第38話 こうして二人の関係は終わらせることにした
「ずっと不思議だったんだ」
「何が?」
「メモリーズのこと。一体なんで人はこんなものを買いたくなるんだろうとか、なんで最後まで見たくなってしまうんだろうとか、とにかくメモリーズというものは不思議なことだらけなんだ」
「なんか意外だね」片原さんは頬杖を突きながら力なく言った。「つまりは思い出の中身よりもメモリーズそのものに君は興味を示したんだね」
「ああ、そうかもしれないな」
さすが彼女だ。
意外だと思うその感性は全然間違ってない。
だって現に僕は、自分の思い出とただ必死に向き合っているだけで、メモリーズのことなんてどうでもいいと思ってる。
「それで?」
「えっと……それで何がすごいかって、この記憶が消えてしまうことだと思ったんだ。つまりこのメモリーズというものを飲んでいたことすらも僕たちは忘れてしまうというんだろう?」
「うんうん、想像できないよね」
「そりゃあ世に広まらないわけだ。だから、僕たちはいま、とてつもなく貴重な機会を得ているということになる」
「貴重な機会を得ている?」
「一生のうちにメモリーズに触れられているのは今だけかもしれないじゃないか」
「また買ったりしなければそうかもね」
話が脱線していないことを確かめ、僕は話をさらに進める。片原さんは相変わらず頬杖は突きながらも、こちらの目をしっかりと見ている。
「だから僕はもっとメモリーズについて話しておくもの悪くないんじゃないかって思ったんだ。片原さんがメモリーズを飲んだ時の感覚とか、起きたときはどんな気分なんだとか、メモリーズについて色々聞きたいなって思って、それで今日」
「なるほどね」
彼女は頬杖をほどいて、力感のない笑顔で言った。
「たしかに。たいちゃんと私が同じようなものを飲んでいるとは限らないもんね」ため息交じりにそういう片原さんの言葉は説得力があった。やっぱり僕と違ってしっかり頭が良いし、察しも良い。
「だから今日は、片原さんのメモリーズについていろいろと聞かせてくれないか」
「おっけー」
そうして僕はありとあらゆるメモリーズについてを彼女に質問していった。
片原さんは包み隠さず彼女なりの考えを話してくれたし表情には笑顔が浮かんでいた。それから彼女は僕にもお返しと言わんばかりにたくさんの質問を投げてくれて、当然ながらぼくもそれに答えていった。
本当ならば、策略もなにもなくこうやって他愛もない時間が過ごせられたら、僕たちは幸せだったんだろう。
いや……。
“僕”は幸せだったんだろう。
大きな窓の向こうで、山吹色に輝いた太陽が沈む準備を始めていた。
僕はあたかもいま思い出したかのように、念入りに用意してきた言葉を言った。
「ちょっと片原さんのメモリーズ見せてよ」
自然な口調でそれが言えたことに胸を撫で下ろす。
「うん、いいよ。ちょっと待っててね」
彼女はそう言ってリビングを離れて廊下へ見切れていった。
大丈夫だ。ずいぶんと回り道をしたけれど作戦は順調に動いている。
何気なくリビングを見渡してみると、気付かないうちにだいぶ薄暗くなっていた。太陽の角度が落ちてリビングに影が差している。脳はその光景に誘われるようにして、視界にメモリーズの映像を浮かばせる。
ホットミルクを飲み、それから白い歯を見せて笑いかけてくるあっくん。その光景はあたたかく、セピアに染められていた。まるで映画のようなワンシーンに、心臓はぎゅうっと見えない糸で縛られているかのように締め付けられていた。
本当に存在していたんだな、こんな思い出が。自分なんかにも。
どうせならお互いに気持ちよく、最後までメモリーズを見届けたうえで終わりにしたかった。
「お待たせ―」
そう言って彼女がテーブルの上に置いたものは、錠剤の入ったジップロックだった。
安どの息が漏れる。
「へえ……ジップロックなんかに入れてるんだ」
「私ね、薬は移し替える派なの」
「ふうん」
メモリーズのなかと同じだ。
