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第3話 ハラちゃんという女の子




 学校は最寄りの駅から4駅で、時間にして家から40分ほどのところにある。さすがにもう入れないかと思っていたが意外にもに職員室に明かりが点いていた。そして、奇跡的に昇降口の扉が施錠されていなかった。


 真っ暗な廊下を歩く。その奥には非常口を知らせる緑色の誘導灯が光っている。やっぱり夜の学校は気味が悪い。僕は急ぎ足で自分の教室に向かった。今朝蹴られた場所も、背中を叩かれた階段も、朝よりもずっと早足で通り抜けた。ああ、僕はもしかしたら夜の学校のほうが好きかもしれない――そんな中二病みたいなことが頭をよぎったりした。


 教室に着いて、自分の席まで移動をして、机の中に手を突っ込んだ。

 しかし……。


 不思議な感触がした。スマホではなく教科書でもない、その何かをなんとなく取り出した。


「……えっ」


 目にした瞬間、時間が止まった。

 顔が描かれたピンポン玉にペットボトルキャップ。

 その顔は不格好どころじゃない有様で、それはまるで妖怪みたいな雪だるまだった。


 もしかして僕、まだ夢を見てる?

 そう疑った。その瞬間だった。


「返してよっ!」


「うわっ」


 誰かが僕の右手から雪だるまを奪い取った。

 よろけて机に尻を打ち付け、転びそうになる。

 暗がりの中、ものすごい形相で女子が僕を見下ろしていた。


「あんた、一体なんなの?」


「き、きみは今日の……」


 僕を見下ろしているのは、今日、出合頭にぶつかった女子だった。

 半ばパニックで思考停止している僕に、彼女は吐き捨てる。


「何が目的なの? 泥棒?」


「いや……というか、ここは僕の席じゃ」


「は? 私の席だから! てかあんたクラス違うでしょうが」


「クラス? ……えっ」


 彼女の指をさすほうを見る。

 入口の上に張り付けられたプラカード、そこには『1年3組』の文字。ちなみに僕は1年2組だ。

 ということはここは彼女のクラス。というより彼女の席。というより……雪だるまの持ち主は彼女……?


 待って、ここは夢のなか?

 混乱が加速するなかで目の前の彼女は間合いを詰めてくる。


「どういうつもり?」


「いや……」


 そういえば……間近で見ると、たしかに彼女も相当な美人だ。

 目はくりくりとしていて、鼻はすっきりと通っている。昼間ぶつかった時はまるで思わなかったけど、影のかかった顔の雰囲気なんて“あっくん”にそっくりだ。


 まさか本当に彼女が……?


「ちょっと聞いてるの!」


「いや」


「どういうつもりなんだって聞いてんの!」


「どういうつもりも何も」


「ちゃんと説明しないと変態だって言いふらすよ」


 ぞくぞくっと身の毛がよだった。


「いや、ごめん」


 もうこれ以上はここに居られない。そう直感に促されて僕はその場から逃げた。「ちょっと待ちなさいよ!」怒号を振り切り、勢いのまま走った。まだ施錠されていないままの昇降口から外に出る。外に出てようやく足を緩めて、肩で息をしながらうしろを振り返る。


 校舎は見事に職員室以外は明かりが消えている。

 彼女は何をしに学校へ来たんだろうか。こんな夜に。

 それに……彼女は本当にあっくんなのだろうか。


「まさか」


 キャラがあまりにも違い過ぎるだろう。

 僕はモヤモヤに無理やりフタをして、家路に就いた。それでもモヤモヤは何度もフタの隙間から漏れ出して頭のなかを支配した。だから僕は忘れてきたスマホの存在なんて、すっかり一切忘れてしまっていた。





