第29話 牧場デート
<Episode 12>
ぼくとあっくんはワンマンの電車に揺られながら、車窓に流れる平坦な田園をぼうっと眺めていた。都心の電車に比べて、走行音が騒がしく、絶えず地震のように揺れているこの電車は、意外にも若い乗客が多く座っていて、その多くが遠方からの観光客に思える風貌をしていた。
「あとすこしだね」
彼女は目をこすりながらぼくを見上げる。その表情にはじゃっかんの疲れが見られた。2時間に及ぶ電車旅にうんざりしているのだろう。ぼくのほうも、長時間の座位に尻が悲鳴を上げていて、今すぐにでも歩き出したいところだった。
牧場のある駅まではあと2駅。時間にして20分ほど。
「なんでこんな遠いところにしたんだろうな」
ぼくとしては嫌味を言ったつもりだったが、
「ほんとだね」
くすっと笑った彼女は、どうも嫌味としては受け取っていないようだった。
中学生らしからぬ遠方への旅に至った経緯だが、それは大したものではなく数日前の夜まで遡れば済む話である。
突然の着信だった。
「今週の日曜、部活休みになった」
それはつまり、今週の日曜に出かけようと言っている。これを阿吽の呼吸というのかは分からないが、ここ最近のぼくたちのコミュニケーションにおいて、正しい言葉使いなどは必要なくなっていた。
「次に川西さんと行ったのはどこなんだ?」
「うーんとねえ……」
電話の向こう側でぶつぶつ呟きながら、彼女は何かを探していた。
「あ、あった」
「何が」
いま送るね、といって送られてきた写真は、とある牧場で開かれるイルミネーションイベントのチラシだった。ぼくはスマホをスピーカーにして話す。
「なんだよこれ」
「宝石の丘。イルミネーションイベントだってさ」
「いやそれは見て分かるけど」
「川西さんとね、牧場にいったの。だから牧場」
「いやこれ、主旨がちょっと違うだろ」
「違くても牧場は牧場だから。イルミネーションが夜だから昼過ぎから行こうよ」
「いいけどさ」
決して嫌じゃないし、むしろ胸が弾けるぐらいに楽しみなんだけれど、どうしても彼女と話しているときのぼくはこう素っ気ない話し方になってしまう。それがなんでなのか自分自身でもよく分からないのだけれど。
「てかこれ、遠くないか?」
「ふふ、遠いでしょ」
チラシに書かれている住所は見たことも聞いたこともない地名であり、この近辺でないことは明らかだった。
「安心して。川西さんと行ったのは近くの牧場だよ。こんな遠出はしてない」
果たして、何が“安心して”なんだろうか。
「……いやこれ、何時間かかるんだよ。現実的じゃない」
「調べてみたんだけど2時間ぐらいで着くよ。だから現実的。昔の私たちがリビングで過ごしてた時間と同じくらいだもん」
彼女の声はピンポン玉のように弾んでいた。
「まあ行けるんなら別にいいんだけどさ」
「もう素直じゃないなあ」
「なんとでも言えよ」
それからしばらく他愛のない話を挟みながら当日の流れを決め、日付けが変わる頃にぼくたちは互いに電話を切った。
秋の虫が夜更けに彩りを加えていた。まるで真っ黒な世界が退屈だから、せめて音色でも届けようとしてくれているみたいに。ぼくはスマホをそのへんに放り投げて、ベッドに仰向けになる。虫の音を素直に受け入れて目を瞑った。
きっと目が覚めれば朝になっているだろう。なんてことのない時間だ。それを何回か繰り返したら、もう日曜日。ぼくはあっくんとうんと遠いところまでお出かけをするんだ。ワクワクしないわけがない。ぼくはふと、放り投げていたスマホの画面を点け、さっきのチラシをまた見てみる。
暗闇に敷かれた光の粒は、本当に宝石が丘に散りばめられているみたいだと思った。装飾で分かりにくいがきっと勾配はなだらかな丘だろう。その一面にダイヤモンドやルビー、サファイアなどが、まるで星の代わりだと言わんばかりに輝いている。それから等間隔に植えられた宇宙みたいなチューリップもその奇想天外な世界をより彩っていた。
宝石の丘――ぴったりな名前だな。
ぼくはスマホを閉じてまた目を瞑る。今度こそ、もうこのまま寝てしまおう。そのつもりで布団にうずくまった。
長い電車旅を終えたぼくたちは、駅から出ている無料の送迎バスに乗って牧場へ向かった。20人ぐらいは乗れそうな中型バスはほぼ満席状態、エンジンが唸りを上げて山道を登っていく。秋の色に染まった森のなかは、まるで等間隔に置かれたオブジェのように登山客が切れ目ない。
「ねえ、窓、触ってみて」
あっくんが手の甲を窓ガラスに当てながら言った。
