第34話 彼女との約束
真夜中に彼女からラインが届いていた。
その時、僕はというと熟睡中であった。おそらく連日の寝不足で体は限界を迎えていたんだろう。まったく、つくづく間が悪いと思う。
《私、メモリーズ見ると思う》
どういう意味なんだろう、とはもう考えなかった。いや、考えなかったというよりは考えられなかった、のほうが正しい。いくら考えたって時間の無駄だということを、僕の脳はようやく学習したようだった。
朝、いつも通り学校に着いてホームルームを受け、1時間目の授業が始まった。まだ片原さんの姿は見ていない。廊下に足音が響いたり女子の話し声が聞こえてきたりするたび、僕の目はごく自然と廊下へ向いた。
やがて彼女の姿を見ないまま昼休みが訪れ、教室にジュンヤがやってきた。彼は僕に目もくれずに不良仲間からライターを借り、すぐに教室から去っていく。そんな姿を見た僕は決心がつき、その場で彼にラインを送る。
敢えて単刀直入にいった。
≪話があるから放課後会いたい≫
途端、胸騒ぎが巻き起こり、それは放課後に実際ジュンヤと顔を合わすまで続いた。
そして放課後、僕とジュンヤは焼却炉の裏で会った。
「用って何よ」
面倒くさそうな口調で彼は言った。“お前なんかが呼び出しやがって”と言われてるように感じるのは、僕がそう思っているからかもしれない。
「ごめん、ラインじゃなくてできれば直接話した方がいいかと思って」
「告白みてえじゃん」ジュンヤはソフトケースから器用に1本煙草を取り出し、それを咥え、火を点けた。さっきの不良仲間から借りていたライターだった。それから地べたにしゃがみ込んで、スマホを開いてゲームを始める。
やっぱり僕が設定したこの時間を面倒そうに過ごしている。
「……片原さんのことだけど」
「お?」
期待に綻んだ表情が僕を見上げた。次の遊びの計画だけど――とでも僕が言うのかと思ったんだろう。
「もうジュンヤのことは誘えない」
思っていたよりもはっきりと言い切った。
ジュンヤはしばらく緩んだままの表情で僕を見上げ、それから変面師のように、冷たい表情へと一変させた。
「は?」
「……」僕は口ごもった。
「なんでそうなるのか聞かせてくれよ」ジュンヤの口は最低限にしか開かない。
「いや、えっと……」
僕はもう、ジュンヤの顔が見られなかった。それでも彼は許さない。おもむろに立ち上がって、こちらとの間合いを詰める。ひと思いに彼の目を窺ってみると、冷たさが度を越えて火傷を引き起こしてしまいそうな目が至近距離でこちらを捉えていた。
「俺の質問は簡単だよ」
彼はまた、唇を最低限しか開かず呟くように言った。
「なんで、そうなるのか、聞かせろ」
「ごめん」
鈍い衝撃が走って体がぐらついた。遅れて肩がじんじんと痛みはじめ、僕は肩を殴られたことを理解する。
痛い。とっても痛い。肩も、心も。
「あゆみが言ったのか?」
「いや……」首を振った。
「じゃあてめえの意見か」
「いや、ちが……」
また、肩をこぶしで殴られる。火を点けなおしたように、痛みが再燃する。
「どっちだよ」彼の目は若干だけど三日月形に丸くなっていた。まるでこの状況を楽しんでいるような、狂気の潜む目をしていた。この瞬間、僕のなかでジュンヤが一気に過去の存在となってしまっていたことを知った。
ファミレスで話しかけてくれた彼。階段ですれ違うときに笑いかけてくれた彼。片原さんと遊ぶときに呼んで欲しいと頼んできた彼。そのどれもがジュンヤであり、いま目の前にいるのもジュンヤであるのに、まるで違う生き物だった。
いま僕の目の前には、これまで虐めてきた人間たちと同じ“脅威”が僕のことを殺すような目つきで見下ろしている。
結局このパターンか。どうせこのパターンなんだ。
「じゃあもう二択な。イエスかノーで答えろ」
僕の返事などは必要ないのだろう。彼は間髪入れずに二択とやらを言う。
「俺のことを嫌がったのは片原あゆみである。イエスかノーか」
「……えっと」
「イエスなんだなよーし分かった」
「ちょ、ちがう、ちがうって」
「なんだよどっちだよ、マジ殴るよ」
もう殴ってるじゃないか。
「ノーだよ、彼女は……何も言ってない」
「じゃあつまり、てめーの意思ってことでいいんだな?」
「いや、えっと、その……」
だめだ。口が、思うように動かない。
「イエスかノーだっつんてんだろ」ジュンヤは語尾を強めて、反射的に僕の口は反応した。
「イエ……ス」
「ウォラッ」彼の握りこぶしに、また肩は吹っ飛ばされる。
相変わらず殴られた場所は火傷のように痺れるのだが、心の痛みはもうだいぶマシになっていた。
「お前さ、あゆみのこと好きなんだろ」
「いや……」
「身の程って言葉知ってる? 鏡とか家にある? あのさ普通に考えたらお前ごときがあゆみと付き合っていいわけがないでしょ?」
「僕だって、付き合えるとか別に思ってるわけじゃないよ」
「口答えすんなよな」
バチン、と今度は胸にパンチを食らった。鉄でもぶつけられたかのような重いパンチで、これは相当喧嘩が強いんだろうなと思った。
「なあ、条件つけてあげるからさ、あゆみと遊ぶとき俺も誘ってくれよ」
「条件?」
果たして。
「ああ、とってもいい条件」
三日月をさらに丸くするジュンヤ。
もはや今さら彼に期待はしないけれど、僕は高圧的な笑顔に向かって「条件って?」と聞く。だが、ジュンヤの口から出た言葉は僕の想像をはるかに超えて、クソみたいなものだった。
