第23話 消えていく思い出への対抗策
片原さんとは近所の公園で待ち合わせた。
僕が小走りでたどり着いたとき、既に彼女は暗がりのなかブランコに腰掛けていた。僕が近くまで歩み寄ると、彼女はわざとらしくこちらの存在に気付いたように『ごめんね急に』と歯を見せた。
「話って何?」
隣りのブランコへ恐る恐る腰を掛ける。小走りのせいではない嫌な脈拍の乱れが、息をしづらくしていた。
「……メモリーズは見た?」
今日帰ってから……と補足する彼女。囁くようなその口から、水蒸気の凍結した白い息が漏れる。
「見てない」
「そっか」
小さな笑みが浮かんだ綺麗な顔に、心臓が握られたように痛む。
僕に襲いかかっていたのは、メモリーズのなかで何かとんでもないことが起きたのではないか、という不安だった。彼女は帰ってからすぐにメモリーズを飲み、なにか大きな出来事が起きてそれについて話したいから僕を呼んだのでは、と。
「それがどうしたんだ」
「これ以上、駒を進める前にね、話しておきたかったことがあるんだ」
僕の予想は外れた。
それから数秒くらいの、微妙に長い間があった。夜の住宅街はまるで凍ったかのような静寂で、互いの息遣いが聞こえる。
片原さんは足で砂を軽くいじってこう言った。
「たいちゃんってさ、最初にメモリーズを飲んだの、いつ?」
「それは人生で最初にって意味?」
「うん? というか今回のメモリーズって意味」
「ああ……」
思考を巡らせるが、正確な日付までは思い出せない。たしか年が明けて割とすぐに、ネットで偶然見つけて注文した。それから少ししてメモリーズが届いたから……最初に飲んだ頃はもう冬休みが明けていた。
「冬休み明けのわりとすぐあと……8日だ」
「1月8日ね、へえ……」片原さんは驚いたような顔をして「私とほんとに同じくらいなんだね」と言った。
「それが一体なんなんだ?」
「つまりは、あと1ヶ月じゃん」
ぶっきらぼうなその言葉の意味を考えてみるが、見当がつかない。
「1ヶ月?」
「期限だよ。メモリーズの」
「メモリーズの?」
「え、説明書読んでないの?」
果たして。
僕には片原さんが何を言いたいのかがさっぱり分からなかった。そんな僕を見た彼女は、ちょっぴり呆れたように笑った。
「あのね、説明書にはこう書いてあるの」彼女は笑みをしまい、まさに説明書を読み上げるように単調な声で言う。
「……メモリーズによって得た思い出の期限は第1錠目の使用から2か月です。それ以降、思い出は消失しますのでご注意ください」
「あ」小さな声が漏れた。
片原さんがいった『あと1ヶ月じゃん』が高い解像度をもって再生される。あと1ヶ月というのは、あと1ヶ月で思い出が消失するという意味だったんだ。そのことを理解した途端に、記憶がどこからか蘇ってきた。
メモリーズが届いた日、僕はその説明書をたしかに確認した。当たり障りのない読む価値もないような説明書きのなかで唯一、その文言だけが際立っていた。
言葉の意味を理解した今、得体のしれない恐ろしさが襲いかかってきた。
「思い出した?」
「……」
うん、と返したつもりが、上手く声に繋がらない。
「私ね、ちょっとだけ、怖いかも」
片原さんは言葉とは反対に綺麗な笑顔を浮かべて言った。街灯が反射しているせいか、暗がりの中で瞳が輝いている。
「ちょっとだけ、なのか?」
「うん……ちょっとだけね」
「ふうん」
ちょっとだけなのか。
僕はというと正直、怖くて怖くて仕方がない。たかだか思い出だと人は言うかもしれないが、この世界が丸ごと消えてしまう。それは僕にとって、暗闇の底に突き落とされるのが分かっていてただ待っているような恐ろしさだった。
自分の姿をした何かが、音を立てて、バラバラに崩れ落ちていくのが分かった。
メモリーズの記憶が消失したら、あっくんと僕はどうなる?