「つめたっ」
窓ガラスはうんと冷やされていた。暖房の利いた車内は蒸し暑く、早く冷たい空気へ触れたくなった。
しかし中々バスは停まらないで登山客と同じ方向へ山を登り続ける。時折すれ違いが困難な細道を通ったり、下り坂を走ったりして、ようやく緑が開けて牧場にたどり着いた。
これじゃあ丘どころか山の上だ。ブザーともに入口の扉が開いた瞬間は、乗客がみんな期待と疲れが混じったような声でバスを降りていた。
「うわーさぶっ」
あっくんが両腕を抱え込む。
「やばっ」僕も思わず、小さく叫ぶ。本当に、全身に針がささるような寒さだ。
山の頂上は真っ赤に染まった紅葉が場違いに思えてしまうほど、うんと冷え込んでいた。
「雪、降りそうだな」とぼくは灰色の空を見上げる。
「ね、ほんと」ぽつりとした声だけが隣りに聞こえた。
あとになった知ったことだが、牧場はそこそこ名の知れた観光地だった。ぼくたちが――或いはぼくだけが――若いが故に世間知らずなだけだったのかもしれない。そう考えてみれば冒険レベルに達しているアクセスの悪さも、逆に味わいが生まれてくるものだろう。
そんな観光地だがゲートを潜りぬけると、さすがの充実っぷりだった。
こじゃれた喫茶店やお祭りみたいに立ち並ぶ出店、芝生が綺麗にそろえられたドッグラン広場にアラビアンな外装のサーカス会場。丘の上まで登ると、野球場ぐらい広い原っぱで乳牛が放し飼いにされていた。
逆側を見下ろしてみると、これまで歩いてきたところと同じように、なだらかな丘に沿って出店や喫茶店が並んでいて、最も奥にはゲートと大きな駐車場が見えた。正直に言ってこのスケールは圧巻。ここが夜になるとどのような景色に変わるんだろう。ぼくは地味にかなりテンションが上がっていた。
「ライトアップって何時からだっけ」
「えっとね……ごじはん!」
スマホで確認しながら彼女は教えてくれた。
「あと3時間か。長いな」
「あれ? たいちゃん楽しんでるじゃん」
妙な言い方だ。顔にはなんだか含みのある笑みが浮かんでる。
「……なんだよ」
「電話ではあんなに乗り気じゃない感だしといてさ」
「まったく人を冷徹みたいに言わないでくれ」
彼女は「そんなこと言ってないし」といって高らかに笑った。
なんだろう、とっても楽しそうに笑うんだなって思った。彼女は心にガードが無いんだろうか。
夕陽が差し込むリビングで笑う、幼い頃のあっくんが、いま隣りで屈託なく笑うあっくんに憑依するかのように溶け込んでいく。胸がじりじりと熱くなってきて、まるで行き場を失った夕陽が照り付けてくるようだった
「さてと、そろそろ何かしらやろっか」
「喫茶店か?」
「ホットミルクはないよ」
あっくんは冗談に冗談で返して微笑んだ。
話し合った結果、まずは昼食を取ることにした。
丘の中腹にあるレストランで、ぼくが頼んだのは牛メンチバーガー、彼女が頼んだのがチキンサンドだ。値段はそれぞれ450円。子遣いを握り締めて訪れた中学生にとっては中々に高価な昼食だった。ちなみにこの牧場で育てた肉が提供されているという残酷な事実はこの時にはまだ知らない。
食事を終えたあとは、サーカス会場で牧羊犬と馬のショーを観覧した。
半分野外のサーカス会場では大型の電気ストーブの前をおばちゃん集団が陣取っていて、暖気の届かない席に仕方なく座った。当然寒い。それなのにショーの間はじっとしていなければならず、ただの我慢大会と化した60分間のショータイムをぼくたちは過ごした。
それからヤギに餌をあげたりおとなしい乳牛を遠目で眺めたり、箸休めにカフェオレを飲んだり彼女が長めのトイレに入ったりした。そんなことをしていると、あっという間に夕方になった。曇り空に影が差して、地上の空気はまるでヒーターが切れたように、温度が失われてしまった。
ぼくたちは急ぎ足で丘の頂上にあるお土産屋さんへ向かい、店内で完全な日没を待った。
そのようにして感動を最大限にするべく、最高な状態で宝石の丘を拝めるよう調整をした。空が真っ黒に染まったのをガラス越しに確認してから、いよいよ外に出る。
夜になり気温がうんと下がったようだった。外に出た瞬間、無数の棘がささるような冷気に襲われた。しかしそんな強烈な寒さに驚いたのも束の間で、ぼくはすぐ目の前の非現実的な世界に目を奪われた。
昼間に見下ろしたなだらかな丘は、夜空に咲き乱れる花火のようにぼくらを出迎えていた。
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