第3話 『弟子入り』
目覚めると木組みの天井が目に入った。くすんで黒ずんだ木は古びていたが好きな色だった。丸い窓から差し込む白い日差しが眩しい。飴色の木の支柱と、塗り固められた土壁が暖かくて優しい雰囲気を醸し出していた。
……誰の家?
「おきた?」
エルフだ。昨日僕がお金を盗んだ上に、指の骨を折って、串を突き刺した後に火をつけたエルフがいる。ということは昨晩の呪術勝負に僕は敗北を喫したということだろう。あれは間違いなく全力だった。それで勝てなかったということはもう抵抗しても無駄だ。
そして僕の生殺与奪権を握っている彼女はとてもご機嫌斜めな顔をしていた。アーモンド形のくりくりとしつつも、つんとしている瞳があいまって迂闊に話しかけると噛みつかれそうな雰囲気がプンプンしている。ここは権謀術数の社交界で身に着けた貴族流の社交辞令から入ろう。
「……シュナ様もご機嫌麗しく」
「人のお金をすった挙句、追いかけてきた人の指を骨折させた上、文字通りの串刺しにして、火までつけといて、ご機嫌麗しゅうですってぇえ?」
「僕たち出会い方は良くなかったと思うんですけど、これから分かり合えると思うんです」
そもそもどうして僕がこんなに気を使わなければいけないんだ。むしろ被害者は僕だろう。僕は誘拐されたんだ。いや正論では誘拐したのは奴隷商であって、彼女は金銭的に商品を買い取った善意の第三者だからとかいうのは理解している。ただそれを認めるかは別問題だ。
「クソちびっ子白髪頭。あんたに質問があるわ」
「ひどいッ。いろんな陰口は言われてきたけどそれはひどいです」
チビッ子でも正直不満だったのにさらに酷い呼び名になった……駄目だ。昨日から色々ありすぎて思考が麻痺しているのか、頭がどうでもいい事を考え出してる。
「あなたどうして呪術を使えるの。ムーンドール人の癖に」
ここで下手に沈黙してしまえば、隠し事があるのがばれてしまう。だけど即座に適当な答えが返せるほど、彼女の質問は軽いものではなかった。この質問の回答は間違えられないぞ。なんて回答する?
逆質問をして時間を稼ごう。
「すべてお答えします。ただその前に一つだけ教えてくれませんか」
「なに?」
「あなたはどうしてムーンドールの人間にもかかわらず呪術が使える僕を国に突き出さないのですか? 客観的に見ても僕はとても怪しい存在に見えるはずです」
「……今、フェルゼーンは難しい状況なの。アタシが突きだしたら死ぬわよ。あなた。そうなると私は目的を果たせない」
目が本気だ。これは本当の話だろう。なら生き残るチャンスはある。もし僕を殺すはずなら国に突き出して拷問した後、処分するはず。でも今ここで僕が無事ということは、よほど彼女はムーンドールの知識が必要なのだろう。
「分かりました。では先ほどの質問ですが、僕はムーンドールの商人の息子です。呪術が使えるのは、過去にそちらの国と争った際に流れてきた本で読んだからです」
僕は僅かな間に考えた嘘を話した。ここで正直に全て答えるのはありえない。第一、別の並行世界からやってきたなんて信じてもらえないだろう。そもそも彼女の目的は十中八九ムーンドールで諜報活動を行うこと。なら僕が貴族だということは絶対に明かすべきではない。
「なんで呪術の本を読もうと思ったの。それもフェルゼーン語で書かれていたはずよ。よほど努力しなければ読めない。何か別に動機があったんじゃないの」
「フェルゼーン語を学ぶのが目的です。呪術の本はそのための参考書代わりに使っただけです」
しばらくの間、彼女は僕の目をジッと見た。生憎だが、僕だって伊達に貴族をやっているわけじゃない。どんなに僕の語調や視線、身振りを観察したところで絶対に嘘かどうか見分けられない。
「……どうしてフェルゼーン語を勉強しようと思ったの」
