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第39話 にくたいかんけい?




 何日かが過ぎた。


 メモリーズを偽物にすり替えられた片原さんからは何の連絡もきていない。ということは、メモリーズを飲もうとしていないということだ。もしも連絡が来たらどういう言い訳をしようか、この期に及んで考えたりもしていたのだが、杞憂だったということだ。


 控えめにいってもかなり悲しいけれど、考えだしたら負の渦に吸い込まれてしまうだろう。だから、この毒風船を頭の隅に追いやりながら、平均台の上を歩くようにバランスを保って今日も生きていく。


 6時間目を迎え、生徒たちは押し込められたかのように体育館へ集った。月初めの金曜日は全校集会をやる決まりになっているため、唯一この時間だけは学年も関係なしに全生徒が集まるのである。


 一見めんどくさそうに思えるかもしれないが、他のクラスや部活の先輩後輩などと、ふざけたりおしゃべりを楽しんだりして、意外にもみんな楽しんでいるものである。きっと心の底から面倒ごとのように思っているのは僕のような日陰者だけなんだろう。


 視界に嫌なものが入った。

 ジュンヤと片原さんがふたり肩を並べて話をしている。

 ふたりのうしろ姿はそれはやっぱりイケている風格が滲み出ていた。


 ワックスで整えられた髪から伸びた襟足と、天性の大きな体格。制服を着崩しているのも、ああわざとなんだねと分かる見てくれだ。


 そして隣りの女の子、ふわりと舞う髪は差し込む光のせいか茶色がかかっている。女の子らしい中背のうしろ姿、短いスカートから色白の綺麗な足が伸びている。


 たぶん、ふたりを隔てる距離は30センチもない。いやむしろ、ふらつきながら喋っているジュンヤの体は時折彼女の肩に触れそうなほど近い。はっきりいって不快だったけど、でもまるで磁石のように目が離せられない。


 そしてジュンヤが、片原さんの頭に手を乗せた。


 はっ――思わず声が出そうになった。


 胸が張り裂けるかと思った。鼓動は荒れはじめ、次第にみぞおちの奥がかき乱されるように苦しくなった。咄嗟に視線を逸らした僕は、もうそのまま顔を上げることができなくなってしまう。再び顔を上げたときの景色を受け入れる度胸が無かった。


 ――もう二度とジュンヤを呼ばないでくれる?


 どういうことなんだ、片原さん。

 やっぱりもうジュンヤとは仲良くすることに決めたのか。


 ――何か変な動きしたらマジでどうなるか知らねーからな。


 ……いや、待てよ。相手はあのジュンヤだ。

 もしかしたら彼女は彼に合わせているのかもしれない。


 彼に何かを握られているとか、もしくは何かを守るために我慢して関わっているとか……。だって彼女は言っていたじゃないか。そんなにいい奴じゃないって。


「はは……」


 僕は首を振る。それから控えめに自分の腹を殴った。

 都合の良い解釈をしている自分がただただ情けなく、不様だった。

 次に顔を上げたときには、もうジュンヤも片原さんもふたりともそこに居なかった。


 学年集会が終わると、僕は誰よりも早く体育館から出た。





「集合」


 ホームルームが終わって教室を出ようとしたところ、ジュンヤから声が掛かった。彼は僕の肩を乱暴に叩いて歩き出し、仕方なくそのあとを追った。昇降口とは逆の出口に向かっていることが分かって僕は察した。


 上履きのまま外へ出て、その威圧的なうしろ姿は校舎の裏へと足を進めていく。


「なあ?」


 焼却炉の裏で、彼は地べたに座った。


「お前さ、いつになったら誘ってくれんだよ」


 攻撃的な目で僕を見上げていた。


「……えっと」


 体育館の光景がフラッシュバックして、頭のなかは混乱状態に陥る。もう全然状況が把握できていない。

 言葉が一向に出ない僕が可笑しくなったのか、彼は高らかに笑った。


「はははっ。何ビビってんだよお前おもしれーな」


「あ、いや……別に」


「嘘だよ、嘘」


 嘘とは、どういうことだろうか。


「もうお前に頼らなくてもいけそうなんだわ。だから誘わなくていいよ」


 爽やかな笑顔で彼は言った。

 片原さんの頭に手を置いたジュンヤが蘇る。胸が裂かれそうだ。


「ま、それでさ、お前に話があって呼んだんだけど」


「うん」


「もう誘う必要ないからさ、お前も」


「う……ん?」


「もう俺はお前のチカラを必要としてないからさ、お前ももう無駄にあゆみのこと誘わなくていいから……てかもう誘うなお前」


 切れ味の鋭い語尾に身体は自然とうしろへ引っ張られる。

 ジュンヤはブレザーの内ポケットから煙草を取り出して、尖った唇に咥え、火をつけた。


「……分かったら返事しろよ」


 汚い煙とともに耳障りの悪い言葉が出る。素直に返事をするのはなんだか不愉快だった。


「んー……」


「あのさ、分かるよお前の気持ち。好きな人から手を引くのはツライんだよな? でもそういうことじゃねーから。お前ごときが手を出していい相手じゃないんだって」


「いや、別にそういう訳じゃ……」


 本当にそういう理由で返事ができなかったわけじゃない。好きだからツライとか、諦めたくないとか、悔しいとか悲しいとか、そういう純潔な感情が僕を取り巻いているわけではないんだと思う。残念ながら。


「……でもどのみち僕はもう、片原さんのことは誘わないよ」


「お、また仲違いしたのか?」


「そんなんじゃないよ。(たが)うほどの仲も存在していない」


 ストローから飛び出る液体のように自然と言葉が出てきた。ジュンヤはそんな僕を見てまた高らかに笑う。


「ははは。そりゃそうだよな。お前なんかが」


「そう、僕なんかが」


「驚かせんなよな、マジであゆみ目狂ったんかと思ってたわ」


 そんなわけがないだろう。たとえ九死に一生を得たとしても、彼女が僕に恋心を抱くなんてあり得る訳がないのだ。


「彼女は正常だよ」


「だよな。さすがにお前にいくのは元カレとして許せねーからさ」


「はは……」


 うん。


 うん……?


