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最終話 迎えたタイムリミットの日




 30余名が詰め込まれた教室は、その狭い空間をぎちぎちに埋め尽くすように騒音でまみれていた。朝のホームルーム前はいつだってそう。これから喋れなくなるぶん、今精一杯喋っているのだろう。僕はひとりため息を細く吐いて、担任の到着を待った。


 それから間もなくして、望み通り担任は教室へやって来た。騒がしかった室内は嘘のように静まり返り、担任の声が淡々と響いた。


 頬杖をついてなんとなく窓の向こうを眺めてみる。明け方に見た空と同じようで、憎たらしいぐらいに透き通っている、宇宙まで届きそうな青空だ。あまりにも綺麗だったから見とれていた。


 だから教室に突如訪れた混乱にも、気が付くのが遅れてしまった。


「おい! ホームルーム中だぞ!」


 教室はざわめいていた。

 突然の侵入者の姿に、僕の目は射止められたように止まる。

 まさか。自分の目を疑った。それから頭のなかも疑った。


 だって意味が分からなかった。

 何故、片原さんがここにいる。

 何故、僕に向かってくる――。


「はいっ!」


 片原さんは僕の正面に立ち、犬にお手をするように、綺麗な手のひらを差し出した。

 僕は唖然として、ただそんな彼女を見上げていた。

 苛立った顔をしてもう1度、片原さんは右手を強調する。


「はやくして!」


「え? あ、うん……」


 僕がそこに左手を重ねると、彼女は軽く握った。

 それから手を引かれて、されるがまま立ち上がる。

 教室は嘘のように静まり返っていて、すべての視線がこちらに向かっていた。


「……こ、こら! お前らホームルーム中だぞ!」


 怒号は空砲となる。皆、次の片原さんの挙動に注目していた。

 彼女は動じる様子を見せず、むしろ堂々とした口調で言った。


「みんな」


 左手が高々と上がった。


「見ての通り、私たち付き合ってるから」


「……え?」


「ほら行くよ!」


 片原さんに手を引かれるがまま僕は一緒に教室を出た。

 乱暴に開いた扉から廊下に飛び出した今、ようやく教室教室のほうからざわめきが聞こえてきた。僕たちはそんな教室からどんどん遠ざかっていって、そのまま階段も駆け下りて、昇降口を出た。


 一体何が起こってる? 


 何が何だか、僕の小さな頭ではなにひとつ処理ができていない。

 彼女は校門を抜ける手前、足を止め校舎のほうを振り返った。僕がいた教室から、野次馬のクラスメイトが大勢身を乗り出してこちらを見ていた。理由が分からない身震いが全身を襲う。


 片原さんは挑発するかのように、また僕と繋いだ左手を高くつき上げる。野次馬たちの驚嘆と嘲笑が空へ響く。


 そして校門を出て、もう走る必要がない僕たちは歩いて駅に向かった。

 女の子の柔らかい手の感触をようやく感じはじめ、胸がどきどきと高鳴りだしていた。  


「どうして……?」


「答えだよ」


 やけに清々しい横顔だった。


「昨日のたいちゃんの言葉に対する、私の答え」


「昨日のって……え?」


「私のこと好きだって言ってくれたじゃん。告白と受け取ったんだけど?」


 しまった――。


「いやっあれは……あれは……」


 ちょっとばかり頭のなかは色んな事で大渋滞していて、状況が全然分からない。

 心臓は熱い鼓動を打っているばかりで何も教えてくれそうにない。ごめん片原さん、つまりはどういうことなんだ。


 ――私たち付き合ってるから。


 付き合ってるから。

 付き合ってるから?

 それって、僕と君が付き合ってるってこと?


「嫌だった?」


 一瞬間を作ったけど、すぐに首を横に振った。

 嫌なわけがない。でも、


「状況が分からないんだ」


「状況?」


「僕じゃなくて……その、ジュンヤじゃないのか?」


「冗談やめてよ」


 片原さんは軽く笑って、こう続けた。


「私が仲良くしてないと、たいちゃんに被害がいくじゃん」


「もしかして、だから……?」


 彼女はこくりと頷いた。

 胸の中にじんわりと安堵が広がっていく。


「で、でも」


「でも?」


「そもそも、僕たちは今日を最後に記憶が無くなっちゃうじゃないか」


「失う記憶はメモリーズの記憶だけだよ」


 やけに淡々とした、でもどこか楽観的な口調だった。


「……明日は、怖くないのか?」


「怖くないよ」


 即答だった。


「私ね」片原さんが綻んだ顔で僕を見た。「たいちゃんが私からメモリーズを奪い取りにきてくれて本当うれしかった」


「え」


「たいちゃんが私を追い払った“あのメモリーズ”を、私が見ないように、ひとりで全部抱えて終わらせようとしてくれたんだよね」


 思わず、いくらかの間が空いた。でも、いくらかなんかじゃ彼女の言っていることは理解できなかった。


 メモリーズを盗んだことはバレてしまったとして、そもそも何故そのメモリーズの内容を片原さんは知っているんだ? 


