第35話 彼女が消えるまで残り1週間
送ったと同時に既読マークが点き、それからものの数秒で返信が届く。
≪ジュンヤはなんて言ってたの?≫
≪分かったって≫
≪ふうん。あのさ、ジュンヤは気を付けたほうがいいよ≫
≪なにが?≫
≪あいつ性格悪いし、結構暴力的だから≫
暴力的か。今日まさにその一面を最前列で見てきたところだ。
おかげさまであばら骨が今でも痛い。
≪そうなんだ≫
もう、彼女の既読は付かなかった。
スマホを放り投げて大の字で天を仰ぐ。さりげなくスマホのほうに耳を澄ましていたけれど、再び振動をすることはなかった。
片原さんは今、布団のなかで微睡み、過去の世界へ移っているところだろうか。壁掛け時計を見る。時刻は20時前になるところだった。もしも僕が今、メモリーズを飲んだとしたら、恐らくそのまま眠ってしまい朝を迎えることになるだろう。
彼女とともに同じ過去を味わい、その余韻を引きずりながら現実を迎えることになる。そして互いにメモリーズは、残すところあと1回となるのだ。
彼女にとって今日のメモリーズは楽しい思い出になるんだろうか。
それとも苦しいものになるんだろうか。
それとも然程印象に残らないものになるんだろうか。
残り1回となるメモリーズにどんなバトンを繋ぐのだろう。終末の入口へどのようにして足を踏み入れるのだろう。それとも最終回で急降下するから今回までは幸福な時間を過ごさせてくれるのだろうか。
彼女は何故、メモリーズを見るのだろう。
彼女は何を思って、僕に見ることを報告してきたのだろう。
僕はそんな彼女を見て、何を感じているんだろう。
この胸に巻き起こっているモヤモヤしたものは、一体何を意味しているんだろう。
僕はどうすればいい。
いや、僕はどうしたいと自分では思ってるんだ。
床に放り投げられたままの包装ケースを見る。綺麗に包まれた錠剤は残りふたつしかない。あとは乱雑にはがされて空洞になってしまっている。こうやって見てみると、改めて失った過去をひとつずつ取り戻していったんだと知る。
今に近づけば近づくほど、思い出のなかの“ぼく”は“僕”らしくなり、赤の他人の物語は自分の物語になっていった。あっくんが居てくれたことも、僕なんかの味方をしてくれていたことも、現実に起きていたことだと受け止められた。
でも。これはメモリーズだ。
僕が、1度は手放した記憶だ。
『メモリーズによって得た思い出の期限は第1錠目の使用から2か月です。それ以降、思い出は消失しますのでご注意ください』
僕が取り戻した記憶の数々は、あと1週間で消失する。
跡形もなく脳の隅々から消え去って、再び思い出すことは二度とないだろう。
二度と“あっくん”には出会えないのだ。
その気付きが、頭のなかから漏れ出して神経に触れ、体の芯からゾクゾクと震えあがった。
底のないほど深い穴が開いた。なんて末恐ろしいのだ。あっくんの存在が僕のなかから消えてしまうなんて。それは人生の大半を失うに等しかった。気分は余命宣告でも受けたような気分だった。これから1週間、僕はいずれ来ると分かっている死神をただ待ち続け、記憶の消滅に怯えて過ごしていくのだ。
今こうしてベッドにいる間にも、あっくんはみるみるうちに尊い存在に煌めいていくばかりだった。
僕は思い立ったように体を起こして、上着を羽織って外に出た。頭がおかしくなりそうだったのだ。
駅とは逆の方向へ、つまりはどんどん人の居ないほうへと向かった。歩いていると呼吸がいい具合に忙しくなって、頭のなかはだんだんとクリアになっていくような気がした。もうこのまま朝まで歩き続けてやりたい。そうすれば朝を迎える頃には、悩みなんて米粒ほどに小さくなってるんじゃないか。そんな甘い展開が頭のなかに広がり、足底に力が入る。
ただひたすらに歩いた。
小一時間ほど時が経つと、大通りはやがて閑静なバス通りに移り変わり、住宅の明かりと等間隔に置かれた街灯だけが街を照らした。体の内側から熱がこもり、季節外れの汗が噴き出す。冷くなった耳が頭痛を引き起こし、歩くたびに股関節が軋んで悲鳴を上げた。
しかし頭のなかは全然スッキリなんてしなかった。
途中コンビニに差し掛かったところで、僕は歩くのをやめた。
温かいほうじ茶を買い、コンビニの前でキャップを開けて飲む。温かい液体が食道を伝って胃に落ちていく感覚がした。二度、三度と、僕は飲みなおす。ところがさすがの寒さで、もうお茶は温くなりはじめていた。
もうぬるくなっちゃったよ――。
そりゃそうだよだって冬だもん――。
しかも夜だし――。
ふふ……うちでホットミルクにしようか――。
もしも片原さんが一緒にいたら……そんな有り得もしない妄想を頭に巡らせた。ここのコンビニで片原さんと肩を並べている未来を。このあと記憶を失う僕たちにそんな未来なんて十中八九訪れないんだけれど。
現実は冷たい空だ。
隣りはがら空きで、僕は自分に話しかけることしかできない。
「……帰るか」
ため息混じりの声を落として、僕は歩きだした。
帰り道は行きよりも何倍も長く感じた。足を引きずって、鼻水を垂らし、目の端から滴をこぼし、やっとの思いで家まで帰った。
帰ってからはすぐに風呂場へ入り、シャワーを長い時間浴び、冷たくなった末端を中心に体を温めた。
シャワーから上がって髪を乾かし、寝支度を整えてベッドに入る。体がぽかぽかと熱を帯びていて副交感神経に切り替わる気配はない。
灰白色の天井を、眠気のない目で見つめていた。するとだんだん、あっくんの声が聞こえてくる。
「たいちゃん」といったり「私ね、嘘ばっかりなんだよ」と蔑んだり「あははぁ」と砕けたように笑ったり。
頭の中はあっくんでいっぱいになっていて、彼女の姿形や声がより鮮明になるほど胸は押し潰されそうになった。こんなにも僕の頭のなかは彼女に支配されているのに、やがて彼女は消えてしまうのだ。脳はどれほど空っぽになることだろう。いや、もはや喪失感すらも感じないのかもしれない。
思考の空転が止まらない。
眠りにつけないまま何時間もの時間が経過したことを、居心地の悪いベッドが知らせていた。久しぶりに瞼を開けて、スマホを手繰り寄せる。強烈なライトに目を細めながら午前2時20分を確認した。
どうせこのまま朝を迎えてしまうのならーー心のなかでそう呟いて暗闇の中フローリングに手を伸ばした。腕1本を精一杯伸ばすと中指がそれに触れ、ひと思いに手繰り寄せる。
僕は包装を破って錠剤を取り出し、それを口の中へと放り込んだ。
“眠れないから”を免罪符に僕はやっと決心をつけることができたのだった。
少しして視界がブラックアウトした。
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