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第20話 花火を見上げ、スマホを空に掲げる




 <Episode 10>


 夏の気配はことごとく消え去っていた。


 あれだけわんわん鳴り響いていた蝉の声は跡形もなく失せ、ここのところは代わりに鈴を鳴らしたような秋の虫が夜を彩っている。日没も針を回しているかのように早くなり、陽が沈むと空気はうんと冷たくなった。自動販売機の商品がまだ入れ替わっていないことが不思議だった。


 そういった具合に、夏に比べて幾分短い秋が訪れていた。


「だから私はね――」


 ファミレスで向かいに座る彼女も、薄い白のパーカーを羽織って、ごく当たり前のように衣替えをしていた。


「その話、いつまで続くの?」


「明日まで話してあげよっか?」


 精一杯の嫌味をあっくんは軽快に打ち返した。やっぱりこの子には敵いそうもない。



「例えばさ、あっちの道のほうが景色がよかったら、遠回りしたいなって思わない?」


「あー、うん確かに」


「それなのに近い道を選ぶんだよ」彼女は憤っている。「でもある時は近道のほうじゃなくてわざわざ遠回りを選ぶの」


「どういう理由なんだ?」


「結局、周りがどうしているか。それしかないんだよ。本当つまんない」


 ちなみにあっくんが話しているのは、川西さん――元カレの愚痴だった。

 別れているとはいえ、元カレとのあれこれを聞かされることはそれなりに不愉快ではあった。


「あと! 花火大会に行ったときもさ――」


 花火大会まで行ってんのかよ。


「ずうっと動画撮ってんだよ。その動画どうせあとから見返したりしないくせにさ」


「そんなの分からないだろ」


「せっかく生で花火大会に来てるのに画面越しで見て終わりってどうなの?」


「まあ分からなくもない」


「どっちの気持ちが?」


「うーん……」


 ぼくは照れくさいけど、はっきり言った。


「あっくんの気持ちのほうが分かるかな」


 あっくんの顔は無邪気に綻ぶ。


「さすがたいちゃん」


「まあそもそも花火に興味はないんだけど」


「いいからいいから、そういう照れ隠しは」


「うるせー」


 素直になるんじゃなかった。

 けたけたと笑う彼女は紛れもなくぼくが知るあっくんなのに、どこかに感じる違和感がそれを素直に受け入れさせてくれない。それは些細な感情であり、幸せを拒むのとはまた違ったものだった。


「私思った」


 彼女はなにかカミングアウトをするような顔をしてぼく見る。


「恋愛って私向いてないんだよ」


「……知らないけど」


「いや絶対そう。本当につまんなかった!」


「じゃあなんで付き合ったんだよ」


 ぼくの一蹴に彼女は怯む様子はなく、まあまあ周りの客に聞こえそうな声で喋りつづけた。


「なんでも合わせようとしてくるし、なんでも合わせなくちゃいけなくなるし、なんかやたら距離近いし、笑ってなきゃいけないし」


「うん」


「なんで学校で苦労してるのに放課後までわざわざ苦労しに行かなきゃいけないんだっつうの」


「苦労?」


「そそ。放課後は自由でなきゃ!」


 妙に、胸へ引っ掛かった。学校で、彼女は苦労をしているんだろうか。


「……なんか、だんだん川西さんが気の毒になってきたよ」


「えっなんでよ」


「変わり者と付き合わされて振られたんだ。可哀想じゃないか」


 あっくんは一瞬きょとんとしてから、慌てるように手を振った。


「違うよ、私は振ってない」


「え? そうなの?」


「そうだよ、言ってなかったっけ」


 聞いてないというか……彼女の振る舞いから振ったものとばかり思っていた。


「まあ……でも時間の問題だったけどね。残ってたのは勢いの余韻? それだけだったからさ……ちょっと飲み物入れてくるっ」


「……いってらっしゃい」


 振られたとはいえ未練なんてものは1ミリもないんだろう。むしろ憑き物が取れてせいせいしているようにさえ見える。でも、それならばとっとと振ってあげたら良かったんだ。


 ひとりになった席で、ぼくはなんとなく机上のスマホを見ていた。

 今日も待ち受け画面には雪だるまが映っているんだろうか。通知よ来い……と小さく願ってみるがそんな都合よくことは起きないものだ。持ち主はすぐにメロンソーダを片手に帰ってきた。


