第3話 デジタルの限界
■デジタルの限界
霧が異様な濃さで町を包み始めた。まるで生き物のように蠢く霧は、建物の輪郭を曖昧にし、距離感を狂わせる。
カレンのスマートフォンが激しく振動し、画面にエラーメッセージが次々と表示された。
「システムエラー:GPS信号喪失」
「ネットワーク接続不可」
「時刻同期失敗」
町中のWi-Fiスポットが同時に接続不能になり、電波状況を示すアイコンが点滅を繰り返す。
「電磁波干渉!?」
カレンは慌ててSIDを起動させた。ドローンを窓から飛ばし、上空からの映像をARゴーグルに映し出す。しかし、映像は激しく乱れ、断片的にしか状況を捉えられない。
その僅かな瞬間に映ったものは、カレンの理解を超えていた。町の上空に、巨大な砂時計型のエネルギー場が形成されている。その中心は時計塔で、エネルギーの渦は町全体を飲み込もうとしているかのようだった。そして、そのエネルギー場の中に、無数の魂の叫びが――データとして解析しきれない、赤いノイズとなって渦巻いている。
「バッテリー残量警告」
ドローンは僅か3分で、通常なら30分は持つはずのバッテリーを使い果たした。制御を失った機体が、窓枠にぶつかりながら墜落する。
「くそっ!」
カレンは舌打ちをしながら、必死にデータの解析を試みる。しかし、2026年の最新技術をもってしても、この現象を完全に把握することはできなかった。量子コンピューターとの接続も切れ、クラウドサーバーへのアクセスも不可能。スタンドアローンで動作するシステムも、次々とエラーを吐き出していく。
デジタル社会の脆さが、霧という原始的な現象の前に露呈していく。カレンの瞳に、焦りの色が濃く浮かんだ。SIDのレンズが、完全に曇って何も映し出さない。彼女が信じてきた「科学」の限界が、目の前で突きつけられている。
■ユウキの来訪
「カレン、大丈夫?」
聞き慣れた声に振り返ると、霧谷ユウキが作業部屋の入り口に立っていた。20歳の青年は、デニムジャケットにキャップという軽装で、その爽やかな笑顔がカレンの張り詰めた心を少しだけ和らげた。
「ユウキ……」カレンは一瞬、表情を緩めかけたが、すぐに取り繕った。「なんでここに?」
「都市伝説調査サークルの定例会、忘れたの?」ユウキは首を傾げながら近づいてきた。「次の調査、霧見駅だろ?みんな楽しみにしてるよ」
都市伝説調査サークル。大学のサークルで、カレンとユウキは1年前に出会った。オカルトに科学的アプローチで挑むというコンセプトが、カレンの興味を引いた。そして、ユウキの真っ直ぐな性格が——
「あ、でも」ユウキは窓の外を見て表情を変えた。「この霧、普通じゃないね。町の様子も変だ」
カレンは内心で動揺した。今日がサークルの活動日だったことを、すっかり忘れていた。いや、忘れようとしていたのかもしれない。ユウキと一緒にいると、胸の奥が温かくなって、同時に苦しくなる。この感情を持て余しているカレンにとって、サークル活動は楽しみであり、同時に試練でもあった。
「準備しなよ、遅れるよ」カレンはそっけなく返したが、頬が微かに赤らんでいることに自分でも気づいていた。
「でも、この状況じゃ」ユウキは心配そうにカレンを見つめた。「調査は延期した方が」
「大丈夫」カレンは強がった。「むしろ、こんな時だからこそ調査が必要。霧見駅の都市伝説と、この現象は関係があるかもしれない」
彼女の言葉には、不安と、それでも真実を突き止めたいという強い探求心が混じり合っていた。ユウキの存在が、カレンの内に秘めた「逃げ」の感情を刺激しつつも、同時に「向き合う」勇気を引き出しているようだった。