――記憶から消えるだけだ。
記憶から消えるってどういうことだ?
――すべて無かったことになるということだ。
こんなにあっくんの存在はありありと浮かんでいるのに?
――メモリーズを飲む前の状態に戻るだけだろ。
「……ちょっとこれは慣れないかも」
僕は笑ってそう言ったが、片原さんは1ミリも笑わずに冷たい言い方をした。
「でも事実だよ」
「うん」
「幼馴染の黒崎良太と片原あゆみは消える」
言葉が見つからない。
幼馴染の僕たちが消えるということが、やっぱりどうにも想像がつかない。
いや……違う。想像がつかないんじゃない。現にメモリーズを飲む前まで、僕に幼馴染なんて存在は居なかったんだ。
きっと、僕は想像することを恐れている。その先に見え隠れする“無”の世界を直視できる気がしないんだと思う。今やメモリーズは生きがいだ。人生そのものだ。僕のすべてなんだ。それが根こそぎ奪われてしまうということなんだ。
僕は大きく首を振った。体じゅうに寒さとは無関係の鳥肌がぶわっと立ち上がっていた。
「悲しいよね。私たちせっかく記憶を取り戻したのに」
「ああ、ほんとだ」
「でもさ……消えるのは思い出だけなんだよ」
片原さんが僅かにこちらを向く。ギイイと、ブランコの軋んだ音が夜の公園に響いた。
「現に私はまだ雪だるまを持っていたわけじゃん?」
「……フェンスの落書きもあったな」
「それに何よりさ、私もたいちゃんもこうして存在しているわけじゃん」
そういえば、僕たちの関係はどうなるんだろう。幼馴染としての僕たちがいない世界で、僕は片原あゆみとどういう関係性になってしまうのか。
ふと、沢井の顔が浮かんだ。沢井とその仲間の不良たち。そしてその輪のなかで彼らと一緒に歩く片原さん。みんなが僕に向かって指をさして笑っている。片原さんは侮蔑の色を目に浮かべ、指先から伸びる刃で僕の胸を攻撃していた。
頬をはたかれたように、反射的に隣りの彼女を見た。
すると彼女も僕のほうを向いていて、見えない釘で固定されたのち、彼女は僅かに笑顔をつくった。空想のなかの片原さんとはまるで別人の優しい表情だった。
「作っていこうよ。過去を」
闇のなかで揺れる瞳が、真っすぐにこちらを向いている。
「過去を……つくる?」
何を言ってるんだろうか。
「これから、今の私たちで過去を作ってくの。だって消えちゃうのは幼馴染の過去だけだよ」
「でも……僕たちはその過去で繋がってるじゃないか」
「そんなことないと思うよ」
「そんなことはある」
果たして。何がそんなことないという。僕たちの関係にそれ以上はないだろう。メモリーズがなければ関わることがなかったはずの、言わば異なる人種同士だ。
「……だって僕たちの繋がりなんてそれだけだ」
「違うよ。だって過去だけで満足だったら、こうして会ったりしないはずだもん」
片原さんの声が夜の公園に響く。彼女は力強くブランコの手すりを握り締めて、地面を睨みつけていた。
「……もしもウザかったら、最後にするからさ、私の話、聞いてもらっていい?」
「……うん」
最後、という響きが胸を切りつける。
「1か月後、私たちにメモリーズの記憶は一切無くなる。たぶん君は、そして私も、過去の記憶がない状態の相手を警戒する。なんでこんな奴と仲良くなったたんだ? って感じでね。だから自衛のためにこれ以上は関わらなくなるでしょう。メモリーズは私たちが関わる理由になっていたし、関わる口実にもなっていた」
「そうだな」
つまり僕たちは、過去の自分が仲良くしていたという担保があるから、いま関わることができている。
「だから、どうせ過去が消えてしまうなら、それに代わる新しい過去をこれからの1ヶ月で作っていきたい」
「だからそんなことは――」
「上手くいかないと思うよね。私たち、互いに不器用だもん」
君は器用じゃないか、と反射的に文句が浮かんが、僕は慌てて頭のなかでそれを否定した。
