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第43話 粉々に壊したはずの雪だるま




 呼吸が急いでいた。それでも言葉を声に乗せるタイミングを探して、僕はひと思いに言った。


「ま、た……暴力を……するつもりか?」


「お前さあ」


「僕にも……散々、暴力したじゃないか」


「おい」ジュンヤは階段を下りてきて、間合いを詰めた。


「マジで帰れ」


 小声で囁くようにそう言って、僕の胸ぐらを掴む。

 当然僕は帰らないし黙らない。最初で最後のチャンスだから、もう今日が終われば僕はどうなったっていい。


 彼女を失ったあとの人生なんてクソ食らえだ。

 本気でそう思ってる。


「僕には今日しかないんだ。帰らないよ」


「なに訳わかんないこと言ってんだよ。帰れって」


 みぞおちへパンチが入った。内臓が捻じられたように痛みが走って、腹を押さえながらやっとの思いで僕は言い返す。


「片原さんとまた付き合ったって、どうせ同じだ」


「おいやめろ」


「悲しい思いをさせるだけだ」


「やめろっつってんだよ」彼は全身全霊で睨みつけた。「お前マジでなにがしてーんだよ」


「僕はお前から片原さんを守りたい」


「あ?」


「それが、恩返しだ」


 でも、それだけじゃない。

 僕は、多分、きっと、好きだった。

 あっくんだけじゃなく、片原さんのことも好きだったのだ。


「それと……」


 そして僕にできることなんてこれぐらいだからだ。


 普通のことが普通にできなくて、相手の喜ぶようなことを言ったりやったりすることができなくて、喧嘩が弱くて、空気が読めなくて、何の取り柄もなくて、そのくせ度胸も忍耐力もハートの強さもなくて……。


 本当に何も持ってない人間なんだ。


「僕は……片原さんが、好きなんだ」


 そんな僕にあるものと言えば、残された時間だけだ。

 残された時間だけは、こんな自分でも持っているんだ。


 しかしそれもあと2日経てば失ってしまう。僕は一生片原さんを救うことも恩を返すこともできなくなる。そんなこと想像するだけで、絶対に嫌だって、素直に思う。


「もう時間がない」


「なにさっきから訳わかんねーこと言ってんだよテメェ」


「明日の僕も明後日の僕もどうでもいい」


 頬にパンチを食らい、階段を転げ落ちる。

 ジュンヤは階段を下ってきて、さっきみたいに髪の毛を掴んで、耳元で囁いた


「お前マジでいい加減にしねえところすぞ。帰れ」


「いやだね」


「帰れ」


「いやだ」


 彼は奥歯をぐっと噛んで表情を歪ませた。頭皮がはぎ取られそうなほどの力で髪が引っ張られる。それにしては丁寧な口調と控えめなボリュームで彼は言った。


「頼むから帰ってくれ」


 この瞬間、なんとなく僕は分かってしまった。

 彼が必死になって僕を帰らそうとしている理由と、小声である理由。彼が屋上に向かって階段を上がっていた理由も。


 そして、タイミングが良かったのか、それともずっとタイミングを窺っていたのか、その理由である片原さんが踊り場に姿を現した。


「たいちゃん……」


「あっ、あゆみ」彼は咄嗟に僕の髪の毛を離した。「わ、わりいな待たせて」声色を甘くして取り繕っているけど、もう遅いだろう。僕はわざとらしいかもしれないけど、念を押して彼――彼女に向かってはっきりと言ってあげた。


「なんで僕のことをいっつも殴るんだ! 暴力はやめてよ!」


「ちょ、何言ってんだよオマエ」


「もう片原さんを誘えって脅すのもやめてよ!」


「なに言ってんだってお前」ジュンヤはうしろを振り返って片原さんに笑いかけた。「コイツ変なことばっか言ってんだよさっきから、はは」


 片原さんは狼狽えるジュンヤを無視して、真っすぐ階段を下りてくる。その視線は僕のほうを向いていた。睨みつける一歩手前のような表情で、首を横に振りながら。僕は慌てて、ジュンヤにとどめの捨て台詞を吐く。


「どうせ彼女にも暴力をふるうつもりなんだろ!」


「なっ……」


 きっとここまでやれば大丈夫だろう。

 僕は一目散に階段を駆け下りる。


 背中から「たいちゃんっ」片原さんの呼び止める声がした。

 でも走った。階段を駆け下りることにすべての神経を注いだ。

 もう僕の役目は終わったのだ。


 1階まで駆け下りて昇降口へ急いでいる途中、もう誰も追っていないことに気が付いた。僕はほっと胸を撫で下ろし、急いでいた足は自然と縺れるようにして止まる。両ひざへ手を突いて屈んだら、鼓動が激しく波を打っているのが分かった。階段に打ち付けた背中は、今ごろになってズキズキと痛い。


 成果が見られないのは残念だけど、多分きっと成功したのだと思う。逆にこれでもし片原さんがジュンヤと付き合ってしまうようなことがあれば、もうそれは何をしても避けられない現実だったってことだ。


