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第22話 替えがきかない思い出




 それから彼女は、僕のほうを向く。


「ねっ」


「……」


 あの頃みたいな目を線にした笑顔だった。

 僕は慌てて立ち上がった。


「な、何をしてるんだ」


 彼女は軽く笑った。


「はは、どの口が言ってるのさ」


「いやっ……」


 まったくその通りで、情けなくなり返す言葉が見つからない。僕はとりあえず、尻についた砂を手のひらで叩いていた。地球の重力がどっちに向いているのかが分からないぐらいには動揺をしていた。


「もしかしてたいちゃん。昨日メモリーズ見た?」


「え?」


「それなら同じかもよ」静かな声で付け加えた。「ここに来た理由」


 同じ、かも。

 同じ、なのだろうか?


 僕は今日、ここにメモリーズの景色が存在するのか確かめに来た。

 でも、僕は何故、今さらメモリーズの真偽を確かめようと思ったのだろう。メモリーズは過去の自分が手放した曰くつきの記憶だって、もう既に知っているはずだった。それなのに、この期に及んで何故、分かり切っているものをどうして、確認をしようと思ったんだろう。


「同じ、じゃないと思う」


「え?」


「ここに来た理由」


 彼女は一瞬首を傾げ、それから軽やかに笑った。


「ははっ。まあななんでもいいや」


「いや……なんでもよくない」


「ん?」


 僕は冷たく、吐き捨てるように言った。


「君は何故ここに来たんだ」


「だからさ、同じかもって言ったじゃん」


「同じじゃないかもって言った」


「そんなに気になるなら先に言ってよ。来た理由」


 そんなの、即答できるなら苦労しない。

 言い返すのはやめて一度立ち止まってみるが、それでも答えらしい答えなんか見つかりそうもなかった。


「……本当に自分の過去なのか、確かめようとしただけだ」


 だから表層的な答えを言うしかない。


「あは……」


「何が可笑しい」


「ごめんね、可笑しかったんじゃなくて」


 ふうっ、と片原さんはため息にも至らない小さな息を吐く。


「なんで私、ここに来たんだろうって正直分からなくて。でもたいちゃんの今の言葉聞いて、なんだか、冗談抜きでそんな感じなのかもって思ったの」


「……本当か?」


「たぶん」


 頭のなかに真っ先に浮かんだ言葉は『気でも遣ってるのか?』だった。


 だって、片原あゆみだぞ?

 まさか僕と同じ心境でここに足を運んだなんてあり得ない。

 そもそも、彼女がメモリーズを飲んでいること自体が違和感極まりないのだ。それなのに僕のような人間との思い出に執着など見せるはずがない。


「私ね、あんな自分になりたい」


「あんな自分?」


「メモリーズの私は、ずいぶんと純粋だなって思う。あんな無防備な自分に憧れる」


「無防備な自分……」


 耳から入ったその言葉は、頭のなかを巡ったあと、ゆるやかに腹の底へ落ちていく。


「その、無防備な自分は、楽しかったか?」


「楽しかったのひと言じゃ物足りないよ」


 困ったように笑う片原さん。


「うん。だからね、目が覚めた時の落差が凄い。だからいつも疑うんだよ。メモリーズなんて嘘っぱちで実はつくられた物語なんじゃないかって」


「それは……」彼女の言葉が、琴線に触れる。僕は恥ずかしい思いを押し潰して同意した。「それは……僕も思った。メモリーズからの落差がとてつもないって」


「信じられないよね」


「最初は都合の良いようにプログラムされた薬かと思った」


「相変わらずひねくれた解釈するね」


「ひねくれてるのか?」


 不満げな僕の反応を前にして、片原さんは悪戯っぽく微笑む。


「でもね、たいちゃんの言うこと分かる。だって、あまりにも都合が良すぎるんだもん。心に空いていた穴がメモリーズを見ている間だけは綺麗にぴったり埋まってる」


 実にしっくりくる表現だった。

 目が覚めたあとの堪えがたい喪失感は、埋まっていたものが剥がれ落ちてしまったから、心が必死にそれを求めていたせいなのかもしれない。


 それほどメモリーズが映し出したあの世界は、見事なまでに僕の欠落を埋めてくれていた。具体的な欠落が何なのかを言葉にするのは難しいけれど、あの思い出は自分でも知らなかった心の穴を綺麗に埋めてくれていたのだ。


 目が覚めるまでの間だけ、だが。


「確かに、そう言われてみるとパズルみたいだな」


「おっ、いいねパズル。他のピースじゃあ替えが利かないもんね」


「だな」


 僕は思わず笑った。

 それを見て、彼女も声を出して笑う。

 何が面白いのかは分からなかったけど、表情筋はなかなか落ちてきてくれなかった。


「あのさあ、そろそろ教えてくれないかな。ここに来た理由」


「だから言ってるじゃんって。たいちゃんと同じだよ」


「本当かよ」


 彼女のいう言葉はさっきよりも幾らか飲み込みやすくなっていた。少なくとも“彼女も僕と同じかもしれない”と思えるほどに。


 彼女はペットボトルのお茶を飲み。苦い顔をした。「もう冷たくなっちゃった」キャップがオレンジ色でラベルにも『HOT』と書いてある。その自然な素振りにも、どこか故郷に帰ってきたような、そんな懐かしみを覚える。


