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第1話 『僕には魔法が使えない』

 僕はボーズドウフ魔法辺境伯の子、ボーズドウフ・ド・リオン。今年で十六歳だ。一応、侯爵の息子なので子爵の地位を持っている。いやより正確に言うなら持っていただろう。


 今は粗末な麻布のぼろを着させられ、足の先には黒い鎖と鉄球が鈍く光っていた。これじゃあまるで奴隷じゃないか。


「なにがどうなっているんだ?」


 眼前には錆びた鉄格子。どこかからともなく男の咳き込む音が響いてくる。辺りは暗く、数か所おきに設置されている松明が唯一の光源だ。衛生環境が悪いのか今までの人生で嗅いだことも無いような臭気に鼻が曲がりそうになる。


「でも取り敢えず、生きているみたいだ」


 目の前の鉄格子に触れてみる。ざらざらとした手触り。すんすんと手を嗅いでみたら鉄の匂いがこびりついていた。


「だんだん目が慣れて……ん?」


 それまで暗闇にやられていた目がおぼろげながら光を捉えた途端、強烈な違和感が僕を襲った。


 ……白く幼い子供の腕だ。


 まさか僕の手なのか!? どうみてももう直ぐ青年に足を踏み入れる僕の腕ではない。見た感じ十二、いや十一か?どちらにせよ……


「体が小さくなってる?」


 ボーズドウフ・ド・リオン。この世の栄華を極めたムーンドール帝国の一貴族であった少年は、今やどことも知れない牢屋の中で呆然と自身の境遇に言葉を失っていた。


 *


 一人の子爵が突如奴隷となる一か月前のこと―ボーズドウフ魔法辺境伯の城館、その一室でリオンは一人ため息を吐いた。


 部屋にはあるのは文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽などの大量の書物。もちろん貴族の一員として僕はそれらを頭の中に叩き込んである。でも、今夢中になっているのはそれらではない。


「やっぱ駄目だな」


 もう何度となく失敗を繰り返した作業。諦念の混じる視線を書物へ落とす。墨で綴られた文字はこの国の言葉ではない。疲れた目を瞼の上から撫でつけ、竹簡を丁寧にタンスへ仕舞い込む。


 ふと窓を見ると外はもうすっかり夕方であった。


 窓ガラスに映る自分が疲れたと訴えている。父譲りの白髪に、母譲りのさらさらとした髪質と灰色の瞳。だがその顔には父や兄の様な威厳は無い。どちらかというと母上の良く言えば優し気、悪く言えば気弱な顔だ。


 僕には魔法が使えない。このムーンドール帝国の貴族はみなそれが使える。ましてや大貴族になればなるほどその規模・精度は優れていくはずなのに、自分はからきしだった。


 一般的に貴族の使う魔法は火・風・水・土・雷のどれかの系統に適性がある。だが何事にも例外はあるもので、それが僕の一族だった。ボーズドウフ家は代々、時空間魔法が使えた。


 どの属性にも当てはまらない一族固有の魔法は、ボーズドウフ家において命より大切のものだ。魔法が使えないボーズドウフなど、どれだけ領地のことを知っていようが、どれだけ剣を修練しようが意味がない。


 成長と共に僕に魔法が使えないと分かるにつれて、宮廷での権力を欲している父の興味は失せ、兄の敵意の目は軽蔑のそれに代わった。侍従長も侍女も一人また一人と離れていった。


 そんな僕が縋り付いたのが呪術だった。呪術とは自身の魔力ではなく、この世界に漂うとされる霊気に呼びかけ人外の術を操る術だ。そして僕が今さっき失敗したのが……


 “フレイ”


