最終話 片山歩の決着
学生寮に戻った歩は、実家から宅配便で送っておいた学術書などの荷物を整理しながら、そのうちの一冊の書籍を手に取った。
「黒岩……」
それは帰省してすぐの頃、実家の近くにある書店で購入したマーケティング理論の著書だった。見つけた時、それは書架の最上段にあって、必死につま先立ちをして手を伸ばしていたところを黒岩に声をかけられた。
始まりは、書店での偶然の再会だった。
高校時代の同級生の一人に過ぎなかった黒岩健斗は、その後、歩にとってかけがえのない存在となった。距離を隔てて尚、想い合う相手として。
「そうか。これが……」
これが遠距離恋愛というものか。歩は感慨に浸った。まさかそれを自分が経験することになろうとは。
『~♪ ~~♬』
折しも、携帯端末が着信を告げる音楽を奏で始めた。
発信者の名前を目にした途端、歩は否応なく高鳴る己の心拍に戸惑った。
* * *
「片山くん、久しぶりの帰郷はどうだった? 弟さんと妹さん、喜んだだろうね」
温かく包み込むようなオーラ。安心の気に満ちた和やかなたたずまい。呆けて見惚れてしまうほどの美貌のその男性は、歩の正面に腰を降ろし、深みのある柔らかな声でそう言った。
その男性、真田理仁亜。久しぶりに会う彼は少し日焼けしていた。
理仁亜への眷恋は、ひと夏を過ぎ、今はセピア色になって鎮まる。だが、彼に恋をしたという事実は消えることはない。それは勲章さながらの価値を持って、歩の海馬に静かに眠る。
電話は理仁亜からだった。要件は夕食の誘い。断る理由のない歩は快諾した。
通話の後、程なくして理仁亜が颯也と共に車で迎えに来て、三人は近くのファミリーレストランに入った。
「ええ。寝る時も風呂も、ずっとくっ付いて離れなくて困りました。可愛いんですけどね」
「寝る時も風呂も!」
歩の返答にすぐに反応したのは、颯也だった。
「僕たちと同じだ。ねっ、理仁亜」
「う、うん、まぁな」
張り合わなくてもいいのに、と言いたげに理仁亜は苦笑いを浮かべて頷いていた。
「片山くん、僕と理仁亜はね、永遠の愛を誓ったんだ。僕たち、新婚旅行に行ったんだよ。ねっ、理仁亜」
「うん、そうなんだ」
理仁亜が続けた。
「リフレッシュ休暇が取れたから、思い切って海外に行こう、ってことになってね。南の島へ行ってきたよ」
「南の島……新婚旅行!」
その二つのワードが、それぞれに強いインパクトを伴って歩の琴線に触れた。
「僕たち、南の島の聖なる洞窟で結婚式を挙げたんだ。怖い呪いの仮面を着けたシャーマンによる婚姻の儀式がとても神秘的で感動したよ。そのシャーマンが唱えていた祝詞のようなもの、一部分だけ憶えてる。『ジンナマイ ハンジナ トジンナ』とか言ってた。意味はわかんないけど、なんだか厳粛だった。一生忘れられない体験だよ。ねっ、理仁亜」
「そうだったな。でも、あの呪いの仮面は怖かったなぁ」
「怖い、呪いの仮面……ですか」
歩は黒岩の父・真吾を思い出した。見送りに来てくれた時も件の呪いの仮面を着けていた。案外、気に入ってくれたのかもしれない。不意に、そのシャーマンと慎吾の姿が重なった。不思議と違和感はなかった。
「それでね、片山くんにお土産があるんだ」
「えっ、南の島の……!?」
とっさに歩は身構えた。まさか、呪いの仮面では? めぐりめぐって自分の元に還って来たというのか。
「これなんだけど」
照れたような表情を浮かべながら理仁亜が取り出した物は、青いビロードの巾着袋だった。
「気に入ってもらえると嬉しいんだけど。よかったら、開けてみて」
掌に載る大きさからして、仮面の類ではないことがわかり、歩はホッとした。尤も、理仁亜からの贈り物なら呪いの仮面だろうと何だろうと、ありがたいことには変わりないのだが。
「わぁ……!」
中身を取り出して、歩は思わず感嘆の声を上げた。
「綺麗」
出てきた物は、色とりどりの小さな貝殻で出来たブレスレッドだった。貝殻の一つ一つが、幸せ色のジュエリーのようにキラキラと輝いていた。
「手作りなんだ。泊まったホテルのプライベートビーチに可愛い小さな貝殻がたくさんあって、つい夢中になって集めて……」
「理仁亜はそれで日焼けして、その夜、身体に触らせてくれなかったんだよ」
「日焼けの所為もあるけど、作業優先だったからな」
「えっ、作業って?」
「理仁亜ってば、ソーイングセットまで持って来てたんだよ」