「でもたいちゃんは疑り深くなったね」


「昔からじゃないか?」


「ひねくれてるのは昔からだけど、今のほうが疑心暗鬼じゃない?」


「おい」


 しかし、疑心暗鬼か。

 たしかに、そうかもしれない。考えてみればその四字熟語は、まるで僕の為にあるんじゃないかって思えるぐらい当てはまっている。


「なんで疑心暗鬼になるんだろうか」僕は乱暴に質問を投げた。普通に考えれば『知らねえよ』と一蹴されそうな質問だったが、片原さんは首を傾げて宙を見つめた。「うーん……」そんな彼女を見て気恥しくなり、質問を取り消そうと一瞬悩んだが、真剣に問いへ答えようとしている彼女の回答を待つことにした。


 沈黙の間が続いて、どこからか鳥の鳴き声が聞こえはじめる。甲高いけれど音質の柔らかい、冬鳥の声だった。


「……記憶を売ったからじゃないかな?」


 分かりやすいようで分かりにくい答えを彼女は言った。


「どういうこと?」


「メモリーズの仕組みってさ、売ったらその記憶はなくなるわけじゃない?」


「ああ」


「つまり、無かったことになる」


 片原さんと僕の知識に隔たりは無い。まったくもって彼女のいう通りで、メモリーズに売っぱらった以上、僕のなかであっくんという存在は無かったことになるわけだ。メモリーズで再会なんてしなければ、今後一生彼女の存在を認識することなく僕は死んでいたことだろう。


「いまの私たちって、言ってしまえば初対面みたいなもんなのかもよ」


「ああ……」


「だからあの頃みたいにはいかないよね。たとえメモリーズが私たちの過去を証明してくれても、心まではコントロールできないもん」


 胸の底からじわりじわりと感動が湧き上がっていた。

 この人はなんて僕の気持ちを理解してくれているんだろう。頭のなかが微妙にぐらりと揺らいで、視界が陽炎のようにぼやける。


「それは……たしかに、そうだな」


 僕はこれまで、何度も人見知りだねなどと言われた。幾らか月日が経つと今度はいい加減慣れろよと攻撃に遭ったりもした。でも自分でも、どうやったら周りの人たちみたいに円滑な人付き合いができるのかが分からない。俗にいう“人見知り”という状態を脱している自覚はあるのに、人と接していくなかで必ず不協和音が心のどこかで鳴り響いた。


 きっと単純な人見知りではないし、かといって単純な人嫌いでもない。意味が分からないだろう。自分のことさえも理解ができない僕にとって、この世界が求めるコミュニケーションの速度はあまりに速すぎて付いていけなかった。


 きっと僕には、片原さんのような相手が必要だったんだ。

 いや……。


 いやいやいやいや。

 待て待て待てって。

 なんて都合の良い解釈をしやがるんだこのやろう。


「帰ろう」


 僕は彼女から離れるつもりで言った。

 しかし彼女は僕の言葉を見事にはき違えて、こう返した。


「一緒に帰ってくれるんだ。じゃあ、帰ろっか」


「……」


 うんしょ、と立ち上がった片原さんと、結局僕は肩を並べて帰路につくことになった。


 駅までのひび割れた舗装路を歩いている間、風のにおいがどこか懐かしくて、町の色にも暖かい色が入り混じっているような気がした。そんな違和感は、帰りの電車を待っているときも、電車に乗り込んだ後も、乗り換えの電車を待っているときも、胸にこびれ付いたように拭えない。


 ふと、隣りを見る。片原さんがそこに居る。胸になにか熱い液体のようなものがじんわりと広がっていく。

 なんだか合点が行ったような気がして、僕は呆れたように鼻息を漏らす。

 帰路についた頃から、ずっと糸を伝うように世界は続いている。それは夢のようで、それこそメモリーズのなかへ入り込んだようだった。


 僕たちは互いの家の近くで、手を振って別れた。そういえば近所なんだったなと間抜けな感想を思いながら、やや経って自分の団地に着く。


 部屋着に着替えてベッドに腰掛け、窓の外を何気なく見てみる。ようやく日没が近づいてきて、遠くの空がうっすらと青白く輝いていた。いつもならメモリーズを飲む頃合いだ。ようやく24時間が明け、僕は飛びつくように錠剤を口に放り込んでいるのだ。


 でも、今日はそんな気にはなれない。僕は散々ベッドに横たわって、それからシャワーを浴び、またベッドに横たわって、そんな調子でずっと片原さんのことを考えていた。彼女はどういうつもりで僕と関わっているんだとか、どうせ仲違いするんだろうとか、どこまでが計算でどこまでが素直な感情なんだろうとか。


 そんなことを考えている間に夜は訪れ、疲労が睡魔に変わって瞼にのしかかる。ベッドに吸い込まれるように微睡んでいたそのとき、


≪話がしたい≫


 片原さんからラインが届いた。




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