「いまそこに幼稚園の同級生がいた」


 その言葉は会話が切り替わった合図だった。振り出しに戻った話の温度を、またぼくらは一から温めるんだろう。


 普段だったら目的のない会話は苦手だ。ぼくにとって会話は何かを達成するためのものであって、会話自体が目的ではない。でも、あっくんと居ると何故かその関係性が逆転する。ぼくはいま、彼女と言葉を交わすことを目的にここにいる、そんな気がするのだ。


 それがなんとなく気恥しいし、気持ち悪い。

 それからぼくらは幾らかの時間、他愛もない話を続けた。それは夜になれば大半が忘れ去られてしまうだろう、くだらない話だった。


「そういえば、苦労ってなに?」


 その最中、ひとつ気になっていたことを聞いた。


「苦労? なんの話?」


「放課後まで苦労しなきゃなんないんだって話」


 ああ、と彼女はいま思い出したような顔をして、それから俯いてしまった。

 ぼくたちの間に雑音が目立ち始めた頃、彼女は若干歪んだ笑顔をこちらに向けた。目に負の感情を詰め込んで、笑うことは口に任せたようなそんな笑顔だった。


「私って、ズルいところがあるからさ」


「ズルいところ……か」


「そうそうズルいの」


 なんとなく追わないほうがいいと思った。彼女は視線が落ちて、ぴんと張っていた胸も内側に入ってしまう。なんて呟いた声もどこが覇気がない。いっつも元気なはずの彼女の動揺は、それ以上私に突っ込まないでくれ、と必死に伝えているように見えた。


 ぼくたちは程々に解散をした。

 外はいよいよ本当に真っ黒い空をしていて、風はより冷やされていた。秋の深まりが頂点に達するのもあと少しなのかもしれない。


 解散をして家に着いたとき、彼女からラインが届いた。


『もし良かったら一緒に行かない?』


『どこに?』


『元カレと行ったところ』少し間があって『全部』


 ぼくは、自分でもびっくりするぐらいあっさりと返事をした。


『いいよ』







 あっくんとは互いの予定が合った土日に集まることにした。互いにといっても、ぼくの予定なんてほぼ空いているから彼女次第なんだけど。


 あっくんは忙しかった。部活に塾に友達に、まるで大人のように飛び回っていた。人気者だから異性からの誘いも多くて、ぼくなんかのために予定をつくってもらうことがたまらなく申し訳なく感じた。きっとこれからも、ぼくと彼女の存在価値はどんどん離れていくばかりなんだろう。


 そうして10月の半ば、郊外の花火大会に訪れた。


 地元から電車を乗り継いで40分、駅前だけは飲み屋街などで大いに栄えているけど、少し離れると大きな家が畑に沿って建ち並ぶ、そんな小さな町だった。ここで開催される秋祭りがわりと伝統があり有名らしく、ぼくたちもネットサーフィンの結果たどり着いたわけだった。


 最寄駅から歩いて向かい、汗ばんできた頃に会場へたどり着いた。

 普段ならば暗闇に飲み込まれているはずの河川敷は、暗がりを拒むような無数の光と、人々の笑い声で満たされていた。深海のように青黒い空を背景に、橙色をした屋台の明かりが哀愁をつくりだす。


 もうすこし祭りの中心部に足を踏み入れていくと、そこは夏の香りでいっぱいになっていた。

 焦がしたソースのにおいに、とうもろこしの香ばしいにおい、酒に酔った男のうるさい物売りに、アルコールで紅潮した人々。ちょっとでも油断していたら人ごみに巻き込まれ行先を見失ってしまう。夏服が秋服に代わっただけで、気温が幾らか涼しくなっただけで、そこは明らかに夏だった。


