第31話 ふたりの思い出は宝物だったはず
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休み時間、誰も居ない最上階のトイレでラインを打っていた。
≪週末だけど、友達呼んでもいい?≫
返信はすぐに届いた。
≪友達?誰?≫
ジュンヤと打ちかけて、僕は彼の忠告を思い出す。サプライズで登場したいから黙っててほしいと、そう言っていたのだ。
≪僕の友達。いいやつだから大丈夫≫
ちなみに週末の予定は当然あの牧場になっていた。調べてみたところ、運よくこの時期でもまだイルミネーションはぎりぎり開催されていた。ホームページに添付されていたPDFのチラシには宝石がちりばめられたなだらかな丘が映っており、等間隔で植えられたチューリップも健在だった。
それからカクカクとした字体で『宝石の丘』と書かれていて、どうやらあの頃からイベントの内容はほとんど変わっていないようだった。
はあ。ため息が無意識に漏れる。
メモリーズのなかの自分を思い出すと胸を引っ掻き回されるような思いになった。まさか彼女の手を握るだなんて思っていない。あの頃の僕はきっと、イルミネーションの魔法にかかってしまってロマンチックの粉でもかぶってしまったのだろう。
しかも嫌がられてるんだもんな――。
決して嬉しくなさそうな苦笑いが脳裏にこびれ付いて、僕はあの顔を思い浮かべるたびに心が疲弊していた。なんで自分がそこまでショックを受けているのかは分からない。
まさか彼女が“ぼくのことを好き”だなんて盛大な自惚れでもかましていたんだろうか。
きっと、ただの幼馴染でしかないだろうに。
≪別にいいけど≫
返信が届いた。
冷たくて呆れたような声が画面から届いた気がした。
はああああ――僕は天を仰ぐ。
そこには汚い歯のように黄ばんだ天井しかない。
やっぱり今回、ジュンヤは誘うべきじゃないのかもしれない。
なんとなく片原さんと答え合わせをしなくちゃならない気がする。片原さんがそれを望んでいるかは分からないけど、僕自身はそれを望んでいる。
≪じゃあ友達に言っておくね≫
それでも今さらジュンヤを断ることことなんてできない。
少しして、宝石の丘のPDFと乗換案内のスクショを彼女のラインに送る。
じゃっかんの後ろめたさを誤魔化すための行動だった。
しかし彼女から返信が届いたのは翌日の夜になってから。
しかも文は≪わかった≫の4文字だけだった。
*
土曜日の12時前、最寄り駅よりみっつ先にあるターミナル駅で電車を降りた。駅前のロータリーは待ち合わせや送り迎えの車で渋滞が起こっていて、それでもどこか穏やかな空気が漂っているところが土曜日だなと思わせる。
僕はかさついた両手を丸めて息を吐きかける。雲ひとつないスッキリした青空なのに、空気は凍りつくぐらい冷たい日だった。
「あ、いた」
肩を小突かれる。
振り向くと、笑顔とまでは呼べないような表情の片原さんが居た。
彼女は僕と同じように両手に息を吐きかけながら僕の隣りに並んだ。彼女から灰色のオーラがあふれ出ているような気がして、息苦しさを感じた。
「これから?」片原さんは雑に尋ねた。
「これからだよ」
それから5分くらいして、ジュンヤが僕たちの前に現れた。サプライズを望んだわりにはあまりに自然な登場の仕方だった。
「待たせたなっ」
ジュンヤの顔は片原さんに向かっている。
一方、片原さんは訳が分からないといった様子で口をぽかんと開け、それから少しの間を経て、スローモーションで僕のほうを向く。
「友達って……コイツのこと?」
コイツーー。
「え、うん」
「ちょっと勘弁してよ……」
「おいおいそんな嫌がんなくてもいいじゃん?」
片原さんの苦笑いに対して、ジュンヤは悪戯っぽい笑顔。純粋なお友達という訳ではなさそうな距離感だった。
「え、てか本当に? 付いてくる気なの?」
「たりめーじゃん。なあ、約束したもんな」