「まだ意味が分かってないみたいだね。そういう鈍感なところも好きだよ」


「……もしかしてメモリーズは見たのか?」


 彼女はこくりと頷き、続けた。


「最初はショックだったよ。いくら過去の出来事とはいえね。当時は学校という世界での私と、本当の私の間で、常に強い葛藤があった。だからね、皆の前で助けに行くことはある意味でひとつの決意だったんだ」


 彼女は優しいため息で間を入れる。


「だから意外と現実世界の私もショック受けちゃって。もう半ばいろいろ諦めてたんだけど、そんな時に君からラインがきた。たぶんそれが無かったら私、最後のメモリーズも飲まないで捨ててたと思う」


「でも待ってくれ……僕はたしかに片原さんのメモリーズを盗んだはずだ。確かに、あのジップロックには2錠のメモリーズが入ってた」


 彼女はあらかじめ決めていたかのように笑みを浮かばせた。


「盗んだメモリーズ、飲んでみた?」


「いや」


「あは。あれはね、ただのビタミン剤なんだよ」


「……僕が盗もうとしていたことも全部予想していたってことか?」


「いやいや――」彼女は綻んだ顔をさらに崩して、ちょっと小ばかにした感じで言った。「いきなりメモリーズ飲んだか聞いてくるわ、家に来たがるわ、メモリーズを見せてくれって言ってくるわ、あれで気付かないほうが間抜けだよ」


 気が抜けた炭酸飲料を飲まされたような、そんな気分になった。


 僕が必死になって考え抜いた作戦なんて、彼女の目から見ればむしろ、魂胆をばらすようなものだったのか。まったく僕はどこまでも人とはずれているんだな。呆れたよ。


「昔も今も……僕がやろうとしてることはどこまでもズレてるんだな。馬鹿みたいだ」


「でも、たいちゃんスゴイなって思ったよ」


 相手にバレバレの作戦のどこがスゴイんだろうか。どうせ調子の良いお世辞だと思ったが、片原さんは感心したように言った。


「まさかジップロックに薬を入れる癖を覚えてるなんてさ……おかげさまで君の嘘に綺麗に乗っかることができた」


「……しっかり騙されたフリをすることができたってことかな」


「それに比べて私の嘘はちょっと出来が悪かったかな」


「嘘?」


「あぁ……」


 なるほど。やっぱり雪だるまは嘘だったのか。


「そうすれば気になって会ってくれるかなって思って」


「なるほど、お互いさまか」


 片原さんは恥ずかしそうにくしゃっと顔を綻ばせている。

 胸のなかに熱い液体がしみこんだように、ぎゅうっと刺激が走った。自然と手を握る力が強くなるが、彼女も同じように強く握り返してきた。


 その瞬間、僕はようやく状況を理解した。


 こんなにも素敵に笑う、こんなにも優しい、こんなにも可愛らしい女性と、こんな自分が思い合っているということを。そして現実を飲み込めたからこそ、この妄想することすら憚られるような現実に罪悪感の波が押し寄せてきた。


「でも……本当にいいのかな」


「嫌なの?」


 僕は力強く首を振る。

 嫌じゃない。だって、嫌なわけが無い。

 メモリーズを飲みだしてから僕はずっと夢を見ていたんだ。


 あっくんと一緒に、また、ふたりだけの時間を過ごしたいって。それも、やがて消えてしまう思い出(メモリーズ)ではなくて現実で。


「でも仮にたいちゃんが後悔しても遅いんだよなあ」


 彼女はいたずらっぽく笑いながら、僕と繋いだ手を上げる。


「後戻りできないよ、もう」


 空に響いたクラスメイトのざわめきを思い出して、僕も笑った。


 本当だ。

 もう片原さんも僕も、後戻りなんてできないなーー。

 もう1度、五本の指で彼女の指を握りなおした。


 それからひと思いに言う。


「これから、よろしく」


「ふふ……こちらこそ」


 僕たちは笑みを隠しきれないまま、駅にたどり着き、そしてホームへと抜ける階段を下った。


 明日の朝になれば、ぼくとあっくんの過去は無かったことになる。

 でも多分だけど、片原さんと僕だけでも大丈夫な気がする。

 根拠はないけど、今はそんなふうに思っている。





最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

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