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第26話 女の子らしい感触



「ねえ……たいちゃん」


 なに、と言うが声が掠れて出ない。


「暗いね」


「……ああ」


「たいちゃん?」


「……なに」


「これ道合ってるかな」


 右腕に女の子らしい柔らかい膨らみを感じる。それは控えめながらも、歩を進める度に強調された。


「……」


「たいちゃんってば」


「……なんだって」


「道、合ってるかな?」


「……」


 上腕にしがみつく両手に力が入る。


「たいちゃんってば!」 


「なんだよびっくりしたなあ!」


「もうっ全然聞いてない!」


 怒ったあっくんの瞳が、暗がりの中でこちらを見上げていた。ダイヤのように反射した瞳で睨まれてもなお、ぼくの思考は現実を把握できなかった。


「なんか言ったか?」


 あっくんは呆れたようにため息を吐く。


「たいちゃん、怖いんだったら最初に言ってよ」


「怖い? 違う意味で怖いよ」


「なにそれ」


 あっくんとぼくは継ぎ接ぎのように言葉を交わしながら、再び歩き出す。半歩ずつちまちまと、まるで見えない合図でも交わしているみたいに歩幅も歩調もぴったりだった。


「そんなに怖いならなんで入ったんだ」


「行けるかなって思ったんだもん」


 何気なくぼくは聞いた。

 だんだんと会話ができるぐらいにはこの状況に慣れはじめていた。


「前回は行かなかったのか?」


「川西さんお化け無理だったんだもん」


「ふうん」


 浅い喜びが胸に湧く。


「いっとくけど……ぼくはお化け屋敷にビビったんじゃないからな」


「いや、さっきめっちゃビビってたじゃん?」


「それは違うことにビビっただけ」


「怖いって言ってた気がするよ」


「だから違うことに対して怖いって言っただけだって」


「違うことってなんだし」


 彼女の声には笑いが混じってたが、恐怖心を半分残したような控えめな声だった。


「まあとにかく、ぼくはお化け屋敷は怖くないしジェットコースターも怖くない」


「ねえ、もしかしてだけどさ」


「なんだよ」


「……川西さんに張り合ってる?」


「いやいや」


 こういうとき、人は咄嗟に否定表現を口にしてしまうのは何故だろうか。


「全然張り合ってなんかないよ」


「ふうん」


「張り合う訳がないだろ」


「ふーん」


 彼女は恐怖心をどこに隠したのか、いたずらっぽく歯を見せて笑っていた。


「なんだよ」


「ううん? 別に?」


「別にって顔してないだろ」


「別に別に別に?」


 ぼくは呆れたように吹き出した。どっちに対しての呆れ笑いなのかは自分でも分からなかった。


「もう、はやく抜けようぜ。ここ」


「あはは、うん」


 あっくんは改めてぼくの腕を自身の身に引き寄せる。ぼくは勝手に忙しくなった心臓を無視するように残りの道を急いだ。


 ところが思っていたよりも出口はすぐで、飛び出してくるお化けも出てこないままぼくたちは明るい世界に帰ってきた。スケールの小さいお化け屋敷だ。せめてもう少しだけ長くっても良かったのに。


 ぼくの腕からあっくんは何事もなかったように離れていき「はー生きて帰れたー」なんて言ってはしゃいでいた。そんなうしろ姿を見て思った。やっぱりもう少しだけ長く、ゆっくり、お化け屋敷を楽しめばよかったと。







 1日も終盤に差し掛かっていた。空は青白く濁りはじめ、雲には影がかかる。心なしか気温も低くなったような気がして、もう1枚羽織れる上着を持ってこなかったことを後悔していた。


 もう時間的にも、乗れるアトラクションはあとひとつかふたつだろう。晩秋の夕暮れだから、もしかしたら乗っている間に陽が落ちてしまうかもしれない。


 みぞおちにぎゅうっと、痛みに似た感覚が走る。身に覚えがある堪えがたい感覚だった。その感覚は『もうすぐで1日が終わってしまう』という事実をより強烈に知らせてくれるのだ。


