第5話 同伴喫茶!? その②
「部活やってる頃、なんでか知んないけど炭酸禁止だったんだ。で、その反動で飲み物は今じゃ炭酸ばっか」
黒岩は笑顔になってコーラに浮かぶアイスクリームを掬った。
「黒岩、甘いもの好きなんだな。おまえの方が女子みたい」
高校時代は直接絡むことが少なかったとはいえ、黒岩のことをあまりに知らな過ぎたと歩は改めて気づいた。そして、この短い時間で知った彼の意外な一面に驚きと新鮮さを感じていた。
「ってか、そう言う俺もけっこう甘党なんだけどな」
歩はアイスコーヒーのグラスを引き寄せ、付属のシロップとミルクを残さず入れてストローでかき混ぜた。濃い褐色が瞬く間にキャラメル色に変わり、透明な氷がグラスの中でカラカラと回った。
「歩……やっと笑ってくれたな。おまえを笑わせられるなら、バケツいっぱいのアイスだって喰うぞ」
「やめとけ。腹壊すから」
「大丈夫。マジで甘いもの好きだから。甘いの、柔らかいの、可愛いの……歩。俺、歩が好き」
黒岩の好きなものの延長線上に歩の名前が挙がった。不意の告白だった。否、サインは出ていたのかもしれない。書店で逢った時から。もしくは、高校時代から。
「黒岩……?」
歩は黒岩を見つめて、その『好き』の意味を探った。
「ずっと好きだった。俺にとっておまえは友だち以上で。恋人……みたいになれたら、って思ってる」
黒岩も歩を見つめ返し、『好き』の意味を明らかにした。
「そう……か。だけど、俺、男だぞ。黒岩、頭いいのにバカだな」
そう返すのが精いっぱいだった。女子のように扱われて怒った歩だが、黒岩の気持ちを頭から否定する気にはなれなかった。同性を恋愛の対象とすることの苦しさを身を以って知っているから。時代も価値観も移り変わるとはいえ、必ずしもその波に自分が上手く乗れているとは思えなかった。
「高校の時は、おまえを見ているだけで幸せだった。でも、卒業して会えなくなって、心に穴が開いたみたいになって、寂しくてつらくて……こんな苦しい毎日、もう限界かと思ってた。そしたら、偶然おまえと逢えた。これは運命だ、って直感したんだ。このチャンスを逃したらもうダメだ、って。だから、覚悟してはっきり言う。歩、俺とつき合って」
黒岩の声が震えていた。緊張が伝わってくる。歩も平常心ではいられなかった。ストローを挟む指が震える。返す言葉に詰まっていると、黒岩は続けた。
「ダメか? こんなこと言う俺、嫌いになるか?」
嫌いにならないでと懇願するような黒岩の眼差しに、歩は自らの恋を重ねていた。理仁亜を見る時、自分もこういう目をするのかもしれないと。限界と思えるほどの苦しい毎日。それは歩も同じだった。夏休みに入るや、逃げるように帰省した。理仁亜と颯也が仲睦まじく暮らす地で、独り寂しく居続けることに耐えられそうもなかったからだ。
「嫌いになんか、なるわけない。……だけど、俺ね、片想いしてる人がいる」
黒岩の真剣さに、歩も真情で応えた。
「好きな人がいるのか」
「うん。だけど、彼には恋人がいる」
「彼……って、おまえが片想いしてる人って、男なんだな」
黒岩の表情には、ことさら驚きの色はなかった。はからずも、片想いの相手が同性であることを彼に知られることになった。
「年上の人だ」
「恋人がいる年上の男。なんだか……いろいろガチだな。歩、顔に似合わずスゴイよ。その人、おまえの気持ちを知ってるのか?」
「知らないと思う。知る必要はないんだ。諦めなくちゃいけないって、わかってるんだけど、今はまだ……」
人を好きになって、かなわぬ想いに身悶えしていた。そんな最中に、友だちと思っていた同級生からの突然の告白。心の整理がつくはずもない。歩は力なく首を横に振った。
「おまえも苦しいんだな。でも、諦めなくていいよ。おまえが誰かを好きでもいい。俺を嫌いでなければ。だから、俺と……」
「好きな人がいるのに他の人間とつき合うなんてできないよ。第一、そんなの不誠実だろ。おまえに失礼だ」
「歩……! いいんだ。俺はそれでもいい」
黒岩の双眸が潤んでいた。瞬きひとつで涙が零れ落ちそうだった。
「よくない。おまえのことは尊重してるから」
黒岩がどう想うにせよ、歩にとって彼が大事な友人であることには変わりない。
「そんなこと言われたら、ますます……惚れてまうやろ!」
「あぁ……うん、ごめん。俺、こういうことに馴れてないから……ほんと、ごめん」
駆け引きとして、心にもない侮蔑的な言葉を並べて黒岩を諦めさせることもできたのかもしれない。しかし、歩にはできなかった。考えが至らなかったというよりは、友を傷つけたくない思いが勝った。
「どうして謝るんだよ。悪いのは俺だ。俺の方こそごめん。好きになって、ごめん」
とうとう黒岩の瞳からポロポロと涙が零れた。
「おまえこそ謝るなよ。何も悪くないのに。それに……泣くなよ。黒岩、せっかくカッコイイのにカッコワリィぞ。拭けよ、ほら」
歩はハンカチを取り出して黒岩に渡した。
「すまん。借りる」
黒岩は涙を拭き、ついでに洟もかんだ。