ジュンヤが三日月みたいに丸めた目をこちらに向け、僕は頷いて答える。するといよいよ片原さんは目を瞑りながら盛大にため息を吐き、そして僕を鋭い目つきで一瞥した。その目には明らかに怒りが宿っていた。
「……もう、とっとと行くよ」
「仲良くいこーぜっ」
すたすた歩きだした片原さんをジュンヤが追って歩いていく。このまま僕が敢えて追いかけず帰ったとして何分ぐらいは気付かれないでいられるんだろうか。もはやこのままこっそり帰ってしまおうか。いや……さすがにそれはマズいだろう。僕はふたりのうしろでこっそりとため息を吐いた。
スマホで時間を確認する。まだ12時を少し回ったところだった。
これから2時間をかけて牧場まで移動をして、それから日没まで待ってイルミネーションを観る。そうしたらまた2時間かけてここまで帰ってくる。メモリーズではあっという間だった行程が、今となってはただただ果てしない。
憂鬱だ。僕が悪いんだけど。
電車に乗って移動を始めると、後悔に打ちひしがれている僕とは反対に片原さんの態度はだんだん柔らかくなっていった。さすがにこのまま地獄のような空気を引きずっていても良くないと判断したのだろう。
彼女はいつか見た綺麗な笑顔を浮かべて、まるでМCのように立ちまわって僕とジュンヤに会話をパスし続けた。彼女のこういうところが、やっぱり器用だなと思った。
ジュンヤと片原さんの関係性は詳しく分からないけど、学校という世界の中では気が合う関係性なのかもしれない。
「なあ、これどこまで登ってくんだ?」
山を登るバスに揺られている途中、ジュンヤがいった。
「多分もうすぐで着く」と片原さんは面倒そうにひと息で返す。
2時間かけてたどり着いた駅からバスで山を登っていくという特別な非日常さは、3年ほどたった今でも変わっていなかった。でもだからでこそ、目の前で笑いながら窓の外を見ているジュンヤの姿が僕の目には異質に映る。
まるで霧がかかった静寂のなかにある湖畔で、突如工事現場の音が流れだしたような、あり得ない景色だった。
牧場に辿りついてからは、3人そろって適当に散策をした。
ヤギに餌をあげたり乳牛をぼうっと眺めたり、ドッグラン広場でドッグレースを楽しんだりカフェで飲み物を嗜んだりした。どの時間も掴みどころのない時間だった。
「あ、みてアルパカ!」
ステージ上にのんびりと現れたアルパカを片原さんが指さした。
アラビアンなサーカス会場の中央で僕たちは3人、並んで腰を掛けている。右から僕、片原さん、ジュンヤの順で。今日もまたストーブの前は年配の人たちが先に陣取っていて、暖気が届かない席しか空いていない。
今日も寒い。寒気が服を通り抜けて体を震わせる寒さは、メモリーズのときと同じだ。だから時折、ぼうっとしていると今が現実かどうかが分からなくなってくる。
「アルパカの唾ってくせーらしいじゃん」
そんな時にジュンヤの声が聞こえると、一気に現実の幕が下りてくるのだ。そう考えてみたら、もしかしたらジュンヤが居てくれて良かったこともあるのかもしれない。現実とメモリーズの煌びやかな記憶がごちゃ混ぜになった時のことを考えると、それは末恐ろしいものだから。
「ショーに来てひと言めがそれってどうなの?」
「いや事実じゃん」
彼女は怪訝そうに言い返す。
「事実かどうか言ってるんじゃなくて、ひと言めがそれってどうなのって言ってんの」
「いやだから事実なんだからひと言めもふた言めも関係ないっしょ」
おちょくったジュンヤの態度に彼女は呆れて「どう思う?」と僕に振ってきた。僕は慌てて言葉を探したが「ちょっとよく分からないかも」そんな右にも左にもいかない言葉しか思いつかなかった。
「お前なんかあとでアルパカに唾でもかけられたらいいんだ」
そうやって吐き捨てた彼女は、気を取り直すように腕を組んでショーに目をやった。ジュンヤは声を高らかにして笑ってる。
なんだろう。この胸に何かが詰まったような感じは。