「もしもお前が俺のことを誘わなかったとき、お前とあゆみの不釣り合いなカンケーを全校生徒にバラす。お前が約束通り俺のことを誘うのなら大人しく見守っててやる。これ、条件」
何を言ってるのか理解が遅れていた。なんだかよく分からないけれど、多分彼がいっていることは条件でもなんでもない。その証拠と言わんばかりに、彼は若干黄ばんだ歯列を見せて高らかに笑っていた。
「多分それ、条件とは言わないよ」
「うるせーよ。そもそもお前に拒否権なんかねーから」
もしも僕たちの関係がバラされてしまったら(それどころかジュンヤによってより脚色された関係で広まってしまったら)、当然僕は今以上にイジメられるだろう。敵意を向けてくる人数も今よりずっと増えるはずだ。
だが、僕のことはもはやどうでも良い。どちらにせよ僕はもう既にたくさんの敵意や冷笑のなか生きている。今さら増えたところで痛みが多少増すぐらいだ。
問題は彼女だ。
カースト最下位の僕なんかと、恋愛関係――ジュンヤはそういう言い方をするだろう――であることが広まってしまったら、あっという間に片原あゆみの地位は崩壊するだろう。もちろん沢井たちにも見放され、女友達にも白い目で見られ、場合によっては僕と同じようにイジメられる可能性だってある。
ジュンヤはきっと、それも全て分かってる。それでいて、こんなクソみたいな提案をしているんだ。
「分かったよ、誘うよ」
「わかりゃいーんだよ」
きっと彼は僕と片原さんがどれぐらいの距離感なのか、どの程度の親密具合なのかを分かっている。だからきっと、僕がすんなり彼のいう条件を飲むことも分かっていて提案してきたのだろう。
ジュンヤは「次会う日が決まったら教えろよ」と釘を刺して、校舎のほうへだらしない足取りで戻っていった。
「あ……言い忘れてたけどさ」
「え?」
ジュンヤは途中でこちらを振りむいた。逆光で見えない顔が淡々とした口調で言った。
「俺が群れない理由なんだけど、単純に雑魚ばっかでつまんねーからなんだよね。地元のヤローにも雑魚とつるんでんの見られたくねーし」
なにがいいたいんだ、とは言えなかった。
「つまりさ、みんながビビってる沢井なんかより実際俺のほうが全然喧嘩強いんだよ。みんな沢井に媚び諂うなかで俺だけが一匹狼でいられるのはそういう理由。無理してつるまなくても俺はいいのさ」
「……」
「お前が何か変な動きしたら、マジでどうなるか知らねーからな。くれぐれもあゆみにチクろうとか、そういうふざけたこと考えるんじゃねーぞ」
「分かったよ」
「分かればよろしい」
ジュンヤは背を向け、再び校舎に向かって足を運びなおす。
小さくなっていくいかり肩を見ながら、僕は息を吐くようにして呟いた。
「馬鹿だなあ」
本当、どこまで馬鹿なんだろう。僕は。
こうなることが嫌だったから、これまで何に対しても期待をせずにひとりで生きてきたっていうのに。また同じことをしているじゃないか。
もうどうする気も起きなかった。
焼却炉の裏で地べたに座り込んだまま、ぼんやりとただ過ぎていくだけの時を過ごした。意味もなく空を眺めたり、校舎から聞こえる吹奏楽の練習をなんとなく耳で追ったり、日差しを顔に受けて目を瞑ったりした。
何も考えたくなかったから、思考が怪しい動きをしたらすぐにその糸を断ち切るようにした。もう何でもよかったし何も求めなかった。
ややあって時は夕方を迎え、太陽が抜けた空は青黒く染まった。暖気がするりと抜け落ちたかのように空気が冷たくなっていた。やや高台にあるこの場所からは、夕陽が最後の輝きを放ちながら町の向こうに沈んでいくのが見える。
あそこに居る人たちには、日没がどのように映っているのだろう。そんな普段は考えないようなことを考えていた。
「はあ」
ため息をひとつ吐いて、僕は景色に背を向ける。部活終わりの生徒で混みはじめる前に校門を抜けたかった。
学校を出て、電車に乗って、最寄り駅を降りる。
駅を出た空の下は完全な夜を迎えていた。
バス通りにはいつも通り夕方らしい混雑を見せていて、通行人もそれなりには歩いていた。でも、住宅街に入ると表の混雑が嘘のように静まり返っていて、本格的な夜がここにだけ訪れたような気がした。公園も通ったけれど当然のように誰も居ない。
家に帰ってから、僕はベッドに横になる。
そのまま寝てしまえばいいと思うが瞼に眠気は集まることはなく、空白の時間をただただ垂れ流した。だんだん横になっていることが苦痛になりだしてきて、うつ伏せになってみたり丸くなったりベッドの縁に腰をかけたりする。僕はこの数時間、恐らく無感情だし、喜怒哀楽のどの感情も心の水に混ざっていなかった。
でも、何も存在していないこの時間に漠然と何かが訪れることを期待していたんじゃないかって、そんなことを、スマホが振動した瞬間にふと思った。
スマホを手繰り寄せ、開いてみる。
別に期待が叶ったなんて思ってはないけど≪片原あゆみ≫と表示された画面を見た瞬間、心臓は確かに小さく跳ね上がった。恐る恐るロックを解除して、ラインを開く。そしてひと思いに彼女とのトーク画面を開いた。
≪今日、メモリーズ見るからね!≫
僕は慌てて文章を打った。
≪今日、ジュンヤにいった。もう誘えないって≫
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