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第1話 片山歩という男

「はぁ~」


 気がつけば、片山(かたやま)(あゆむ)はため息ばかりついていた。


 これが恋患(こいわずら)いというものかと、しみじみと思う毎日である。

 この世に生を受けて十九年。初めて恋をした。それも、尋常ならざる恋だ。片想いというのはありがちだろうが、歩の場合、相手は年上の同性。しかも彼には恋人がいる。その恋人というのが、歩の高校時代のクラスメイトで、現在(いま)は同じ大学に通う同級生の()だ。

 混み入った狭い人間関係の中で、歩はもがき苦しんでいた。誰も彼の煩悶を知らない。


 歩は節操のある男のはずなのだが、同性愛で横恋慕となれば節操も何もあったものではない。

 かつて、その節操をかなぐり捨て、(くだん)の男性にキスをせがむ真似をした。行きがかり上いたし方なかったとはいえ、思い出すだけでも赤面ものである。普通なら恥ずかしくて絶対に口にできないことを、その時、歩は何の躊躇もなく言ってのけたのだ。『俺とベロチューしましょう』と。

 そして、相手から速攻で拒否された。恥の上塗りだ。しかし、拒否されて当然だった。その男性(ひと)は、たとえ演技といえども恋人を裏切るような人ではなかった。



 歩は顔があるAV女優に似ている所為(せい)で、アルバイト先のDVDショップの店長からセクハラまがいの嫌がらせを受けていた。

 店長(いわ)く『君はあの伝説のAV女優、升岡(ますおか)きっこに違いない』と。加えて『升岡きっこは私の理想の女性だったのだ。いや、女神だった。なのに、性転換手術で男になっていた。この春、一人の大学生として私の前に再臨した。それが片山くん、君だ。世間の目は欺けても私にはわかる。君は升岡きっこだ!』と。

 この妄言に、当然の如く歩は反論した。

『ただ顔が似ているだけで、どうして男の俺が巨乳のAV女優になるんですか? それに、よく見てください。このDVDは五年前のものですよ。この時、升岡きっこが二十歳くらいだとしたら、今はもう二十五歳になっているはずです。それに引き替え、俺は今十八歳。つい最近まで学ラン着て高校に通っていたんですよ。年齢だってぜんぜん違うじゃないですか』

『われわれ熱狂的ファン、もとい、信者の間では、升岡きっこは密かに性転換手術を受けて、すっかり青年の姿になって世を忍び、地味に暮らしているという伝説があるのだ。決して他の男のものにならない道を選んだのだと……つまりオナベとして生きていると。われわれは升岡きっこのそういう生き方を支持したい。否! 他の男のものになるくらいなら、いっそ男になって! と願った』

 呆れて二の句が継げぬ。それでも、この全く以ってバカバカしい思い込みを何とか払拭せねばと、歩はかなり回りくどいが却って確実かもしれないと判断した苦肉の策で対抗した。

『オナベの恋愛対象は女性でしょう? 俺の恋人はこの男性なんですよ。見てわかる通り、彼はれっきとした男だし、俺も男。つまり俺たちはホモなんです。したがって、俺がオナベであるはずがない。ということは、俺は升岡きっこではないという証明になるでしょう』という、いささか強引なロジックを対抗要件とし、その恋人の役を件の男性に頼んだのだった。

 高校からの同級生で、たまたま同じ大学に進学した桐島(きりしま)颯也(そうや)という男がいる。その男の恋人こそ件の男性、真田(さなだ)理仁亜(りにあ)であった。歩は彼に助けを求め、恋人役を依頼した。

 理仁亜はすぐに現場に駆けつけ、歩の恋人を演じてくれた。

 しかし、店長から、ふたりが真の恋人同士であるならば、その証拠としてディープキスができるはずだと詰め寄られ、本当の恋人・颯也を裏切ることのできない理仁亜は激しく拒絶した。