きっと取り出して解剖して見ないと分からないそれは、いつの間にか胸の中に巣くっている。はっきりいって邪魔だし、気持ちが悪い。今すぐにでも帰って、とっとと取り出してしまいたいと思った。
ショーが終わり外の世界に出ると、いつの間にか空には灰色の雲が覆っていて、辺りは一気に薄暗くなっていた。時計台の針は15時50分を指している。もう光は失われたまま夜に向かっていく一方なんだろう。
片原さんは、行先に迷ったジュンヤと僕にこういった。
「真っ暗になるまでお土産屋さんで時間潰そ?」
意図はすぐに分かって、胸の奥が抓られたように痛んだ。
それは、光の世界を目の当たりにした感動を、最大限に高めるための準備だからだ。
その彼女の思考や言動が受け入れ難いし不快に思った。
僕にとってメモリーズのなかの出来事は宝物だ。他と混ざっていいものなんかじゃない。そして僕は勝手ながらに、彼女が同じような感覚をメモリーズに対して抱いていると思っていた。
それなのに片原さんは、イルミネーションの感動を最大限まで高めて、それをジュンヤと分かち合おうとしているのだ。
もういい加減に考えることに疲れた僕は、お土産屋さんで自然とふたりからはぐれた。用がないのにトイレに行ったり、あえてふたりから離れるように売り場を移動したり、挙句の果てには約束を破って勝手に外へ出たりした。
外は日没の途中で、既にイルミネーションは点灯していた。それゆえ多くの家族連れが丘を行き交っていた。たしかに薄暗いなかで煌びやかに点灯したイルミネーションはそれなりに綺麗だった。
だがメモリーズで見た景色と比べると、ひどく色あせて見える。こんなもののために残っていたのかとがっかりするぐらいに。
「ちょっと約束違うじゃんよ」
彼女の声にドキンとして振り向く。
が、そこには当然、
「なんだよ超きれーじゃん」うしろを付いて歩くジュンヤ。
肩がかくりと、自然に落ちる。もはや感情を隠す余裕すらもう残ってない。
ふたりは人だかりの後を追うようにして丘を下り、僕もそれに力なくついて歩く。肩を並べたふたりのうち、片原さんだけは何度かこちらを振り返った。特に何かを話し掛ける訳でもなく、その目でこちらの存在を確認さえすれば前を向いた。また僕がどこかへ逃げないかを確認しているのかもしれない。
巨大なツリーの前で足が止まった。ふたりの足が止まったわけじゃない。ゆったりと流れていた人の波がここに来てピタリと止まったのだ。どうやら3年経った今も、クリマスシーズンが終わっていたとしても、ここ宝石の丘の主役は変わらないらしい。
相変わらず、てっぺんに飾られた氷のような星は、凍りつくような夜風に晒されて心地よさそうだった。
視線を目の前まで下ろすと、ふたりはまだ揃ってツリーを見上げている。背が高く、茶色い襟足が風に踊っているうしろ姿と、ちょうどその襟足ぐらいの背丈しかない、肩をすくめた寒そうなうしろ姿。
お似合いだ。やっかみでも何でもなく、素直にそう思う。
「めっちゃ綺麗じゃんこれ……」
「そうかなあ」
「いや、これ見て綺麗じゃないってそーとー歪んでるぜ」
「少なくともジュンヤよりはマシだよ」
ジュンヤは一瞬だけ、こちらを振り向いた。迂闊にも目が合ってしまったのだが、彼は何もなかったように隣りの片原さんへ視線を戻して笑った。
そういえば、ジュンヤと視線が合ったのは牧場に来てから初めてかもしれなかった。
「まじ今日はサンキューな」
「別に」
「あゆみと来られてよかった」
あゆみと呼んだその声はあまりにも自然で、彼女の名を呼ぶことが彼にとってはなんでもない事であることがよく分かった。
「そりゃどーも」
突然、冷たい風が竜巻のように吹き荒んで、頬を切りつけるように舞い上がって巨大なツリーを揺さぶった。みんな一斉に自分自身を抱えるようにして身を守る。「さむい」「うわああ」などと叫ぶ声々は悲鳴なのかもしれないけど、歓声にしか聞こえなかった。
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