 呪術の基本である火花の術。指先に小さな火を灯すものだ。僕が手にしている古い書物によると最も霊気を使わない簡単な術であり、全ての始まりの術らしい。


 でもそれすらも僕には出来ない。


 呪術は僕の最後の希望だった。たとえ亡国の呪われた術を研究して、あるのかも分からない霊気などという妄想に媚びる狂人と罵倒されても構わなかった。


 だが霊気は僕に応えなかった。何度も何度も唱えて、念じてみても僕の指は火花を一つ生み出さない。


 呪術はムーンドールの発祥のものではない。フェルゼーンという過去何度もムーンドールと争い四年前に滅んだ国に伝わる術だ。


 当時はあまりの仕打ちに涙したものだった。フェルゼーンには活版技術がないのか、全ての書物が極めて貴重だった。それでも血のにじむ様な努力をして手に入れた書物を報われない苦しみから、びりびりに引き裂いて思いつく限りの悪態をついたこともある。


 でも結局、今日も可能性に賭けずにいられないのはきっと彼女が居てくれたからかもしれない。


 トントンとドアがノックされる。静かで控えめな音。僕はこの音が大好きだった。


「リオン様。お菓子をお持ちしました」


「ありがとう。入って」


「失礼します」


 僕のたった一人の侍女が入って来る。黒いドレスに白いエプロン。頭にはいつもの黒いリボンをあしらった白いキャップを被っていた。


 キャップから見える髪は薄く明るい金色。一礼の後ゆっくりと彼女が頭をあげると、くりくりとしたこげ茶の瞳が目に入った。目じりの泣きぼくろが愛らしい。


 彼女の名前はマリア。僕が七歳のころからずっと仕えてくれている女性だ。見た目では十七かそこらにしか見えないが、実際のところは分からない。もう何年も見た目に変化がないのだ。


 ムーンドールにはエルフを始め長寿な魔族も多くいる。きっと彼女もそうなんだろう。


「それにしても、もう六時か」


 白く底の浅い陶器のティーカップ。少し暖かいそれに、鮮紅色の紅茶が注がれている。品の良い香りが鼻腔をくすぐった。


「今日は何かお分かりになりましたか?」


「うん。呪術の威力は霊気の量以外にも、歪み? っていうものにも左右されるらしい。歪みがなんだか分からないけど……」


 我ながら進展のなさに情けなくなるな。焦りと不安がない混ぜになり、つい弱音を吐きそうになる。


「それでも、一歩前進ですね」


 そう嬉しそうにしながらお茶請けを並べていく彼女に僕は何も言えなくなった。


 本当に感謝しかない。彼女が毎日、僕がどんなことを見つけたのか、なにを発見したのか聞いてこなければとっくの昔にこんなこと止めていただろう。


 取っ手をつまむようにして一口飲む。自然とほっと息が出た。


 美味しいんだよなあ。


「明日は村へ視察に向かわれますか?」


「そうだね。でもその前に麦とタロ芋の相場と備蓄量を把握したい。そこの資料を取ってもらってもいいかな」


 最近よく僕は辺境の村に視察に行く。その理由は最近領地を悩ますある問題を解決するためだ。一言でいうなら土地不足。もう少し詳しく言うならこうだ。


 結界の向こう側、魔獣の領域の開拓。


「どちらにせよ今日はもう夕方六時だしマリアもゆっくり休んで―」


 そこまで言いかけた時ドアをノックする音が響いた。普段マリア意外にこの部屋がノックされることはない。面倒ごとの予感がしながら入室の許可を出すと、王宮にいるはずの父の従者が入ってきた。


 うわっと思わず嫌な顔をしそうになるのを押さえつける。王宮絡みの案件、それもこの時期ということは……


「リオン様。帝都での舞踏会にご出席くださいませ」


 いやです。と言えればどんなにいいだろうか。父が来いといったらそれはもう、拒絶不可の命令だ。


「分かった。具体的な日程はいつだ。それまでに服飾を揃えて―」


「今夜、七時にございます」


 は? 思考が停止する。いや、聞き間違いだろう……現実から目を逸らすんじゃないリオン。こうなったらどうにかして凌ぐしかない。


 こうして僕は数年ぶりに帝都ムーンドールの舞踏会へと行くことになったのであった。


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