第5話 『査問会』
「それでは査問を始める。議長は我、フェルゼーンである。王立騎士団騎士団長、シュナ・エルハイム、入室を許可する」
騎士姿のシュナさんが入室し、査問室の中央に立った。その姿はとても堂々としたもので、いつものだらしない雰囲気は微塵も無かった。その姿はまさに命を預かる者の姿だった。
「宣誓を」
「宣誓、我、シュナ・エルハイムは王の名のもとに真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
「よろしい、では先のボーズドウフ戦役についての経緯を述べよ」
……そこからは概ね僕が知っている歴史と同じだった。主戦場がアスピア辺境領からボーズドウフになっていること以外はだが。
経緯としてはこうだ。シュナ率いるフェルゼーン軍がムーンドール帝国に電撃戦を仕掛けた。わずか一日でボーズドウフを貫通し、中央ムーンドールまで進軍。そこで、大公バフェットと激突し足止めを喰らう。その間に背後から救援に駆け付けたアスピア辺境伯軍に挟み撃ちに合い、撤退。
……というか我がボーズドウフ領、一日で突破されのか。雑魚過ぎる。大方、父も兄も帝都で権力争いにかまけていたら、突然領地が侵攻されてそのまま突破されたんだろう。
それで唯一、本邸に残っていた十二歳前後のリオン少年はきっと周囲から放置されてドタバタの中奴隷商に捕まったとかいう所なんだろう。記憶にはないけど悲しい。
「なぜアスピア辺境伯領ではなく、ボーズドウフ辺境伯を攻めた。先にアスピアを潰していれば、救援に来れず挟撃を浴びることも無かったかもしれぬ」
……いや、どっちを攻めても結果は変わらない。僕の世界で攻められたのはアスピアだったけど、結果は同じだった。短期間でアスピアが立て直し、中央ムーンドールで背後から挟撃し、フェルゼーンは敗れた。むしろこちらの戦争の方がアスピアと一度しか戦っていない分、被害が軽く済んでいる可能性まである。
「それは私がボーズドウフの方が、攻略が容易だと判断したからです」
「なぜだ」
「アスピア領はガルディアン山脈に隣接しており、魔獣が比較的狂暴なものが多い。アスピア家はそこの守護を任されているだけあって、精強な軍を持っています。事実、あそこは独自に魔馬を育てており、強力な騎兵隊も擁しています」
そうなのだ。ボーズドウフとアスピアだと、明らかにアスピアの方が強い。むしろ何故僕の世界ではアスピアが攻撃されたのか……
「それにアスピアの当主アスピア・ド・シェリンが存命なことも判断材料としました。彼は魔獣の討伐に非常に精力的で、それゆえに厳しく軍を統制しているとの情報も入手しておりました」
なるほど、こっちの世界ではシェリルの父君が御存命なのか。僕の世界の方では病で亡くなっていた上に、その次の領主であるシェリルはわずか十二歳。狙われるわけだ。
その時、傍聴席の方から癇癪を起したような声が上がった。
「ええい、そんなことはどうでもいい! 重要なのはそこの魔族がしくじったという事だ」
「そうです。我らが神を蔑ろにしたために、今回の悲劇は起きたのです。魔族など使うから、このようなことに……嘆かわしい」
騒ぎ出した声の主を確認する。あれは陽教派の者だな。この国も魔族への差別があるのか……いい加減にしてほしい。マリアも魔族だけど間違いなくこいつらよりは有能だろう。そう思っていると、ダントンがむさくるしい肉体で貧乏ゆすりをしながら舌打ちをした。
「あいつら、口を開けば魔族、魔族……そんなに人間様が偉いのか。俺達魔族だってこの国が生まれた時から戦ってきたんだぞ」
「おい、ダントン。気持ちは分かるが、口を慎め。今や陽教はこの国の最大派閥だ。ここで何か言っても団長の不利になるだけだぜ」
陽教……たしか僕の世界ではフェルゼーン滅亡後、新たな国を建国してたな。そのせいで決起式があって、ドリス村が、ギル爺が犠牲になった。
そうこうすると陽教徒達が調子づきだしてシュナへの誹謗中傷を始めた。
「自らの命惜しさに、逃げ出しおって。そうは思いませんかデビウス卿」
「まったくその通りですな。魔族ごときが騎士団長などとおこがましい。出世欲に囚われた悪魔が」
「流石公爵殿は分かっていらっしゃる」
「わたくしデビウスが軍を指揮していれば必ずや素晴らしい戦果を出していたでしょうに」
陽教の人間がデビウスとかいう貴族に話しかけた。どうやら陽教は貴族の勢力にも食い込んでいるらしい。しかも公爵か。デビウス卿ねぇ。
「みなさん静粛に。起きてしまったことは仕方がありません。私に一つ妙案があります」
「おお、サルヴァン聖下」
「さすが、聖下ですな。ぜひともお聞かせ願いたい」
僕はそのサルヴァンと呼ばれた初老の男を見た。黄金の司祭冠を被り、白い聖衣の上から幾重もの金色のローブを纏っている。太陽、人、火の模様が複雑に刺繍されており、手に持った純金の司教杖の先には紅玉が埋め込まれていた。
柔らかな笑みを浮かべた男だが、シュナを見下ろすその目はとても冷徹だった。どこか狂気のような薄ら寒さすらある。こいつ人を人とも思ってない。
「あの人は?」
