第8話 マジックペンで描いた相合傘
<Episode 4>
放課後ぼくたちは、再びその最適な場所に集合して、時間の経過を待ってから帰路に就いた。思春期に男女ふたりで下校する、これを見たクラスメイトがどんな反応を示すのかぼくにはあらかたの想像がついていた。いじめられっ子はそういった危機管理だけは人一倍優れていくものなのかもしれない。
だから日頃より、あっくんと一緒のときは外に出るのも裏門からだった。
「パンツ見ないでよ」
「見るかよ」
あっくんは門を乗りあげて……向こう側にジャンプ。視界の端っこの騒がしさは、想像するにそんな感じだ。
「いいよん」
彼女の声を合図にぼくは顔を向ける。あっくんは門の向こう側で手をうしろに組んで笑っていた。
続いて門を飛び越えた。それから人通りのない外周を、ふたりで歩きはじめた。
太陽は頂点をすでに通過しているものの、空はまだまだ明るい。24時間制は変わらないのに、時期によって1日の長さが変化するのは不思議だなと思った。
「最近明るい時間長いよね」
「テレパシーか?」
あっくんはきょとんとした。
「ぼくもそう思ってたところだった」
「あは、仲良いね私たち」
彼女は無邪気に歯を見せる。
「少なくともぼくの学校生活のなかだったら間違いなく仲良いね」
「なにその言い方」彼女はムスッとして「ふつうに仲良いって言えばいいじゃん」
何故だろうか、次の言葉はうまく見つけられなかった。
学校の敷地沿いを半周ほど歩くと、目を凝らした先に交差点が現れた。信号のない横断歩道に下校中の生徒がいっぱい居て、車がなかなか通過できない様子だった。正規の通学路が見えるこの場所で、ぼくたちはいつも左に曲がる。最近見つけたぼくたちだけの通学路だった。
「なんか理不尽だよね」
曲がる手前、あっくんは足を止めた。遠い目は向こうの交差点を見ている。車はまだ、通過出来ていない。
「なにが……理不尽?」
聞き返すことは、ちょっぴり苦しかった。
「ああやってみんなと帰ったり、昼休みも堂々と教室で過ごしたり、なんでできる人とできない人がいるわけ?」
「ごめん」
「なんで謝るの」
「いや、付き合わせてるから悪いなって」
「私が言いたいのはそういうことじゃないよ」
呆れ気味に彼女はそう言った。
車はいつの間にかそこから居なくなっていた。横断歩道には次の人波が押し寄せていた。
「なんか、ムカつく」
「ごめんて」
「だから謝んないでよ。それもムカつく」
ああ、それもごめんて……と言いそうになって飲み込む。
「でも本当、ぼくはいいから。友達と帰ってな」
「だーかーらー! もうっ」
「なんだよ一体」
「なんでそうなるの?」
「だってそうじゃん。あっくんには友達がいる」
それは強がりでも何でもない。事実だ。あっくんには一緒に過ごすべき友がいて、ぼくにはいない。友はきっとあっくんのことを待っているはずだ。だったらこんな一人ぼっちの相手なんかする必要はどこにも無い。
幼少期、たしかにぼくたちは同じ感性を持っていた。花と花の間を舞いつづける蝶を見つめながら、隣りの彼女もいっしょに眺めているに違いないと思った。あの日からぼくたちは、お互いの感覚を何度も無意識ながら確認しあっていた。
でも中学に入学して、ぼくたちの違いは如実に表れるようになった。
ぼくはイジメられて、彼女は今まで以上に周りから好かれるようになった。
きっと今まで分からなかっただけで、たまたま似ている部分があっただけで、ぼくたちは根本的には違う種類の人間なんだと思う。
「ぼくにはいない。君を求めてる人がいるならそっちに時間を割いたほうが良い」
「私がなんて言ったか忘れたの?」
「……」
果たして。
「私が自分の意思でここに居るんだからね」
「覚えてるけど」
「たいちゃん、失礼だよ。超失礼」
ごめん、と言いかけて止める。
あっくんは結構怒っていた。俯き気味で、眉間には薄っすらと皺が寄っている。真っ黒い瞳はじっと何もないところを睨みつけ、まるでそこに誰かが居るかのようだった。緩い風が舞って、横髪が彼女の顔を隠す。ところどころが冷たくなった、夕方前の風だった。
髪の向こうから「ふぅ……」とため息が聞こえ、間もなく彼女はふっとぼくの視界から姿を消す。あまりにも突然だったから反応が遅れてしまった。
「なにしてんだよ」
あっくんは敷地沿いのフェンスの前に立って、肩にかけたスクールバッグから何かを取り出していた。
「じゃじゃん」
「は?」
