第7話 『特訓』
穏やかな木漏れ日がさす森の家。その中で一人の少年が厳しい表情で腕を組み、一人のエルフは頭に本を乗っけながらぷるぷると震えていた。
「左脚はもう少し斜め後ろの内側へ引いてください。右膝はもっと軽く曲げて。それは曲げすぎ。背筋は常に真っ直ぐにして、上から一本の糸でつるされている様に」
「もっと気品のある笑顔を浮かべて下さい。口元を引きつらせない。歯を見せて笑わない。初めてのお使いをしてきた子供じゃないんですから、もっと優雅な花のように笑ってください」
「あなたは婚約相手を探しに来たご令嬢ではないんです。騎士団長の肩書を持った貴族令嬢なんですから、もっと威厳のある美しい立ち振る舞いをして下さい。」
「口の周りに付いた汚れを服で拭かない! 後、ナイフで音を立てない。これは話相手との会話をガチャガチャした金属音が邪魔しなようにする気遣いから来ているんです」
そこまで僕が言った時、プツンとなにか切れる音がした。何の音だ? そう思った瞬間、目の前で轟音がした。シュナが皿ごと肉をナイフで貫いたのだ。いや、これはテーブルまで貫通してるぞ。凄まじい技量だ!
「うるさーい! 何が会話の邪魔にならない気遣いよ。別にちょっとナイフの音がしてても聞き取れるわよ。というかね、そもそもこんなしょうもないマナーを気にする人間の話なんて興味ないわよ。むしろガチャガチャに音を立てて話を妨害してやるわ」
「シュナさん。気持ちは分かりますよ。僕も時々こんなマナーいるか? 無駄じゃないか? 馬鹿なのか? そう思ったことは何度もあります」
でもね貴族の世界ではそれが出来ないと野蛮な人とか田舎者だとか本人にぎりぎり聞こえる声で、聞こえないように言われるんですよ。もう奴らは相手の粗を探す為だけに、生きているんです。一度見つけるともう一生影でグチグチ言われ続け、次の社交界からは良くて壁の花として壁際で立っているか、最悪は呼ばれなくなる。そうなるとおしまいだ。
でも、そんなことを彼女に言ってもなんにも言いことがないので別のことを言う。
「シュナさん。あの上から目線の馬鹿どもに上から目線で馬鹿にされて悔しくないですか」
「悔しい」
「マウント取りたいですか」
「取りたい」
「じゃあ、頑張りましょう」
これだけ見れば僕が彼女をいじめている様に見えるが実際には違う。この人そうとうなめんどくさがり屋なのだ。まず、部屋の掃除も家事も一切手伝わない。最近なんか、林で朝食の獣を狩ってくることもやらせてくる。
だが地味に僕が彼女に腹立つのは、細かい部分だ。例えば使った木のコップを水に付けといてくれないとか、ソックスを脱いだまま裏返しにして放置してるとかだ。せめて表にしろ。
ちなみに彼女はマナーの授業でたまったストレスを発散したいのか、剣術の訓練が異様に厳しい。質が悪いのは彼女が回復の呪術が使えるので、僕が怪我をすることになんの躊躇いも無いのだ。お蔭で青痣も生傷もきれいさっぱりなくなり、虐待の証拠が消される。
だから僕もマナーとムーンドール語の授業でやり返すのだ。この戦争はお互いがお互いの満足いく領域まで到達しないと永遠に続くであろう。
「じゃああなたがやって見せなさいよ。ほら音を立てずに食べてみなさい。言っとくけどね。あたしはエルフだからわずかな音も聞き逃さないわ」
キッと睨まれながら渡されたナイフとホークを使って、僕は林で獲った謎の獣の肉を一口サイズに切り取った。そのまま普通に口に運ぶ。やっぱりなんか味が違うな。マリアが作った味にならない。
なんと我がボーズドウフ家では僕に料理を作ってくれる料理長がいないので、彼女が用意してくれていたのだけど、それが今はとても恋しい。頑張ってやったことがない料理をしてみたけど全く上手くいかない。下手をすれば剣術や呪術より状況は芳しくない。
「なんでだろうな。頑張って市場で似たような調味料をそろえたのに」
「あんた、また新しい調味料買ってきたの!? 勝手に余計なもの買って来ないで」
「だって、我が家の料理はほとんど自給自足なんですから調味料くらい買ってきたっていいじゃないですか。それに料理は僕が作ってるんだし」
まるで奴隷の様にこき使われている僕だが、これでも最近体の調子がとてもいい。この毎日飲んでる小川の水がいいのかもしれない。
「で、ナイフの音はしてました?」
「……してた、してた」
「今嘘つきましたね。僕の目を見て言ってください」
「よし、食べ終わったわ。剣術の修行よ」
「えぇ!? 昼食の後はムーンドール語の勉強じゃあ」
「よし、修行よ」
もちろんその後は地獄だった。僕は木製の剣で、シュナさんは木製の槍で稽古をするわけだけれども、分かるまでボコボコにしてくるのだ。しかも最初から答えを教えてくれずに自分で答えに気づかせようとしてくるタイプの教え方なので、間違えまくってボコボコにされる。
僕は最初に答えを言って、次にその理由を教えてから相手にやらせるタイプなので、この教え方はやめて欲しいと思う。でも、彼女に言わせればマナーやムーンドール語の勉強と違って、命のやり取りをする剣術は自分で気づかないと身にならないらしい。
……たしかに理にかなっていると思う。悔しいが物事によってベストな教え方というものがあるようだ。実際に最近自分の剣術がどんどん上達しているのを感じる。
「シュナさんと貴族の衛兵たちどっちが強いんですか?」
「あたしに決まってるじゃない」
「公爵の衛兵より?」
「当たり前よ。なんせあたしは呪術が使えるもの。まあ呪術なんて使わなくても指一本で勝てるけど」
流石騎士団長だ。出来れば呪術も教えて欲しいけど、それは無理なので見て盗むことにしている。今や僕は打撲と生傷を直す呪術は完璧にマスターしたと言っていいだろう。
ちなみに骨折はまだない。流石に僕もギル爺と懸命に訓練してきたので、受け身はできるようになっている。
「ちびっ子の剣術って、なんかお行儀がいいというか礼儀正しいのよね」
「それって、どういう意味ですか?」
「なんか、気取った騎士団の剣術指南書をそっくり真似しました、みたいな」
……図星だ。だってしょうがないじゃないか。僕の先生は元帝都の騎士だったギル爺だったし、彼は傭兵の技術は教えたがらなかった。教科書も貴族のコネで取り寄せた指南書なんだから、行儀がいいのも当たり前だ。
「そんな拗ねた顔しないの。別に悪い事じゃないわ。綺麗で洗練された模範的な動きを覚えておくのは意味があるもの。基本が出来る前に変に実践的な剣技を覚えても、余計な癖がつくだけだわ。ムーンドールに居たころの先生に感謝することね」
「……はい。とてもいい人でした」
こっちに来ていて忘れようとしていた、あの時の悲しい気持ちが蘇る。色んなことを話してくれた。傭兵時代の旅の事とか、商売に騙されないコツとか。後、女の人に騙されないこととかも教わったな……あんまり変な事話さないでくださいってマリアが怒ってたっけ。
「すっかり夕暮れ時ね。まあ今日はこれくらいにしましょう」
「じゃあ、僕は市場に買い出しに行ってきます」
「また余計な物かって来ないでよ」
「買いませんて。夜が遅くなる前には帰ってきます」
そういって街に出た僕は、市場の方向ではなく貴族街へと向かった。
さて、貴族勢力を崩しにかかろう。
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