その作業内容を颯也が説明した。
「集めた貝殻にキリで小さな穴を開けて、せっせとゴム糸で繋いだんだ」
「真田さんの手作りなんですか!? ソーイングセットまで用意して……。真田さん、器用なんですね」
歩は、恋人そっちのけで手芸に勤しむ理仁亜を想像した。そのミスマッチな姿は微笑ましくもあったが、南の島での貴重な一夜をふいにさせてしまったのかと思うと、申し訳ない気がしなくもなかった。
「旅にソーイングセットは必需品だからね」
「ゴム糸やキリまで入ってるって、装備がすごくない?」
「標準装備だろ」
「まぁ実際、役に立ったけどね。他にも……理仁亜が僕の服を荒々しく脱がそうとしてボタンがちぎれて、後で縫い付けてくれたんだよね」
「なっ、何言って……そんなことまで言わんでいいだろ、颯也!」
「理仁亜って、せっかちなんだから」
食べる前から『ごちそうさま』と言いたくなるような仲睦まじいふたりのやり取りを眺めているうちに、歩の頭の中にその光景が浮かんで来た。
果てしなく広がる碧い空とエメラルドグリーンの海。眩しい白砂の海岸。風に揺れる椰子の葉。パラソルの下のデッキチェア。トロピカルドリンク。そこは地上の楽園、リゾートアイランド。時間の流れさえもゆったりと進む非日常。
但し、何処にいようと、いつもいつでも、颯也の服を着せるのも脱がせるのも、理仁亜が担うことに変わりない。
「二つ作ったんだ。そのピンク系のは片山くん用で、もう一つは、片山くんの未来の恋人用として。まぁ、恋人腕輪、ってとこかな」
「え?」
確かに、袋の中にはもう一つ入っていた。しかし、それは明らかに……。
「理仁亜、おかしくない?」
颯也が異論を挿んだ。
「どうして片山くんがピンク系で、恋人用がグレー系、しかも一回り大きいわけ?」
「あっ!」
指摘されて初めて気づいたといった様子で、理仁亜は愕然としていた。
「また片山くんを女子と勘違いしたの? それとも片山くんの未来の恋人を男性と想定して?」
「ついイメージで……片山くんは白やピンクが似合うから。ごめん、深い意味はないんだ。本当に、ごめんね」
平謝りの理仁亜に、歩は却って慌てた。
「大丈夫です! 俺、明るい色、好きですから」
何より、理仁亜の気持ちこそが歩はひたすら嬉しいのだ。どんな勘違いも問題にならないくらいに。そもそもピンクは好きな色だ。
「さっそく嵌めてみます」
歩はブレスレッドに手を通した。サイズも申し分ない。明るい色の貝殻のブレスレッドは、歩の細い手首に誂えたようにぴたりと嵌まった。
「よく似合ってる! ねっ、理仁亜」
「うん。さすが片山くんだ。ピンクが似合うね」
何が『さすが』なのか今ひとつわからなかったが、ふたりから似合うと言われて、歩はますます嬉しくなった。
「ありがとうございます。大事にします」
「喜んでもらえて、俺も嬉しいよ」
「僕も、一晩おあずけを喰らった甲斐があったよ。ねっ、理仁亜」
やがて、料理がテーブルに届いた。
三人は同じものを注文していた。このレストランで定番のおすすめメニュー、ハンバーグステーキだ。
「いただきます」の後、驚くべきことが起こった。
否、一般的な常識として、それはごく当たり前のことなのだが、歩は、ヒトの進化に目を瞠った。なんと、颯也が自分でナイフとフォークを持って食べ始めたのだ。それを見て、『取扱説明書』は、もう必要なくなったのだと知った。
皆、成長し、変わっていく。自分もまた。
理仁亜が作ってくれた恋人用のブレスレッドは、冬休みに帰省した時に黒岩に渡す。だけど、もしも彼女が出来ていたら、渡さずに仕舞っておく。歩はそう決めた。どっちに転んでも、黒岩が幸せなら自分も幸せだ。でも、どちらかと言うと、渡したい気持ちが勝る。黒岩に恋人腕輪を。彼はきっと喜んでくれると思うから。
「あっ、言い忘れていました」
歩は大事なことを思い出した。ふたりへの祝辞だ。
「真田さん、桐島くん、ご結婚、おめでとうございます!」
「「 ありがとう!! 」」
* * *
三か月後。
「というわけで、これはおまえの分」
「何が『というわけ』なのか、よくわからんが。うっ……嬉しいっ! これが結婚腕輪か。ついに歩からプロポーズされた!!」
「プロポーズなんてしてない」
「おまえがウエディングドレス着る? それとも……まさかの俺?」
「やっぱり、頭いいのにバカだな、健斗」
了




