第6話 カレンとユウキの初めての出会い
心に宿りし、見えぬ壁。
恐れと想い、交錯する影。
それでも光は、絆を求め、未来を照らす。
■カレンとユウキの初めての出会い
2024年4月、霧梁大学の桜が満開の日。
「あっ!」
図書館の角を曲がった瞬間、カレンは誰かとぶつかった。手に持っていた本が散乱し、ノートパソコンが危うく落ちそうになる。
「ごめん!大丈夫?」
声の主は、少し長めの髪をした青年だった。すぐに膝をついて、散らばった本を拾い始める。
「いえ、私こそ……」
カレンも慌てて本を拾おうとして、青年と頭をぶつけた。
「痛っ」 「いたた……」
二人は同時に頭を押さえ、そして目が合った。
青年——霧谷ユウキは、痛みも忘れて見入ってしまった。金色の瞳を持つ少女。不思議な魅力を放っている。
「えっと……霧谷ユウキです。経済学部の1年」
「橋爪カレンです。工学部の1年」
本を拾い集めながら、ユウキはカレンの持っている本のタイトルに目を留めた。
「『量子コンピューティングと意識』……難しそうな本読んでるんだね」
「あ、これは趣味で……」カレンは恥ずかしそうに本を抱きしめた。内心では、自分が「普通」ではないこと、そしてその特殊な家庭環境を悟られたくないという「逃げ」の気持ちがあった。「変ですよね、1年生なのにこんな本」
「変じゃないよ」ユウキは素直に言った。「むしろすごい。俺なんて、教科書読むので精一杯」
カレンは意外そうにユウキを見た。からかわれることはあっても、素直に認めてくれる人は初めてだった。彼の純粋な視線に、カレンの心の「影」が少しだけ薄れる。
「でも、なんでこんな本を?」ユウキは興味深そうに尋ねた。
「私の家は……ちょっと特殊な仕事をしていて」カレンは言葉を選びながら答えた。あくまで「特殊な仕事」であり、それが「霊的なもの」に関わることだとは言いたくなかった。これもまた、彼女の「拒絶」の一端だった。「科学的に説明できないことを、科学で説明したくて」
「へえ、面白そう」ユウキの目が輝いた。「俺、そういうの好きなんだ。オカルトとか都市伝説とか」
「オカルト?」カレンは眉をひそめた。「私は逆に、そういうのを科学で否定したくて」
「あ、そうなんだ」ユウキは少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。「でも、それはそれで面白いよね。同じものを違う角度から見るって」
二人は本を拾い終わり、立ち上がった。
「あの、これ」ユウキが一冊の本を差し出した。「君のだよね?」
それは、カレンが内緒で借りていた恋愛小説だった。慌てて受け取ろうとしたが、手が滑って再び落としてしまう。カレンの頬に熱が集まる。
「あ、ごめん」ユウキがもう一度拾い上げた。「『星の向こうの君へ』……いい話らしいね」
「読んだことあるの?」カレンは驚いた。
「いや、でも友達が勧めてた」ユウキは照れくさそうに頭を掻いた。「俺も今度読んでみようかな」
二人の間に、微妙な沈黙が流れた。心地よいような、むずがゆいような、未体験の感情がカレンの胸に去来する。
「あの」ユウキが口を開いた。「もしよかったら、今度一緒に——」
「カレン!」
突然、廊下の向こうから声がした。同じ工学部の友人が手を振っている。
「あ、行かなきゃ」カレンは慌てて本を抱え直した。「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」ユウキは名残惜しそうに微笑んだ。「また、どこかで」
カレンは小さく会釈をして、友人の元へ駆けていった。振り返ると、ユウキはまだそこに立っていて、こちらを見つめていた。
(変な人)カレンは思った。(でも、悪い人じゃなさそう)
一方、ユウキは図書館の柱にもたれながら、去っていくカレンの後ろ姿を見つめていた。
(金色の瞳……不思議な子だな)
ユウキは胸の高鳴りを感じていた。これが恋の始まりだとは、この時はまだ気づいていなかった。
それから一週間後、大学の掲示板に新しいサークルの募集ポスターが貼られた。
『都市伝説調査サークル メンバー募集! 科学的アプローチでオカルトに挑む!』
カレンは立ち止まってポスターを見つめた。科学的アプローチという言葉に惹かれた。彼女の「特殊な仕事」に対する「科学での否定」という興味が、このサークルに彼女を引き寄せた。
「お、興味ある?」
振り返ると、ユウキが立っていた。
「ユウキさん」
「俺も今見つけたところ」ユウキは笑顔で言った。「一緒に行ってみない?」
カレンは少し迷った。彼と一緒にいると、自分の「普通ではない」部分が露呈するかもしれないという「逃げ」の気持ちがよぎる。しかし、図書館で会った時の彼の素直な反応を思い出し、小さく頷いた。
「……いいですよ」
「やった」ユウキは嬉しそうに飛び跳ねた。「じゃあ、今度の説明会で」
こうして、二人の運命は静かに、しかし確実に交わり始めた。
桜の花びらが風に舞う中、二人は並んで歩き始めた。まだぎこちない距離感だったが、それでも一歩ずつ、お互いに近づいていく。
「そういえば」ユウキが言った。「君の家の特殊な仕事って、何?」
「……いつか、話せる時が来たら」カレンは曖昧に微笑んだ。その言葉の奥には、自身の特殊性をまだ「隠したい」という微かな「影」が潜んでいた。
「楽しみにしてる」ユウキは素直に受け入れた。
この時のカレンには、まだ分からなかった。
目の前を歩く青年が、やがて自分の人生において、かけがえのない存在になることを。
そして、二人で数々の不思議な事件に立ち向かい、時には命の危険にさらされながらも、お互いを支え合っていくことを。
春の日差しが、二人の未来を優しく照らしていた。