「やっぱ優しいな、歩。……洗って返すから」
「いいよ。そのままで」
歩が黒岩の涙を見るのは、これで二度目だった。一度目は去年の夏、県大会で負けて甲子園への夢が断たれた時。あの時もハンカチを貸してやりたかったのだ。黒岩はアンダーシャツの袖で涙を拭っていた。小さな子どものようにしゃくり上げて泣きながら。涙と汗と泥で、せっかくのハンサムな顔が台無しだった。だが、歩はハンカチを貸すことはできなかった。自分も泣いていたから。応援に来ていた周りの皆も泣いていた。
頭は良いのに馬鹿で、格好良いのに格好悪い黒岩。多くの女子が彼に憧れていた。なのに無頓着のまま。彼女いない歴は年齢と同じ。そんな愛すべき友、黒岩。彼から告白されたことを光栄に思うべきか。
「なあ、おまえが片想いしてるその年上の男性のこと、教えて」
「……スポーツマンで、背が高くて漢気があって、とっても優しいんだ」
歩は優しく微笑みかける真田理仁亜の貌を思い浮かべた。魅力的な優美な表情、深みのある柔らかい声、温かく包み込むようなオーラ、その他、言い尽くせないほどの素敵さ。
「なぁんだ。俺みたいじゃん」
黒岩が笑った。泣いたかと思えば、すぐ笑う。表情が豊かで心の動きがわかり易い。
「そう言われればそうだな。似てるかも」
つられて歩も笑った。確かに、理仁亜を形容する言葉は黒岩にも当てはまる。しかも、理仁亜が卒業した大学に通う黒岩は彼の後輩でもあるわけで、学力的にも遜色はない。
「だったら、俺をその人の身代わりにすればいい。練習台でもいい。……そうだ! 俺と恋愛の練習をすればいいじゃないか」
「身代わりって……おまえをそんなふうに扱えるわけないだろう。それに、恋愛の練習って何だよ?」
「練習は練習だ。野球だって何だって練習すればするほど上手くなるだろ。だから、恋愛も練習次第で上手くなると思うんだ。そしたら、おまえは鬼に金棒で、俺は金属バットからプロ仕様の木製バットに格上げだ」
「ちなみに、それはどんな練習メニューになるんだ? まさか、早朝の海岸を二人で走る、とか?」
「ははっ、それ、どんな青春ドラマだよ? 70年代かよ。いいか、恋愛の練習といえば、ずばりデートだ。例えば、喫茶店でお茶したり、映画を観に行ったり、遊園地で遊んだり、だな」
「それなら、俺たちは今デートしてるってことだな」
「それから、手を繋いだり、キスしたり……」
「ん?」
「ふたりきりの部屋で……」
「ちょっと待て!」
次第に内容がエスカレートし始め、歩は焦った。
「俺たちは小学生じゃない。Hをするに決まっている!」
「そういうの絶対無理だから」
「何で? おまえ性欲ないの?」
「黒岩をそういう対象として考えられない。おまえに1mmも性欲を覚えない」
「俺は最初から歩をそういう対象として考えている。キッパリ」
「おまえは肝心なことを見落としているぞ。俺は、男だ」
とは言ったものの、相手が理仁亜なら、歩は自分が男であることも障害ではなくなるから不思議だった。ひとつ屋根の下に住んでいる理仁亜と颯也は、当然、黒岩が言うようなことをしているはずだと容易に想像できた。実際に、颯也からいつも惚気話を聞かされていた。
『理仁亜は僕がねだると、お姫様抱っこでベッドに運んでくれるんだ』とか。『理仁亜ってば、ああ見えて、とても情熱的なんだ。おかげで今日はちょっと寝不足だよ』とか。
ベッドに運ばれた後はどうなるのか? 寝不足になるほどいったい何を……!? 想像するだけで卒倒しそうになったものだ。
「男同士でも、できる……らしい」
「その微妙な間は何だ? 黒岩、おまえ経験あるのか?」
「知らん」
そう言う黒岩の目が泳いでいた。やはり、わかり易い。
「その言い方だと……あるな?」
「いや、厳密に言うと、ない」
「じゃあ、ざっくり言うと?」
「知らん」
黒岩の目は泳ぎっぱなしだ。
「何だそれ? 知らん、って」
歩は興味が湧いて、黒岩に詰め寄った。
すると黒岩は赤面しながら訥々と口を割った。
「二年の時、試合に負けて先輩が泣いてて、俺の胸で肩震わせて……その先輩がちょっとカワイイ系で……慰めているうちに、ついムラムラッとして……流れで、唇を……ぎゃーっ! 言わすな! ありがちな事故だ!」
「ふ~ん、そういうこと、ありがちなんだ」
黒岩の供述で、体育会系部活動に対する歩の見方がいっきに変わった。
「いや、そんなことは……! あぁ~もうっ、じゃあさ、この夏休みの間だけでもちょくちょく会って一緒に遊ぶってのはどうだ? Hしたくても必死で抑えるから」
「そういうのを必死で抑えてるやつと普通に遊べるかな?」
「大丈夫! そのうちにおまえの気持ちも変わるさ」
そう言うと、黒岩はコーラフロートを飲み干した。前向きなのか、楽天的なのか。おそらく、その両方なのだろう。
「じゃ、まず初デートは何処にしようか。あ……あのさ、俺ん家、今誰もいないんだけど……今から、来るか?」
鼻の頭を掻きながら照れくさそうに黒岩が言った。下心が丸見えだった。
「行かない」