 そして、(にせ)の恋人であることを見破った店長によって、理仁亜は相撲の突っ張りの技で吹っ飛ばされてしまったのだ。店長は学生時代には相撲部の主将を任されるほどの武闘派だった。片や、理仁亜はバスケットボール部だ。勝敗は火を見るよりも明らかだった。理仁亜が瞬殺(!?)され、意識を失っている間に、性転換手術の痕を確かめると言って迫って来た店長から歩は服を破かれ……。



「はぁ~」


 再び、歩の口からため息が漏れた。

 現在(いま)は夏休み。郷里に戻っている。


 真田理仁亜の恋人、桐島颯也とは因縁浅からぬものがあった。高校二年の修学旅行では、同じ布団で寝た仲である。寝たと言っても深い意味はない。歩と一緒に寝たがる野獣じみたクラスメイトたちから彼が守ってくれたようなものだった。

 歩が颯也に同じ布団で寝ることを許したのは、彼には微塵も下心がなかったからだ。独りでは眠れないという颯也は純粋に添い寝の相手を求めていた。しかし、誰でも良いというわけではなかったらしい。綺麗で清潔感があることが条件で、それを満たす唯一のクラスメイトが歩だったわけである。かくして、双方の利害の一致により、修学旅行中はずっと一緒に寝ることになった。

 歩から見れば、颯也は無敵の男だ。全ての人間は彼の足元に平伏(ひれふ)す。前述の店長を撃退したのは、他ならぬ彼だった。店長の魔の手がいよいよ歩の身体に伸びて来ようとしたその時、颯也は疾風の如く現われ、軽やかな身のこなしで元相撲部の店長を手玉に取り、一撃にして拘束し得たのだ。さらに、理路整然たる弁舌で店長を説き伏せ、非を認めさせた。


 そして恋人さえも颯也の下僕になり下がる。聞けば、颯也は恋人の理仁亜に服を着せろだの靴を履かせろだの身体を洗えだの寝物語を話して聞かせろだの、とにかくあり得ないほど細かに自分の世話を焼かせるのだという。しかも世話を焼かせる対象は恋人に(とど)まらない。

 たまたま学食で颯也とランチを共にした歩にも、その役は回って来る。

『片山くん、この親子丼なんだけど、食べさせてくれないかな』

『え? まあ、いいけど……』

 変わった趣味だと思った。それでも、歩は頼まれるままにその口に食べ物を運んだ。まるで幼い弟妹の世話をしているような気分だった。


「嗚呼、俺だったら真田さんにそんなことさせないのに。俺だったら、もっと大事にする。むしろ世話をしてやりたい。望まれれば何でも。でも、何故か真田さんは王様な桐島くんが好きなんだ。……Mなのかな?」


 真田理仁亜が如何に素敵な男であるかという惚気(のろけ)話を歩は毎日のように颯也から聞かされた。恋人自慢ゆえの誇張も含まれているのだろうと、最初は話半分に聞いていた。

 しかし、実際に会ってみると、颯也の言葉が嘘偽りでないことがわかった。むしろ称賛の言葉が足りないくらいだとさえ思えた。ダークスーツの似合うモデルばりのスリムな長身、イケメンの颯也をして超美形と言わしめる精悍なマスク、耳に心地良い深みのある声音(こわね)、優しい人柄が滲み出る包み込むような温かなオーラ。何もかもが素敵過ぎるほどに素敵な男性だった。


「俺がバイト先の店長から言いがかりを付けられて困っていた時、すぐに助けに来て、何も聞かずに恋人の役を演じてくれたんだよなぁ。そして、破かれた服の上に、彼は自分のジャケットを肩に掛けてくれた。その優しさに、心と身体がどんなに温められ、慰められたことか」


 ナイスガイ・真田理仁亜。彼に惚れるなと言う方が無理であった。

 しかし、彼は無敵の男・桐島颯也の恋人。


「はぁ~」


 三度(みたび)、歩の口からため息が漏れた。

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