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第42話 僕にできる唯一の恩返し




 検索結果の一覧が表示され、ひとつひとつ確認をしながらスクロールをしていく。でも、僕は薄々気が付いていた。購入したメモリーズによって得た記憶は、買い取ってもらえないことを。


 案の定、表示されるのは思い出の買取りに関するページと、メモリーズの販売に関する広告だけだった。公式らしいページをタップすると、すぐにウェブサイトが表示された。そこには≪不要な思い出、買い取ります≫と大きく謳われている。試しにカーソルを合わせてクリックをすると買取専用のページが表示された。


 ある注意書きが目に飛び込んできた。


≪思い出によっては買取ができない場合もございます。その場合は処分費用を頂戴します。≫


 ああ……そうか。

 合点がいった。何故、この思い出(メモリーズ)が安く買えたのか。

 何故、手の届かない高額な思い出が並ぶなか、この思い出だけが安かったのか。


 僕も彼女もきっと、この値打ちのつかない思い出を、まるで廃品回収のように金を払うことで手離したんだ。忘れたくて逃れたくて仕方なく、それで今こうしたのと同じように、思い出を消す方法を探した結果メモリーズにたどり着いたんだ。


 どうやら僕は最初から勘違いをしていた。

 何故、思い出がすべて良いものであると決めつけていたんだろう。

 何故、ぼくの思い出に値打ちがあるなんて思っていたんだろう。


 ぼくも彼女も、金を払ってまでして、この最低な思い出を断ち切りたかったんだ。

 笑えてくる。本当可笑しすぎるだろ。僕も片原さんも、金を払って何を見させられてたんだ。自然と腹の底から笑いがこみ上がってきて、僕は声にならない声でひとり笑った。


 バカだなあ。本当、想像をどんどん超えてくるバカだ。

 奥が深くて誰にもまねができないレベルのバカだ。

 こんなもの、他に買わされた人間が居たのなら同情する。

 片原さんのメモリーズ、回収して良かったなあ。心からそう思った。


 それから僕は、布団に包まったまま長い夜を越え、朝を迎えた。

 学校を休もうかとも思ったが、敢えて僕は学校に行くことを選んだ。

 何もしないことのほうが今は辛かった。


 もうメモリーズもない。0.1パーセントでも有った可能性すら見事消え失せてしまったのだ。何かに縋りたいのに縋るものが存在していないことの苦しさを、僕はそれなりに知っている。今僕にできることと言えば、何かをして気を紛らわすこと以外にない。


 慣れ親しんだ駅までの道を歩いているとき、電車のなかで車窓を眺めているとき、駅について学校までの距離を減らしているとき、時間は緩慢に流れていた。まるで誰かが意図をしているかのように体感時間へブレーキがかかっていた。


「あと2日」


 もう何度そう呟いたのか分からない。

 痛み止めを望む患者のように、僕はその特効薬を何度も唱えた。


 でも逆に唱えれば唱えるほど効き目が逆に作用している気がした。心が虚しくなっていく気がして、蟠りがより粘っこくなっていく気がして、胸の痛みが強くなっていく気がする。ただでさえ沈んでいた気持ちは、維持することすらできず深みに入っていくばかりだった。


 心は不快だった。本当、極めて不快だった。

 何故こんなにも不快になるのだろうか……。


 彼女を傷つけた事実は変わらないから? こんな自分が情けないから? 彼女のことをまだ諦めていないから? やっぱり記憶が失われることが怖いから? この思い出があまりにも名残惜しいから?


 全部違う。全然しっくりこない。

 失う怖さとはまた違う感情が、有刺鉄線のように胸へ巻き付いていた。不快な感情が大きくなっていた。


 思考はあっくんとぼくのこれまでの思い出を巡りはじめる。


 薄暗いリビングで正面に座るあっくん、夕陽が差した顔には絵筆で描いたような影ができていた。熱々のホットミルクにふたりしてフーフー息を吹きかけた。やっとの思いで飲んだミルクはほんのりと優しい味がした。放課後いっしょに雪だるまのオブジェをつくった。ぼくの雪だるまはあまりにも不細工だった。でもあっくんは「好きだよ、この子」と言って撫でてくれた。結婚しそうなふたりランキングで1位になった。照れくさかったけど嬉しかった。中学生になった彼女は部活で忙しくなった。ぼくはたくさんイジメられるようになった。あっくんは世界で1番会いたくない人になってしまった。それでもあっくんはぼくを誘ってくれた。公民館の前で一緒に花火を見上げたり、お化け屋敷で身を寄せ合ったり、観覧車で1日の短さを嘆いたりした。そのどれもが元カレと行ったところだったのは複雑だった。あっくんはぼくが学校に来るのを嫌がっていた。でもぼくは学校に行った。遠く離れた牧場までイルミネーションを見に行った。たくさんの宝石に囲まれてクリスマスツリーを見上げた。魔が差してあっくんの手を握ってしまった。あっくんは苦笑いを浮かべていた。あっくんと牧場に行ったのがバレてイジメられた。あっくんは助けてくれた。ぼくは追い払った。それでもあっくんはまた助けてくれた。それなのにぼくはもう一度追い払った。ふたりでお揃いにしていた雪だるまがバレた。ぼくはあっくんの目の前で粉々に踏みつけた。


 思い出は途切れた。

 僕はふらついた足取りで、途中途中公園に立ち寄って、二人掛けのベンチに力なく座った。


 これじゃあ彼女があまりにも不憫じゃないか――。


 あっくんは最初から最後まで、ずっと一貫して味方でいてくれた。迷ったり疑心暗鬼になったりするのはいつだってぼくのほうで、こちらがどれだけ揺れ動いていても彼女は変わらない場所から見守ってくれていた。飛んで火に入る選択をしてくれた。それがどれほどの勇気だったのか、きっとぼくには一生分からないはずだ。