 僕は追いつかれないよう、呼吸が整わないうちに帰路へ就いた。


 黒々とはしていない一面曇り空の下、のんびりと歩いて帰った。慌しかった今日という日とは対照的に、のどかで静かな午後の町だった。裏路地から駅へと向かっていたけれど、恐らくふたりきりの時間を楽しみたいのであろうカップルが、僕の目の前で手を繋ぎながらわざと時間をかけて歩いていた。


 多分これまでも何度か見掛けたことのあるふたりだ。僕は視線を外して無感情を意識しながらそのふたりを追い越した。明日も明後日も明々後日も、きっとこの世界は変わらないし、あのカップルは一緒に登下校を繰り返しているんだろう。そしていつかは昨日が一昨日なのか、今日が明日なのかも、分からなくなってしまうんだ。


 幸福に思えることでも、それが毎日続けばそうなってしまうんだろう。

 僕にとってはただ羨ましい。本当に羨ましいよ。


 駅までたどり着いてホームで電車を待っているとき、何気なくスマホを見た。

 ラインの通知が入っていた。


≪お前マジで覚えてろよ≫


 明日は骨の1本や2本は覚悟しなくてはいけないな。

 清々しく辟易しながら彼とのラインを閉じ、スマホをポケットに沈めた。

 だが、その瞬間、画面に違和感を覚えた。


 僕はもう一度スマホを点けてラインを確認する。


≪たいちゃんの雪だるま、今日取りに来ない?≫


 瞬時に下りてきた思考は『僕は片原さんに気を遣われているんだろう』だった。ジュンヤに罵倒されながらも立ち向かった僕を目の前にして、居ても経っても居られなくなって連絡を入れてきたんだと。


 しかし……、憶測は外れた。


 ラインが届いた時刻は、1時間以上前だった。まだ授業中の時間帯だ。つまり階段でひと悶着を起こしていた時は、当然既にこのラインを送ったあとだったということになる。飽くまでキッカケは彼女のなかにあって、取りに来ないかと僕にラインをしたのだ。


 でも……一体どういうつもりだろう。

 そもそも雪だるまは、あるはずがないんだ。

 だってもう、粉々に踏み潰してしまったから。


≪雪だるまがあ――≫


 途中まで打って、消す。


≪どこにあったん――≫


 また途中まで打って、消す。

 本当、どういうつもりなんだろうか。

 多分、きっと、嘘をついている。

 なんで今さら僕にそんな嘘をつく必要がある……?


≪どうして嘘をつくん――≫


 ……だめだだめだ。慌てて打ち込んでいた文字を消去する。

 欲を出すな。欲しがるな。忘れろよ。僕は、ただただ彼女の幸せを願う。それだけだ。それが唯一の理解者であった彼女への恩返しであり、こんな自分でもできる精一杯の誠意なんだ。


 スマホをポケットに沈めて、深いため息を吐いた。


 明日が終わってしまえば、僕たちは元々の他人同士へ戻るだろう。僕はこれまで通りに日陰者らしく教室の隅っこで生き続け、彼女は何かと無理をしながらも陽の光を浴びて青春を謳歌していくのだ。まさか自分たちが幼馴染だっただなんて、夢にも思わずに。


 きっと互いのラインの履歴なんかを見て『なんであいつなんかと関わっていたんだろう』と疑問に思い、また気持ち悪く思うことだろう。


「気持ち悪く……か」


 気持ち悪く……思うのかな。

 そりゃあ、思うだろうなあ……。

 だってあの片原さんと、この僕だもん。


 傷口へアルコールを流し込んだように、胸がじいんと痛んだ。


 嫌だなあ……もう片原さんの笑顔が僕に向けられることも、ラインが届くことも、一緒にどこかへ出かけることも、もう二度とできないんだろうな。明日が終わったら、僕たちの関係は終わっちゃうんだもんなあ。


 明日が最後か――。

 底の深い穴に突き落とされたような感覚に陥った。

 僕はもう立っていられなくて、その場でしゃがみ込んでしまう。


 受け入れてると思っていたのに、嘘みたいに世界が急に真っ暗闇になって僕は歩けそうにもなかった。とうとう終わるんだ。“ぼく”と“あっくん”の物語が。そして“僕”と“片原さん”の物語も。これまで飾りでしかなかった『終わり』という言葉が、急に中身をはじけそうなほど詰め込んで、目の前に立ちはだかっていた。


 ちょっとこれはもう耐え切れないかもしれない。


 電車が警笛を轟かせながら暴力的な勢いでホームへ滑り込んできた。耳を覆うほどの金切り音とともに重たい車体は徐々に速度を緩めていき、やがて金切り音が止むのと同時に車輪が止まった。辛うじて立ち上がり、ふらふらの足で空いている端の席に力なく座る。


 電車はやや経ってから、ゆっくりと動き出す。

 明日という1日を乗り越えられる気が、まるでしない。

 それでも、そういう時に限って時計の針は容赦なく進むのだ。


 現実世界に意識が向かないまま時は流れ続け、いつの間にか夜は訪れて、そして夜は底まで落ちていって、朝が訪れた。まるで浦島太郎にでもなった気分だった。


 窓を開けると、腹が立つぐらいに気持ち良い、透き通った空が広がっていた。

 そして僕は今日も、行きたくもない学校へ自ら向かう。





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