たまたま相席になったのが切っ掛けだ。彼がなにやら小銭が足りず困っていた所を払ってやったらお礼にと色んな武勇伝を聞かせてくれたのだ。


 彼の話す旅の物語は生まれてから一度も結界の外に出たことがない僕にとって新鮮そのものだった。そんな彼の武勇伝に憧れて、僕はギル爺を剣術指南役として雇ったのだ。


 本当は傭兵時代に磨いた剣術を教えてほしかったが、彼が言うには自分の剣は騎士時代が無ければ生まれる事は決してなかったと言う。というわけで渋々我が家のコネで手に入れた騎士団の剣術書を使って学んでいる。


「では試合稽古を始めましょう」


「お願いします」


 お互いに木剣を構えた。お互いに水平に構え切先は下を向いている。剣先が少し下がっているのは人の急所の一つである脇下を突かせないためだ。


 お互いの距離は二歩弱。一歩踏み込まねば届かない。ギルバートの顔にすでに陽気さは無い。あるのは歴戦の戦士としての剣気のみ。だがそれに押されて思考を鈍らせるようなことはしない。そんなことをすれば彼はすぐさま僕を打ち貫くだろう。


 じりじりと縮まる距離。お互いにお互いの間合いを計る。


 喉か、腕か、脇か、それともみぞおちか。


 直観は信じれない。それに頼れるほどの経験はまだ積んでいない。なら見切るしかない。


 晩秋の風が吹いた。


 来る!


 極限まで研ぎ澄まされた集中力が剣先を捉えた。視界ではギルバートの剣がゆっくりと近づいて見える。だが、現実は違う。恐るべき剣速で迫りくる刺突に僕の脳は警笛を鳴らした。


 こめかみ狙いかッ。


 咄嗟に首を左に捻る。視界は残像を残してぶれた。回避と同時に自分も剣を繰り出す。後出しではあったが両手で握られた剣はグングンと加速していき相手を貫かんとする。


 刹那の時間。僕の本能が違和感を覚えた。なぜ先に繰り出されたギルバートの剣圧を感じないんだ?


 いくら左に避けたと言え頬に掠り傷かすくなくても風圧のひとつは感じるはず。


 まさか狙いが変わった!?


 ここまで考えるのに要した時間は瞬きよりも短い一瞬であっただろう。しかしそれが致命だった。


 視界の隅に茶色い何かが映る。木剣だ。この位置は脇かッ。僕が避けるのを見越して狙いを変えてきた!


 そこから先は無意識だった。両手で握っていた剣を左手一本に持ち替える。左足はさらに前に踏み込み、体を半身に反らす。直後、胸に削られるような痛みが左から右へと走る。ギルバートの剣が掠ったのだ。でも躱した。


 負傷個所の痛みを抑えようと本能的に手が伸びそうになるのを無理やりねじ伏せ、体全体を使った突きを繰り出す。入った。切っ先が彼の胴を打ち抜いた感触が直に伝わる。


「グフッッ」


 ギルバートが宙を舞った。一瞬の空白の後ドサリと地に伏せる。マリアが素早く彼に駆け寄り、回復の魔法を施す。戦闘から意識が切り替わった途端に一気に疲れが押し寄せた。青青しい芝生に座り込みながら、爺が回復して起き上がるのを待った。


「まったく。老体に何たる仕打ちですか」


「爺こそ、あそこで狙いを変えるのは容赦がない」


 僕の軽口にギル爺がやれやれと首を振った。


「なにを甘えたことをおっしゃる。敵に打たれる手は全て考慮し、最後には直観で生を掴み取る。その域へと至れないのならば、私の様に凡兵のまま一生を終えることになりましょう」


「爺の話は耳に痛い」


 握った木刀に目を落とす。魔法が使えないなら、剣術も貴族の道楽に過ぎないのかもしれない。二つがあって初めてそれは力となる。それが叶わないのならせめて僕に残された力、貴族という立場をフルに使って領民を守るしかない。


「近々、大規模な開拓を行う」


「ほう、それは素晴らしいことです。これで皆も飢えずに済む。しかしどこで開拓を?もうボーズドウフにはめぼしい土地はないはずですが」


「領外だ」


「駄目です。結界の外に出ることだけは断じてなりませぬ」


 半ば反対されると思いながら言ったが、やっぱり返事は即答だった。


「それでもやるしかない。これでも僕は領主の息子だから、自分の領の人口ぐらいは把握しているんだ。このまま行けば、多くの子供たちが餓死する。開拓作業は数年かかる。今からやらねば間に合わない」


「失礼ながらリオン様は魔獣を見た事がありませぬ。えずくような腐敗臭、血がこびり付いた無数の牙、魚のように無感情な目、奴らに見つかれば次の瞬間には肉塊になる」


 ふと以前見た光景がよみがえった。ずっと昔、辺境伯の中でも最も遠い地にある村に視察に行った時のことだ。その村は結界の外縁と接していて結界の向こう側の景色が見えた。薄暗く毒々しいくらい緑に塗りたくられた森が広がっていて、耳を済ませれば蛇のような掠れた息や獣の遠吠えが聞こえてくる気がした。


 でも確かに自由の匂いがしたんだ。


 魔獣の恐ろしさを僕は知らない。でも恐れてばかりいたら永遠に人は結界という牢獄の中で囚われたままだ。綺麗ごとで世間知らずの甘い幻想かもしれないけど、いつか外の匂いを嗅いでみたい。結界ごしなんかじゃなくて本当の空を見上げてみたい。


「爺は結界の外の景色を見た事があるんでしょ?」


「……ええ」


「どんな色の空だった?」


「とても澄んだ青でした」


 ギル爺が懐かし気な瞳で空を見上げた。だがそこに広がるのは結界でぼやけた空だけだ。


「僕は誰もが当たり前に空を見上げられる世の中をつくりたいんだ。飢えに苦しみ、魔獣を恐れ、下ばかり見ている世界じゃなくて。だから最初の一歩を踏み出す。その一歩を僕と一緒に歩んでくれないかな?」


「……まったく。とんだわがままなお坊ちゃんに目を付けられたものですな」


「リオン様」


 ゆっくり振り返ると笑顔のマリアがそこにいた。どうしてだろう笑顔のはずなのになんか怖い。


「その最初の一歩。もちろん私も一緒ですよね?」


「いや、マリアにそんな危険な」


「一緒ですよね?」


「う、うん」


 心地よい風とギル爺の笑い声だけが、ボーズドウフ邸の庭に響いていった。


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