 彼女はぼくの袖を掴んでいた。

 そこに意図はない。はぐれてしまうのを避けるためだけだ。


「あは」


 何気なく見たぼくに、彼女は小さく微笑みかけた。

 胸が熱くなって、ぼくはそれを誤魔化すために力強く砂利を踏みしめ、歩く。どうにかして気を紛らわせたかった。というより、気を紛らわせなければならなかった。


「ねえ、どこに行くの?」


「さあ」


「何も買わないの?」


「いや……」


 ふと足を止める。まだまだ屋台通りは、向こうの光がぼやけるほどに続いている。ぼくはこれから先、どこまで歩き続けたらいいんだろう。


「意外と、大きい祭りなんだな」


「だね」


「……何か、買う?」


 あっくんは、ぼくを見上げたまま小さく顎を引いた。


「じゃあ、何か好きなもの……」


「うんっ。あっちいこ」


 あっくんがくいっと袖を引っ張り、ぼくたちは再び歩き出した。

 彼女の腰辺りで、器用にポーチのファスナーへ巻き付けられた雪だるまのキーホルダーが弾んでいた。彼女が歩くたびに、まるで一緒になってはしゃいでいるかのように。


 ぼくの雪だるまも出してあげたほうが良いだろうか――カバンのなかに幽閉された雪だるまの身を案じる。


 実は今日、互いに雪だるまを持ってこようと話をしていた。しかし彼女から何もアクションがないから、カバンから出すタイミングを見失っていた。

 でも……今さら出すのもなんだか気持ちが悪いだろう。


 ぼくたちは河川敷に広がる屋台村を吟味していった。

 此処は気が付いていなかっただけで、実に何でもそろっていた。焼きそばやたこ焼き、フランクフルトやイカ焼き。それからオニオンフライやタピオカミルクティー、挙句の果てには携帯用充電器まで。祭りの王道からレアなものまで売っていた。


 何を買おうか悩んでいる間、あっくんはずうっとぼくの袖を手にしたままだった。彼女は掴んでいることを忘れてしまっているだけかもしれない。なのにぼくはというと、ずっとその一点だけが気になって仕方なく、自分が何を買いたいのかも分からなくなってしまっていた。


 川西さんとはどうだったんだろうか――。

 ふと、胸にひとすじの痛みが走る。


 彼とは、たとえつまらなかったとしても付き合っていたわけだ。恐らく、きっと袖を掴むぐらいのことはしているだろう。いや……場合によっては手すらも繋いでいるのかもしれないし、むしろ手だけで済んでいたのならいいのかもしれない。


 胸がぎゅっと締め付けられた。

 思わず首を振った。やめよう、余計なことを考えるのはやめるんだ。

 ぼくたちは、ただの幼馴染なんだから。


「どしたの?」


「あ、いや、別に」


 結局ぼくはあっくんと同じもの(フランクフルトと焼きそば)を買った。ふたりで土手を上がり、川沿いから外れたところまで移動して、公民館の階段に座った。


 そこには人ごみを逃れてきた人たちが一定数いて、皆が屋台で買ったものを食べながら談笑をして、花火が打ちあがるのを今か今かと待っているようだった。きっと公民館の入口がこんなに人で溢れるのも1年を通して今日だけなんだろう。


「花火、まだかな」


 あっくんが空を見上げながら言った。


「はは……」


「なんで笑ったの?」


「いや、おもしろいなって」


 あっくんは不思議そうな顔をした。


「じゃあ、どんなところが面白かったのか教えてもらおうかな」


「あまり大きな声で言いづらいけど」と前置きをしつつ、ぼくはボリュームを落として話を続けた。


「右や左を見渡すと人がいっぱいいる」


「うん?」


「こっから表の通りにでればもっと多くの人がいる。お年寄りもいればぼくらみたいな世代もいる。サラリーマンもいれば主婦もいる」


「そうだね?」


 あっくんは身を乗り出してぼくの話に耳を傾けた。その姿勢が更にぼくを饒舌にさせる。


「それでさ、みんな赤の他人じゃないか。それなのにきっとみんな『花火はまだかな』って同じことを思ってるし願ってる。それがなんか面白くて」


「なるほどねえ」


 あっくんの相槌には温度がしっかりとある。彼女はぼくのくだらない感想を咀嚼し、飲み込んだうえでこう言ってくれた。


「学校と比べるともっと面白くなるよね」


「というと?」


「この場所に比べてもっと関係性が近いじゃん? ほら同じ年代で同じ地域に住んでいて、たとえば先生とか授業とか共通の話題もたくさん持ってる。それなのにたったあれだけの人数なのに、あんな狭い教室に閉じ込められてるのに、考えてることはみんな違う」


「なるほど」


 ぼくも気持ちを込めて、なるほどと言った。


「でも、もし学校で花火を打ち上げるっていったらどうなるかな?」


「うーん」


 彼女の質問は鋭かった。


「学校だったら……やっぱり違うことを考えるんじゃないか?」


「私も思った」


「純粋に花火なんか楽しめないよ。少なくともぼくは」


「分かる、花火を待っているふりをしながら色んなこと考えちゃう」


「まあ、あっくんとぼくじゃ考えてる中身は全然違うんだろうけど」


「もう、突き放さないでよ急に」


 ぼくは声を出して笑い、そんなぼくを見て彼女は呆れたように笑う。

 この時間は幸せだった。なんなら花火なんか始まらなくても良い。このひとときを邪魔されるぐらいなら、花火なんか打ちあがらないで意味もなく帰路につけばいい。本気でそんなことを思った。