あっくんが取り出したもの、それはペンケース。そこからさらに彼女はチャックを開けて、マジックペンを1本手に取った。
まさか? と思ったがそのまさかだ。
「おいおい、まずいって」
「超失礼なこと言った罰だからね」
「いやあっくんがマズくなるだろ」
あっくんはマジックペンでフェンスの隙間に落書きをしていく。キュ、キュッと音を立て、傘をつくり、それからてっぺんに雪だるまを付け加える。
仕上げに傘の下へ名前を書いた。
「かーたーはら、あゆみ……っと」
「おいおい」
まさかぼくの名前も書くんじゃないだろうな。
「くーろーさーき、りょう、た……っと。完成!」
「色々マズいって、色々」
「マズくっていいんだよ。罰なんだから」
「しかもこれ……」
傘の上に描かれた雪だるまを指差した。
「相合傘のつもりか?」
「うん」待ってましたと言わんばかりにあっくんは笑う。「ハートの代わりに雪だるま。私たちらしくていいでしょう?」
「微妙だな」
ぶっきらぼうになぼくに、あっくんは構う様子もない。
「この子がいる限りは、私たちの仲は大丈夫なんだよ」
「どこかで聞いたセリフだよ」
「んふふ。今日もちゃんとカバンに入ってるんだからね」
「ぼくだって」
なんだか恥ずかしくなって、ぼくは地面に視線を落とした。コンクリートの隙間から自棄に鮮やかな色をした雑草が生えていた。
「かえろっか」
「ああ」
ぼくたちはようやく左の小道に曲がる。向こうの交差点は、いつの間にか人波が流れ去ってしまっていた。
「静かなる抵抗だよ」
「ぼくに対してか?」
「君に対しては罰だって」
よく分からないでいるぼくに、彼女は渇いた声で言った。
「……学校生活に対して」
「あっくんがそんなこと」
「私をなんだと思ってるの? 私だって色々あるんだから」
その“色々”を聞く勇気は湧いてこなかった。
それから、とても長い間があった。
ぼくたちは静かに歩き続けて、最後のキツイ坂も上り切る。
家の前までたどり着くと、久しぶりに彼女は話しかけてきた。
「ちょっと部屋片づけてくるね」
ぼくのほうを一瞬だけ振り返り、先に家のなかへ入っていく。
キレイな制服を纏ったうしろ姿を見た瞬間、小さな雷が落ちた。
何かが違う。
今こうして見る一軒家も、これまで見てきた彼女の家とはどこか違う。
色や形などの視覚情報は同じなのに、さらにもっと深い部分でなにかが決定的に違う。
思考の整理がつかないまま、ドアは開いた。あっくんが制服姿のまま出てきて、にっこりと手招きをした。そして今さらはぼくは、彼女から漂う柔軟剤の甘い香りに気が付いた。
「いいよ、上がって」
「あ……」
短く、鋭さをもって、胸がときめいた。
初めての感覚だった。
だめだ、どきどきしてる。
「上がらないの?」
「ほ、本当悪いっ」
ぼくは、別れの言葉も告げずに慌てて立ち去った。そのまま小走りで丘を駆け下りる。
見下ろした景色はまだまだ全然夜の気配がなくって、なんだか初めて訪れた場所のようだった。家がうんと密集して建ち並んでいて、それぞれ微妙に色が違っていたり、瓦屋根だったりカラフルな屋根だったりしている。帰り道はいつだって夜だった。だから明かりだけが宙に浮いていた。
なんでぼくは逃げだしてしまったんだろう。
しかしいくら自分に問いてみても『なんで逃げたんだ?』に対する答えらしい答えは出てこなかった。ただ、薄っすらだけれど、ぼくが彼女に対して何かこう、今まで通りに接する自信みたいなものは、失っているような気がした。
帰りたくない。正直、まだ彼女と一緒に居たい。
でも、仮にあのまま一緒に家へ上がっていたら……ぼくはこれまで通りの幼馴染でいられる自信がない。
制服のうしろ姿はまるで魔法の衣装だった。これまでずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の彼女が嘘だったみたいに、急に彼女は近いようで、うんと遠い存在になった気がした。
「っくしょんっ……」
空を見上げてみると、眩しくてくしゃみが出た。
まだまだ全然夜じゃない――。
ぼくは腹の底からため息を吐きだした。
丘を下りきったあとは、できるだけ時間をかけて歩いて、家にたどり着くのを遅らせようとした。とっとと夜になってほしかった。でもそういう時に限って時の流れは遅く感じるものだ。結局日が暮れたのは、家に着いてから更に時間を持て余し、ベッドでひと眠りをしたあとだった。
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