「今は戦争中ですが、もしかしたらフェルゼーンとムーンドールが貿易を行うことがあるかもしれない。そしてそれはとても大きな商売のタネになる。僅かでも儲かるの可能性があるなら用意しておくのが商人です」
お互いに緊迫した時が流れた。彼女の瞳の奥に冷たい光が宿っていた。昨日の戦いの時から思っていたけど、この人実はとんでもない実力の持ち主なのかもしれない。
でも呪術や剣術ならともかく、腹の探り合いでは僕が一枚上手だ。最初に彼女は僕を殺す気がないと匂わせてしまった時点で、主導権は僕のものだ。
「分かりました。ムーンドール語を教えます。その代わり、僕に呪術を教えてください」
「イヤよ。ムーンドールの人間に術は教えない。それに呪術はフェルゼーンでも使い手の限られた特異な術なの」
そうなんだ。てっきり呪術は貴族にしか使えない魔法と違って、誰でも使えるものだと思ってた。でももう少し粘りたい。
「どうせ秘密にしたところで、もう僕は呪術のことをある程度は知っているんです。なら今さら少しばかり教えてもバチは当たりませんよ」
「あ、あなたねえ、自分の立場を分かっているの?」
もちろん分かってる。僕は奴隷だ。でもただの奴隷じゃない。代わりのいない奴隷だ。
「あなたこそ自分の立場を分かっていません。断言しますがフェルゼーン語とムーンドール語を両方喋れるの奴隷は僕しかいませんよ」
ムキーと彼女は頭をかき乱した。たぶんこうした交渉事が得意じゃないんだろう。さっきから目が泳いだり、かんしゃくを起こしたりして何を考えているのかとっても分かりやすい。
「……無理やり教えさせることもできるのよ」
「その場合は命懸けで抵抗しますよ。最悪でも嘘を吐きます」
「……それでも無理よ。敵国の人間に呪術は教えられない。それにこれは本当に危険な術なの」
危険な術? 僕も今まで数回呪術を行使したけど、特にそんなことを感じた覚えは無いけど。それにそういう彼女自身も昨日は平気で使ってたし。だけど彼女の顔はとても嘘を吐いている様には見えなかった。
「呪術の何がそんなに危険なんですか」
「それは呪術の根底に関わる禁忌だから言えない」
「……分かりました。じゃあ、剣術を僕に教えてください。その槍、飾りじゃないんですよね」
「それくらいならお安い御用だけど……ほんとに、そんなんでもいいの?」
「はい」
シュナがあっさり妥協した僕を訝し気に見つめてくるけど、僕は黙ってうなずいた。最初から目的は剣術だ。どうせ僕はしばらく彼女から離れられない。だったら僕もなにか得るものが欲しい。でも呪術は流石に厳しいだろうというのは分かってた。ならせめて実力者そうな彼女から剣術を習おうと思ったのだ。
最悪の場合、魔獣がうろつくムーンドールとフェルゼーンの間を徒歩で踏破しなければならない。その時の為に、少しでも強くなっておく必要があった。
呪術の使い方は昨日の戦いで大体理解したし、自分で練習しよう。
昨日戦った感じ彼女には一切の隙が無く、体術だけでも相当なものだった。それを学べるならぜんぜん悪くはない。
「じゃあ決定ね。今日からあなたはわたしのことを師匠と呼びなさい」
「え?」
「それともご主人様がいいの? 奴隷君」
「いえ、弟子が良いです。師匠!」
「じゃあ、さっそくだけど庭に干してあるドライフルーツ取ってきて。昨日買ったアスラン
ジャーキーも食べたいから出しといてね。アタシ朝食まだなの」
僕はなにやら大誤算をしてしまったと気づくのに一日とかからなかった。彼女は極度のめんどくさがりやだったのだ。こうして僕の地獄の弟子兼奴隷ライフが幕を開けたのである。
「まさか僕が朝食の用意をする時が来るとは」
緑色に塗られた木製の扉を開けて外に出た。ぶつくさ言いながら外に出ると、美しい雑木林が広がっていた。どうやらこの家は、森の中にぽつんと開けた場所に建ててあるらしい。均一に揃えられてある芝生がふかふかしていて、足の裏が気持ちい。