 しかし、当然のように花火は突然打ちあがる。

 歓声が上がった。見渡す限りに、スマホを空へ向けた手が目に入る。


 彼女を見た。同じことを考えていたのか、彼女もぼくを見ていて、ふたりしてまた笑った。


「なんか……来れて良かった」ひとり言のように呟くあっくん。


「そっか」ぼくはそう返すことしかできない。


「でも、ちょっとだけ怖かったかも」


 あっくんは、何かから解放されたようにだらんと首を傾け、ぼくを見る。


「怖かったって、どういうこと?」


 それから目を線にして笑った。


「私にとってたいちゃんは唯一の幼馴染でもあり、唯一の信じられる存在でもあーる」


「……なんだよ、その語尾」


 なんだよその言葉。何が言いたいんだよ。

 ぼくは神経を注いで、彼女の口から出る言葉に集中した。もう五感は何も拾わなかった。


「つまりは、この人と一緒に居ても空虚な気持ちになるんだったら、もう私は何をしても誰と居てもここから這い出ることはできないんだって、そう思った」


「空虚な、気持ち?」


「言ったじゃん。つまんなかったって」


「いや、言ってたけど」


 ぼくが気になったのはそこじゃない。

 彼女はいつも、空虚な気持ちで毎日を過ごしているんだろうか。


 ――なんで学校で苦労してるのに放課後までわざわざ苦労しに行かなきゃいけないんだっつうの。


 学校で苦労して過ごしているんだろうか。

 ふと、ファミレスでのあっくんが蘇っていた。


 あっくんはうんしょ、と姿勢を正してから改めて花火を見上げる。そんな彼女を見てようやく、爆発音と歓声が頭に流れだした。ここは思っていたよりもずっと騒がしくて、眩しい場所だったんだと思い出す。


「でもね、私が悪いの」


「うん?」


「川西さんは普通の人だよ。いや普通以上の人かもね。あの人実際のところ結構モテるらしいから」


 それはなんとなく分かる。あの気さくな性格に清潔感のある見た目は、男のぼくでさえ魅力を感じてしまうほどだ。


「思い返してみるとあの人、何もおかしいことしてないもん。私の思い通りになるわけがないんだよね。きっとどこかで自分の理想の恋人像をあの人に押し付けていたんだと思う」


「理想の恋人像って?」


「なんていうか、言いづらいけど、無理しないで自分らしくいれる場所っていうのかな」


「……苦労しない場所か」


「ふふっ」あっくんは一瞬吹き出して「昼間は苦労しちゃってるからね」と言った。


 花火は多分だけど序盤のフィナーレを迎えていて、まるで機関銃から発射されたかのように、色とりどりの爆薬が空で乱れ咲いていた。


「たいちゃんと偶然町で会って、また喋るようになった時、安心したんだよね。なんだか家に帰ってきたようなそんな気になれたの」


「そう、なのか」


「だからたいちゃんと行ってみたかったんだあ」


 砂糖を加えたような甘い声色に、ぼくは下を向いた。視線の端っこでこちらを窺う彼女がいるのが分かる。それでもぼくは気が付かないふりをした。なんとなくだけど、彼女のほうを向いたらぼく自身がもう取り返しのつかないところに行ってしまう気がした。


「でも、ぼくは恋人じゃない」


「うん……わかってるよ」


 砂糖が抜かれたような声に変わった。でも、なんとなく度胸が出なくって、ぼくは彼女の顔を見ることができなかった。そうしているうちにじんわりと顔全体が熱くなってきた。意味が分からない。こんな自分が恥ずかしいからなのだろうか。


「……あっくん」


「ん、なに?」


 視界の隅で髪が揺れる。


「気を遣わせてごめん。学校、行けるようになったら行くから」


「……うん」


 温度のない声がする。

 花火はまだまだ続くのだろうか。できることならもう暫くは打ちあがっていて欲しい、そう願いながらぼくはスマホを空に掲げた。



******



 目が覚めたとき、今が何時なのか、朝なのか夜なのかすらも、僕の体内時計は計れなかった。

 ぼんやりした意識のなか、カーテンの隙間からの眩しい光を見てようやく朝なんだと理解した。きっとメモリーズを使用したまま僕は本当の眠りに入り込んでしまったのだろう。


 強烈な余韻が僕を支配していて、これまで生きてきて最も最悪な目覚めだった。




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