ポケットの中のほうのジップロックを改めて触ってみる。あとはこれをうまいこと差し替えさえできれば、作戦は成功する。
「見た目は僕のやつと同じだな」
「そうなんだね」
そして、そのタイミングは思っていたよりも早くに訪れた。
「……あのさ、ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、うん」
彼女はトイレのために席を立った。
どきどきする。リビングから出ていく彼女の背中を必要以上に見つめた。彼女は一度もこちらを振り返ることなく、さっきのように廊下へと見切れていき、やや経ってから奥のほうでトイレの扉が閉まる音がした。
無心で僕は作戦を敢行する。
あらかじめ用意していた右ポケットのジップロックをテーブルの上に出し、その代わり元々テーブルにあった彼女のジップロックを手に取りポケットに沈めた。そしてテーブルに置いたそれの位置を慎重に調整し、納得のいったところで手を離した。
緊張していた割に事が済むのは一瞬だった。
片原さんが戻ってくるまで思っている以上に間が開いた。
時間にしたら1分とか2分ぐらいなんだろうけれど、今の僕にとってそれは長く、果てしなかった。その隙間は罪悪感が侵入してくるにはちょうど良い間だったのかもしれない。
戻ってきた彼女の笑顔を見たら、胸にずきんと痛みが走った。
「ホットミルクでも飲む?」
少し考えてから僕は答えた。
「いや、大丈夫だよ」
「……そっか」
「もう夕方だな」
「ね、ほんと時間ってあっという間だよね」
僕は逆だ。片原さんのところに来てからがとても長かった。
彼女と時間を共にしているときに長く感じたのはこれが初めてかもしれないし、これほど楽しくなかったのも初めてかもしれない。まあ……でも、最後がこれで良かったのかもしれないと思う。
終わりが良ければ良いほど未練が強くなるし執着は強烈になる。もう思い出を追うことが無くなった僕たちに、ふたりで会う理由はどこにもない。あとは静かに記憶が失われる日を待つだけだ。どうせなら波風立てずに、余計な期待もしないまま穏やかに終わりたい。
「暗くなる前に帰るか」
「あ、うん」
僕は彼女に見送られながら、家をあとにした。
丘から見下ろした街は影に飲み込まれていく最中だった。
ふう――ため息をついて僕は丘を下る。
いくら3月になったとはいえ、日没を迎えた風の冷たさは真冬と何も変わらない。だからこうなったらひと思いに下ってやろうと、僕は丘を駆けだそうとした。しかし、その時。
「片原さん……」
迂闊だった。
何か忘れているような気がして僕はうしろを振り返ったのだ。
彼女はその大きな窓から控えめに手を振っていた。
僕は唖然としていた。今が現実なのかどうかが分からなくて、何度も思考を巡らせた。だから立ち尽くしている間に彼女はカーテンの内側へその身を隠し、それからカーテン越しの人影もすぐに消え去ってしまった。
*
こうして僕はすべてを諦めることに舵を切ったわけだが、思いのほか気持ちは晴れていないし何かをやり残したような不快感は身体の中に残っていた。そう考えてみると、舵を切っただなんて大げさで、僕がしたことなんて大したことがないのかもしれない。
そもそも僕は何を諦めたんだろうか。
例えば現実世界だと、まあ恋人なんてもってのほかで友達になる未来すら僕はもう諦めていたわけだ。もともと期待なんてそこに何もなかったはずだ。メモリーズのなかのぼくたちに対してだってバッドエンドの終焉に怯えていたわけで、むしろ見ることを過剰に恐れていた気さえする。
そもそも最初から僕は彼女に対して期待をしていなかったじゃないか。
結局僕が成し遂げられたことって、残り数日で消えてしまう彼女の思い出を、綺麗なままの状態で終わらせようとしただけだ。
でも……、
でも……?
なんだ、それで充分じゃないか。
僕にもできることがあった。それがほんのちょっぴりだけど、嬉しく思えた。
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