本当に器用な人は僕の気持ちなんて理解できるはずがないはずだから。
「でも不器用だから、たぶんメモリーズを通してまた会えたんじゃないかなって、そんな気がするんだよ。だからメモリーズが無かったら私たちはまた、一生関わることがなくなるんだと思う」
「それは、その通りだろうな」
「だから最後の機会なんだよ。今が」
片原さんが、足元を睨みつけながら言った。
「私は、怖いよ」
「何が?」
僕はそんな彼女の前髪を見て返していた。
「たいちゃんと関わらなくなることも、拒絶されることも怖い。でもそれがたいちゃんだって思ってるから、怖くても挑戦してみたいかな」
「分からないな」
え? という表情を片原さんは浮かべた。
「怖いのに挑戦しようと思う気持ちが僕には分からない」
「分からなくても良いよ別に」
今度は恐らく、僕が彼女に疑問の顔を向けていた。
「これはきっと、私の挑戦だと思う」
「どういうことだ?」
「だって、幼馴染の記憶が失われるだけだよね? いまこの記憶があれば十分私はたいちゃんのこと好きでいられるもん。だから私が、君から拒絶される覚悟を決めればいいだけ」
好き、ってなんだよ。
僕は不覚にも高鳴ってしまった心臓を責め、それからすぐに憎悪をかき集めたような顔をして地面を睨みつけた。
何を考えてんだ僕は。たかだか“好き”の2文字にかき乱されて。好きなんてただの表現のひとつにすぎないじゃないか。
アイ、ライク、スポーツ……アイ、ライク、トウキョウ……アイ、ライク、コーヒー……。暗示のように胸に唱え続ける。
「だからたいちゃんは心配いらないよ。私が挑戦したいだけだから……なんていうんだろう。わがままに1ヶ月付き合ってほしい。限りなく可能性を高めるための1ヶ月に」
「そんな自虐的なこといって……結局不安材料は僕なんじゃないか」
自嘲気味に僕は言った。
でも僕にとっては君が不安材料なんだよ――そう本当は言ってやりたかった。
僕のほうこそ、君さえ逃げなければいつだって……。
って、やめろやめろ――。
「……話は、終わったのか?」
「うん。取りあえず今日はもう帰ろうか。」
彼女は軽やかに、且つ勢いよくブランコから降りる。残されたブランコが騎手を失った馬のように小さく暴れていた。
「たいちゃん、答えは月曜日聞くことにするよ」
「月曜日?」
「答えについての連絡はいらない。その代わり、私の挑戦に乗ってくれるなら放課後ここに来て。乗るつもりがないなら来ないで。そしたらもうサヨウナラするね」
「……わかった」
「それじゃあ、私帰るね」
ありがとうね、と礼を言って片原さんは背中を向けた。
僕は何故だろうか歩き出す気にはなれず、公園を出ていく彼女のうしろ姿を見送っていた。すたすたと、まるで駅に向かうかのような迷いのない歩き姿だ。こちらを振り向くことなんてせず、そのまま住宅街に消えていく。
その直前だった。
遠くになった彼女が足を止め、こちらを振り向いた。
そして大きな声で言った。
「一応言っとく。私は何があっても味方だから」
何秒間か何十秒間か分からないけど、僕はしばらくの間、何も考えることができなくて立ち尽くした。
やっと思考が回りはじめたとき、視線の先にもう彼女はいなくて、声の残響も完全に消え失せていた。渇いた風がびゅううと音を立てて枯れ葉を巻き上げ、それから肌を削るようにその風は襲い掛かってくる。
凍るほど寒いのに、心臓は熱い血液を送っている。
何もなかった世界に、小さく灯った炎が浮かんだ。
生かすも殺すも僕次第だと言われたら、僕はきっとその炎に依存する。そして炎が何かしらのトラブルで消えてしまった時、僕は本当に生きていくことができなくなってしまうだろう。
「はははっ……」
どうすりゃいいんだよ。
正しい答えなんて、何日考えても導き出せそうになかった。
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