第4話 『二人だけのダンス』
いよいよダンスが始まる。僕自身むちゃくちゃ久しぶりで少し不安だな。
僕は左手を彼女へと下から差し出した。シェリルはそれを右手で上から取る。お互いに半歩ずつずれながら向き合い、僕の右手は彼女の肩甲骨の下あたりをホールドした。
これはシェリルの奴、僕以上に緊張しているな。
僕は目の前の彼女の表情や仕草からそう判断した。無理もない。幼くして父を病で亡くし当主になった彼女は領地防衛のために、舞踏会に出る余裕など無かったのだ。いわば彼女にとって今日はぶっつけ本番。
でも今の彼女は辺境伯。ほんの僅かなミスがアスピア家の威信を大きく傷つける事となる。
そうこうしているうちに曲が始まった。最近になって帝都で流行しているムンナワルツの一種だ。シェリルの顔が引きつるのが分かった。
ワルツとは基本的に三拍子の円舞曲であるが、ムンナワルツは特殊で三拍が均等な長さじゃない。曲の躍動感の為に二拍目がやや早めにずらされて演奏されるのだ。長らく中央に来ていない彼女が知らなくてもしょうがない。
小声でシェリルに話しかける。
「目線は斜め上を、私がリードするから安心して踊ってください」
「う、うるさいっ」
僕にアドバイスされたことが癪に障ったのか、胸を張って睨みつけてくる。左肩に置かれた手に力が込められたのが分かった。
ちらりと横目に周囲の状況を探る。どうやら兄はヨギル辺境伯の長女と踊ることにしたようだ。バフェット卿はやはりナズベル辺境伯のソフィー嬢と踊るらしい。そのホールドの仕方はすさまじく、右手は繋ぐというより握り潰している。左手に至ってはソフィー嬢の臀部を鷲掴みにしていた。
……あっちの方に移動することだけは避けよう。
広大な草原を秋のそよ風が流れていく……そんな風景を思わせる曲に合わせてステップを踏む。
変則的な曲に惑わされず、彼女の足が取られない様に易しいステップを心がける。次に踏むべき一歩をあらかじめ重心を前や後ろにずらすことで伝えていく。
ふと、彼女は楽しめているだろうかと不安に思った。真面目な彼女の事だ。社交界ギリギリまで練習をしてきたことだろう。あまり僕に従ってばかりというのも面白くないかもしれない。
そう思った途端、ぐっと彼女に引っ張られた。いっきに僕の視界が開ける。眩しいくらいのシャンデリアに照らされたシェリルの空色の髪が目に飛び込んだ。金色の瞳には普段の険しさはなく、ただ純粋に笑っていた。
「楽しいなリオン」
びっくりするくらいの笑顔に僕の心の衝も外れる。冷静なつもりでいた僕も兄や父そして周りの貴族たちの嫌悪と好奇の目に、無意識のうちに苛まれていたらしい。
ふぅと一息。シェリルと目を合わせる。言葉は要らなかった。立場も悩みも忘れてただ自由に夢中になって踊る。お互いの熱に浮かされた優雅だが情熱的な舞。やがてそれはどの四伯よりも、そして公王すら超えて人々の目を集めた。
だが、二人の目にはお互い以外なにも写っていなかった。
*
魔法の時間が終わり僕はシェリルと別れた。もう一回だけ踊らないかという彼女の誘いを僕は丁寧にことわる。名残惜しい気もしたが彼女は辺境伯だ。曲の数は限られている。ダンスの相手は多いほうが良い。コネの為にも中央や他領の貴族となるべく多く知り合ったほうが良いのだ。
僕はあのダンスの後、少し踊りたそうに近づいてくる令嬢方をかわしながらまっすぐ会場を歩いた。やるべきことをやらねばならない。
行先は父の元。ちょうど別の貴族との話が終わるタイミングを計り話しかけた。
「父上。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「なんだ。お前か。私は忙しい」
そう言って立ち去ろうとする父。顔つきは以前より垂れ胴回りも太くなっている。さきほど話をしていた貴族は財政周りに黒い噂のある人だった。だがそれでも彼はボーズドウフ領の領主だ。領地改革をしたいなら僕には彼に話を通す義務がある。
「そこをどうかお願い致します」
僕の様子に少しだけ興味が湧いたのか、半身だけこちらを向く。ここを逃したら帝都に住む父と辺境に住む僕の間でまた長らく話す機会は無くなる。
「手短にしろ」
「結界の外の土地を開拓したいのです。このままではあと数年で食料不足で餓死者が出るでしょう」
「で、儲かるのか?」
……最初に聞くことがそれか。だがすぐにそれも重要な問題だと思いなおす。
「ひとまず一村落当たり一ヘクト開墾します。ゆくゆくは三ヘクトを目標にさらに開墾していき、新たに生まれた田畑から税を取れば十分な収益が出るでしょう」
「……いいだろう。全て任せる。新たな農地には開墾され次第、税を取るぞ」
そんな馬鹿な。そんな過酷な条件では誰も開拓者に志願などしないだろう。
「そんな! この開墾は今までとは違い結界の外で行うものです。外には魔獣がいます。命を落とすかもしれない作業です。せめて開墾から五年は税を取らないと保証しなければ―」
「ああそうだ。その田畑は結界の外側に造られるんだな?なら農民どもは結界を行き来するわけだ。領地に出入りするならば通行税も取れるな」
どうする?僕は頭の中で計算を始める。
最初の年は上手くいっても三十人分程度の食料しか増産できないだろう。ボーズドウフ領の村は平均で百人。村の蓄えと、もともと村にある農地からの生産物も考えれば当面の間は間に合うかもしれない。
だがそこに地租税が課されたら? 毎日、結界外へ働きに行くたびに通行税が取られれば?