「もうすぐで終わりだねえ」


 遠くを見つめるような目であっくんは呟いた。

 もしかして、彼女もぼくと同じ感覚を身体に抱えているのだろうか。

 いやまさか……、

 それはないだろうな。


「次乗ったら帰ろう」


「そだねん」


 ぼくとあっくんでは今日にかける感情がまるで違う。

 こちらは不登校でずっと家に引きこもり、あっくんが居なければこうやって外の世界に出てこられない人間だ。

 一方彼女は部活動や友達との時間で忙しく、常に周りには誰かがいる人気者。


 ぼくにとっては掛け替えのない1日でも、彼女にとってはありふれた1日かもしれないし、ぼくにとって1億円を払う価値のある1日でも、彼女にとっては1万円すら払う価値がないかもしれない。


 今日帰ったら一体次はいつ会えるんだろう――冷たい現実が頭をよぎる。

 また数か月先になるのだとしたら、もう年が明けて本格的な冬が訪れているだろう。

 なんて気が遠くなる話なんだ。ぼくは一体いつから、彼女と自由に会うことができなくなってしまったんだろう。


「ね、あれ乗って終わりにしよ!」


「観覧車か」


 遊園地の規模にまるで合ってない大きな大きな観覧車は、止まっているように見えて少しずつ回っていた。

 ぼくたちは係員の案内に従って、空っぽになった箱に乗った。いとも容易く乗れるくらいの遅さで、1周が終わる頃には本当に陽が落ち切ってしまうかもしれないなと思った。


 それでも箱のなかで腰を掛けると、平面だった窓の向こうは時間をかけて丸みを帯びていく。片原さんはそんな窓の外に、ぼくたちが行ったコーヒーカップやお化け屋敷を次々と見つけ、それを子どものような笑顔でぼくに伝えてきた。


 きっと観覧車は、こうして楽しかった1日を振り返るために存在しているんだろう。


「また、終わっちゃうね」


 てっぺんまであと少しというところで、彼女は呟いた。ひとり言のような小さい声だった。


「またって、どういうことだ?」


「また会わない日が続くんだね、って意味」


「どういう意味だよ」とぼくは言った。


 片原さんの言っている言葉の意味が素直に飲み込めなかった。

 会えない日々を憂いているようなセリフが、彼女の口から出てくるわけがないと思った。


「なんで1日ってあっという間なのかな?」


 ぼくに背中を向けたまま、彼女は薄っすら桃色に染まりつつある地平線へ向かって喋りつづけた。


「私ね、疑問なんだけど楽しみなことって待ってるときがとても長いの。それなのに当日を迎えたらあっという間に過ぎていく」


「それはつまり、今日があっという間に過ぎたってことか?」


「うん」


「それはつまり今日という日を楽しみにしていたってことか?」


「うん」


「……意外だな」


 彼女は渇いた声で笑った。


「はは。君らしい反応だね」


 なんとなく、胸にぐさりと刺さる言葉だった。ぼくは自分がした反応が“ぼくらしい”ものだという事実が嫌だった。


「悪かったな。ぼくらしい反応で」


「大丈夫。もう予想してたから」


「だって、君には明日があるだろう?」


「君にだって明日はあるじゃない」


「そういう意味じゃなくて」


「どういう意味?」


 あっくんは微動だにせず、相変わらずこちらに背中を向けて外の景色を見ていた。だからぼくは途中から、カバンにぶら下がった雪だるまに向かって言葉を返していた。


「君には此処以外の世界があるだろう? 学校だったり友達だったりで、別にこの場所に留まる必要なんてない。だからぼくとは違うだろうなって思ったんだよ」


「まるで君自身は、ここに留まる必要があるって言ってるみたいだね」


 流れていた水がせき止められてしまったように、ぼくの口から言葉が止まってしまった。

 絵に描いたような清々しいほどの自爆だ。


「嬉しいカミングアウトをありがと。ふふ」


 彼女はやっとこちらを振り向いた。胸を抉るような優しい笑顔だった。


「でも私もね、実はここに留まりたい気持ちでいっぱいなんだよ」


「ほん……」ホントーかよ、と言いかけた。疑念の要素を抜いて、ぼくは言いなおす。「ほんとうなのか?」


「うん、本当」


 彼女はもう完全に景色へ背を向け、ぼくと向き合った。


「もう私は昔の私じゃないみたい」


「昔のあっくんと変わらないように感じるけど」


「学校の私を見て、同じこと思う?」


 フラッシュバックに胸がチクリと痛む。いじめられているぼくの目の前で談笑していた彼女はまだ鮮明に記憶されていた。


「……思わないな」


「そうだよね」


「君のいう通り、昔のあっくんではないのかも」


「うん。私ってズルいんだ」


 しかし、ぼくはしばし思考を巡らせた。

 本当に彼女はズルいんだろうか?

