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第15話 「もっと深く、おまえを知りたい」

「なあ、歩、脱ごう、これ」


 言うが早いか、黒岩は歩の浴衣の帯を解いた。


「何すんだよ!」


 布団の上でゴロゴロ転がってじゃれ合っているうちに、ふたりの浴衣は(はだ)けて帯の締まりも緩くなっていた。黒岩が端を引いただけで歩の帯は簡単に解けた。


「ダメか? 生きていれば、いつかは夢が叶うって実感したばかりなのに……歩……あの時のおまえの言葉で俺は……三途の川を渡ろうとしていたところを引き戻されたと言っても過言ではない……かもしれないのに」


 黒岩が哀れっぽく、またもや伝家の宝刀を抜いてきた。


「もうっ! それ、やめろって。……わかったから」

 

 かつての自分の言葉に縛られ、歩は浴衣を脱ぐはめになった。


「歩!」


 黒岩は自らも浴衣を脱ぐと、きつく歩を抱きしめた。


「苦しいっ、腕緩めろ」

「緩めたくない! 放したくない。俺の我儘、聞いてくれるんだろう?」


 黒岩の切ない哀訴が耳朶を打つ。かかる吐息がくすぐったい。


「黒岩、ちょっと落ち着け」


 歩は黒岩の胸を押して間合いを広げた。

 しかし、黒岩の方は落ち着くどころか、逆上して言い募る。


「こんな状態で血気盛んな若者が落ち着けるかっての! この期に及んで……おまえは初心(うぶ)なネンネかっ! それとも稀代のぶりっ子か! ふたりで裸になって同じ布団に寝たら、やることは一つだろうが! 歩、頼む。もういい加減、観念してくれ」


 未だ、歩には迷いがあった。黒岩と『合宿』に行くと決めた時から覚悟はしていた。彼が望むなら好きにさせてもいいと。勿体ぶるつもりはなかった。ただ、真田理仁亜を想っている。件の彼は友人の恋人だ。横恋慕しているような人間が黒岩の人生初の相手として、相応(ふさわ)しいと言えるのか? 黒岩を尊重するがゆえに歩はそこに(こだわ)り、迷っているのだった。


「落ち着いて考えてみろ。おまえの大事な人生初が、本当に俺でいいのか?」


 思い切って歩は問うてみた。


「なんだ、それは? おためごかしか? いや、思わせぶりか! 俺を焦らして楽しんでるんだな。おまえはドSか! 俺はいつまでもお預けを喰らう犬か! それとも何か? ポリシーか? そういう、純潔的な……結婚までは守り通す、っていう、そういうポリシーを持っているわけか? いったいおまえは、いつの時代の女子だよ!?」


 歩の問いかけは、黒岩にはおためごかしの逃げ口上と捉えられたようだった。


「そんなポリシーはないし、俺は今どきの若者だ。ましてやドSでもない。何より、女子じゃない」


 歩が悉く否定すると、今度は黒岩は言いがかりのような言葉を浴びせてきた。


「歩、おまえ可愛くて綺麗だから、いつもみんなにチヤホヤされて、いい気になってるよな!」

「俺はチヤホヤされたことなんてないし、いい気になったりもしてないぞ」

「いいや、自覚がないだけだ。おまえが誰のものでもないということがそれを助長している。みんな錯覚するんだ。もしかしたら歩は自分に気があるんじゃないか、って。おまえ、みんなに変に優しいからな。だから、ちゃんと誰かのものにならなきゃいけないんだ!」


「どういう理屈だよ」

 やはり黒岩には、言葉を足して説明する必要があると歩は思い直した。

「あのさ、俺が訊いてんのは、他人(ひと)の恋人を好きになってしまうような人間でもいいのか、ってこと。おまえの記念すべき人生初の相手がそんなやつでもいいのかよ?」


「いいっ! ってか、それ最初に言ったろ? おまえの心に誰がいてもいいって。それに、俺の人生初は、おまえがいい。おまえでなくちゃイヤだ。俺のものになって、歩! 頼むから」


 真っ直ぐな視線を向ける黒岩の眼が潤んでいた。彼の涙は見たくない。ならばもう、これ以上自分の中の拘りを引きずるのは終わりにすべきと歩は決心した。


「黒岩、やっぱり頭いいのにバカだな。俺、もうおまえのものなんじゃないの? 違うか?」

「え? あ……歩っ! うん、違わない。おまえはもう俺のものだな。そうだよな。そうなんだ! ああっ、嬉しすぎて……その言葉だけで……逝きそう。歩っ! ああっ、ますます好きになる」

「俺もおまえが好き」

「ええーっ!?」

「黒岩、いちいち何驚いてるんだ? 好きでもないやつと一緒に温泉に来るか?」

「歩ゥ……ううっ」

「そこ、泣くとこ?」

「嬉し泣き!」

「夜は長いから。ゆっくり、少しずつ、な」

「それって……ゆっくり少しずつ攻めていって、最後はズッポリって感じか?」

「ん? なんか、すっごくいやらしいこと言った?」

「言った。きっぱりと」

「もうっ、……でも、いいよ。しよ、それ」

「ええーっ!?」

「黒岩! ふざけてるんなら俺もう寝るぞ!」


 半分は照れもあるのだろう。黒岩はあたふたしたり驚いたり泣きそうになったりと、表情をくるくる変えて歩を苛つかせた。


「うわーっ、ごめんごめん! つい……本当に嬉しすぎて、俺……ぅ」

「今泣いたらドン引きするぞ」

「わ、わかった。じゃ、歩……触って、俺を」


 ようやく、ふたりは少しだけ落ち着いた。

 黒岩に言われるままに、歩はその頬にそっと触れた。


「こう、か……?」


 瞬きもせずに見つめる双眸。男らしく端正な容貌。こういう顔に憧れる。唇を指で(つつ)いてみた。思いのほか柔らかく温かい。


「キス、してみっか?」


 その唇が発する甘く誘う声に歩は頷いて、目を閉じた。

 

 やがて唇が降りて来る感触を得る。それは歩にとって人生初の口づけだった。吸い付くように強く密着する黒岩の唇は分厚くしっとりとして、気が遠退くほど心地良く、身体の奥のある感覚への渇望を呼び起こす。


「う、うん……っ」


 歩はうっかり声を漏らした。自分でも恥ずかしくなるほどの婀娜めいた呻きを。

 黒岩の舌先が歩の唇を捲って入って来た。


『俺とベロチューしましょう』


 不意に歩は、理仁亜に求めた自分の言葉を思い出した。

 あのセクハラ店長から恋人の証として理仁亜とのキスを強要された時、内心では喜んでいた。行きがかり上、仕方ないという(てい)を装って彼とキスができるチャンスだと。

 しかし、それは果たされることはなかった。

 その当時から、否、ずっと以前から、歩は己の本質を理解していた。自分はかなりエロい、と。


 そして、その本質を呼び覚ますものは――


「う……はぁ」


 ——息が止まるほどのキス。


 愉悦に免疫のない肉体がいとも容易く発火する。

 まさぐる指が快感の在り処を求めて互いの皮膚を彷徨う。


「堪らん。歩、おまえも……やっぱ、男だな」

「あ……ったりまえだ」


 脚を深く絡ませ合うと、漲っていく渇望を肌で知る。


「「 もっと深く、おまえを知りたい 」」


 ふたつの声が、まず重なった。

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