 それなのに“ぼく”は裏切った。


 そして“僕”は『あと2日』などと唱えながらすべてを忘れようとしている。


 唱えるたび大きくなっていく不快感の正体が分かった気がした。

 僕は自分で思っていたよりも、ずっとずっと薄情で自分勝手で被害者意識が強くて最低な人間だったのだ。夜中にメモリーズを消す方法を検索したとき、もしもその方法が見つかっていたのなら今ごろとっくに手放していたことだろう。


 見つからなくて良かった――そう思った。心から。

 彼女がしてくれたことに気が付かないまま、あっくんとの記憶が消し去られてしまっていたかもしれないと思うと恐ろしくなった。だって一生彼女のことを思い出すことは無いんだろう? 


 これだけ向き合ってくれて助けてくれて、最も近くに居てくれて、最も僕のことを理解してくれた唯一の幼馴染なのに、世界でひとりだけの幼馴染なのに、それが僕にとってどれだけ奇跡的な出会いだったのかを、僕は理解する前に消し去ろうとしていたんだろう? 


 あと2日だ。

 まだ、あと2日だけど時間があるのだ。

 背中にひとすじの寒気が走った。


「はあ」力なく息を吐く。命拾いしたような気分だった。


 どうせ僕はあっくんの記憶を失う。

 それから片原さんだってぼくとの記憶を失う。

 ふたりはこれから死ぬまでずっと、互いにこんな幼馴染が居たんだということを思い出せないまま大人になって死んでいく。


 恩返しをするなら今しかない。

 忘れてからじゃ遅いじゃないか。率直にそう思った。

 その瞬間、僕はスマホを取り出してラインを打っていた。





 なんとなく予想はしていたけれど返信はなかった。我慢ができずに何度か駆けだしそうになったが、邪魔が入ってはいけないから僕は耐え忍んだ。


 そして放課後。高揚感でごった返す廊下を急ぎ、僕はそのうしろ姿に追いついて、声を掛けた。


「あのさ」


 こちらを振り返る返る彼は、冷たい眼差しが先行していた。


「なに」


「ライン、したんだけど」


「見てねーよお前のラインなんか。てか消せよ」 


 僕はジュンヤに、話したいことがあるとラインを送っていた。僕だからでこそできる、唯一の片原さんへの償いをしようとした。


「話があるんだ」


「俺忙しいから、じゃーな」


 昇降口とは反対方向に歩く彼を、僕は追った。


「あの、色々思ったんだけど」


「……」


 彼は無視して歩き続ける。


「片原さんには、その、もう関わらないでほしいっていうか」


「……」


「もう別れてるから、片原さんの意思を尊重してほしいっていうか……」


「お前さ……」


 階段を上がっている最中、ジュンヤが冷たい顔をして振り返った。何段か上の位置から見下ろしてくる彼は、仰け反ってしまうくらいには威圧的だった。わざとそう見せているのだろう。


「あゆみが言ったの? 俺と会いたくないって」


「あ、いや……」


「意思を尊重してほしいってお前言ったじゃん。あゆみが俺と関わりたくないってお前に言ってたのか?」


「いや……」


 大きな手が僕の首を鷲づかみにした。まだ力のこもっていない手のひらだけど、しっかりと攻撃の意思が潜んでいて、少しでも気が変わればいつでも息の根なんてやるぞと言っているようだった。


「お前あんま調子に乗るなよ」


 強烈なこぶしが腹の中心に入って、僕は膝から崩れ落ちる。

 骨がないところへの攻撃はキツイ。さすが不良。人が痛いところをよく知っている。


 彼はうずくまった僕の髪の毛を掴んだ。


「あのな、俺、いまからあゆみと会うんだよ。お前が思っているより俺たちって進んでるんだよね」


「進んでる……?」


「だから、邪魔したらマジで殺す」


 頬にビンタ。それから髪を掴んだ手は乱雑に僕のことを放り投げる。体勢を整えられない僕は、階段に背中を強打。二段、三段と階段から滑り落ちたところで体は止まる。


 体を起こそうとするとピキッと背中が悲鳴を上げた。でものんびりなんてしていられないから、痛みに堪え、手をつきながら体を起こしてみる。見上げた先にもうジュンヤはいなかった。


 もう時間がない。その事実が何よりの痛み止めとなって僕の足を急がせてくれた。一段飛ばしで階段を駆けあがる。ブラックホールは下からどんどん迫ってくる。記憶が飲み込まれてしまうのなんて本当にあっという間だ。


 ――あいつ性格悪いし、結構暴力的だから。


 片原さんはそう言っていた。


 ――俺とあゆみ、付き合ってたんだよ?


 ジュンヤは僕のことを殴るとき、いつも楽しい遊びをしているかのように笑みを浮かべていた。最初出会ったころとは比べ物にならないくらいにサディスティックな部分を見せるようになった。


 彼女はそんな彼の一面を知っている。

 だから彼と接点を持つことを嫌がっていたんだ。

 今はただ、未来の彼女さえ救えれば、もうなんでもいい。

 彼女の身を救う土産を残すことが、僕にできる唯一のことだ。


 痛みを堪えて走った甲斐あって、最上階まで上がってさらに回ったところで、彼の背中がようやく見えた。その向こうの踊り場を曲がれば、もう屋上だった。


「おいっ……」


「あ?」




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