「教皇サルヴァン聖下、今の陽教のトップだ。これは噂なんだが、どうやら学院の出身らしい」
「学院って、まさかハレム魔導学院……」
ハレム魔導学院……転移陣やあの魔獣の首輪を作った学院だ。こっちの世界でも名前が出てくるのか。
「そうだ。眉唾だよな。全てが謎に包まれた不気味な人だ。大体、学院ってのが実在するとしてだぞ? そこからどうやってフェルゼーンまで来たんだ? 絶対道中で魔獣に殺されるだろ?」
そんな話をしているうちに、サルヴァンが口を開いた。
「此度の戦は我が国に深い傷を残しました。軍はいたずらに傷つき、ムーンドールをつけあがらせ、民は不安に怯えています。しかし思うに、これは好機だと思うのです」
「おお、好機」
「好機とな」
「そうです好機。今こそ、この国は生まれ変わる時がきたのです。フェルゼーン王国から神聖王国サンシオへと!」
歓声が爆発した。人々は口々に褒め称え、鳴りやまぬ拍手を挙げる。なるほど、予定調和だったわけか。そこで初めて、シュナが声を張り上げた。
「それは如何なものか。この国の建国者はフェルゼーン王。しかも陛下には世継ぎもいらっしゃる。これは明確な反逆行為ではあるまいか」
「そうだ不敬だ!」
「おい、ダントン」
「不敬だぞ!」
ヒューイの制止も虚しく、着座していた騎士団の面々が次々に立ち上がった。貴族たちはサルヴァンに賛成する者もいれば、提案に対し不快そうに顔をしかめる者、我関せずを貫く者と三者三様であった。
その時サルヴァンの目が大きく開いた。
「静粛にッ。騎士団は黙りなさい。そもそもこの査問会はあなた達の失敗を咎める場と知れ。あなた達に発言する権利は有りません。王は衰え、民は苦境に喘いでいる。彼らの心のよりどころになれるのは我ら陽教! それ以外に存在しません。貴族方に尋ねます。この国を導くのに相応しいのは果たしてどちらか!」
その声は完全にこの場を支配していた。彼の言葉に反するのは道義に反するかのような力を持ち、賛成派は歓声と拍手を以て部屋を満たし、反論のある者は誰も反論ができなかった。だが、彼女だけはそれでも声を上げた。
「馬鹿な。この国の理念は人にも魔族にも希望のある世界を築くこと。そのために初代フェルゼーン王が建国成された……」
「黙れ魔族。そもそも神聖な査問会にそのような野蛮な甲冑姿で現れて、恥を知りなさい。その野蛮さが王国の品位を貶めるのです」
それを口火に次々とシュナへの非難と糾弾の声が巻き起こった。その非難の声はもはや人格否定にまで及んでいた。
シュナが俯き、黙り込んだ。見ていられない。悔しいのに言い返せない。周りに誰の味方もいない。そんな苦しみの前に拳を握りしめたまま立ち尽くす彼女の姿を見るのはとても辛かった。何より、元の世界で誰からも無視されている自分を見ているようで、辛かった。
だから黙っている訳にはいかなかった。
「待ってください、これはボーズドウフ戦役に関する査問会のはずです。王権の遷移の有無について議論する場ではないはずです」
「……あなたは?」
サルヴァンと目が合った。彼だけじゃない。この場の全員に見られている。どうしたんだ僕は。目立たないように息を潜めているんじゃなかったのか。ここで注目を浴びれば立場を悪くするぞ。そう貴族である自分が話しかけてきた。でもここで黙っているような自分は、僕の大っ嫌いな連中と同じだ。
「僕はフェルゼーン王立騎士団所属、リオンです」
思わず出まかせが出てしまったが、奴隷ですとはさすがに言えない。この場に奴隷がいるのは単純に問題だ。
「言ったでしょう。騎士団に発言の権限はありません。それに子供が出る場面でもない」
「まず発言の有無を決める権限はあなたにはありません。それを決めるのは議長であるフェルゼーン王であるはずだ。そして子供といいますが、この査問会の規則に子供の発言を禁じる文言はあるのですか。ないのであれば、発言は許されます。もう一度言います。これは査問会であって、王権について問う場ではありませんよね?」
サルヴァンの顔が一瞬氷塊のように冷たくなった。だが、すぐに人の好い笑みを浮かべて、柔らかい口調で話し始めた。
「なるほど、一理あります。では、一週間後に改めて王権について議論する御前会議を開きましょう。そしてその後は舞踏会です。恐らくその場は我が国が神聖王国サンシオへと生まれ変わる花々しい日になるでしょうからね。それで議長であるフェルゼーン王。今回の結論をお伺いしても?」
「此度の戦はそちら陽教が開戦を訴え、騎士団が作戦を立案し、儂が承認した。つまり王である儂の責じゃ。責任を負い王座から退位する。それが儂の孫娘への継承という形になるか、サルヴァンへの禅譲という形になるかは、一週間後の御前会議で決を採ろう」
その言葉を最後に査問会は実質的に閉会となった。彼らにとって敵対派閥である騎士団を非難できればそれで満足だったようで、後は形式的な答弁が行われたのみだった。
やがて解散となった後、となりのヒューイが恐る恐る話しかけてきた。
「おい、坊主。なんであんなこと言っちまったんだ。どうするつもりだよ」
「一週間あれば十分です」
「何が?」
「この国の勢力図を塗り替えるのにですよ」