 きっと本当にズルい人間は自分のことをズルいという認識すらしていないんじゃないか。


「どうして、ズルいと思ってるんだ?」


「うん、えっとね、なんだか自分に嘘をついてる」


 観覧車はいつの間にか下りに差しかかっている。地上へたどり着くまでにぼくたちの話がまとまる気がまるでしなかった。


「どういうところで?」


「前に変化球の話、したでしょ?」


「ファミレスでか」


 ぼくが直球しか放ってこない非常識なやつだって、あっくんが理解を示してくれたときのことだ。


「私ね、たいちゃんの直球しか受けられなくなっちゃったの。それから、たいちゃんにしか直球が投げられなくなった。嘘だらけの人間になっちゃった」


「それは嘘とは言わないだろ」


「学校に居ると、友達と話していると、自分の喋っている言葉が誰かの言葉のように感じるの。誰かが考えた言葉を、ただ私の口を操って喋らせているみたいに。でも自分なんだよ。誰も私なんかを操ってない。それなのに自分の言葉じゃないって言い訳をして、友達や、周りの人をだまし続けてる」彼女は「学校に居るときはたいちゃんに対してだって例外じゃないんだ」と付け加えた。


「ああ、心当たりがあるよ」


 あっくんは無言で、重力に従うように頷いた。

 なんだ、やっぱりあっくんはあっくんじゃないか。


 はあ――ぼくは安堵のため息をついた。

 なんだか息を吐く感覚が心地よくて、もう一度息を吸い上げ、大きくため息をつく。胸の奥にこびれ付いていた煤だらけの感情を吐き終えると、胸いっぱいに喜びが広がっていった。


 彼女は何ひとつ、変わってなかった。あのイジメ無視の件も、ぼくが勝手に傷を負った一方で、彼女は常に葛藤を抱えていたんだ。


「そんなあっくんは、学校ではジップロックすら使えない?」


「ジップロック?」


 ぼくは上着のポケットからジップロックを出して彼女に見せつける。例の変化球の話をした時に彼女が薬を入れていたものを、ぼくは手に取ったまま返し忘れていたのだ。


「なにそれ?」


「ごめん返すの忘れてたんだ。別に取るつもりは無かったんだけど、なんとなく手に持ったまま」


「それ私の? いらないよ」


「あ、そう?」


 ちょっとだけ意外な反応だった。

 何か特別なあるとぼくが思っていただけで、このジップロックに深い意味はないのだろう。

 なんだか、ますます彼女に親近感が湧いてきた。


「なあ、ひとつ聞いていいかな?」


 下を向いたままの彼女に代わって、ぼくは雪だるまに問いかける。


「ぼくが今、学校に復帰したらどう思う?」


「……うん」


 雪だるまは表情ひとつ変えず、しばらく間をつくったのちにこう答えた。


「今は……来てほしくない」


「わかった」


 100点満点の回答だった。

 ちょうどのタイミングで箱は地上へたどり着き、ぼくたちは帰路に就くことになった。

 青白かった空は紺碧の色に染まり、地平線はより真っ赤に燃え上がっていた。


 帰り道、少しだけ距離感が遠くなった、下を向き続ける彼女にぼくは言った。


「学校、たぶん行くことにしたから」


 彼女は瞬きを数回して「一体どうしたの?」といった。


「家から出ないのも暇だからな」


「そっか、無理しないでね」


「無理なんかしないさ」


 ふたりの最寄り駅に着くころ、空はとうとう真っ黒に染まり、風は湿気と冬のにおいを纏っていた。


「この子たちの季節が来るね」彼女は言う。「もしも雪が降ったらふたつ並べて写真を撮ろう」


 雪景色を背景に、並んだふたつの雪だるま。頭に浮かべてみてぼくは思わず笑った。だって片っぽがあまりにも不細工なもんだから。


「キレイなほうだけで撮ったほうがいいんじゃないか」


「ダメだよ、ふたつ一緒じゃなきゃ」


 でも、この何気ない提案にぼくの胸は躍っていた。もう頭のなかは来る冬のことでいっぱいになって、1日でも早く雪が降ることを願っていた。



******



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