第9話 入院生活 その②
黒岩の事故と入院を聞きつけて、高校の同級生たちや野球部の仲間が毎日のように入れ替わり立ち替わり見舞いに訪れた。千客万来である。しかも皆、若い衆。賑わいを通り越してかまびすしい。個室で良かったと、歩はつくづく安堵した。
「歩、帰って来てたのか!」
「相変わらず可愛いな」
「歩ゥ、私服姿もキャワユイのう!」
「可憐だ」
「私服萌えだ!」
その日も、元野球部の面々が見舞いに訪れた。
服で萌えられる歩。ちなみに、今着ているものは花柄プリントのブラウスに白いチノパンだ。何をかいわんやである。そもそも、歩の母親のセンスにも首を傾げるところがあった。何故だか、長男に赤やピンクの服を着せたがるのだ。
唯々として従っている歩自身も問題だが、彼には洋服屋へ行くのを躊躇う理由があった。それは、男としての外見的コンプレックスだ。小柄な上に可愛過ぎる花の顔の所為で、必ず女性として接遇されるからだった。メンズファッションを覗いていると『プレゼントをお探しですか?』と訊かれるので『いいえ、自分用です』と答えると、店員から怪訝な顔をされるのが常だ。
いっそのこと『弟へのプレゼントです』とでも言ってみようかと考えたこともあったが、まだ七歳の弟をダシにしてまで服を買うことに一抹の悲哀を覚えて断念した。かつては通信販売を利用したこともあった。しかし、何度か失望感味わっている。
結局、母が買い与える限りなくレディースに近い服に甘んじるしかなかった。
「おいっ、いきなり歩かよ。俺の見舞いに来たんじゃないのか!」
主役のはずが、完全に無視されている黒岩がへそを曲げていた。
「わりィ」
笑いながら皆が口々に黒岩を気遣って声をかけた。
「すまんすまん。つい、目が綺麗な景色を求めてしまった。で、どうして事故なんか起こしたんだ? 運転中にエロいことでも考えてたか?」
「うむ。エロいっていうか、ちょっと妄想に耽っていたら目の前に電信柱が現われて、慌ててブレーキを踏んだが、間に合わなかった」
「ヤバいだろ、それ。身体の方はどうなんだ?」
「打撲と骨折と外傷。内臓は大丈夫。頭も少し打った。だが、全て早急に気合いで治す!」
「頭を! 記憶喪失とかにならなかったのか? いったいどんな妄想に耽っていたんだよ?」
「記憶を失うわけにはいかない。だって、俺は歩とのデートに行く途中だったんだからな。そんな大事なこと、絶対に忘れん! 歩とあんなコトやこんなコトをしようと絶賛妄想中だったんだ」
「「「「「 なんですとォ——!? おまえら、いつの間に!? 」」」」」
五人の元野球部員全員が黒岩と歩の顔を交互に見ながら、異口同音に驚きの声を発した。
「黒岩! デートとか言うな」
歩が慌てて訂正を促した。
「俺たちはそのうち合宿に行くことになっている」
黒岩はおかまいなしに得意げに喋る。
「何の合宿だ?」
「おまえたち何かのサークルにでも入ったのか?」
「そもそも大学違うだろ」
「合宿かぁ」
「懐かしいな」
皆『合宿』に喰い付いた。
「恋愛の合宿だ。俺と歩は恋愛の稽古をするんだ」
「黒岩! もう黙れ」
歩は黒岩の口を塞ごうとしたが、皆は興味深げに畳み掛けてきた。
「恋愛の稽古って何だ?」
「決まってる。Hをするんだ。何度も稽古して上手くなるんだ」
「「「「「 ええ――っ!! 」」」」」
「歩ゥ、なんということを!」
「黒岩が羨まし過ぎる」
「はやまるな、歩」
「俺もその合宿に参加させてくれ」
「ダメだ! 断る! 歩とふたりだけで行くんだいっ!」
「俺は行くぞ!」
「俺も行く!」
「俺もっ」
「俺だって!」
「是非、ご一緒させろ!!」
「させるかーっ‼」
ついには「させろ」「させない」の押し問答で大混乱となり、病室は興奮の坩堝と化した。
「何を騒いでいるんですか!?」
異常な盛り上がりに驚いた看護師が、慌ただしく駆け込んで来た。
「ここは病院ですよ。静かにしなさい!」
当然、全員こっぴどく叱られた。
* * *
「あ、こんにちは。同じ大学の中島です。黒岩の彼女さん……ですか?」
黒岩の大学の友人が見舞いに来た。
見るからに勉強ができそうな秀才タイプだ。彼は歩を見るなり、そう尋ねた。
「いえ、俺は……あっ」
勘違いされて動揺した歩は、剥いていたリンゴを落としそうになった。
「『俺』? これはまた、ずいぶんとボーイッシュな方だ」
中島と名乗った彼は笑みを浮かべながら、改めて上から下までしげしげと歩の全身に視線を這わせた。
間違いに気づけとばかりに、歩は毅然とその不躾な視線を受け止めた。
「でも、これだけ綺麗なら多少言葉使いに難があっても大丈夫です。僕はぜんぜんOKですよ」
注視の甲斐もなく、中島は自らの勘違いに気づいていない様子だ。
何がOKだ! 見られ損の歩はがっくりと肩を落とした。
「ふふん、彼は男だ。めっちゃ綺麗だけどな。高校の同級生で……」
黒岩がしたり顔で説明しようとした。
「男!? うわぁ、ごめんなさい! 失礼しました! すみませんすみませんっ‼」
黒岩の言葉も終わらないうちに、中島は何度も頭を下げて謝った。
「そんなに謝らなくてもいいですよ」
引くほどの勢いで頭を下げられ、却って歩は恐縮した。相手に悪気がないとわかっているだけに怒りはない。しかも、女性に間違えられるのは毎度のことだから半ば諦めてもいるし、何より病院では『妹』で通しているので、むしろ好都合でもあるのだ。
高校を卒業して制服を着る機会がなくなり、最初から男として視られることが稀だった。着ているだけで性別がわかる制服の有難さを、今更ながらしみじみと噛みしめる歩である。
学ラン、万歳!
「でも、これだけ綺麗なら男でもいいって、なっちゃいますよ。えーっと、お名前は?」
「……片山歩、です」
「あなたにぴったりの可愛らしい名前だ。歩さん、これからの人生を僕と共に歩んでくださいませんか?」
意外と積極的だ。中島は目を輝かせてリンゴごと歩の手を取った。
それを見かねた黒岩の心中は穏やかであろうはずがなかった。
「こらーっ、何言っとるか! 手を放せ! それは俺のものなの!」
「あっ、リンゴ。はい、どうぞ」
中島は歩の手から剥きかけのリンゴを取って、黒岩に渡した。
「違う! 俺の歩に触るなっちゅうねん」
「えっ? 黒岩くん……ソッチ系の人だったの?」
「違う! 俺はソッチ系でもアッチ系でもない。ただ歩が好きなの!」
「僕もだけど?」
「ふたりとも、そこでストップ!」
堪りかねた歩は、言いたいことを敢然と言い放った。
「はっきり言うけど、俺は黒岩のものでもないし、男でもいいって言われても俺はよくないし、名前は歩だけど、恋をするなら俺は突っ走りたい。それが若さってもんだと思う」
「「 おお――っ! 」」
ちょっぴり漢らしい歩に、黒岩と中島は感嘆の声を上げた。
そして、「俺も突っ走るぞ!」と黒岩が言い、「僕だって突っ走りたい!」と中島も賛同した。
はからずも、三人の若者の意見は同じだった。