「おらっ」


 肩にパンチ。


「クソがっ」


 腹にひざ蹴り。


「ボケッ」


 とどめに大外刈りで、タイルに背中を強打した。

 内臓が揺れた。それから遅れて肩甲骨がじんじんと痛みを訴え始める。


 これまでもあちこちが痛かったはずなのに、背中の痛みが全てを打ち消してくれた。僕は他人事のように、自傷行為をする人の理屈はこんな感じなんだろうと思った。


「待てよ」


 逃げようと這いつくばった僕に不良が乗っかる。待ってくれよ、まだ内臓が気持ち悪いんだ。

 右の頬がひんやりと冷たい。これが夏だったら気持ちよかったりするんだろうか。

 僕がひとりそんな間抜けなことを考えていると、つむじの向こう側でもうひとりの不良が言った。


「サワちゃん、こいつ殺す?」


 サワちゃん、それは僕の背中に乗っている沢井のことだ。学年の中心人物。不良の世界はよく分からないが、かなり喧嘩が強いらしい。くだらない。


「殺すより先に尋問だろーよ」


「ははっ、確かに」


 次の瞬間、沢井の声はより鋭利になって僕に向いた。


「おい変態、答えろ」


「……」


「返事」


「はえ」


 敬語とタメ口の間ぐらいのトーンで返す。

 髪が掴まれ視界がちょっぴりと上がる。まるで低空飛行でもしているかのような、地面すれすれの視界。首の後ろの筋肉がぴくぴくと小さな悲鳴を上げている。


「おめー、やっぱりパンツ見たんだろ?」


「……パンツ?」


「とぼけるなよ」


 髪がぐいっと引っ張られる。いたたたた。


「昨日のこと忘れたとか言わせねーぞ? コラ変態」


「……あ」


 なるほど。僕が殴られている理由が分かった。


「見てないよ」


「嘘つけよ」


 痛い。これ以上上げないでくれ。


「嘘じゃない。ぶつかったことは悪いと思ってる」


「じゃあ生足はどうなんだよ」


「生足?」


「見たんだろ?」


 そんなもの、スカート履いてるんだからみんな見てるだろう。


「……見た」


「はーい黒な、お前。真っ黒確定。罰ゲームの刑」


「勘弁してください」


 どうせこいつらは、僕が何を言っても許さないつもりだったんだろう。どうせ、いいイジメの種ができたと思ってるだけなんだろう。


 こうなれば僕がすることはシンプルだ。いかに痛い思いをしないで暴力を乗り切るかに限っている。僕はいつだってそうやって、この鬱屈した学校生活を乗り切っている。高校だけじゃなく、中学からずっとだ。


「お前謝れよ」


「すみませんでした」


「いや、違くってさ」


 髪から手が外される。ぺちん、と右の頬がタイルに落ちて、ひんやりとした感触が戻ってきた。


「ハラちゃんに謝れよ」


 まじかよ。

 馬鹿な僕でもハラちゃんとやらが昨日の女子だってことはすぐに分かった。

 というか、ハラちゃんって言うんだな、あの女子。やっぱり……あっくんではないよなあ。


「昼休みが終わったら移動教室だろ? そしたらお前、1組に行けよな。そしたらハラちゃん来た瞬間に土下座な」


 胸の奥が痛くなる。

 脇役の不良が笑った。それに釣られて沢井も大声を上げて笑った。

 人の気も知らないで。ああ、そもそも人の気が知れていたらイジメなんて低俗な行為はやらないだろう。


 嫌だな。

 控えめに言っても、かなり嫌だった。

 そして嫌な時間は訪れるのが早い。


 あっという間に午前の授業は終わり、昼休みも終わりを迎えようとしていた。

 僕はこれまで足を踏み入れたことすらない、1組の教室にいた。見慣れない存在に最初は冷たい視線が集中した。それでも教室の出口に不良グループが溜まりはじめると皆事情を理解したのか、今度は嘲笑を浮かべるようになった。なんだか見世物小屋にでもなった気分だった。


 とっても嫌な気分だった。

 それは多分、ギャラリーのせいではない。


 僕は“ハラちゃん”とやらが教室に訪れることをたぶん恐れていた。前方のドアが開くたびにどきっと心臓は高鳴って、違う人だと知って胸を撫で下ろす。そんな寿命が縮まるようなことを4回か5回か繰り返していた。


 もしかして今日は欠席なんじゃないか? そんなことを思い始めた瞬間、甘い期待は見事に打ち砕かれた。


 教科書とペンケースを片手に、彼女が入ってきたのだ。

 昨日の彼女がフラッシュバックした。

 影のかかった顔は“あっくん”にそっくりだったんだ――。


「おい」


 はっとする。

 うしろを見ると、沢井が顎で命令をしていた。

 閑古鳥状態。もう行くしかない。嫌な跳ねかたをする心臓を無視して、一目散に彼女の元へ向かう。


「っ……何よ」


 膝をつく。それから両手を突く。

 そして事前に沢井たちと打ち合わせていた言葉をひと思いに言った。


「僕は変態です。どうもすみませんでした」


「は?」


 人生で初めての土下座は、思っていたよりもずっとずっと惨めだった。


「僕はあなたのパンツを見ようとしました。でも、でも……見えたのは生足、だけでした。どうもすみませんでした」


 教室がどっと沸いた。

 笑い声、悲鳴、あらゆる感情が教室じゅうに渦巻いていた。


 ああ、なんで僕は拒否しなかったんだろうな。この状況を客観視しているもうひとりの自分が、無責任にそう呟いた。


「ねえ」


 顔を上げる。

 彼女はしゃがんでいて、同じ目線になっていた。

 明るい教室なのに、くりくりとした瞳は昨夜のように潤っていた。


「消えてくれない?」


「え」


 反射的に聞き返した時、彼女はもう視界から消えていた。うしろから、椅子を引いた音が少し大きめに聞こえる。それから「大丈夫?」と駆け寄ってきたであろう女子の声が聞こえた。女子の声には敵意が込められている気がした。


「ハラちゃんもキッツいねー」


 沢井の声。


「ちょっといい加減にしてよね」


 彼女の声。

 ああ、彼らは友達だったのか。

 僕は力なく立ち上がる。


 さっきまで謎の一体感があった教室はもう、視線が散っていた。僕は雑音のなか、ただただ足を動かして教室から出る。


『消えてくれない?』


 冷たくて尖った彼女の声は、まるで焼印のようで耳にこびれ付いて離れない。死ねとか消えろとか今までだって散々言われてきたはずなのに。


 ――消えてくれない?


 なんてことを言うんだろう。

 胸が傷口にアルコールを浸しているみたいに、じんじんと痛かった。





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