第21話 本当の思い出なのか確かめてみる
僅かにまだ香っている思い出を手離したくなくて、そっちの世界に戻りたくて、必死に夢幻の波に乗ろうと目を瞑り続けた。
だが、当然メモリーズはもう記憶の一部だ。あの体験に帰ることなんて当然できない。
次第に、現実に食いつぶされるようなかたちで、夢幻が失われていく。
いつの間にか余韻そのものが無くなっていて、思考は空転するだけになった。
ああそうか……。
あれは既に終わった物語なんだ。
現実には存在していないはずだった記憶だ。
分かり切っていたことなのに、その残酷な事実は僕の胸を深く抉る。
輝かしかった思い出は朽ち果て、まっさらな灰色のキャンバスが世界を埋め尽くした。何の色も入らないこの世の終わりみたいなキャンバスだった。
そして僕は何十回と思ったことをまた思う。
――見なければよかったのに。
くそだ。
いっそのこと終わってくれれば良かったのに。
どうせこのあと終わりが訪れるのなら波風立てずに静かに沈んでしまえばいい。何故、いちいち希望を与えてくれる。せっかく諦めていた僕にまるで意味のない期待を持たせてくれる。責めるべき場所のない憤りが頭まで昇った。枕に顔を埋めて、僕は何度か布団をこぶしで殴った。
甘ければ甘いほど、転落が怖い。
そして、転落したときの衝撃も強い。
果たして僕は、その痛みに耐えられるんだろうか。
ちくしょう。
僕だって、こんな僕だって、女の子と一緒にお祭りに行きたい。偽りでも、失った過去でもなく。
ややあって、遅めの朝食――ほとんど昼食――をとってから家を出た。
花火大会の会場に行くことにした。
そこに花火大会の会場となった町が存在しているのか、あの河川敷が存在しているのか、この目で確かめたくなった。そしてあわよくば作り物の思い出であることを期待したい。
メモリーズというものが、実在した嘘偽りない記録であることは当然既に実証済みだ。学校のフェンスに描かれていた相合傘が証明してくれた。にもかかわらず僕がこのような衝動に駆られているのは、証拠というものの絶対性が自分のなかで薄まってきているからだと思う。
だから期待をするんだ。あの記憶が嘘であってくれ――と。
駅までの道のりは空気が冷たくて頭が痛くなった。そういえば冬なんだな、と間抜けな感想を抱く。繰り返される季節の変化に出来の悪い脳みそが追い付けていない。駅に着くころ、僕は鈍くて痛い、いかにも冬らしい頭痛に悩まされていた。
ちょうど来た電車に乗り込み、がら空きの7人掛けの端っこへ座る。いつもはわりと混んでいる電車も休日の真昼間となるとそれなりに空いていた。スマホで秋祭りを調べると、見覚えのあるチラシがあっさりと表示された。住所をコピペし、最寄駅からのマップを表示させて、一旦スマホを閉じる。
電車は途中から、足を踏み入れたことのない街を走った。僕はそのあたりで車窓から目を背けるように俯き、目を瞑った。黙々と時間の経過を待った。景色を見たときに、その光景がメモリーズの記憶と重なることが怖かったのだ。
それでも事実は恐怖心など考慮してくれない。乗り換えを経た先の最寄り駅で降りると、そこはやっぱり飲み屋街で大いに栄えていた。マップに従って足を伸ばしていくとすぐに田畑に囲まれ、メモリーズで見た、駅前以外はほったらかしにされたような寂しい町が広がった。
景色が次々と、焼印のように記憶と重なっていく。痛くって、受け入れ難くて、僕はここにきてしまったことを後悔した。誰がどう見てもメモリーズの景色と同じだった。
しかし会場の河川敷にたどり着くと、そこだけは思い出に反していた。
土手から見下ろすそこには、屋台村もそこに集う群衆もない。空の色に淀みはなく、花火が打ちあがる気配なんて当然ない。だだっ広い砂利の向こうに、銀紙のように光る川がゆるやかに流れていた。
屋台で埋め尽くされていた秋祭りの会場を思い浮かべると、今度はこの光景がまるで嘘のようだった。
「はあ……」
とはいえ結局、メモリーズで見た景色はすべて本当だったってことだ。
僕は確かに3年前、あっくんとこの場所に来た。ここは夏のにおいに満ち溢れていて、僕たちは喧騒のなか、互いに雪だるまを持って屋台を吟味した。それから公民館の階段に腰を掛け、花火を見上げたんだ。
他人のような、よく出来た思い出だ。やっぱり僕の人生には、似合わない。
僕はため息をついた。一体何をしに来たんだろうって、自分は本当に馬鹿なんだろうって思う。平和を象徴するような静かな景色を前に、僕は無感情に笑った。どこかで聞こえる子どものはしゃぎ声が、空に反響して虚しさを増幅させる。ここに来たところでメモリーズの真実性は変わらないし、僕の精神も変わるわけじゃない。
こうしている今も喉から手が出るくらいに、胸が苦しくなるほどメモリーズが飲みたい。その一方で、一刻も早くメモリーズに終焉が訪れて、僕の過去が価値のないものであったことを証明してほしいとも思う。
麻薬のような幸福がそこにある、しかしそれを手にすれば絶望はそのぶん近づく。
僕が浸かってしまった歪んだ構造は、この景色を見ても変わらないのだ。いや……変わらないどころか、もっと深みに嵌まってしまったような気さえもする。
帰ろう――そう小さな決心をして踵を返す。
しかし、僅かな心残りが決心を揺すった。
最後に公民館だけ見て帰ろうと思った。
小さな横断歩道を渡る。記憶を頼りに何本目かの路地を曲がるとそこに、2階建ての公民館が現れた。当然ながら公民館の前には誰ひとり座っていなかった。
僕はあの頃と同じように階段へ腰掛け、空を見る。冬の大気に冷やされ切った空は、透き通るような水色だった。
目を瞑って、メモリーズを回想する。
ぼくたちは偽りなく、あの時を楽しんでいた。そこには計算も忖度も策略もない。飽くまでも純粋に感情へ従って、この場所に座っていたんだろう。楽しくて、嬉しくて、他には代えられないあの幸福な瞬間と、きっと導かれるようにして出会ったんだ。
この、ぼくが。
この、僕がだ。
みぞおちがぎゅうっと締め付けられる。
「ここに居たなんて信じられないよね」
「ああ……」
本当だ。
本当だ……?
慌てて隣りを見た。
誰だ――そう胸の中でいった。
本当に彼女が誰か分からなかったわけじゃない。ただ、情けないことに、僕は彼女がここに居る事実を素直に受け入れられなかった。
あっくん――片原さんが空を見上げていた。その顔は穏やかで、優しく微笑んでいた。




