第70話 加害者からの依頼
刻まれた痛み、消せぬ罪の影。
それでも記憶は、未来を照らす灯となる。
魂の写し鏡、真実と向き合う勇気を与えん。
■加害者からの依頼
チヨが復活し、町の記憶システムが一旦安定してから一週間後のある雨の日、魂写真館に一人の中年男性が訪れた。
玄関のチャイムが鳴り、カレンが応対に出た。扉の前に立っていたのは、50代半ばと思われる男性。肩を落とし、雨に濡れた姿はひどく憔悴していた。
「記憶を……消してもらえますか」男性は俯きがちに、震え声で告げた。その目は充血し、何日も眠れていないことが一目で分かった。カレンは相手の様子から、ただ事ではないと感じた。彼の全身から、苦悩という「影」がにじみ出ていた。
「お入りください。詳しくお聞かせください」カレンは男性を応接室へ案内した。
男性——田村と名乗った——は、しばらく黙り込んでいた。言葉にすることさえ苦痛な様子で、何度も深呼吸を繰り返している。やがて、重い口を開いた。
「5年前、私は交通事故を起こしました。飲酒運転で……小学生の女の子を」田村の声は掠れていた。
カレンの表情が固まった。手に持っていたお茶が、微かに揺れる。彼女の瞳に、衝撃の「影」が広がる。
「美咲ちゃん、8歳でした。ランドセルが赤くて、髪を二つに結んでいて……笑顔が可愛い子でした」田村は続けた。
田村の手が震えていた。机の上で組んだ手が、白くなるほど強く握りしめられている。
「刑期は終えました。3年間、刑務所にいました。でも、出てきてからの方が地獄です。毎晩、あの子の顔が浮かんで眠れない。目を閉じれば、事故の瞬間が蘇る。ブレーキを踏む自分の足、間に合わないと分かった瞬間の絶望、そして……」田村は言葉を詰まらせた。彼の内面で、過去の記憶が猛烈な嵐となって荒れ狂っているのが、カレンには手に取るように分かった。
「お願いです。この記憶を消してください。もう耐えられないんです」田村は土下座するような勢いで頭を下げた。
■カレンの葛藤
カレンは夢写機を見つめた。技術的には可能だ。特定の記憶だけを封印することも、薄めることもできる。記憶の強度を調整し、鮮明な映像を曖昧なものに変えることも。
しかし——
カレンは立ち上がり、窓の外を見つめた。雨は激しさを増し、ガラスを叩いている。彼女の心臓が、雨音に合わせて不規則に鼓動する。夢写師としての能力と、それを使う上での倫理。彼女の心の中で、二つの「光」と「影」が激しくせめぎ合った。
「田村さん。その女の子のご家族は?」カレンは振り返った。
「月に一度、お墓参りに行っています。ご両親には会えません。当然ですが……でも、花だけは」田村は答えた。
「それは、罪の意識からですか?」
「いいえ。いや、そうかもしれません。でも、それ以上に……あの子のことを忘れたくないという気持ちもあって。矛盾してますよね。忘れたいのに、忘れたくない」田村は首を振った。
カレンは深く息を吸った。彼の言葉は、記憶が持つ複雑な「影」と「光」を示唆していた。そして、はっきりと告げた。「記憶を消すことは、できません」
「なぜです!技術的には可能なんでしょう?なぜやってくれないんです!」田村は声を荒げた。立ち上がり、机を叩く。
「だからこそ、です。その苦しみは、あなたが背負うべきものです。記憶を消せば、あなたは同じ過ちを繰り返すかもしれない」カレンは静かに、しかし毅然と答えた。
「繰り返すわけない!もう二度と酒なんて飲まない!車にも乗らない!」田村は叫んだ。
「本当にそうでしょうか。記憶がなくなれば、その決意も消えます。なぜ酒を飲まないのか、なぜ車に乗らないのか、理由が分からなくなる」カレンは問いかけた。
田村は言葉を失った。彼の顔に、絶望と理解が混じり合った「影」が広がる。カレンの瞳には、厳しさの中に、深い「光」が宿っていた。