それにしても静かだ。
木漏れ日が小さな湖に差し込んで綺麗な光を反射している。外から見た家の外観はやはりおしゃれだった。深緑色の蔦が壁を伝い、可愛らしいピンク色の花を咲かせている。茅葺の屋根の軒から穀物やら薬草やらが干されてぶら下がっている。その中に、赤いドライフルーツが混ざっていた。手に取って、匂いをかいでみる。
「甘すぎず酸っぱすぎない爽やかな香り……確かに朝食にはピッタリだ」
断面は薄い黄色で美味しそうだった。にしても切り方、雑だな。分厚いのから薄いのがバラバラで乾燥具合にもムラがある。マリアを見習ってほしい。
とにかく僕はそれを持って帰った。どうせ言われるだろうからと、木製のコップを持って湖へ流れ込む小川から水を汲んでくる。奴隷生活一日目、初めの朝食は謎の果物のドライフルーツに謎のジャーキーと小川の水であった。
「ありがと」
「なんかアンバランスじゃないですか。毎日こん……こういう風な感じのもの食べてるんですか」
「あなた奴隷の癖にずいぶん贅沢なこと言うわね。いつもは森で獲ったウサギや鹿を食べるの。時々、お菓子用のクルミとか栗を食べる日もあるけど」
やだこの人エルフしてる。絵本で読んだ通りだ。ムーンドールは結界の国でスペースがあまりないから、森なんか農業に邪魔なものはみんな切り払われている。だから僕が見た事あるエルフは貴族の嗜好で買われた使用人か奴隷ばかりだった。
「なんか新鮮ですね」
「いやあなたのせいで、今朝のメニューから肉が消えたのよ」
「え?」
「え? じゃないでしょ。あんたが起きた時、アタシが森に行っていなかったら逃げる気だったでしょ。また目を離したらいなくなってたなんてイヤ」
確かに。ああ、だから今朝不機嫌だったのか。僕を見張って動けなかったのか。いや、僕が逃げられないようにしつつ、狩に行く方法なんていくらでもあるだろう。さては馬鹿だな。この人。
でもこの様子なら逃げるチャンスはいくらでもありそうだ。でもその前に呪術についてもう少し情報収集してから行こう。もしかしたらこの家にも呪術の本があるかもしれない。そうでなくとも、ここはフェルゼーン。呪術の本場だ。この国から逃走するのはもう少し強くなってからでいい。
僕の脳裏には闘技場の魔獣の姿があった。魚のように無感情な目、気持ち悪い口と牙。あんなのがうろついている中、フェルゼーンからムーンドールへ逃亡できると確信できるほど、僕は自分を過信していない。
「で、今日の予定はどうするんですか」
「……今日は午後から王城での査問会があるの」
「王城? 査問会?」
「ボーズドウフの戦いで負けた責任を詰問する場所よ。アタシ達は命懸けで戦ったのに。そもそも戦力不足だとアタシは止めたのよ? 戦争を吹っ掛けるって言いだしたのはあいつらなのに……ふざけんなって感じよ」
憂鬱そうな顔でジャーキーを噛み千切るシュナさんを見ながら、僕もドライフルーツにパクついた。美味しいけど、砂糖がもう少しあってもいいな。
「それは大変そうですね。じゃあ午前中はどうします? ムーンドール語の勉強でもします?」
いや砂糖より紅茶が欲しい。やっぱり甘味には紅茶。これは外せない。
「いえ、剣術の修行にしましょ」
「え?」
「女の子はね、相手がちゃんと人の話を聞いてるかどうか分かるものなの。もうちょっと親身にあたしの話を聞くべきだったわね」
そう言って笑った彼女の目はちっとも笑っていなかった。そこからはサンドバッグと言っても過言ではなかった。顔は殴られなかったけど、体は痣だらけになるまでボコボコにされた。
分かってはいたけど、彼女は尋常じゃなく強かった。全ての所作に無駄がない。常に二手三手先を読まれ、フェイントなのか攻撃なのか一切見分けがつかない。どこまで実戦経験を積み、死線を潜ればあの領域に達せるのだろう。そうこうしている内に、出発の時間になったのであった。