第52話 穏やかな朝の異変
館の奥底に、時を超えし記憶の奔流。
境界は揺らぎ、五感は過去と交錯する。
魂の写し鏡は、真実の源を映し出すか。
■穏やかな朝の異変
影写りの祭りから一週間後、魂写真館はいつもの朝を迎えていた。しかし、その平穏は見せかけに過ぎなかった。
カレンは、昨夜ユウキと交わした約束の余韻に浸りながら、朝食の準備を手伝っていた。左手の薬指に光る指輪を、時折嬉しそうに眺めている。
「おはよう」チヨが朝食の準備をしながら、健司に声をかけた。「今日の予約は……あれ?」チヨは手に持っていた予約帳を不思議そうに見つめた。見覚えのない名前が自分の筆跡で書かれ、予約の日時も奇妙だった。「1962年7月15日、山田花子様」と記されている。それは、チヨの記憶の中に「写し損ねた」過去の断片が紛れ込んだかのようだった 。
「どうした?」健司が心配そうに覗き込んだ。白くなった髪を整えながら、老眼鏡を取り出す。
「この『山田花子』さんって……私、いつ予約を受けたんだっけ?それに、この日付……」
同じ頃、カレンも異変に気づいていた。朝一番でSIDをチェックすると、システムログに異常な記録が残されていた。
「父さん、この写真」カレンは一枚の写真を手に取った。「これ、いつ撮ったの?」写真には、見知らぬ家族が魂写真館の前で笑顔を見せていたが、カレンには全く記憶がない。さらに奇妙なことに、写真の背景に写る魂写真館が、現在とは微妙に異なり、看板の文字が旧字体で書かれていた 。それは、魂写真館の持つ「写しの対象」としての側面が、意図せず顕現しているかのようだった。
「おかしいな」蓮も首を傾げた。「確かに俺が撮ったみたいだが……いや、待て。この写真、フィルムじゃないか?俺はデジタルしか使わないはずなのに」蓮の記憶にも、不可解な「影」が差し込んでいた 。
■記憶の境界崩壊
朝食の席で、異変はさらに顕在化した。
「私、遅刻しちゃう!」ルカが突然立ち上がった。
「母さん?」カレンは困惑した。
ルカは慌てた様子で身支度を始めた。「写真部の朝練があるのよ。顧問の先生に怒られちゃう」その瞬間、ルカの姿が微かに揺らぎ、高校生の制服を着た若いルカの姿が重なって見えた 。それは、ルカ自身の「語られなかった記憶」が表層化したかのようだった。
「ルカ、落ち着いて」蓮が肩を掴んだ。「君は高校生じゃない。42歳の、俺の妻だ」
「え?」ルカは混乱した表情で周りを見回した。「私……何を……」
■柊介の警告
書斎から柊介が慌てた様子で出てきた。測定器を片手に、顔は青ざめている。
「大変だ!記憶粒子の流動性が異常に高まっている。このままでは……」柊介は測定器を見せた 。
グラフは激しく乱高下を繰り返していた。通常の1000倍以上の数値を示している。
「どうなるんです?」ユウキが尋ねた。プロポーズの翌朝だというのに、幸せな気分は吹き飛んでしまった。
「記憶の境界が曖昧になる。つまり、他人の記憶と自分の記憶が混ざり始める。いや、もっと深刻だ。過去、現在、未来の記憶が、すべて混在し始める」柊介は深刻な表情で説明した 。彼の瞳に、科学者としての警告の「影」が強く浮かんでいた。
その瞬間、ユウキも異変を感じた。頭の中に、見知らぬ記憶が流れ込んでくる。自分が生まれる前の、祖父・清の記憶だった。「俺……チヨさんと一緒に研究してる?いや、これは祖父さんの……」ユウキは混乱した 。彼の心にも、先祖の「継承された記憶」が暴走し始めていた。
カレンがユウキの手を握った。「大丈夫、私がついてる」
しかし、カレン自身も不安でいっぱいだった。昨日プロポーズされたばかりなのに、また新たな危機が……彼女の心に、幸せの「光」と、未曾有の危機という「影」が激しく交錯する。