 …………え?


「元カレ……?」


「あれ? 言ってなかったっけえ?」


 わざとらしく首を傾げるジュンヤ。表情には嘲笑が浮かんでいる。そして彼は最も聞きたくない事実をとびっきりの笑顔で知らせてくれた。


「俺とあゆみ、付き合ってたんだよ?」


 頭が真っ白になった。

 言葉という概念を失ってしまった。


「夏ごろまでな。ま、色々あって別れちゃったんだけどさ、実は俺お前よりずっと先にあゆみと仲良くしてんのよ」


「……」


「あ、もちろん高校生だからさ、もう互いに大人じゃん? 当然色々してるわけよ」


「色々してる……?」


「にくたいかんけい」


 彼はわざと“にくたいかんけい”をわざと卑猥に響かせているようだった。


「あんなことやこんなこと、くわしく聞きたいか?」


「……」


 ああああああああああああ。

 最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪。

 ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。

 無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。


「まあそういうことだから。くれぐれも邪魔すんなよな。おつかれ」


 ジュンヤはそう言って去った。

 ひとりきりになった僕は空に向かって叫んだ。


「っざけんなあっ!」


 ああ、もう本当に最悪だ。

 最低最悪最凶もう言葉が存在しないレベルで超最悪だ。

 腹の底に見え隠れしていた嫉妬の感情が燃え上がった。

 もう収拾がつかなくなっていた。


 ああそうか、そういうことだったのか。僕が知らなかっただけでふたりはずっと先を行っていたんだ。イルミネーションのときのうしろ姿も、妙に雑なやり取りも、あのうしろ姿の距離の近さも、ふたりに関する違和感のピースがすべて合致した。にっくいジグソーパズルの完成だ、あまりに完璧すぎて跡形もなくぶち壊してやりたい。


 スマホをポケットから出して彼女とのトーク画面を開く。何か文字を打とうとした。でも何を言いたいのかが分からない。だからトーク画面を閉じる。だけどやっぱり気が済まなくてまたトーク画面を開く。また閉じる。


 このループを何度もやり直す。

 だめだ、全っ然冷静になることができない。

 僕は焼却炉の裏でひとり大の字になって寝た。


 空が眩しいから目を瞑る。

 しばらくそのままにしていた。

 不快感は1ミリも減ってくれない。


 夕方になって僕は焼却炉をあとにした。

 なんでこんなにも腹が立つんだろうか。

 夕方の通学路には部活帰りの生徒がたくさんいて、彼らは歩道を横に並んでのんびりと歩いていた。まるで駅までの距離をほんとうは減らしたくないみたいだった。僕は半ば無理やりにその横を通り抜ける。


「おーこわっ」「きもっ」


 暴言は無視をして、早足で駅に向かう。

 彼女の姿が浮かんだ。


 夕暮れどき、ジュンヤと手を繋ぐうしろ姿。時どき肩をぶつけ合って、ふらふらと歩道を目いっぱい使って、ケタケタと笑って歩くふたり。カメラワークを正面にしてみると、ふたりとも目を線にして大きな口を開けて笑っている。こんな美男美女、見てもお似合いだというだろう。


「はあ……」


 なんで。どうして。ジュンヤなんかが……。

 ふっと、僕は彼女の発言を思い出す。


 ――もう二度とジュンヤを呼ばないでくれる?


 彼女は彼のことを嫌がっていた。わざわざ僕のことを呼び出してまで、ジュンヤともう遊びたくないことを伝えてきた。だから僕がショックを受けている事実は飽くまでも過去の出来事でしかないのだ。


 そうやって自分を慰めた。

 でも一旦は無理やり納得できても、すぐに醜悪な事実は胸を傷めつけに戻ってきた。まるでやっつけてもやっつけても絶え間なく襲い掛かってくる多勢の敵のように。


 家に帰って、シャワーを浴び、部屋着に着替えてベッドに寝っ転がった。外から帰ってきてしばらく経ったのに、頭のなかだけはそのまま変えられない。くったくたなのに、もう考えたくないのに、彼女のことなんか忘れてしまいたいのに、川のように途切れることを知らなかった。


 そして繰り返される思考のなかで、僕はひとつ“ある懸念”に気が付いてしまった。


 それは彼女は発していた台詞だ。


 ――あいつ性格悪いし、結構暴力的だから。


 記号も絵文字もない質素な文面で送られたライン。

 聞き流していた言葉は急に重みをもって目の前に現れた。


 元カレ、二度と呼んで欲しくない、暴力的……僕がジュンヤに対して“その疑念”を持つことはごく自然なことだろう。しかし僕はまだ、その可能性を信じ切ることはできなかった。まさかいくら彼が悪人でも片原さんに暴力をふるうなんて考えにくかったから。


 それに……。


「いやいや……」


 僕は首を振る。

 片原さんが僕と同じように暴力を受けていたなんて、嘘でも考えたくなかったからなのかもしれない。

それはさすがに、ないだろう?


 ないないない。僕は呆れ笑いを浮かべながら首を振った。いくらジュンヤでも片原さんに暴力をふるうなんてあり得ないだろう。考え過ぎた。


 そして整理がつく気配を感じないまま、僕は果てしなく長い土日を迎える。





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