そんなのは認められない。
「父上。確かに領民は結界の外には出ます。しかし、それは本来なら結界の中で行えていたはずの作業。通行税はあまりにも非情では有りませんか。命懸けで耕した土地からすぐさま税を取り上げることはできません」
つまらなさそうに父は僕を見降ろす。その瞳には何も映ってはいなかった。
「では一年の猶予だ」
「三年でお願いいたします。むしろ、税を課さない期間が延びれば伸びるほど多くの農民が開拓に挑んでくれるはずです。結果的にはその方が我が領も潤いますでしょう」
「ならん。これ以上、下々の者どもに譲歩するのはボーズドウフの恥ぞ」
「これで多くの領民の命が餓死から救われれば、その噂は必ずやここ帝都にも届くでしょう。それは王宮での父上の権勢の追い風となります」
ガシャンとガラスが割れた音が響いた。真っ赤なワインが床に滴り落ち、残りの大部分は僕の顔や燕尾服を紅色に染めていた。父がグラスを投げつけたのだ。何事かと周囲の視線が集まりひそひそと話し始める。
「二年だ。もししくじればその責任はすべてお前が負え。いいな」
「ありがとうございます」
頭を下げる僕を置いて多くの貴族たちに囲まれながら父は去っていった。
*
「もう無茶ばっかりするんですから」
そうボヤキながら僕の髪を拭いてくれるのはマリアだった。あの後すぐに駆け付けて代わりの服やら濡らしたタオルやらを用意してくれたのだ。
「多少ごねるだけで一年変わるんだ。ごね得だよ」
「でも、あんな自分のお立場を悪くするようなやり方でなくとも」
ポンポンと乾いたタオルで顔を撫でられる感覚。いたわってくれるマリアの声。それらに心の弱い部分が刺激される。
「……魔法の無い僕に残っているものは貴族という立場。それだけだ。その責務すら全うできなければ、一体僕に何の価値があるんだ」
言ってから後悔した。彼女の前では一人前の貴族であろうとしたのに。こんなんじゃ彼女と出会ったあの頃の自分から一歩も進んでいない。
タオルをマリアから取り上げて自分でゴシゴシと顔を拭く。もうとっくにワインも濡れたタオルの水分も拭き取られていたが、今の顔を見られたくない僕にはそうやって誤魔化すしかなかった。
しばらく静かな時間が流れ、やがて僕の手に冷たい指の感触があった。やさしく手を引っ張られタオルをどけられる。
明るくなった視界にマリアが映る。絹のようになめらかだけど、ふわふわした金髪。クルミのように綺麗な焦げ茶の瞳。可愛らしくも色っぽい泣きぼくろ。その全てに釘付けにされ目が離せない。
彼女はじっと僕を見つめた後、黙って少し濡れた髪に触った。指が僕の髪に入り込む。上から下へとゆっくり梳かしていく。指がまぶたや耳に触るとくすぐったかったが、黙ってされるがままにした。やがて髪をとかし終えると、最後に彼女は目にかかっている長めの前髪を分けて言った。
「私は貴族のリオン様だけを好いてお仕えしているのではありません。貴族でなくとも、魔法が使えても使えなくてもリオン様はリオン様です」
そう花のように笑う彼女に僕は心が癒されるのを実感していた。
「さあ、もう会場に戻りましょう。今宵も終わりに近いですが、せっかくの舞踏会なんですから」
「それよりテラスに行こうよ」
そう僕は誘うと彼女を連れて行った。秋ももう終わりに近づいている。空気は澄み少し肌寒かったが、だからこそ宙は満天の星空だった。
ムーンドール城の上からは城下の街並みがよく見える。街には温かな明かりが星屑のように散らばっていた。遥か彼方の僕の故郷、ボーズドウフにも同じ光が瞬いているだろうか。
青い月光が星月夜のテラスを包み込む。そこでは最後の曲が終わるその時まで二人のシルエットがワルツを刻んでいた。




